「変わらないのね…」
今日も昨日と同じように、夕日が沈んでいく。

灼けつくような光に包まれ、オレンジ色に染まっていく世界。
真っ直ぐに見るには眩しすぎて、つい目を細めてしまうのは、憧れの何かを見た時と同じ。
目を逸らせたらいいのに、どうしても見ずにはいられない。
美し過ぎるのだ。 あまりにも。
けれど、今のロザリアにはその美しさが苦しい。
昨日となにが違うのかと問われれば、自分自身には何の変りもないはずなのに。



今日は朝からずっとバタバタしどうしだった。
今、改めて意識し始めると、体のあちこちが痛いし、特に立ちっぱなしだったせいか、ふくらはぎの痛みがひどい。
なんといっても5時起床。
まだ薄暗い中、カーテンをあけると、ぼんやりした白い星が空に溶けていくのが見えるような時刻だった。
顔を洗い、薄くメイクを施した後、いつもの補佐官服ではなく、動きやすい服に着替え、とりあえず髪を御団子にまとめた。
自分の着換えは最後の最後に回す予定で、まずは仕事だ。
早すぎて朝ごはんを食べる気にならず、とりあえず聖殿に向かった。

ロザリアが聖殿につくと、今日の主役のアンジェリークはまだ起きたばかりだった。
相変わらず、髪はぼさぼさ、顔のむくみもひどい。
「あんた、昨日は寝る前に絶対にお菓子を食べちゃダメって言ったわよね?」
カツカツと歩み寄ると、アンジェリークは目を泳がせて、一歩、後ずさった。
「お、お菓子っていうほどのものじゃないわ。 チョコは食べなかったし…。」
アンジェリークの言い訳にもう慣れっこのロザリアは、言葉を無視して、ゴミ箱に視線を向けた。
確かにお気に入りのチョコの包み紙はないけれど、アレは…。
「キャラメルもチョコも変わりませんわ。 それにスナック系なんて…。」
アンジェリークの大好きなじゃがりこの箱がゴミ箱にしっかり残っている。
なぜ見つかるとわかっているのに、ゴミ箱に捨てるという暴挙がとれるのか。
ロザリアには全く理解できないが…そういうところもアンジェリークの憎めないところだと言われれば返す言葉がないので、黙っておく。

「…とりあえず顔を洗っていらっしゃい。 最後に水で引き締めるのよ。」
「は~い!」
いつもよりロザリアの説教が少なかったことに、アンジェリークは明らかにほっとしている。
それにちょっと苛立ちを覚えるものの、今日は怒らないと決めているのだ。
無理をして笑顔を作りつつ、ロザリアはクローゼットを開け、こまごまとした道具を取り出した。
ヘアメイクなどはもちろんロザリアの手に負えないから、プロを頼んでいるが、そこまでの下準備は全部引き受けている。
責任は重大だ。

「まずはこれですわね。」
ちょっと黒い笑みが浮かんでいることを自覚しながら、ロザリアはコルセットを取り出した。
少しきつめに絞り上げなければ、理想のラインは作れない。
ただでさえ、なぜかアンジェリークはここ最近で体重が増加しているのだ。
普通はストレスや気持ちの問題で痩せる女性が多いと聞くのに…
なにもかもが規格外のアンジェリークのことだから、今更驚くことはないが、ロザリアは拳をぎゅっと握り、力の入り具合を確かめる。
本当のところ、締める方だって楽ではないのだ。

「ろ、ロザリア…。」
バスローブ姿のアンジェリークがお化けでも見たような顔色と声音で、後ろに立ち尽くしている。
ロザリアはことさらにっこりとほほ笑むと、今日のための下着類をアンジェリークに手渡した。
「これをつけたら、ここに立って頂戴ね。」
「…はい…。」

仮縫いでの恐怖を思い出したのか、アンジェリークの緑の瞳に脅えが走り、動きが鈍くなる。
初めてコルセットを締めてドレスを着た時、アンジェリークは酸素の足りない金魚のように口をパクパクさせていたっけ…。
ダイエットへの警鐘を込めての愛のムチのつもりだったが、ちょっとやり過ぎだったかもしれない。
下着をつけたアンジェリークの背中にまわり、紐をぎゅっと閉めると、彼女の身体が硬くなった。
ロザリアはくすりと笑って見せると、
「今日はあれほど締めませんわよ。 具合が悪くなったりしたら大変ですもの。ラインを整えるだけだから、安心なさい。」
「え~、ホント?」
途端にアンジェリークの肩が下がり、腹部がたるむ。
ロザリアは無言で、少し強めにコルセットを止めた。


次から次へと舞い込んでくる仕事に忙殺され、ゆっくりと考えている時間がなかったことは、ロザリアにとって幸いだったのかもしれない。
今日、初めて彼の姿を目にしたのは、教会の扉がゆっくりと開いた瞬間。
純白のタキシードに身を包んだ彼は、神々しいまでに輝いて見えた。
もちろん、もともとの造作が美しいのはもちろんなのだが、今日という日を迎えた喜びと幸せが、彼をますます輝かせているのは間違いない。
時に厳しく冷たくさえもある紺碧の瞳も穏やかな光をたたえていて。
形の良い唇は柔らかな弧を描き、優しい笑みを浮かべている。
オリンポスの神々ですら、ひれ伏すようなジュリアスの姿に、ロザリアは言葉を失っていた。

パイプオルガンの音が、教会の空気を厳かなものに変えていく。
ステンドグラスの光が降り注ぐ中、ヴァージンロードをゆっくりと歩くアンジェリーク。
さっきまであれほど緊張して、足が震えていたというのに。
今のアンジェリークの歩みはゆるぎない。
なんだかんだ言ったところで、アンジェリークはやはり女王なのだ。
いざという時のハートの強さは間違いなく宇宙一。

長いベールとドレスの衣擦れの音が徐々にロザリアに近づいてくる。
補佐官でもあり、親友でもあるロザリアの席は、最前列の通路側。
アンジェリークはロザリアのすぐ隣で立ち止まり、小さく息を吐いた。
ベール越しのアンジェリークはほんのりと頬を赤らめ、瞳を潤ませている。
美しい、とロザリアは素直にそう思った。
花婿と同じ、幸せと喜びという何にも代えがたい輝きが、どんな宝石よりも美しく、アンジェリークをかざっている。

もちろん、ロザリアも一緒に考えたドレスは女王の威信にふさわしい贅を尽くしたものだ。
光沢のあるシルクは最高級の一点もの。
クラシカルなレースは全て手織りで、細かなラインストーンをあちこちに縫い付けてある。
それがステンドグラスのざまざまな色を反射し、虹色の光を教会中に照らしていた。
あえてティアラではなく、生花を頭につけたのはアンジェリークのアイデアだ。
花婿である彼が、初めてアンジェリークにプレゼントしてくれた花。
アンジェリークと向かい合ったジュリアスもきっと気が付いたのだろう。
少し目を開いて、でも、すぐに優しく微笑んでいた。

この世の幸せをすべて手にしたような二人の姿。
誓いの言葉も誓いのキスも、指輪の交換も。
ロザリアの目の前で繰り広げられる光景はまるで一本の映画のようだった。
とても現実とは思えないほどの、幸せに満ちた世界。

今更。
これが全部夢だなんて、都合のいい事は考えたりしない。
でも。
彼のこの熱っぽい瞳が、優しい笑みが、自分のものだったら。
彼の隣を歩いているのが、自分だったら。
そんな願いが心の奥で鍵をかけたはずの部屋からあふれてしまいそうになる。

フラワーシャワーの中、とびきりの笑顔を見せるアンジェリークが、ロザリアへと駆け寄ってきた。
「ロザリア! 次は貴女が幸せになってね!」
ぐいぐいとブーケを押し付けられて、ロザリアはどういう顔をすればいいのかわからなかった。
アンジェリークの気持ちは嬉しい。
嬉しいけれど、そのブーケに素直に手を伸ばすことができない自分に戸惑ってしまった。
手が震え、声が詰まる。

「あ、ありがとう。」
なんとかブーケを受け取ったのは、痛いほどの周りの注目を感じたからだ。
ここで受け取らなければ、不信感を持たれてしまう。
折角、今の今まで隠し通してきたことが無駄になってしまう。
「おめでとう。 アンジェ! 今日のあんたってばめちゃくちゃキレイだよ」
聞き覚えのある声が始まりになって、守護聖達が、わっとアンジェリークを取り囲んだ。
その隙にロザリアはそっと喧騒を抜け出して、ここまでやってきていた。
この教会の鐘楼へ。


緩やかな風が通り抜け、ドレスのすそを軽やかに揺らす。
さっきまでたくさんの人々がいた教会の大階段前にも、もう誰もいない。
この後の披露宴を兼ねたパーティの準備が忙しいのだろう。
パーティは聖殿の事務方がすべてを取り仕切っているから、ロザリアが仕事としてやることはなにもない。
けれど、自身の支度はあるし、アンジェリークの様子も一度は見に行くべきだと思っている。
だから、いつまでもこんなところにいる余裕はないのだとわかっているのに。
なぜか身体が動かないでいる。
手に持ったままのブーケがやけに重くて…ただ夕日を見ていることしかできない。



「あ、ロザリア。 こんなところにいたの?」
不意にかけられた声に、ロザリアはくるりと振り向いた。
鐘楼に上る階段はたった一つ。
長い長いらせん階段だけ。
その最後の一段を「よっと。」と、掛け声をかけながら手すりを掴み、上がってきたのはオリヴィエだ。
意外な人物の登場に、ロザリアは目を丸くして、咄嗟に言葉が出なかった。

「いい眺めだね。 すごく、綺麗」
オリヴィエは翻ったスーツの裾を軽くはたいて直すと、カツカツと靴を鳴らしながら、ロザリアの隣に並んだ。
ふわりと辺りを風が包むと、彼特有の華やかな香りが流れてくる。
オレンジ色に染まったオリヴィエは、メイクを控えているせいか、いつもよりもグッと落ち着いて見えて。
ロザリアも
「ええ」
と、小さく頷き返しただけで、そのまま並んで、静かに夕日を眺めていた。

しばらくして
「ねえ、あんたはジュリアスのどこが好きだったの?」
オリヴィエの声はロザリアの心の奥に染みてくるような優しいトーンで、一瞬、ロザリアはその質問の意味を理解できなかった。
誰も気づいていないと思っていた、ロザリアの秘めた想い。
オリヴィエはいつから知っていたのだろう。
けれど、その意味を考える前に、ロザリアはごく自然に返事をしてしまっていた。


「初めは…ジュリアスの見事な金髪に惹かれましたの。」
「金髪?!」
「ええ。 わたくしの母がとても見事な金髪でしたの。
 貴族の奥方は髪を結いあげるのが一般的なんですけれど、母はいつもおろしていましたわ。
 子供心に不思議に思っていたら、実は父の希望だったらしいんですのよ。」

母の長い髪はとても綺麗で、まぶしくて。
太陽にキラキラと光を弾く様に、ずっと憧れていた。

「まさか金髪とはねえ。」
わずかに呆れを含んだ声にロザリアはくすりと笑った。
「初めは、ですわ。
 今はもちろんそれだけじゃありません。 人間性も素晴らしい方ですもの。」
「ま、ね。
 あの女王陛下と結婚しようっていう男なんだから、普通以上にすごいってのはわかるよ。」
「ええ。 わかったのでしたら、これからはもっとジュリアスの言葉に耳を傾けるとよろしいですわ。」
「…考えとく。」

また少しの沈黙。

「私もさ、ずっと片想いしてるんだよ。」
「え?」
唐突なオリヴィエの言葉に、ロザリアは今日初めて、彼の顔をしっかりと見た。
オリヴィエはまっすぐ前を向いていて、その横顔からは彼の心を見通すことはできない。
けれど、ほんの少し細めた瞳はどこか切なくて。
その言葉が嘘ではないと思えた。

「その子はずっと他の男しか見てなくてさ。
 それでもいいと思ってたんだ。 彼女が幸せならいい、って。
 でも、最近、その男が別の女の子と付き合いだしてさ。
 そしたら、ひょっとして、その子が私の方を向いてくれるかもしれない、なんて思ったんだよ。
 …小さいよね。」
オリヴィエからこぼれる自嘲の笑みに、ロザリアは彼の瞳をしっかりと見返した。
「小さくても、いいと思いますわ。」

誰だって、好きな人に好かれたい。
両思いに、なりたい。
ロザリアだって、もうとっくに吹っ切れたと思っていたのに、いざ、二人の幸せな姿を目の当たりにしたら…。
やはり悲しくて、どうしようもなくて。
こんなところに逃げてきてしまったのだから。

「それに、まだ、オリヴィエにはチャンスがあるのでは? 彼女は既婚者ではないのでしょう?」
「ま、そうだね。」
「しかも、失恋して傷ついているのでしたら、なおさら今がチャンスなのでは?」
「でも、弱みにつけ込むみたいじゃない?」
「それはそうかもしれませんけれど。 哀しい時にそばにいてもらえたら、きっと彼女も嬉しいと思いますわ。
 オリヴィエは優しいですもの。
 わたくしも何度も助けていただきましたわ。」
「優しい、ねぇ…。 あんた以外にそう言われること、滅多にないんだけど。」

2人ともにこぼれる笑い声。
女王候補時代から、ロザリアにとって、オリヴィエは仲の良い友人だった。
話の合う女子同士のような気楽さで、今もよくお茶の時間を過ごしているし、悩みを相談したこともある。

「オリヴィエに好きな女性がいるとは思いませんでしたわ。」
「そう? ま、私は隠し事が上手いからね。」
言外に、ロザリアは隠し事が下手だ、と言われているようでカチンとくる。
「わたくしのことだけ知っているなんてズルいですわ。
 オリヴィエの好きな方も教えてくださいませ。」
「そういうのって、ズルイって言わないでしょ。」
「いいえ、ズルいですわ。」
「当ててごらん。 …ま、当たらないと思うけどね。」

食い下がるロザリアに、オリヴィエはぱちんとウインクをしてみせると、
「さ、そろそろパーティの準備に行かないと。」
促すようにロザリアの背中に手のひらを当てた。
こうなるとオリヴィエは絶対に口を割らないから、これ以上は粘っても無駄だろう。
それに。

「…そうですわね。 もう行かなければいけませんわね。」

夕日のオレンジ色は筋状の光が矢のように伸び、ちょうど鐘楼の窓に差し込んでくる。
じきに太陽は完全に落ち、明かりのない鐘楼は足を踏み出すこともままならない暗闇に包まれてしまうだろう。
暗闇が怖いほど子供ではない。
そして、今日のパーティを欠席できないことがわかっている程度にはオトナのはずだ。

ロザリアはオリヴィエに押されている、という形で、足を一歩踏み出した。
さっきまでは全く動かなかった足が自然に動いたことが不思議で。
でも、それはきっと、この背中の暖かな手のせいなのだと、ロザリアが顔を上げると。

オレンジ色の夕日を浴びて、淡く光を揺らすようにキラキラと輝く金の髪。
それは母やジュリアスのような豪奢な金とは違うけれど、とても…綺麗だった。

「…あなたも金髪だったんですのね。」
「は? 今頃気づいたの?」
「だ、だって、あなたはいつもいろんな色に髪を染めてらっしゃるから…。」
思わず、ロザリアが赤くなって口ごもると、オリヴィエはとてもとても楽しそうに笑った。
「あんたってば、ちょっと鈍いとこあるよね。」
その声は、からかっているように聞こえたけれど。
もしもその笑顔を誰かが見ていたら、見たほうが照れてしまいそうなほどの優しい瞳がロザリアを見下ろしていた。

「さ、行くよ。 ね、ドレスは決まってるんでしょ? どれ? あのこないだ作ったブルーの?」
「ええ。 あの、スパンコールのついたドレスにしようかと思っていますわ。」
「やっぱり。 仮縫いの時、すごく似合うと思ってたんだよ。 メイクはどうすんの? 私がしようか?」
「お願いしますわ。」
螺旋階段を降りる二人の声が、鐘楼の中にこだまする。
ロザリアの手にはまだしっかりとブーケが握られていたけれど、もうその重さはほとんど感じられなくなっていた。


オレンジ色だった夕日は翳を強め、今日という日の幕を引いていく。
やがて、その光も輝きも全ては消えて、暗い闇が訪れるけれど。
また朝が来れば日が昇るように、いつかは…新しい恋に気が付く時が来るだろう。


Every day is a new day



ふたたび、教会の鐘が鳴った日。
「次はあなたが幸せになってくださいませね。」
純白のドレスに身を包んだロザリアが投げたブーケは、弧を描いて、ある少女の手の中に落ちていった。


FIN



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