お題「帰り道」

まだ友達未満


「やべえ!」
ふと見上げた時計の針は、あと5分で執務終了の5時。
ゼフェルは大慌てで、机の上に散らかっていた部品類を箱の中に流し込むと、上着を手に取った。
片付けとしてはおおざっぱが過ぎる状態だが、どうせまた明日、続きをするのだから、問題はない。
とりあえず机の上に何もなければ、うるさい小言がないことを、ゼフェルは身をもって知っていた。
ドアの横に立てかけてあった、大きめのスケートボードを小脇に抱え、部屋を飛び出す。
常春のはずの飛空都市だが、やはり夕方の風は少し冷たく、ゼフェルは大きく息を吐き出した。

聖殿の扉をくぐり、階段を駆け下りると、続く道の先に人影が見える。
女王候補のロザリアだ。
青いドレスのスカートが優雅に風に揺れ、大きなリボンが頭の上でそよいでいる。
背中に綺麗な巻き髪を流して、まっすぐに背筋を伸ばして歩く姿は、後ろ姿さえ凛とした佇まいだ。
ゼフェルは、ボードを地面に置いて飛び乗ると、重心を前に傾け、人影を追いかけた。

「よお」
「あら、ゼフェルさま。ごきげんよう」
ゼフェルの声に一瞬驚いたように目を丸くしたロザリアは、すぐに綺麗な淑女の礼を返した。
「荷物」
「もう大丈夫ですわ」
「あ?まだ引きずってるだろ?持ってやるから寄こせ」
「大丈夫だと申しておりますでしょう」
「大丈夫じゃねー」
イライラしたゼフェルは、ロザリアの手からかばんを引っ手繰った。
女王試験のための、資料やノートが入ったかばんは、かなり重く、ゼフェルの手にずっしりとくる。

「ったく、めんどくせー」
「だから、もうよろしいと申し上げておりますでしょう!」
「そうじゃねえって。おめーがさっさと寄こさねえのがめんどくせーんだよ。そのケガは半分はオレのせいなんだし、こんくらいさせろ」
ロザリアはまだなにか言いたそうに口をとがらせていたが、諦めたのか、
「ではお願いいたしますわ」
一転して、美しい会釈をして見せた。



ことの発端は、先週の日の曜日。
ゼフェルが森の湖の奥で改造メカチュピ3号を飛ばしていた時だ。
メカチュピを、ただまっすぐに飛ぶだけではなく、いわゆるドローンの原理を応用して、空中で静止もできるように作り変えていた。
これなら軽いものを運んだり、カメラやマイクを仕込むこともできるから、いろんな場面で役に立てる。
飛ぶだけのおもちゃから、実用第一の機器にしたのだ。

リモートでの操縦を試そうと、わざわざ人気のないところで、飛ばしていたところ。
「きゃああああ」
鋭い女の悲鳴が聞こえて、ゼフェルは驚いた。
こんなところに誰もいるはずがない、と思っていたのに、なんと、すぐそこの木の裏にロザリアがいたのだ。
メカチュピに驚いた彼女は、立ち上がろうとして転んだらしい。
「おい、なんで、おめーがこんなとこに」
「本を読んでいたのですわ!ここなら誰にも邪魔されないと…痛…」
顔をしかめたロザリアは、足首を抑えている。
悪いふうにひねったのか、少し腫れているように見えた。

「ケガしたのかよ」
「…別に大丈夫ですわ」
ロザリアは、つんと横を向くと、木を支えにしてよろよろと立ち上がり、そのまま、気丈な様子で歩いて行く。
どても大丈夫そうには見えなかったが、ゼフェルは去っていくロザリアに声をかけられなかった。
なんとなく、ロザリアに対する苦手意識があったし、正直、ばつが悪かったのだ。
草むらに落ちてしまっていたメカチュピを拾い上げると、そのそばに分厚い本がある。
そういえば、さっき、ロザリアは『本を読んでいた』と言っていたから、それがこの本なのかもしれない。
なにげなく表紙を目でたどると、タイトルはずばり『神鳥宇宙史』
ルヴァなら大喜びして語りだしそうな、堅苦しい歴史書だ。
女子向けではないし、ましてやお嬢様然としたロザリアには不似合いな気がしたが、捨てておくわけにもいかず、ゼフェルはその本を持ち帰ったのだった。



翌日の月の曜日。
朝一でロザリアがゼフェルを訪ねてきた。
「あの、本を知りませんか?昨日、お会いしたあたりに…」
「あー」
ゼフェルは図面や作りかけの部品が散らばる机の上をがさがさと漁り、持ち帰った本を、ロザリアに手渡した。
後で渡しに行けばいいと思ったが、先を越されたらしい。

ロザリアはほっとした様子で本を胸に抱えると、
「よかった…。これは図書館で借りたものですから、心配でしたの。忘れてしまったと思い出したのですけれど、見に行くことができなくて」
なんでだ?と聞きかけて、ゼフェルはロザリアが足を引きずっていることに気が付いた。
ぐるぐる巻きのテーピングもしてあって、なかなかに痛々しい。
ヤッパリ昨日のアレが原因なのだろう。
ケガのことを聞こうかどうしようか迷って、無言になってしまったゼフェルに
「ありがとうございました」
ロザリアは綺麗な礼をして、あっという間に出て行ってしまった。

「…なんなんだよ」
なにも責められないことが、逆にゼフェルの気持ちを波立たせた。
『あなたのせいでケガをしましたわ』とでも言われれば、言い返すこともできるのに。
本を持ち帰ったくらいで礼まで言われてしまって、なんだか立つ瀬がない。

「ちっ」
ゼフェルは執務室の隅を漁りだした。
そこに積まれているのは、ゼフェル手製のちょっとした機械だが、しばらく使って、やめてしまったり壊れてしまったものばかりで、捨てられずに残ってしまっていたのだ。
お目当てのものを取り出し、ちょっとしたメンテナンスを施すと、ぶうんとモーターが動いた。
ちょうど、執務終了のチャイムを耳にしたゼフェルは、手直しした電動スケボーを抱え、ロザリアを探した。
「おい、荷物寄こせよ」
「はい?」
「いーから」
それから、ゼフェルは、馬車での送迎のない帰り道に、ロザリアの付き添いをすることにしたのだ。



「今日も図書館に寄ってくのかよ」
「ええ。明日からお休みですから、いつもよりもたくさん読めますもの。…ゼフェル様はついてこなくてもよろしいんですのよ」
ゼフェルはその言葉には返事をせず、ロザリアの後ろをゆっくりとついて行く。
確かに荷物は重いが、電動スケボーは重心を前に傾けて一蹴りするだけで、楽に前に進むから全く苦にならない。

月の曜日から、ロザリアの荷物持ちを始めて、知ったことがある。
それは、彼女がかなり努力家であり勉強家だということだ。
毎日、育成終了後に図書館に行き、閉館までの1時間半、本を読んだり調べ物をしたりしている。
帰りには本を借りて翌日には返しているから、きっと、寮にもどっても勉強しているのだろう。
ゼフェルはずっとロザリアを傲慢でわがままなお嬢様だと思っていたが、『完璧な女王候補』と自信満々に言えるだけのことはしている、と素直に感心するようになっていた。

勉強しているロザリアと少し離れて座り、ゼフェルもぺらぺらと本をめくる。
あの日、ロザリアが読んでいた歴史書だ。
宇宙創成期から各代の女王の治世が細かく書かれていて、それぞれの時代の出来事が巻ごとにわかりやすくまとめられている。
「この本のどこか面白いんだよ」
小声でぽつりとつぶやいただけなのに、ロザリアは読んでいた本から顔を上げると、ゼフェルの席までやってきた。
「いずれ、わたくしが女王になった時に、過去の問題点を知っていた方が良いと思いましたの。様々な事件や災害がどのように解決したのか、もしくは失策だったのか、あらかじめ知っていれば、対策をスムーズに立てることができますもの」
腰に手を当てて、理路整然と正論を吐くロザリアに、ゼフェルはふんと鼻を鳴らして見せながら、実は感心していた。
こいつが女王になりたいと思う気持ちは本物だ。
そのために努力する姿は、ゼフェルが今まで『女』というもの全般に抱いていたイメージを覆すほどの威力があった。



ケガの日から13日目。
候補寮の前まで送り届けたロザリアは、
「お昼にお医者様から完治のお墨付きをいただきましたわ。今日で付き添いも終わりにしてくださいませ」
綺麗な淑女の礼をして、ゼフェルにそう告げた。
「…そうかよ」
重いかばんをロザリアに返し、彼女の足を見てみると、確かにもうサポーターもなく、腫れている様子もない。
完治したというのは本当なのだろう。

「よかったじゃねーか。…じゃあな」
明日からはもう、終了の時刻を気にすることもなく、好きなだけ時間を使えるし、執務室に寝泊りしたりもできるのだ。
気楽で自由だった生活が戻ってくるのだから、嬉しいはずなのに、ゼフェルはなんとなく、胸がもやっとするような気がしていた。
そのもやもやを振り切るように、くるっとつま先でスケボーの向きを回転させると、
「まあ、すごいですわ」
そのスムーズな動作を見て、ロザリアが目を輝かせた。

「実はずっと思っていたのですけれど、そのスケートボード? すごく便利そうですわね」
「はあ?」
「重い荷物を持ちながらでも楽々進みますし、結構スピードもありそうですし。飛空都市はそこまで広くはありませんけれど、あちこちに移動するのは、徒歩が多くなりますでしょう?いちいち馬車を呼ぶのも手間ですし。…それでしたら移動が楽になるのではないかと思いますわ」
ロザリアはじっとゼフェルの足元のボードを見ている。
確かにゼフェルも聖地のこまごました移動が面倒で、このスケボーを作ったのだ。
ただ、もともとゼフェル自身がインドアで、ちょこちょこあちこちに出歩くタイプではなかったため、執務室の隅で埃をかぶることになってはいたが。

「ちょっとだけ、貸していただけませんこと?」
ロザリアはもうやる気満々で、荷物を地面に下している。
発明品を褒めらえれた、ちょっとした嬉しさもあり、ゼフェルはすんなりとボードから降りると、彼女の方へ足で寄せてやった。
「しょがねーな。乗ってみるくらいならいいぜ」
「ありがとうございます!」
ロザリアは嬉々として、片足をボードに乗せた。
ファッション的には全く不似合いだが、ポーズはなかなか決まっている。
「そのまま、地面を足で蹴って、ちょっと勢いが付いたら、両足を乗せて、重心を前に置くように意識すりゃ前に進むからよ。重心の向きでセンサーがボードの向きを判断するから、障害物をよける時なんかは左右に重心を移動させりゃ…って、おい、聞いてんのか」

ロザリアはゼフェルの話半分くらいのところでザっと地面を蹴った。
ボードが地面を走り、もう片方の足も乗った、と思った瞬間。
「きゃあああああああ」
絶叫とともにボードだけがまっすぐ道路を駆けていく。
そして、その場には盛大に尻もちをついて、転がったロザリアの姿があった。
「おい、大丈夫かよ?!」
ロザリアはびっくりして声も出ないのか、目を丸くして、首だけを上下に動かしている。
幸いなことに頭を打った様子はなかったから、ゼフェルも一つ息を吐き、転がったままのロザリアの横にしゃがんだ。

「なにやってんだよ。おめー、相当運動神経鈍いんだな」
「なんですって?!」
「あんなもん、フツーの奴なら前に進むくらいはできるってーの」
「ボードが勝手に動いたんですわ!」
「だから、話ちゃんと聞いてたのかよ。両足乗せてから、重心を前に倒せって言っただろーが」
「やりましたわ!」
「はあ?!あれは完全におめーが片足だけで体重かけたせいだろーが」
「違います!」
平行線の言い合いを繰り返してから、ゼフェルは飛んで行ったボードを拾いにいった。
ボードは何も乗っていない状態だと、ある程度のパワーで止まるようになっているのだ。

すると、背後から
「いたっ」
小さな叫び声が聞えてくる。
見れば、ロザリアが立ち上がろうとして、足首を抑えているようだ。
「おい、またケガかよ!」
慌てて、ゼフェルがそばに戻ると、ロザリアは涙目で顔を真っ赤にしていた。
「…今度は反対側を痛めてしまったようですわ」
「マジで?!」
赤くなった足首はもしかすると、前回のケガよりもひどいのではないかとすら感じる程、腫れている。
「ったく、どんくせー」
「なっ。…でも、そうかもしれませんわ。それに軽率でした」
ロザリアは唇をかみしめ、なんとか自力で立ち上がろうとする。
負けず嫌いだが、きちんと自分の非を認めるところは、やはりすがすがしく、彼女の美点だと思う。
「ほら」
ぶっきらぼうにゼフェルが伸ばした手に、ロザリアは少しためらってから捕まった。
おそらく、一人では立ち上がれないと観念したのだろう。
白く細い指が触れた箇所が、カッと熱を持ったような気がした。

「…今度のケガも、まあ、三分の一くらいはオレのせいかもしんねーな」
「三分の一?!半分はそうではありませんの?!」
「まー、そこはどうでもいいだろ」
明日からも帰りは荷物持ちしてやらねーと。
痛みで足を引きずるロザリアに、不謹慎と思いつつも、なんだか、ワクワクしてしまうゼフェルなのだった。

5・帰り道
2021/12/04 up