「そういえばもうすぐお前の誕生日だな。今年も例のワインを用意しておくぜ」
「んふ。さすがオスカー。私の好みをよくわかってるよね」
「まあな。長い付き合いってやつだ」
扉越しに聞えてきた二人の会話に、ロザリアの顔は青ざめた。
育成のために訪れた、炎の執務室。
ドアをノックしようとこぶしを振り上げた時に、偶然、耳に入ってきたのだ。
「あのワインはホントに最高だね。さすがカティスのおすすめってだけはあるよ。全く年に一度しかよこさないって、あんた、実はケチなんじゃないの?」
「何を言うんだ。年に一本だけでも分けてもらえてありがたいと思え」
「うわ、やっぱりケチくさい」
「そういうことを言う奴にはもう分けてやらんぞ」
「え~」
同僚の気安さか、軽口の応酬が続き、ロザリアは完全に部屋に入るタイミングを逃してしまっていた。
それに、もう育成のお願いをしている場合ではない。
ロザリアはくるりと踵を返すと、そのまま、小走りでルヴァの執務室を訪ねたのだった。
ルヴァの執務室は、本で埋め尽くされていると言ってもいい。
壁一面、天井まで隙間なく本棚が並んでいて、その中にぎゅうぎゅうに本が詰まっているし、棚からあふれた本があちこちにうず高く積まれている。
たちこめる古い紙の匂いの中に、ほのかに緑の香が漂った。
「あれ?ロザリア?」
外界から切り離された静謐さとは無縁の朗らかな声。
「どうしたの?あ、お茶でも飲む?」
ソファでのんびりくつろいだ様子のアンジェリークが、湯呑を両手持ちして、転がっている。
この光景もすっかり見慣れたもの。
積まれたルヴァの本の隙間に、アンジェリーク専用のお菓子箱やマンガがちらほら見え隠れして、まるで、アンジェリークの巣になっているのだ。
「お茶はよろしくてよ。あの、ルヴァ様にちょっとお尋ねしたいことが」
「はいはい、なんでしょう」
ニコニコと執務机でなにか書き物をしていたらしいルヴァが顔を上げた。
「もうすぐオリヴィエ様のお誕生日と伺ったのですが」
「ああ~そうですね」
カレンダーをちらっと見たルヴァは、大きく頷いた。
「ちょうど来週ですね」
「え、そうなんですね!じゃあ、なにかプレゼントとかお祝いをしなきゃ!」
アンジェリークはせんべいをバリバリかみ砕いて、ごくんと飲み込んだ。
「ルヴァ様はなにかされるんですか?っていうか、他の守護聖様方は?」
「まあ、それぞれになにか贈ったりはするかもしれませんね~。でも特別なパーティなどはありませんよ。私も去年はたしか…たぶんプレゼントをしたような…」
ルヴァの記憶は曖昧のようだ。
そもそも、ロザリアから見て、守護聖たちの関係というのはとても微妙なものに思える。
友人でもなく、仲間といえばそれが近いのだろうが、仲がいいとは言えないところもあり。
「わたしもなにかプレゼントした方がいいのかな~。ロザリアはするんだよね?」
「え?!」
急に話をふられて、ロザリアは言葉に詰まった。
そのつもり、ではいたものの、具体的には何も決めていなかったからだ。
「だって、ロザリアはオリヴィエ様と一番仲良しじゃない~」
「そ、それは、いろいろお世話になったから…」
「だよねー。じゃ、わたしはたいしてオリヴィエ様にはお世話になってないし、しなくていいかな~」
もうアンジェリークは興味を失ったようで、湯気の立った湯呑の緑茶をすすっている。
そのくつろぎぶりは、自室とほとんど変わらない。
そんなアンジェリークをルヴァが優しい瞳で見つめていた。
「あの、ルヴァ様。オリヴィエ様が喜んでくれそうなプレゼントって、なにか思いつきますでしょうか?」
「ああ~。そうですねえ。…うーん」
ルヴァは考え込んでしまった。
「オリヴィエは綺麗なものが好きですから…アクセサリーだったり、洋服だったりなら、たいていは喜ぶんじゃないでしょうか」
「アクセサリー…」
今度はロザリアが考え込んだ。
たしかに、オリヴィエはキラキラした綺麗なものが好きだが、だからこそ、それをプレゼントにするというのは難しい気がする。
好きであればあるほど、こだわりや好みがあるからだ。
ましてや、あのオリヴィエが気に入るとなれば容易ではないだろう。
「そういえば、去年、私は珍しい鉱物をあげたんでした。ちょうど、手に入れたところでオリヴィエに見つかっておねだりされましてねぇ」
「鉱物…」
「珍しいものもいいと思いますよ。オリヴィエは他人と違うものを面白がる性質ですから」
「はあ」
ロザリアにはなんの助けにもなりそうもないアドバイスだったが、これ以上尋ねてもルヴァを困らせてしまうだけのような気がした。
ロザリアは
「あんたもちょっとは巣から出て試験に取り組みなさい」
アンジェリークにしっかりくぎを刺すと、ルヴァの執務室を後にした。
「あんなに真剣に考えなくたって、オリヴィエ様はロザリアがくれる物なら、石ころでもなんでも喜ぶと思いますけどね~」
「ええ~私もそう思いますよ~」
二人がお茶を飲みながら、そんなことを話していたとは全く知らないのだった。
「プレゼント…」
ロザリアは育成を済ませ、私室に戻ってからも、そのことで頭がいっぱいだった。
お風呂の中でも、ドレッサーの前で髪をとかしていても、プレゼントのことばかり考えてしまう。
アンジェリークの言うとおり、ロザリアはオリヴィエに大きな恩がある。
飛空都市に来たばかりの頃、なかなかみんなになじめずにいたロザリアを引っ張り出してくれたのが、オリヴィエだったのだ。
「私は綺麗なものが好きなんだ。あんたはばっちり私の好みなんだよね」
そんな冗談を言いながら、ロザリアのまわりをちょろちょろしては、怒らせたり、笑わせたり。
からかっているように見えて、その実、ロザリアを覆っていた硬い殻をはがしてくれた。
アンジェリークと素のままで会話できるようになったのも、オリヴィエの冗談に、真面目に反応するロザリアを見せてしまってからだし、オスカーやルヴァともオリヴィエを介して話せるようになった。
「お世話になっていますもの」
『お世話』になっていて『恩』があるから。
プレゼントをしたい理由はただそれだけだ。
自分に言い聞かせるように、ロザリアは熱心に髪を梳かし続けたのだった。
翌日。
ロザリアは昨日行き損ねてしまったオスカーの執務室を訪れていた。
育成を少しお願いした後、思い切って、誕生日のことを切り出してみる。
「あの、もうすぐオリヴィエ様のお誕生日だと伺ったのですが」
「よく知っているな。お嬢ちゃん。誰に聞いたんだ?」
楽し気に目を細めたオスカーにまさか立ち聞きしたとはいえず、ロザリアはあいまいにほほ笑んだ。
「それで、なにかプレゼントをと考えているのですが、オスカー様はオリヴィエ様の欲しいものなど、ご存じではないかと思いまして」
「プレゼントか。…あいつはああ見えて、意外に物欲が少ないからな」
「そうなんですか」
驚いた様子を見せたものの、なんとなくロザリアは納得してもいた。
オリヴィエはきらびやかに着飾っているし、宝石や洋服など、高価なものが好きそうに見える。
けれど、それは夢の守護聖としてそう装っている部分があるようで、彼の本質は違う気がするのだ。
「まあ、無難にこなすなら、アクセサリー類だろうな」
そういって、オスカーはにやりと笑った。
形容するならば黒い笑み。
ロザリアは見逃さなかったが、オスカーはさらに笑みを深め
「お嬢ちゃん自身をプレゼント、なんてどうだ?一番喜ばれると思うが」
そんなことを口にする。
ロザリアは目を見開き、顔を赤くして抗議しようして、ふと思い当った。
オスカーはたしかに困ったところがあるが、意地悪や卑怯なことはしない人だ。
「…わたくし自身…」
ロザリアは自室に戻ると、考え込んだ。
オリヴィエが欲しいものをプレゼントするのが最高だと思っていたけれど。
「こうしてはいられませんわ」
オリヴィエの誕生日まであと6日に迫っていた。
「ねえ、ロザリア。私の部屋でお茶でもしない?」
のんびりした午後、ロザリアが育成を済ませていることを確認したオリヴィエは、軽く声をかけた。
けれど、ロザリアは
「申し訳ありません。所用がありますので失礼させていただきますわ」
そそくさと逃げて行ってしまった。
呼び止めた甲斐もなく、すげなく断られたオリヴィエの手は宙に止まり、肩を落とすしかない。
実は昨日も一昨日も「所用がある」の一言できっぱりと断られてしまったのだ。
数日前までは、ツンとしつつも嬉しそうに頬を染めていたのに。
「うーん」
思い当ることはまるでないし、避けられる理由がわからない。
ふてくされて、執務をサボって、ぶらついていたら、なんと、ロザリアがリュミエールの執務室から出てくるところが見えた。
慌てて、見つからないように壁に身を隠したけれど、
「所用って…リュミエールとお茶すること?!」
ついそんな愚痴がこぼれてしまう。
ロザリアはいつものすまし顔ですたすた歩き、今度はゼフェルの執務室に入っていった。
中の様子が気になり、扉の前で少し待ってはみたものの、ロザリアが出てくる気配はない。
諦めて、自分の執務室に入って、壁に耳を当ててみた。
「…聞えるわけないか」
なんとなく、バイオリンのような音はするが、まさかゼフェルに音楽の趣味があるとは思えない。
あったとしても、バイオリンではないだろう。
「うーん」
オリヴィエはだらしなく執務机に足をのせ、ぼんやりと天井を見上げた。
つまらない。
おまけになんだかイライラする。
彼女がここにいないだけで、こんな気持ちになるなんて。
「…ネイルでもしようかな」
飛空都市に来てから、執務も格段に減っているから、少しくらいサボっても問題はないだろう。
新作のカラーをいくつか並べ、ラインストーンを合わせていると、気分がまぎれて楽しくなってくる。
そういえば、もうすぐ誕生日。
いつもより派手目のラメでも入れてみようか。
ジュリアスに文句を言われたって、誕生日で押し通そう。
鼻歌交じりでラメを取り出したオリヴィエは、いつの間にかネイルに夢中になっていた。
誕生日とはいえ、特別なにかがあるわけでもない。
オリヴィエは指先を眺めながら、会心のネイルに傷をつけないように、慎重にペンを進めていた。
夜はオスカーが来て、秘蔵のワインを楽しむ予定があるが、それまではいたって普段通りの一日だ。
執務もしっかりやらなければならない。
朝、隣のルヴァの執務室に入っていくアンジェリークと目が合って
「お誕生日おめでとうございますー!」
能天気に祝われたけれど、近くにロザリアは見当たらなかった。
オリヴィエの挙動を察したアンジェリークに
「ロザリアは今日、めちゃくちゃ早く候補寮を出行きましたよ。どうしてかはわかりません」
意味ありげに笑われる始末だ。
「あ~」
アンジェリークですらオリヴィエの誕生日を知っている。
それならたぶん、ロザリアも知っているだろう。
なのに、どうして。
午後になって、なんとか予定の執務を終わらせたオリヴィエは、悶々とした気持ちを抱えて、聖殿の外へ飛び出した。
会う人ごとに誕生日のことを言われるのが、ちょっと面倒になっていたのだ。
自然と足が向かうのは、飛空都市で一番お気に入りの草原。
森の湖の裏手にあたるこの場所は、表からだと滝でふさがれているように見えて、なかなか入り口に気が付かなくなっている。
「ふあ」
草の上に寝転がると、小さな雲が一つ、空を流れていった。
この飛空都市の季節は、故郷の短い夏に似ている。
ほとんどが雪に閉じ込められている星の、生命の息吹が唯一感じられる短い夏。
心地よさに身を任せて、うっかり目を閉じかけた時、さくさくと草を踏んで駆けてくる足音が響いてきた。
「オリヴィエ様!」
足音で感じ取っていたものの、いざ、彼女に名前を呼ばれると、心臓が跳ね上がった。
久しぶりというほどでもないのに、オリヴィエ自身が、どれほどロザリアの存在に焦がれていたのか、いやでも自覚してしまう。
「ここにいらしたんですのね」
何気ない動作で、ロザリアはオリヴィエの隣に座り込んだ。
近すぎる距離にもやっとするのは、あまりにも彼女が無防備だから。
「聖殿にいらっしゃらなかったので、もしかしたら…と思いましたの。以前、日の曜日に連れてきてくださったとき、ここが一番落ち着く、っておっしゃっていらしたので」
「覚えてたんだ」
「ええ。わたくしも、ここが気に入りましたのよ。…とても風が気持ちよくて」
さらりと風がロザリアの長い巻き髪を揺らした。
ひらひらと舞う青いリボンの先。
伏し目がちな青紫の長い睫毛まで、さやさやと靡いている。
しばらく二人で風に吹かれていると、ロザリアがためらいがちに、オリヴィエに声をかけてきた。
「あの、お誕生日、おめでとうございます」
「…ありがと」
待ちに待った言葉のはずなのに、オリヴィエの口から出た返事は、思いのほかそっけないものになっていて。
ロザリアは次の言葉を探すように、数回、目をしばたかせた。
「これ、プレゼントなんですの。…受け取っていただけますか?」
ロザリアが差し出したのは、ちょうど手のひらサイズほどの箱だ。
真っ赤なリボンと赤いギンガムチェックの紙に包まれていて、およそロザリアのセンスとは思えない。
オリヴィエの怪訝そうな様子に気が付いたのか、ロザリアが頬を赤くした。
「申し訳ありません。綺麗にラッピングをする余裕がなくて、アンジェリークに手伝ってもらったんですの。リボンとペーパーはアンジェリークの趣味ですわ」
「なるほど。開けてもいい?」
ロザリアが頷いたのを見て、オリヴィエはリボンをほどいた。
「時計?」
箱の中にはシンプルなデジタル時計が入っている。
大きな液晶部分とボタンが一つだけの、いたって普通の時計だ。
「目覚まし時計ですの。オリヴィエ様は朝が苦手とおっしゃていたでしょう?すっきりと目覚めていただきたくて」
ロザリアがオリヴィエの手の中の時計の裏側にあるボタンを押すと、綺麗なバイオリンの調べが流れてきた。
「目覚めの良い音楽をわたくしのバイオリンで弾いてみましたの。アラーム代わりに何曲か録音してありますわ」
ボタンを押すたびに、音楽が変わっていく。
10曲ほどのクラシック調の音楽は、どれもゆったりとした美しい音色で、たしかに目覚めによさそうだ。
「すごいね。結構大変だったんじゃない?」
オリヴィエが感心すると、ロザリアは少し困ったように眉を寄せた。
「わたくし一人の力ではございませんわ。曲はリュミエール様にも相談して選んで、練習にもお付き合いいただいて。時計への録音はゼフェル様にお願いしましたの」
オリヴィエの脳裏に、数日前のロザリアの行動が浮かぶ。
リュミエールとゼフェルの部屋に出入りしていた彼女。
それはすべて、このオリヴィエへの誕生日プレゼントのためだったのだ。
知らずに顔がほころんできてしまったオリヴィエに、ロザリアはますます顔を赤くしている。
「た、たしかに、これはお手伝いしていただきましたけれど!手伝ってもらった物だけではありませんのよ。もう一つ、ちゃんとわたくしだけで用意した物がありますの」
怒ったようにオリヴィエに突き出したのは、数枚のカードだ。
その態度は怒っているのではなく、照れているのだと、オリヴィエはもうよくわかっている。
「ん?…肩もみ券???」
全部で6枚のカードには『肩もみ券』と『お茶淹れ券』がそれぞれ3枚。
おもわず眉を寄せて、カードをしげしげ眺めていると、
「オリヴィエ様に、わたくしがしてあげられることを考えたんですけれど。わたくしが自分一人でできることが、それくらいしかなかったんですの…」
消え入りそうな声でロザリアが言う。
「わたくしの物はすべて両親が用意してくれたものですから、もしも何かを買ったとしても、それは両親からと同じことになってしまいますわ。でも、オリヴィエ様には、わたくし自身がなにかをしたいと思いましたの。…できることが全然なかったのが予想外でしたけれど」
彼女はとても恥ずかしがっている。
なにかオリヴィエが下手なことを言えば、きっと逃げ出して、二度と話もしてくれないくらいに。
だから、オリヴィエは慎重に言葉を選んだ。
「…ありがとう。すっごく嬉しいよ。あんたが私のために、何かをしてくれようとしたんだ。それだけで、ホントに最高の気持ちだよ」
素直に、本当のことをまっすぐに。
いつもはロザリアの反応が可愛すぎて、ついからかったりしてしまうけれど。
「最高のプレゼントをありがとう」
耳元でそっとささやくと、ロザリアの顔がまたさらに赤くなって、耳まで真っ赤になってしまった。
「早速一回やってもらおうかな」
「え?」
「肩もみ券。今からでも使えるんだよね?」
「ええ、もちろんですけれど」
「じゃ、お願い」
促されて、立ち上がったロザリアが、オリヴィエの背後に回る。
躊躇いがちに肩に触れた指先は、緊張しているのか、かすかに震えているようだ。
「このくらいですか?」
「うーん、もうちょっと強く」
「このくらいですか?」
「ん、いい感じ。首の方までお願い」
「はい」
慣れてくれば、だんだんしっかりと力がこもり、肩もみらしくなってきた。
「あんたの誕生日には、私も肩もみ券とかあげるからね」
「ありがとうございます」
一生懸命に肩をもむロザリアは、オリヴィエの意味ありげな口調に気が付く様子もない。
オリヴィエがロザリアにしてあげたいこと。
下心アリも含めたら、カードが100枚でも足りないくらいだ。
「いかがですか?」
「もうちょっと、もうちょっと」
伝えたい思いはあるけれど、ロザリアにはまっすぐ女王を目指してほしいから、いつか来る日までは胸にしまっておく。
だから、今はただ、心地よい風の中で、幸せに浸っていたい、と思うオリヴィエなのだった。
FIN