この海の向こう



「ったく、なんで俺がこんな恰好しなきゃなんねェんだ。」

キレイに結ばれたネクタイの端を摘まみ上げたゾロがため息をつくと。
「なーに言ってんのよ! あたしだってね、べっつにあんたのスーツなんかどーだっていいんだから!」
すかさずナミの鉄拳が後頭部に直撃する。
さらに。
「この俺がわざわざ最高の一張羅を貸してやったんだ。ありがたく思え。 このクソマリモ!」
顔をしかめて煙草をふかしたサンジが軽く蹴りを入れてきた。
軽くと言っても、サンジの足技は周知のとおり。
それにゾロがいくら体を鍛えたとしても、脛というのは急所の一つでもある。
情けない声をあげずに済んだだけでもよしとしよう。

「ホントにいいのかしら。」
ナミの深いため息に、すぐにサンジもメロリンになって同調する。
まったくこのクソコックときたら、ナミのいう事なら何でも従って。
情けないこと、この上ない。
ゾロが心の中でそんなことを考えているのがわかったのか、サンジの視線がガツンとぶつかってきた。
飛び散る火花。

「なんだァ。 このマリモ野郎!」
「やんのか! コラア!」
お互いの襟首をつかみ合ったところで、今度こそ本気のナミの鉄拳が落ちてきた。
「もう! あんたたち、いい加減にしなさいよ!
 しかもゾロ!
 あんた、今日が何の日かわかってんでしょ?」

「あ?! …わかってんに決まってんだろ。」
それ以上は言わないでほしい。
ゾロの心からの願いを、どうやらナミも察してくれたようだ。
さすが天候を読む能力に長けているだけのことはある。
いつもよりもゾロの沸点が低いのも、なんだか落ち着かないのも、全ては『今日が何の日なのか』という一点に理由がある。


そわそわとし始めたゾロに、ナミとサンジが目を合わせて肩をすくめると、バタン、と入口のドアが開いた。
「ゾロさん! あちらの準備もできましたよ。
 それはもうお綺麗で…。
 こんな幸せな日なら、もしかして私のお願いも聞いてくださるんじゃないかと思って、パンツを見せてほしいとお願いしたのですが…。
 断られてしまいました。 ヨホホー。」
賑やかにブルックが登場して、ゾロの眉間のしわが深くなる。

「…なんで、お前が先に見るんだよ。」
「だって、私、今日はスタイリストですから。
 ドレスを選んだもの私。 アクセサリーのコーディネートも私。
 ブーケもなにもかもです。
 あ、パンツは違いますけれども。」

麦わらの一味のスタイリストを自称しているブルックは、今回のことが決まるとすぐに名乗りを上げたのだ。
セカン島でもそれなりのセンスを発揮していたことだし、自分よりは幾分かでもマシだろうと、ゾロはあっさりとその申し出を受け入れた。
実際、ブルックの見立てたドレスはとてもよく似合っているらしい。
ゾロはまだ見ていないが、あのナミが言うのだから間違いはないだろう。

「あまりの美しさに、目がつぶれるかと思いましたー!
 私、もう、目、無いんですけどー!」
剣呑なゾロにも相変わらずのブルックだ。
思わずゾロが舌打ちすると、不意にブルックの雰囲気が真面目なものに変わる。

「本当に、お美しいですよ。 ゾロさん。
 幸せな女性というのは、あんなに輝いているんですね。
 長く生きてきましたが…初めて知ったような気がします。」
深い空洞の瞳。
そのブルックの瞳にきらりと輝くものを見たのは、ゾロだけではないはずだ。

なんとなくしんみりして、ナミも振り上げたままだったこぶしを下ろし、深いため息をついた。
「よかったわね。 ゾロ。
 私がこんなこと言うのもなんだけど…ちゃんと幸せにしてあげなさいよ。」
「ああ・・・。」
「わかってんのか?! クソマリモ!!! だいたいお前ごときが…。」
「ああ?!」
またもや険悪になりかけた空気を、騒々しい物音がかき消した。


「ルフィ! ダメだって! ごちそうは式の後なんだぞ!」
チョッパーの叫び声。
がちゃーんと何かの割れる音。
「うわあ! ルフィ! やめろ!
 俺はゾロに斬られるのは御免だぜ!」
ウソップが逃げ回る足音。
「おう! コーラがねえってのはどういうことなんだ?!」
これまたフランキーの声。
どうやらヤツラは以前と何も変わっていないらしい。
少し脅してやるか、と、腰に手をやったゾロは、そこにいつもあるべき刀がないことに気が付いて舌打ちをした。

「マリモは大人しく待ってろ。 主役はあとから登場だろ?」
いつもなら忌々しいサンジの気遣いが今日は素直にありがたい。
「ナミさん! 俺がアイツらを黙らしてきますからね〜!!」
「はいはい、お願いね。」
ヒラヒラと手を振るナミに、目をハートにしつつ、サンジはドアの向こうへ消えていった。
「こらあーー!! お前ら、なにやってんだーーー!!!」
続いて聞こえてきた怒声とさらなる破壊音には、この際目をつぶろう。

「まったく、ホントにアイツらったら、全然変わってないわね。
 ルフィだって海賊王になったんだから、もうちょっと落ち着いたかと思ったのに。」
「だな。 まあ、あのルフィが落ち着く様なんざあ、想像もつかねェが。」
「言えてるー!!」
ナミにばしんと背中を叩かれ、ゾロは小さく笑みを浮かべた。



最後の島ラフテルに到着した日から、ちょうど今日で一年目。
ワンピースを手にして、ルフィは文字通り世界をひっくり返した。
最後の戦いはもちろん壮絶なもので、こうして一味全員が無事でいることが、今でも信じられないほどだ。
今、ようやく一連の騒ぎが収まり始め、世界は新たな秩序に向かって走り出している。
ゾロ自身はラフテル到着前にミホークを倒し、世界一の剣豪の座を手にしていた。
約束通り、海賊王の右腕となった世界一の剣豪。
長い間の夢をようやく叶えたのだ。

その後、一味は解散し、それぞれの夢に向かっていくことになった。
ナミは見て回った海図のまとめをすると言い、サンジと共にオールブルーで暮らしている。
初めて耳にした時は、とうとうあの二人も、と思ったものだが、あの様子では、特別な進展はなさそうだ。
意地っ張りなナミのことだから、まだまだ先は長い。
ウソップとチョッパーはシロップ村で暮らしている。
カヤが一人前の医者になるまで、チョッパーが教えているらしい。
フランキーはウォーターセブンに戻り、ブルックはラブーンと再会を果たした後は、世界中を歌って回っている。
それぞれがそれぞれの夢を果たし、今を生きているのだ。



「さあ、そろそろじゃありませんかね。」
ブルックの声に、時計をちらりと見やったゾロはぐっと唾を飲み込んだ。
あのミホークとの戦いの前だって、こんなにも緊張しなかった。
あの時はただ己の修行の成果のみを信じて…。

「なにブツブツ言ってんの! もう、ロビンが待ってるんだから。 急ぎなさいよ!」
どうやら考えていたことを声に出してしまっていたらしい。
ゾロは照れを隠すように、「おう。」と短く声をあげ、ナミとブルックの後についていった。

ゆっくりと廊下を歩き、ロビンの待つ庭へと向かう。
船着き場と直結した庭は、この屋敷の自慢の一つだ。
すぐに海に出られるように。
仲間にいつでも会えるように。
平和な時代になったというのに、いまだに海に出ることを想像するときがある。
それはおそらくロビンも同じだろう。

「おお、ナミさん、相変わらずお美しいですね〜。
 今日のドレスは素敵なブルーで!」
「サンジ君がね。 どうしてもこの色がイイってうるさくて。」
「わかります、わかります。
 ナミさんのオレンジとこのブルー!! まるで輝く朝日を浮かべた海のようです!
 …ついでに、パンツを見せていただいても?」
「いいわけないでしょー!」

ガツン、と、骨に落ちる鉄拳。
どいつもこいつも本当に変わらない。
…実は俺もなのか? とゾロは苦笑を浮かべた。
世界一の剣豪になって、世界を変えた一味のクルーと言われるようになって。
ここに道場を開いて。
ちょっとはオトナになったような気もしていたが、この手の震えを見る限り、たいして成長してはいないらしい。


「懐かしいわねー!」
ナミの声に顔をあげると、とぼけた顔のライオンが港にたたずんでいる。
「元気だった? サニー。」
「おう! もちろんだ! 俺のメンテナンスはスーパーだからな!」
両手にコーラを持ったフランキーがいる。
珍しくスーツ…と思ったが、それは上半身だけで、下はいつもの海パンだ。
余計変態に見える、と言いかけて、それではフランキーを喜ばせるだけだ、と思いなおした。
おそらくナミも同じことを思ったのだろう。
開きかけた口が閉じたかと思うと、ため息に変わっている。

「ゾロ! 遅せえぞ。 俺、腹減っちまった〜。」
「もう食ってんだろ! あ〜、知らねえぞ〜!」
「ごめん、ゾロ。 俺、ルフィを止めようとしたんだけどよ。」

すでに肉を口いっぱいに頬張っているルフィ。
生真面目にスーツを着込んだウソップと蝶ネクタイをしているチョッパー。
サンジの作ったごちそうの並んだテーブルに3人がいる。

「ったく、しょうがねえな。 そっちのは食うじゃねえぞ。
 先生たちの分なんだからよ。」
ウソップとチョッパーはおびえているが、そんなことだろうとわかっていたゾロは今更怒る気にもならない。

「ルフィ、お前、毎日ごちそう食ってんじゃねえのか?」
海賊王はどこに行っても大歓迎で、行く先々が宴になる。
そんな記事をつい最近、ニュースクーで読んだばかりだ。
「おう! 毎日腹いっぱい食ってんぞ。
 でも、やっぱりサンジの作った飯は最高にうめェよな!」
ニシシ、と笑うルフィに、サンジも満足げに煙草の煙を吐き出した。


「待たせたな! いよいよ、今日の主役の登場だ!
 俺様のスペシャルでスーパーなお祝いを受け取ってくれ!」
フランキーの合図で、突然、がおーっとサニー号の砲台が開いた。
皆の視線が一斉にそちらに向いた瞬間。
サニーの口から飛び出したのは、色とりどりの花。
とくにサニーにそっくりなたくさんのヒマワリが空へ、海へ、あふれんばかりに舞っている。

気付けばブルックがバイオリンを抱え、曲を奏でていた。
誰でも聞いたことのある、有名なウェディングソング。
こんなありきたりの演出なのに、どうしようもないほど気持ちが逸る。
ゾロはぐっ拳を握ると、眩しく光を跳ね返す甲板を見上げた。

「きゃー! ロビン、めちゃくちゃ綺麗!」
「ヨホホーー!! 私のセンス、なかなかですよね? ね、みなさん??」
「うわー、ロビン、すっげえ綺麗だぞ!」

純白のドレスに身を包んだロビンが、恥ずかしそうに甲板に立っている。
目がくらみそうになるのは、太陽が眩しいせいか。
鼻の奥がつんとするのも、思ったよりも風が強いせいか。
黙ったまま、じっと見上げているだけのゾロに、ロビンが困ったような笑みを浮かべた。

「やっぱり、似合わないかしら…? こんな年なのに、こんなドレスなんて…。」
ロビンの唇がそんな言葉を呟いているのが見えて、ゾロは眉を寄せた。
セパレートのドレスは、ゾロが今までに見たこともないようなデザインで、ロビンにとてもよく似合っている。
悔しいが、このドレスを選んだブルックを褒めずにいられないほどに。
下ろしたままの長い黒髪も、ドレスと見事なコントラストになっていて、ロビンの美貌を一層際立たせている。
飾り過ぎない、さりげない装いはゾロの好みにもぴったりで。
言葉を失う、とはまさにこのことだと、なぜかそんなことを思ったりしていた。


「ちょっと、なんか言いなさいよ! 綺麗だ、とか、可愛い、とか。
 愛してる、とかもいいわよ!」
ナミに肘打ちされ、ゾロは唸った。

「そんなこと言えるわけねェだろ。」
「はあ?! あんた、その口は何のためについてるわけ?
 刀くわえるだけが能じゃないでしょうが!
 今日はあんたたちの結婚式なのよ?!
 それくらい言ったって、当たり前でしょうが!」

言い合うゾロとナミを、ロビンはやはり困ったように見下ろしている。
そわそわと落ち着かないのは、ロビンがきっと不安なせいだ。
一味の人間なら誰だってよく知っている。
ロビンが『幸せ』というものを、とてもとても…本能的に怖がっているという事を。

「ちっ。」
舌打ちしたゾロは、まっすぐに両手を天へと差し出した。
「来いよ。 …俺が受け止めてやる。」
この先のロビンの人生の全部を。
そんな想いを言葉にするつもりはないけれど。
ゾロのまっすぐな目が、ロビンを射抜いた瞬間、ふわりと、白いドレスが空に舞った。
「ゾロ!」
満面の笑みを浮かべたロビンが、ゾロの腕の中に飛び込んでくる。
ゾロもまた、素直な笑みを浮かべ、落ちてくるロビンを抱きとめた。


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「よし! もう一発、お見舞するぜー!」
再びドカンと開いた砲台から、花が飛び出してくる。
「すっげえ! サニー号って花も出せたんだな!」
花を取ろうと走り回るチョッパーに、どこからともなく網をだしたウソップ。
相変わらずブルックはバイオリンを弾いているし、ルフィは…言うまでもなく、肉にかじりついている。

「フランキーにしちゃあ、レディを喜ばせるセンスがあるじゃねえか。」
「だよなー! フランキーだったら海パン出すくらいしかないと思ってたぜ。」
「おめーら、俺を誰だと思ってんだ?! スーパーな男なんだぜ、このフランキー様はよ!」
「スーパーって言うんなら、ズボンくらい履きなさいよ。 この変態!」
「そうですよね〜。ナミすわ〜〜ん!」
「ちょっと! 離れなさいよ!」

相変わらずの一味にゾロがふっと笑うと、ロビンも同じようにくすっと笑っている。
風に踊るひまわり。
大切に思えるすべてのモノ。
ゾロの胸に暖かい想いが込み上げてきた。



「ロビン…。 俺が必ず、幸せにしてやるからな。」
突然、ゾロの口から飛び出した言葉に、隣にいたロビンは思わず硬直して、寝転んでいる彼を見下ろした。
サニー号の甲板。
新世界に入ってから荒れ模様の海に翻弄され続けたが、ようやくナミもこの気候に慣れたのか、ここ数日の航海は穏やかなものになっている。
芝生の上ですやすやと眠っていたゾロの隣に、本をもって座ったのが、30分ほど前。
起きているときのゾロはたいていトレーニングをしていて、ロビンが近寄るスキはない。
少しでもそばに居たくて、こうしてゾロの昼寝の時を見計らって、芝生にやってきていたのだ。

ロビン自身の気持ちははっきりしているし、ゾロもおそらく同じ気持ちなのは間違いない。
けれど、お互い、叶えていない夢がある。
二つのモノを同時に追いかけられるほど、自分たちは器用ではないとわかっているから。
だから、なにも言えなかった。
今はまだ、ただの仲間。

呼吸をするのも忘れて、ロビンはゾロを凝視していた。
聞き間違い…にしては、はっきりとしていて、今すぐにでも、彼の声のままで脳内で再生されるほどだ。
だとすれば…。
ドキドキしながら、ロビンはゾロの顔に自分の顔を近づけた。
案の定、彼の口からは規則的な寝息が漏れていて、ぐっすりと眠っていることがよくわかる。

「寝言、なのね。」
わかってしまえば、寂しいような。
でも、ゾロという人間を考えれば、思ってもいないことを口に出すような男ではない。
だから、今、彼の口から出た言葉には、少しだとしても真実が含まれているはずだ。
もっともそれは、ロビンの希望、かもしれないが。

ゾロは一向に目を覚ます気配もなく、すやすやと気持ちのいいほどの眠りっぷりだ。
鮮やかな芝生の緑に、同じ色のゾロの頭。
キラキラとまぶしい太陽と、子守唄のような穏やかな波音。
「なんだか私まで眠くなってきたわ。」
膝の上に開いていた本を閉じると、ロビンはそのまま横になった。
こんなふうに無防備に眠ることができるようになるなんて。
この船に乗るまで、知らなかったことが多すぎる。
ロビンはおかしくない程度にゾロと距離を開けると、彼に背を向けるようにして、猫のように丸くなった。


「ね、サンジ君。 ちょっと、アレ、見て。」
「なあに? ナミさん。 …ああ〜〜。」
サンジが天を仰いだのは、単なる習性というよりも、たぶん同情だろうとナミは感じた。
広い甲板の芝生の上で、微妙な距離感で眠っている二人。
不器用な二人は、周りから見れば、ほとんど気の毒としか思えない。
あそこまでバレバレに想い合っていて、なぜ、踏み込まないのか。
その理由をサンジもナミも、この船のクルー全員がわかっているから、見てみぬふりをしている。

「…いつかなあ。」
「いつだろうね。」
するするとじゃがいもの皮をむきながら、サンジが言う。
ナミは目の前に置かれているサンジ特製みかんスカッシュのストローを軽くかんだ。

今はまだ、目の前の敵を片付けていくだけ。
それでもいつかは。
この海の全部を越えて、また新しい夢を追いかける日が来るだろう。
ゾロとロビンならきっと、その夢も手に入れられる。
その時、自分は?
手を休めることなく、ジャガイモの皮をむくサンジを見て、ナミは小さくため息をついた。

陽の当たる甲板。
ゾロは大きく伸びをすると、ごろんと寝返りを打った。
なにか柔らかくて、いい香りのするものに触れて、思わず抱き寄せる。
その手の中にいるのが、次の夢だということに気が付くのは、たっぷり一時間後のことなのだった。


FIN


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