お題「始まり」

理想の人 (レイナ、ロザリア)


「わー、すごい」

次元回廊から一歩、足を踏み出したレイナが最初に思ったことは、隣に立ってぽかんとしている新女王アンジュと同じだった。
とにかくすごい。
美しい青い空に綿菓子のような白い雲。
どこからともなく聞こえる鳥のさえずりや馥郁の花の香り。
明るい日差しや柔らかな風。
どれも自分たちの宇宙の聖地とそれほど変わらない風景なのに、まるで本物とコピー品のようにはっきりとした違いがある。
正真正銘のカシミアとカシミア風のストールの手触りがまったく違うように。
ここ神鳥宇宙は令梟宇宙の聖地とは異なる空気を感じさせた。

「やっぱり私たちの聖地に似てるね」
きょろきょろとあたりを見回すアンジュは、その違いにどこまで気が付いているのだろうか。
案外鋭い彼女だから、無意識に気がついているかもしれないし、びっくりするほど鈍感な時もあるから、素直に似ていると感じているだけかもしれない。
彼女のことは好きだけれど、まだお互いにすべてを分かり合っていると言えない関係だ。
生まれも育ちも全く違う、同じ女王候補として連れてこられた同士というだけの、不確かな繋がり。

ぼんやりしていると、ひらり、と目の前を虹色に輝く蝶が横切った。
その羽ばたきに目を奪われている間、
「ようこそ。神鳥宇宙へ」
涼やかな声がかかり、レイナは振り返った。

天女のよう、とは月並みな形容。
けれど、その女性はまさに天から舞い降りてきたとしか思えない美貌と雰囲気をまとっている。
「わたくしは女王補佐官のロザリアですわ。お二人の来訪を歓迎いたします」
にっこりと微笑むロザリアにレイナは見とれていた。
同じ女王補佐官という立場で、同じようなドレスを着ているのに、自分と彼女は全く違うのだ。
まるで、この2つの聖地のように。

「はじめまして。ロザリア様」
アンジュがぎこちなくカテーシーの恰好をとると、ロザリアは優雅な所作で礼を返した。
ドレスの袖まで計算されたように、無駄な物音のしない動き。
慌ててレイナも同じ礼を返したけれど、やはり粗悪なコピー品のようで、裾がざわざわと震えた。

「むこうで女王陛下もお待ちですわ」
「はい、私もお会いできるのをとても楽しみしていたんです。本当にここは素敵なところですね。守護聖もここに来た時に、びっくりしたって、みんな話してて…」
にぎやかに連れだって歩くアンジュとロザリアに、少し遅れてレイナが続く。
ふとベールの隙間からのぞくロザリアの横顔に、なぜかレイナの胸はざわついていた。


アンジュを神鳥女王に引き合わせた後、レイナは補佐官室に連れてこられた。
ロザリアの趣味で揃えられたのであろう調度品は、レイナの目から見ても品のいいものだとわかる。
華美ではないけれど無味ではなく、金銭的な価値はもちろん、とにかくロザリアに似合っているのだ。
淡いブルーの壁紙の前に立つロザリアは、絵画のように美しく、座り心地のいい椅子のはずなのに、お尻がむずむずする。
レイナの落ち着かない様子に気が付いたのか、手ずから紅茶を淹れてくれたロザリアが、カップをサーブしてくすりと笑った。

「緊張する必要はありませんわ。たしかに補佐官歴はわたくしのほうが長いですけれど、立場は同じはずでしょう?」
「…はい」
向かいに腰を下すロザリアの所作は本当に優雅で、つい見とれてしまう。
レイナ自身、バースではかなり裕福な家庭であったはずで、ちょっとしたパーティやサロンなどにも両親と一緒に出掛けていた。
マナーやダンス、社交術も、アンジュのような一般家庭の子女と比べれば、身についているつもりだったが。
ロザリアのそれを目にした今は、恥ずかしすぎて、とてもできるとは言えない。
二つの聖地の違いと同じように、本物の令嬢とは、まさにロザリアのような女性のことを言うのだと本能的に感じてしまったのだ。

「紅茶はお好き?」
「はい。バース…故郷でもよく飲んでいました。お気に入りのお店がおいしい紅茶とスコーンがあって」
「まあ、スコーンもお好きなのね?よかったら、昨日、わたくしが焼いたものがあるのですけれど、召し上がるかしら」
「ありがとうございます」
うきうきとリベイクするロザリアにすすめられるまま、スコーンを口に運ぶと、紅茶のほろ苦さと香りのいいあんずのジャムがほどよく溶け合って、お店に劣らない味わいだった。

「お菓子作りもお上手なんですね」
つい口からこぼれた言葉にロザリアは苦笑を浮かべた。
「陛下がお菓子好きで、ついむきになって練習してしまいましたの。おいしいと言ってもらえると嬉しくて」
はにかむような笑みも美しい。
そのあともロザリアは女王陛下との細やかなエピソードを話してくれた。

「お二人はとても仲がよろしいんですね」
「ふふ、今は、ね。初めのころはかなりひどかったんですのよ。わたくしももっと鼻持ちならない小娘でしたし、ぶつかって喧嘩して、そのたびに少しずつお互いを知っていくことができましたの」
「そうなんですか…」
正直、目の前で優雅にほほ笑むロザリアの姿から、『鼻持ちならない小娘』の姿を想像することができない。
だれかと喧嘩する姿も。

「だって、わたくしたちが初めて会ったのは、17歳ですのよ?お互い子供でしたもの」
「17歳?!」
思わず、レイナは紅茶を吹き出しそうになった。
ということは、いったい、今、この方は実年齢でいくつなのか。
もしかして、25歳の自分よりも年下…背中に冷たい汗が伝わる。
黙り込んだレイナを誤解したのか、
「女王試験って不思議ですわよね。わたくしも試験に負けて、補佐官になりましたの。貴女と同じですわ。負けた相手の補佐をするなんて、試験前のわたくしでは考えられなかったけれど、試験が終わるころには不思議とそれが当たり前のことのように思えましたわ。彼女が女王で、わたくしは補佐官。それがごく自然なことだと」

「…私もです」
成り行きで始まった女王試験だったけれど、初めは自分が優っていると思っていた。
今までのレイナの人生で、誰かに負けるということがなかったから。
それなのに、いつの間にか、アンジュの周囲を巻き込んで行く、まっすぐな姿勢に惹かれていた。
レイナが正しいと信じて進んできた道が、実は周囲に作られた『正しさ』で、自分が望んでいた道ではなかったことにも気づかされた。
ある意味、マイペースで天然。
レイナにはない、強引さとパワー。
アンジュにはかなわないと、この試験の間に痛感したのだ。

「結局、女王って、常識人には勤まらない職務なんですわ」
ため息交じりのロザリアの言葉に、レイナは笑ってしまった。
「陛下って、やっぱりちょっと天然なんですか?」
「そうですわね。ものすごく鈍感なのに、あるところでは敏感だったり、とても破天荒ですわ」
「予想できないことをしたり?」
「ええ、わたくしには理解できないようなことを平然とやってのけたり、反省はしても、全く次回に生かされないですし」
「わかります。同じ話をしていても、毎回、言うことが違ったりするんですよね」
「まあ、同じですわ」
同時にくすくすと笑いだして、微笑みあった。

「あの、紅茶、おかわりしてもよろしいですか?」
「ええ。よろしければ、他のおすすめの茶葉もいかがかしら?神鳥宇宙は紅茶の栽培が盛んな地域がありますの」
「ありがとうございます。今度、令梟宇宙でもおいしい紅茶を探して、お届けします」
「楽しみにしていますわ」


帰りの次元回廊で、レイナの手にしていた紙袋にアンジュが目ざとく気づいた。
「これは、ロザリア様からいただいた紅茶の葉よ。今度、お茶の時間に淹れてみるわね」
「わ、楽しみ。ね、ロザリア様とはどんなお話をしたの?」
「そうね…。ごく、普通の世間話かしら」
「私も女王陛下とたくさんおしゃべりしたわ。女王陛下、すごく面白い方なの。紅茶に砂糖を10個も入れるのよ!そのうえ、甘ーいスコーンにジャムもたっぷり塗ってて、私、見てて胸やけしそうだったわ」
なるほど、女王陛下の甘いもの好きは筋金入りらしい。
ロザリアの話を思い出して、レイナの顔に知らずに笑みが浮かぶ。

「明日から、またがんばろうね」
「ええ。もちろんよ」
レイナはロザリアから聞いた『補佐官の心得』を反芻しながら、しっかりと頷いた。

「補佐官は女王陛下という暴れん坊に縄をつける猛獣使いのようなものですわ。守護聖も曲者ぞろいですし、正直、気苦労が絶えない仕事。でも、とても素敵な仕事ですから、早く貴女にもわかってほしいと思いますわ」
美しく微笑むロザリアは、補佐官という仕事に充実感を持っているのだろう。
人生で初めて見つけた理想の人。
いつかは彼女のような補佐官になると、今日、改めて決心したレイナなのだった。
1・始まり
2021/07/04 up