ANNIVERSARY

それはロザリアが聖地についてすぐから始まった。
補佐官室は守護聖たちの執務室の最後尾に連なっている。
調整役を兼ねた仕事も多いことから、至極便利だと思っていたのだが。

時計の針は2時。
常春の聖地の午後は柔らかな風の吹く、とても気持ちのいい時間だ。
開け放たれた窓からも爽やかな風が流れ込んで、カーテンを揺らしている。
ふとペンを置いたロザリアは、心地よい風に目を閉じて息を吸い込んだ。
同時に窓越しにものすごい叫び声が聞こえて、ロザリアは慌てて廊下へ飛び出すと、ルヴァの執務室を開けた。
「どうなさいましたの?!」
ロザリアが勢いよくドアを開けると、部屋の中にはルヴァのほかにゼフェル、マルセル、ランディ、オリヴィエがいて、一斉にロザリアを見た。
「ロザリア~。ゼフェルがね、僕のおやつをとるんだよ~。」
マルセルがロザリアに涙目で訴えてくる。
そのマルセルの頭を右手で抑え込んで、ゼフェルが左手に持っているのは、なにやら緑の塊。
「なんですの?それは。」
ゼフェルがふんと鼻を鳴らして答えた。
「抹茶チーズケーキだとよ。そんなに甘くねぇから、オレでも食えるぜ。」
「ボクのなのに~。」
「オメーには苦いって言ってんだろ。」
「食べれるもん!」
ロザリアはふつふつと頭に血が上るのを感じた。
自分と年の変わらない守護聖たちが、あろうことかお菓子の取り合い。
しかもその場にいる誰も、それを諌めようともしないのだ。

こめかみに人差し指を当てて、ロザリアは無理をして微笑んだ。
「では、わたくしのおやつをマルセル様に差し上げますわ。それでいかがかしら?」
途端にマルセルの瞳がキラキラと輝いて、ゼフェルがちっと舌打ちをした。
「あ~、ロザリア。すみませんね。あなたのおやつなのに。」
補佐官室からおやつのクッキーを持ってきたロザリアにルヴァがすまなそうに声をかけた。
「おや、これ、あんたの手作り?」
一枚手にしたオリヴィエがまじまじと手の中のクッキーを見つめている。
早速口にほおりこんだオリヴィエにマルセルが「あー!」と大声を出した。
「まだ、たくさんありますのよ。…作り過ぎてしまいましたから、ちょうどよかったですわ。」
「へえ、意外と器用なんだね。」
2枚目に手を伸ばそうとしたオリヴィエの手をマルセルが軽くはたく。
冗談のようなやり取りが繰り返されるのを見て、ロザリアは微笑んだ。
これでやっと静かになる。
「あなたもご一緒にお茶をいかがですか~?」
ルヴァの誘いにロザリアは首を横に振った。
やらなければならないことは山のようにある。…しかも休憩時間にはまだ早い。
名残惜しそうなルヴァに淑女の礼をして、執務室から退出する時、ロザリアは皆に言った。
「休憩時間をお守りくださいね。まだ2時ですわ。執務時間中ですのよ?」
全員が頷いたのを見て、ロザリアは満足した。
そしてとりあえず一日、静かに執務を終えることができたのだった。

しかし。
それからもたびたび隣の部屋から聞こえてくる騒音。
そういえば、飛空都市にいたころからルヴァの部屋にはたくさんの人が集まっていたような気がする。
もちろん自分もその一人で、お茶の時間にはよく行ったものだ。
いつものメンバーであるオリヴィエ、ゼフェル、マルセル、ランディ。
時々加わったリュミエールやオスカー。
その習慣はもちろん聖地でも変わることがなく。
最初のうちはにこやかに注意していたロザリアも、次第に我慢できなくなってくる。
このごろは「怒鳴りこむ」といった表現がぴったりになり、ロザリアも疲れていた。
真剣に部屋替えを考えるようにさえなっていたのだった。


けれど、疲れている理由はそれだけではない。
思いがけず補佐官として聖地に来て、女王交代の殺人的な忙しさも過ぎた後、ほんの少し感じる、寂しさ。
「アンジェではないのよ。しっかりしなさい。ロザリア。ホームシックなんてだらしなくてよ。」
言い聞かせるように口に出してみた。
言葉に少し混じるため息が、まさに今の気分で。

女王になったアンジェリークがクレープを食べたいと言い出したのは、ついこの間のことだった。
「クレープなら、パティシエに作っていただいたらよろしいでしょう?」
使用人を呼ぶためのベルを手にしたロザリアにアンジェリークが飛び付いた。
「ダメ!そんなコト言ったら、パティシエの人に悪いわ。今日のおやつだって、おいしかったんだもん。」
今日のデザートはガトーショコラだった。
みっちりと詰まった生地にふんわりとした生クリーム。
食感といい、とろけるようなチョコレートの風味といい、舌の肥えたロザリアでさえもおいしいと思ったくらいだ。
ではなにが問題なのか、と、ロザリアが口を開く前にアンジェリークは頬杖をつくと、寂しげにため息を漏らした。
「おいしいの。でも、そうじゃないの。」
「え?」
「スモルニィの帰りにみんなと食べた、あのクレープが食べたいの。…ロザリアにはそういうのないの?」
ロザリアにもようやくアンジェリークの言いたいことが分かった。
きっと、買い食い出来るような気安いクレープ屋のクレープなんて、安っぽい生クリームと缶づめのフルーツの入ったものだろう。
きっと本当に欲しいのはクレープじゃなくて、それを食べた時間なのだ。
ロザリアも思わず瞳を伏せた。
「わたくしは、シェ・ノーブルのケーキが食べたいですわ。」
「シェ・ノーブル?」
「お父様がお仕事の帰りによく買ってきてくださいましたの。一日家を空けた時なんて、それこそ箱3つ分も。
毎回多過ぎて、余ってしまうでしょう?だからお父様に尋ねましたの。『なぜこんなにたくさん買っていらっしゃるのですか?』って。」
思い出しながら優しい瞳になったロザリアにアンジェリークは頷きながら続きを急かした。
「そうしたらお父様は首を横に振ってこうおっしゃたのよ。『ショーケースにあった全てのケーキを包ませるんだ。
どれが私のかわいいお姫様のお気に召す物かわからないからね』って。」
アンジェリークの丸い瞳がさらに丸くなる。
「だから、『わたくしが好きなのはイチゴの乗ったケーキですわ。』と言いましたの。」
「そしたら次からはショートケーキだけになったの?」
「いいえ。」
さらに笑みを深くしたロザリアは今にも笑いだしそうに言った。
「次からは全てのケーキにイチゴが乗っていましたの。オレンジのタルトにもブルーベリーのチーズケーキにも全て。
お父様が無理やりイチゴを乗せさせたのでしょうね。」
「へ~~。」
さすがにお嬢様はスケールが違う。
たしか『シェ・ノーブル』といえば、主星で知らない人はいない有名店だ。
…値段が高いことでも有名だったはず。
アンジェリークは思ったことを飲み込んで、くすくすと笑った。
その笑い声に少し渋い顔をしたロザリアは手にしていた書類の束をアンジェリークの机の上に置いて、強引に話を終わらせたのだ。

でもそれ以来、なぜか聖地に来る前のことを思い出すようになってしまった。
一人の時は特に。
飛空都市にいたころは、もう少しみんなとも近かったような気がする。
一緒にお茶を楽しんだり、日の曜日には遊びに行ったりしていた。
このごろ、怒りすぎたのかもしれない。
ルヴァの部屋から騒音が聞こえることもなくなっていた。
静かな聖殿で一人きりで執務をしていると、なぜか胸が痛いような気がして、ロザリアはぼんやりと書類を手にした。


その時突然、ロザリアの耳にモノをひっくり返すような大きな音が響いた。
また、始まったのだ。
おやつの取り合いか、ゼフェルのメカか、きまぐれに始まるカードのゲームか。
その音を合図のようにロザリアは立ち上がると、爽やかな風の吹いてくる窓をしっかりと閉める。
ルヴァの部屋から聞こえてくる話し声が聞こえないように。
流れていた空気が止まって、部屋の中は少し汗ばむくらいだ。
しかし、窓を閉めたまま、ロザリアは静かに執務を続けた。
集中していると、再び大きな音がして、床が揺れるような衝撃が起こる。
思わずペンをぐっと握りしめたロザリアだったが、素知らぬふうでそのまま執務を続けた。
いつかは止むだろうと思った騒音は、なぜかどんどん大きくなってくる。
ロザリアは机の上に叩きつけるようにペンを置くと、勢いよく立ちあがった。

「いいかげんになさいませ!執務時間だと何度も申しあげていますでしょう!」
執務室のドアをこれ以上はないという力で思い切り開けると、ロザリアは中に向かって大声を上げた。
とたんにしんとする室内。
ロザリアが我に返って、しっかり中を見ると、なんと守護聖が勢ぞろいしている。
ジュリアスとクラヴィスまで、この部屋の主のように向かい合ってソファにでーんと座っていた。
「な。一体、どうなさったんですの?」
あまりに不思議な光景にロザリアの声が裏返る。
すると、苦虫をかみつぶしたようなジュリアスが「仕方がなかろう。…このような集まりでなければ、同席したりはせぬ。」と言う。
「クッ。お前がおらぬ方が本当は皆、楽しいであろうにな…。」
クラヴィスの言葉にいつもなら怒りだすジュリアスが、今日は顔色を変えただけで言い返さない。
「ジュリアス…?」
目を丸くしたロザリアにますます眉間のしわを深くしたジュリアス。
問いただそうとしたロザリアの肩にオリヴィエが手を置いた。

「さ、こっちへお座りよ。」
エスコートするように手を引いたオリヴィエが中央のソファへロザリアを座らせた。
「せっかくみんな揃ってるんだ。今日はあんたも一緒にお茶してくれるよね?」
「でも・・・。」
眉を寄せたロザリアにリュミエールがハープを抱え直した。
「1曲だけでも聴いてくださいませんか?きっと気に入っていただけると思うのですが…。」
優しく微笑まれて断われるわけもない。
「では、1曲だけ。」
ロザリアはソファにゆったりと腰をかけた。
「では、俺が麗しの君のためにお茶の用意をしよう。」
いつの間にかカップを手にしたオスカーがロザリアの前に紅茶を置いた。
「俺が茶を淹れた女性は君が初めてだ。」
甘い言葉をささやくオスカーにロザリアの頬が染まる。
「全くあなたという方は…。嘆かわしい。」
リュミエールはそう言うと、オリヴィエに視線を向けた。
「ん。お子様たち、そろそろ用意はイイ?」
「はい!大丈夫です。」
ランディの元気のいい返事が聞こえると、リュミエールのハープからメロディが流れ出した。

「これは・・・。」
ロザリアの目が丸くなる。
前奏の4小節が終って、始まった歌は『HAPPY BIRTHDAY』。
「今日、あんたの誕生日でしょ?私達からのお祝い。」
ジュリアスも歌っている。あのクラヴィスでさえ、口を動かしている。
ロザリアの瞳に涙がたまっていく。
「わたくし、忘れていましたわ。本当にありがとうございます。」
ロザリアに目の高さにかがんだオリヴィエが瞳に溜まった涙にそっと指をそえた。
「泣くのはまだ早いよ。ほら。」

「ロザリア!お誕生日おめでとう!」
飛びついて来たのはアンジェリークで、なにやら大きなモノを抱えて、テーブルに乗せていた。
「わあ!できたんだね!僕、早く見たいなあ。」
「早く開けてくれよ。ロザリア。」
「バーカ、テメーらがはしゃいでどーすんだってーの。」
大きな箱の周りに全員が集まると、ロザリアは箱の蓋を持ち上げた。
部屋中に広がる、甘い甘い香り。
生クリームのたっぷり乗ったケーキが目の前に現れた。

「なに・・・?これ・・?」
マルセルがつぶやく。
ケーキを覗き込んだ全員が言葉を失った。
「え?なにって、『シェ・ノーブル』のケーキよ? それに皆さまからのお勧めをトッピングするって言ったでしょ?」
上機嫌なアンジェリークのにこにこ顔を、色とりどりの20の瞳が見つめた。
「見て。これがジュリアス様の金箔、クラヴィス様のアラザン。それから、ランディ様のオレンジでしょ、リュミエール様のお花の砂糖菓子。
こっちがオスカー様のジェリービーンズでしょ、マルセル様のお菓子の家でしょ、ゼフェル様のナッツでしょ。
この大きいのが、オリヴィエ様の食べられるお花でしょ、ルヴァ様の抹茶クッキー。」
アンジェリークの指差す方向には、それぞれのトッピングが置かれている。
「はあ?だからって、全部乗っけりゃいいってもんじゃねーだろ!」
ゼフェルの叫びに、守護聖が頷いた。
それでも、ケーキを切ろうとナイフを持ったマルセルをアンジェリークが両手で押しとどめる。
「待って!仕上げはこれからなの!」
もうひとつ、テーブルに置かれていた箱を取り上げたアンジェリークがロザリアに笑顔を見せた。
「これ。わたしから。」
箱の中はいっぱいのイチゴ。甘酸っぱいフルーツの匂いが漂ってくる。
「ロザリア、大好きなんだよね!」

アンジェリークが箱のイチゴを全部乗せようと、ランディに手伝わせている。
けれど、不器用なランディはイチゴをうまく積み上げられない。
「オレにやらせろよ!」

ゼフェルがうまく積み上げていくのを、ルヴァやリュミエールがはらはらしながら見つめている。
ジュリアスが「もういいではないか。全て乗せきれまい。」と言うと、クラヴィスが「わからぬではないか・・・。」と言い返す。
オスカーはおもしろがってゼフェルを応援するし、ケーキを早く食べたいマルセルは、フォークとお皿を持ったまま、じっと立っている。

「まったく、なにやってんだか。」
オリヴィエはケーキに挿してあった花を抜くと、根元のクリームをなめた。
「ここの方が似合うね。」
オリヴィエの手が触れる。髪に咲いた花にロザリアが頬を赤らめた。
「わたくし、聖地に来てよかったですわ。」
「うん。私もね、あんたが来てくれて、ホントによかったと思ってるよ。」
優しく見つめるブルーグレーの瞳。
ふと頬に触れた唇にロザリアは驚いて、頬に手を当てた。
聞こえそうなほどの心臓の音。
ロザリアもオリヴィエを見つめた。

「ロザリア!これでどう?」
うず高く積まれたイチゴの山にアンジェリークが得意げな声を上げる。
歓声と苦笑が混じり、ケーキにナイフが入った。
楽しいパーティはこれから。
ロザリアの恋も、きっと、これから。


FIN
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