お題「ルヴァ」

長い夜を越えて


ボーン。
壁掛け時計の鈍い音が鳴り出した。
ピンクでまとめられたいかにも女の子らしい雰囲気の部屋に、少し不似合いな古びた時計は、歴代の女王たちが使ってきた伝統の品だ。
いったい、どれほどの女王たちの人生を見守ってきたのか。
電子音ではない、本物の金属がぶつかって起きる音が、この宇宙の歴史を感じさせる。

ちょうど九つ、鳴り終わるのを聞いて、
「おや、ずいぶん長居をしてしまいましたねえ。そろそろお暇しましょう」
ルヴァがゆっくりと立ち上がった。
目の前のテーブルには、すっかり空になったグラスと食べ終わったデザートの皿がそのまま残されている。
「…うん」
アンジェリークは目線を下に向けたまま、ぎゅっとドレスのスカートを握りしめた。
柔らかな素材なのに、ぎゅっと握りしめたところに皴の跡が残ってしまうほど、強く。

土の曜日、二人でディナーを摂ることが習慣になって、どれくらいたつだろう。
普段はロザリアと二人、ダイニングのだっだぴろいテーブルで立派すぎるご馳走を食べるのだが、土の曜日だけは特別。
女王の私室で、ルヴァと二人、一人分がちょうど一つのトレーに乗るくらいの料理で、少しのお酒を楽しむのだ。
今日はシェフ特製のビーフシチューと焼き立てのパン。チーズと野菜スティックの盛り合わせ。
甘めのワインは二人でハーフボトル一本。
それくらいがちょうどいい量だった。

「もう、時間だものね」
「…ええ。時間、ですねえ」
ルヴァ座ったままのアンジェリークの髪にそっと手を伸ばすと、壊れ物に触れるような優しい手つきで数回、撫でた。
「とても楽しかったですよ」
「わたしも」
ドアまで見送れば、帰らないでほしいと、縋りついてしまうから。
アンジェリークはそのままの姿勢で、ルヴァににっこりと微笑みだけを向けた。
「では、また来週」
「うん」
重々しい音を残してドアが閉まると、アンジェリークは肩を落とし、
「はあ~」
大きなため息を吐き出した。


『女王は恋をしてはいけない』
女王試験の時からずっと言われ続けていた、聖地の不文律。
それがいつから、どうやって決まったのか、どれほどルヴァが調べても全く答えは出なかった。
恋をしたら宇宙が崩壊する、とひそかに言い伝えられてきたせいで、歴代の女王は皆、気持ちを封印してきたのだ。
宇宙か恋か、女王とはどちらかしか選べない存在。
前女王とクラヴィスの悲しい恋の話は、猪突猛進のアンジェリークですら、臆病になってしまう内容で。
「ルヴァ…」
大好き、と、心の中でそっとつぶやくほかに、今のアンジェリークにできることはなかった。


「令梟の宇宙の女王試験は順調に進んでいるようですねえ」
ルヴァは研究院でデータをチェックしながら、傍らの研究員に話しかけたた。
ディスプレイに浮かび上がる数字は、令梟宇宙の安定性が、著しく向上していることを示している。
女王試験開始前の危険な数値を知っているルヴァはその変わりように安堵しつつ、驚きを隠せなかった。
「はい。宇宙における女王の存在の大きさが、図らずも明らかになったというところでしょうか。本当に宇宙はまだまだ不思議なことがいっぱいです」
キラキラした目でディスプレイを見つめる研究員に、ルヴァは目を細めた。
『宇宙における女王の存在の大きさ』
それはこの神鳥宇宙における、彼女の存在の大きさをも意味している。

あの不文律がどういう意味なのか、当時、ルヴァもかなり真剣に調べた。
考えられるすべての文献は当たったし、門外不出とされる過去の女王の日記までアンジェリークの助けで閲覧したが、手掛かりは得られなかった。
本当に宇宙が崩壊するなんてことがあるのだろうか。
ばかげている、とルヴァの理性は告げるけれど、もしも、本当だったら?
その一抹の不安が、ルヴァの足を押し留めるのだ。

「なにかあったら、教えてくださいね~」
研究院を出たルヴァの目に、あたたかな春の日差しがまぶしく光る。
この穏やかな世界を自分の幸せのために壊すことはできない。
ルヴァは小さく息を吐き出すと、胸の飾りをぎゅっと握りしめた。



しばらくして、令梟宇宙の女王が決まったと研究院から報告があった。
女王の決定に伴って、時間の修正が成功したこと。
死にかけていた令梟宇宙の未来が開けたことなどが、神鳥宇宙の聖殿にも知らされた。
「よかった。これで一安心ね。兄弟宇宙が安定してほんとうによかった」
玉座に座るアンジェリークがほっとしたように微笑むと、引き続き令梟宇宙で執事兼研究員の座に就くことが決まったサイラスが、こほんと咳ばらいをたてた。

「えー、今回の女王試験において、実は大変なことがありまして」
「まあ、なあに?」
サイラスのひょうひょうとした口ぶりに、アンジェリークだけでなく、その場の全員が耳をそばだてる。
サイラス自体がちょっとした変人なのに、その彼が『大変なこと』というのだ。
好奇心がくすぐられないはずがない。
「実はですね」
ぐるっと周囲を見回したサイラスの目が、一瞬、ルヴァに注がれた気がした。
いつも、なにかを面白がっているようなサイラスのグレイの瞳が、なぜか優しいようにも思える。

「なんと!令梟宇宙の新女王陛下は、恋人がいらっしゃるのです!試験の間に愛をはぐくまれた二人は、お互いの想いを確認しあった後も、試験をやり遂げ、見事、勝利されました。いや~、愛の力は素晴らしいです」
ふざけているのか真面目なのか、相変わらずつかめないサイラスに、皆はあっけにとられている。
彼の奇行には多少免疫があるとはいえ、理解が追い付かないのは、いつものことだ。

「女王が恋をしていても、令梟宇宙は平和なんです。本当になんの異常もなく、きわめて平和なんですよ。女王もラブラブ、宇宙もハッピー。これが『ういんーういん』というやつではないでしょうか」」
唖然とした空気の中、サイラスは一人頷いて、再びルヴァを見た。
それがどういう意味か。
思わず息をのんだルヴァに、サイラスはただ、にっこりと目を細めていた。


「待ってください」
報告会が終了し、悠々と令梟宇宙への次元回廊を渡りかけたサイラスを、ルヴァは慌てて呼び止めた。
「あの~、さっきのお話なんですが」
「さて?」
サイラスはわざとらしいとぼけ顔だ。
「ええ~、その、あの~、令梟宇宙の女王の恋人、という」
「ああ!そのお話ですね」
…本当にとぼけているのかわざとなのか、つかみどころがない。

「え~、令梟宇宙にも、その、女王の恋愛に関する不文律…のようなものが伝わっているですか~?」
「はい、まあ、一応。それにその不文律はどの宇宙にも共通していると思われていましたので」
たしかに、この神鳥宇宙のほか、聖獣でも同じようにあの不文律は信じられている。
「ですが、科学者としての性でしょうか。私はエビデンスのないものを信用できないんです。
もしも、本当に女王が恋愛したことによって、宇宙が崩壊したなんていう事実があれば、必ず文献や何かが残っていると思うのです。
それが全くない。となれば、その事実が自体がないと推測するのが普通ではありませんか?」
サイラスの表情は変わらない。

「ええ~、たしかにその証拠はありませんでした。でも、崩壊しなかったという資料もなかったわけで…」
「崩壊しなかった、という証拠は、今、できています。令梟宇宙の新女王の手で新しくつくられた確固たる証拠が」
サイラスの瞳がきらりと光った。
「彼女たちは、その不文律を知っていたけれど、どこかで遠いものと感じていたのでしょう。聖地や女王がただの伝承としてしか伝わっていないような辺境の地の生まれでしたから。だから、ごく当たり前に恋をして、女王になった。そして、女王になってからも恋人関係を続けている。けれど、宇宙は崩壊していない。…それがすべてではないでしょうか?」

それがすべて。
たしかにそうだ。
見えもしないなにかに怯えて、一歩を踏み出す勇気が自分たちにはなかった。
新しい宇宙の新しい風が、ルヴァの中にあった重い枷を見事に吹き飛ばしていったのだ。

「…え~、まさか新しい宇宙でその~、実験したわけではありませんよねえ?」
思わず口をついたルヴァの言葉に、サイラスは胸に手を当てて、慇懃な礼をしてみせる。
「まさか!…ええ、たぶん、きっと」
研究者としての気持ちは、ルヴァにもなんとなく通じるものがある。
二人は同時に目を細め、そして、サイラスはこれからの人生を過ごす令梟の宇宙へと戻っていったのだった。



「お誕生日おめでとう、ルヴァ」
いつもの土の曜日のディナーだが、今日はデザートに大きなホールのケーキが一つ。
週の頭にあったルヴァの誕生日を改めて二人きりで祝うために、ロザリアが用意してくれたケーキだった。
「おいしい!」
頬にクリームをつけたアンジェリークがにこにことフォークを口に運ぶと、ルヴァも飾りのイチゴを一つ頬張った。
豪華な誕生日当日のパーティもありがたかったが、大切な人との二人きりの席は、また違った楽しさがある。
ケーキを味わい、紅茶を飲んで、たわいもないおしゃべりをする、愛おしい時間。

ボーン
ふいに時計の鐘の音が響き、アンジェリークの瞳が揺れた。
きっちり九つ。
「9時、ね」
「ええ~。そうですねえ~」
重い椅子を引きずり、ルヴァが立ち上がる。
けれど、そのままドアの方へ向かうかと思われたルヴァは、アンジェリークに微笑みかけると、再び、元の椅子に腰を下ろした。

「え~、もし、よろしければ、もう少しお話しませんか?」
「え?」
「あ~、本当に、本当に、今更ですし、令梟宇宙が無事だったからと言って、この宇宙が無事かなんてわかりません。ですが…」
ルヴァの脳裏にサイラスの楽し気な顔が浮かぶ。
「新しい一歩を貴女と始めてみたいんです。恋する女王が治める、新しい宇宙を」
アンジェリークの緑の瞳に、みるみる涙がたまり、頬を滑り落ちる。

新しい宇宙の新しい風が、ルヴァとアンジェリークを未来へと運び始めるのだった。

2・ルヴァ
2021/07/18 up