いつものようにロザリアの私邸では、土の曜日恒例のお茶会が開かれていた。
うららかな日差しの中で、テーブルに並ぶ手作りのお菓子。
補佐官になってから始めたお菓子作りも、今ではすっかり並みのパティシエールのレベルを超えている。
今日もシフォンケーキ、パイ、ゼリー、とさまざまな種類が作られていた。
勿論一番目を輝かせているのは女王アンジェリークで。
お菓子大好きのマルセルと、お皿に全部の種類のケーキを乗せてはしゃいでいた。
「お茶はこちらですわよ。」
お菓子の並んだテーブルと少し離れて、椅子の並んだテーブルが用意されている。
お菓子に興味のない守護聖たちはすでにそちらに座って、思い思いに時間を過ごしていた。
「ね、ロザリア!これはなに?」
「ゴマクッキーですわ。甘さ控えめに作ってありますの。」
「ふうん。ゼフェルー!これ、甘くないんだって!」
ゴマクッキーを口に押し込まれたゼフェルとマルセルのふざけ合う声。
ルヴァは木陰の椅子に軽く腰かけながら、楽しそうに過ごすみんなを眺めていた。
自分自身を含めて、こんなふうに過ごせる時を想像できなかった。
それぞれに抱えていた痛みも、古い宇宙とともに消えてしまったのかもしれない。
気持ちのいい風に包まれて、ルヴァは湯飲みをすすった。
「あっつ!」
分厚い湯のみで分からなかったが、中はかなりの温度で、ルヴァは思わず中身を盛大に吹き出してしまったのだ。
「まあ、ルヴァ。大丈夫ですの?」
いつのまにか傍にいたロザリアが、手にしていたハンカチでルヴァの胸を拭いている。
「す、すみません、ごほっ。」
ルヴァは、咳を飛ばさないように口を押さえた。
すぐ目の下にロザリアのベールが揺れている。風に漂う薔薇の香り。
ルヴァは息をとめたが、ロザリアは全く気にしていない様子でハンカチを動かし続けた。
「お茶は汚れが落ちにくいですわ。すぐに洗濯した方がいいかもしれませんわね。」
ひととおり雫をふき取って顔を上げたロザリアに、ルヴァは頭を下げた。
「ええ、帰ったらすぐに洗うようにしますね~。本当にすみません。私ときたら…。」
優しく微笑むロザリアに、ルヴァは頭を掻いた。
「ロザリア、お菓子作りが上達したよね。バレンタインも、もちろん手作りなの?」
マルセルはもう、2皿目に手を伸ばしている。
今日のお菓子にはチョコレートを使ったものが見当たらない。
甘いものに目がない彼は、その理由に、とっくに気がついていたらしい。
「ええ。そのつもりですわ。とびきりのモノにするつもりですから、期待なさって。」
「でも…。」
マルセルが横目でちらりとルヴァを見る。
さっきお茶をこぼしたところは、さわやかな風ですっかり乾いたらしく、わずかに薄いしみが残っているだけだ。
「ルヴァ様に悪いから、僕はいいよ。」
「「え?!」」
ロザリアとルヴァ。二つの声が重なった。
「だって、二人は恋人同士なんでしょ? それなのに、僕が手作りチョコを貰ったりしたら悪いもん。」
一瞬の静けさの後。
「マルセルったら、いやですわ。わたくしとルヴァが恋人同士だなんて。」
ぎょっ、と空気が変わった気がした。
ゼフェルが手にしていたクッキーがぽとりと落ち、アンジェリークも紅茶をごくりと飲み込んだ。
「ち、違うの…?」
アンジェリークの声にロザリアはにっこりとほほ笑んだ。
「ええ。そんなこと…。あるはずないじゃありませんの。ねえ、ルヴァ。」
皆の視線がロザリアからルヴァに移った。
さぞや意気消沈しているのでは、と、心配したのも、つかの間。
「ええ。本当ですよ~。私たちは、そういう関係では…。」
にっこりとほほ笑みを交わす二人に、その場にいた全員の目が点になった。
「え、ちょ、ホントに?」
身を乗り出したオリヴィエに、「ええ。」「はい。」と、言葉も同時に、あまりにも普通で、自然な態度。
オリヴィエもそれきり、黙ってしまった。
けれど、その後も。
「ああ、ロザリア。このクッキーはとてもおいしいですね~。」
「嬉しいですわ。ゴマはとても体にもいいと、先日、教えていただいたでしょう?それで作ってみたんですの。」
「ええ、ええ。貴女はとても熱心で、教えがいがありますよ~。」
どうみても、いちゃついているようにしか見えないのに。
皆の視線を全く気にしない二人をよそに、その噂は瞬く間に聖地に広がって行ったのだった。
数日後。
ロザリアがいつものようにお茶をしようとルヴァの執務室に向かうと、ドアの前に女官が二人、立っているのが見えた。
実際、聖殿では男女問わず多くの人間が働いているのだから、それ自体は別にどうということはない。
しばらく待てば、いなくなるだろうと、柱の影に潜んだロザリアの耳に話声が飛び込んできた。
「ロザリア様とはなんでもないんだって! ルヴァ様、フリーなんだよ!」
「でも…。」
「大丈夫!とにかく話してみようよ。」
「でも…。」
そのあとも数回やり取りを繰り返して、二人の女官は執務室の中へと入って行った。
今の状況はどう見ても…。
ロザリアは気になってドアに耳を寄せてみたけれど、分厚いドアに阻まれて中をうかがうことはできない。
なんとなくお茶を飲む気もなくなって、その場を離れてしまった。
自然に足が向かったのは、女王の間。
中に入ると、アンジェリークが大喜びで出迎えてくれた。
「あーん、ちょうどよかった!そろそろお茶しようかなって、思ってたところだったの!あの人ったら、執務が詰まってるとか言って、お茶もしないのよ~。」
ブツブツと文句を言いながらも、アンジェリークは湯気の立ったカップをロザリアの前に置いてくれた。
ロザリアが鼻をくん、と動かすと、アンジェリークが肩をすくめる。
「ごめん。ティーバッグだけど許して。」
一口飲んで、ロザリアはその薄い水色と裏腹な苦みに顔をしかめた。
ふと見れば、アンジェリークは別に気にしていないようだ。
いつもならアンジェリークのほうが、苦みにはずっとうるさいのに。
「どうかしたの?なんか、変。」
小さなテーブルでロザリアと向かい合ったアンジェリークは、彼女の様子に首をかしげた。
じっと前を見つめる青い瞳、美しい眉間の小さな皺。
不機嫌とも違うけれど、どこか苦しそうにも見える。
「変…。そうね、変だったわ。さっき、ルヴァのところに行こうとしましたの。そうしたら、女官が二人、部屋に入って行きましたの。」
「へ~~。それが?」
「部屋に入る前に二人で、わたくしのことを噂していましたわ。」
「…そうなんだ。」
あまりいい噂ではなかったのかもしれない。
ロザリアは自分に厳しいだけあって、他人にも厳しいところがある。
時々女官たちにもキツイ物言いをしていることがあるのを知っていた。
「気にすることないわ。ロザリアは悪くないもの。」
アンジェリークはテーブルの上にあったキャンディを、ロザリアの方へと押しやった。
「ホラ、キャンディでも食べて?甘いものって、元気に…。」
「わたくしとはなんでもないって、だからどうしたと言いたいのかしら!!」
突然の大声にアンジェリークは目を丸くした。
ロザリアがこんな大声を出すなんて、女王就任のパーティのためにダンスを教えてくれた時以来だ。
あの時の鬼の形相ときたら…。思い出しても恐ろしい。
「ロザリア?」
名前を呼ばれたことで、はっと自分を取り戻したらしい。
ロザリアは気まり悪げに頬を染め、キャンディの包み紙をつまんだ。
何をこんなにイライラしているのだろう。
口の中でゆっくりと溶けていくキャンディがやっと心を落ち着けてくれる気がする。
ロザリアは心配そうに見つめてくる緑の瞳に、小さなため息を漏らした。
「あの女官はルヴァを…。いえ、なんでもありませんわ。」
かわいい女官だった。控え目な雰囲気がルヴァに似合っているかもしれない。
ルヴァの部屋でどんな話をしているのだろう。
もしかして、告白したのかもしれない。だとしたらルヴァは何と返事をしたのだろう。
考えても仕方がないはずなのに、妄想ばかりがぐるぐると頭をめぐる。
ルヴァが彼女と恋人になれば、自分は。
きっと今までのようにはいられない。
「ロザリア?」
再び呼ばれて、はっとした。
「ごめんなさい。…お茶、淹れなおしましょう。」
「あは、お願い。前はティーバッグでも十分おいしいと思ったけど、今はダメね。ロザリアのお茶の味を知っちゃったから。」
「まあ、お上手ですこと。その調子で執務も覚えてほしいものだわ。」
「えへ。」
一度知ってしまったものを忘れることはできない。
ロザリアは立ち上る紅茶の香りの中で、新たな痛みを感じていた。
「ふう~~~~。」
ドアが閉まると同時に、ルヴァは長い長いため息を吐き出した。
もともと女性と話すのは苦手な上に、ほとんど初対面なのだ。
緊張してしまうのも仕方がない。
「ああ、もうこんな時間なんですねぇ。」
カチカチと時を刻む古い掛け時計を眺めれば、とっくにお茶の時間も過ぎてしまっている。
わずかに傾き始めた日ざし。
ノックを受けた時、てっきりロザリアだと思って、「どうぞ、入ってください。」と声をかけた。
ところが、おずおずと入ってきたのは二人の女官。
見覚えのない顔にすっかり動転してしまい、つい、席を勧めてしまったのだ。
「それにしても、律儀なことです~。」
ずいぶん前、大事な書類を失くして困っていた彼女にルヴァが声をかけたことがあったらしい。
ルヴァの助言のおかげで、書類を見つけることが出来、すごく助かった、と話していた。
「はあ、そんなこともありましたかね~?」
すっかり忘れてしまっていたルヴァは、彼女たちを前に首をかしげたのだが。
おとなしいほうの女官が顔を真っ赤にして、頷いていたから、多分本当なのだろう。
テーブルの上には彼女たちが持ってきたクッキーが並んでいる。
手作りだ、というそれは、甘いジャムやチョコの挟んである、繊細なものだ。
見事な腕前だと感心はするけれど。
「…ゴマのクッキーは、まだ残っているでしょうかね。」
なぜか、急にロザリアの顔が見たくなったのは、無理をして甘いクッキーを食べたせいかもしれない。
ロザリアといる時は感じない疲れが、肩に乗っているような気がするのだ。
考えてみれば、今日はまだ一度も彼女と話をしていない。
ルヴァはテーブルの上のクッキーを元通り袋にしまうと、部屋を出た。
補佐官室のドアを数回ノックしても中から返事はない。
「陛下のところでしょうか…?」
出張の予定はないはずだから、おそらく執務でどこかを回っているのだろう。
このまま待っていようか、出直そうかと迷った挙句、せっかく外へ出てきたのだし、ついでに図書館へ行ってみようと思い立った。
夕暮れの風は心地よく、柔らかなオレンジの光も暖かい。
足取りも軽く、図書館への小道を歩いていたルヴァは、木々の向こうに青い影を見つけた。
声をかけようかと、足を踏み出した瞬間。
長いベールが風に揺れていたせいで、見えなかったもう一つの影。
ロザリアに向かい合うようにして立っていたのは、ジュリアスだ。
木の陰に隠れるように、なにかを話している二人。
普段はしかめ面で他人に厳しいジュリアスが、柔らかな表情で彼女を見つめている。
ロザリアの方も時折綺麗な笑みを浮かべながら、青い瞳をキラキラとさせ、見つめ返している。
高貴な二人の雰囲気のせいか、ただの木でさえ、絵画の背景のように見えてきた。
まさにお似合いの二人。
楽しそうに話しているところを見ると、想い合っているのかもしれない。
いつもなら、彼女の笑顔を見ると心が弾むのに、もやもやした気持ちが抑えられなくなった。
彼女の一番近くにいるのは自分だと思っていたのに。
いつの間にジュリアスと、こんな笑顔を交わすようになっていたのか。
ルヴァはもやもやを抱えたまま、本を読む気にもなれず、元の道へと引き返すことにしたのだった。
二人の様子がおかしい、ということに、最初に気がついたのはアンジェリーク。
緑茶を前に頭を突き合わせ、ふと沈黙が降りた。
「ねえ、ルヴァ。ロザリアがこの頃変なのよね…。何か知ってる?」
がたっと湯のみが倒れたが、幸いなことに中身はほとんどなくなっていた。
ちょろりと零れおちた濃い緑の液体にルヴァが溜息をつく。
「ロ、ロザリアですか? さあ、…このところあまり話をしていませんのでね。」
「えええ~~~!!! 前は毎日のようにお茶したりしてたじゃない?!」
アンジェリークが手渡したティッシュでテーブルを拭いたルヴァは、せわしげにグレイの瞳を泳がせた。
「ええ~~、まあ~~、そうなんですが…。」
「ケンカでもしたの?」
「とんでもない!ケンカだなんて!」
ただ、なぜかロザリアが来ないのだ。
そして自分もなんとなく彼女のところへ行きにくかった。…あの二人の姿を見てしまってから。
言葉を濁すルヴァに、アンジェリークが詰め寄る。
緑の瞳でじっと見つめられると、穏やかな午後のはずが、急に肌寒いような気がしてきた。
「もしかして、ルヴァ、例の女官と付き合い始めたとか!」
「はあ?!」
お茶を飲んでいなくて心底よかった、とルヴァは思った。
飲んでいたら、女王陛下にお茶をぶっかけるという暴挙に及んでしまうところだ。
「付き合う?女官?一体なんのことですか?!」
目を白黒させたルヴァをアンジェリークがじっとりとした横目で見ている。
「またまた~。ロザリアが言ってたわよ!可愛い女官たちがこの部屋に入ってったって。仲良くお茶したんでしょ? 」
あの時のことを見られていたのだ。よりによってロザリアに。
なぜか息が苦しくなった。
「そ、そんな、彼女たちはただお礼に来ただけで、付き合うだなんて、そんな…。」
「でも、それだって、もらったんでしょ? やっぱり付き合ってるんじゃな~い。」
アンジェリークが指差したのは、テーブルの上のバターケーキ。
ドライフルーツのたっぷり詰まった濃厚なケーキが、ラップのかかった状態で置かれている。
あれからたびたびこうして手作りのお菓子を持ってきてくれるようになったのは事実だ。
断る理由もないまま、受け取っていたけれど。
「それで、ロザリアは、私を避けているんでしょうか…。ようするに嫌われてしまったと…。」
彼女に嫌われたと思うだけで、目の前が真っ暗になる。
なぜ、こんな気分になるのだろう。
人との別れには慣れているはずなのに。
まるで捨て犬のようにうなだれるルヴァにアンジェリークは人差し指を立て、ルヴァの鼻先に突きつけた。
「なんでそんなに落ち込むの!」
「は? それはそうでしょう。嫌われたと思えば、落ち込みますよ…。」
「だから!」
アンジェリークがずずっと顔を近づけてくる。
緑の瞳の異様なきらめきが恐ろしいくらいだ。
たしか獲物を狩る前の虎がこんな眼をしていたような気がする。
「なんでもない人に嫌われたって、別に気にならないでしょ? わたしだって、ジュリアスに嫌われたらショックだけど、ルヴァになら別にいいもの。」
何気に酷いことを言われている。
「あんまりです。それじゃあ、陛下は私のことなんてどうでもいいみたいじゃないですか~。」
「あ、ごめん。ジュリアスに嫌われたくないって、言いたかったの。」
「それならいいんですが…。・・・ええーーー!!!ジュリアス?!」
ルヴァの素っ頓狂な声にアンジェリークはぺろっと舌を出した。
「言っちゃった。秘密だからね。」
陛下とジュリアスが。
およそこの世でまったく予想もつかない組み合わせではないか。
アフガンハウンドとチワワのカップルよりも信じられない。
「あ、あの…。ロザリアは知っているんですか…?」
脳裏に浮かんだのは、この間の森でのこと。
人目を忍ぶようにして会っていたのが、密会でないとすれば。
「そうよ。こっそり手紙を渡してもらったり、デートの約束をしてもらったり。ロザリアが協力してくれなかったら、できないもの。」
あの時のジュリアスの表情はロザリアに向けたモノではなかったのだ。
陛下を想って、あんな顔を。
「はあ、ジュリアスは陛下のことをとても愛しているんですねぇ~。」
「あったり前じゃない!」
ばしーん、と部屋中に響く勢いで背中を叩かれたルヴァは、悶絶しそうな筈の痛みを全く感じなかった。
背中よりも、もっと痛い場所がある。
胸を押さえたルヴァを、アンジェリークが優しい瞳で見つめていた。
数日たったある日。
ロザリアは書類に日付を入れながら、大きなため息をついた。
この日が、こんなに憂鬱な日になるなんて。
『2.14』と、書いて署名を入れると、また時計を見てしまう。
昨日、予定通りチョコレートを10個作った。
さっき、アンジェリークに手渡して、残りは一つ。
去年までは、一番最初に渡していた人の分が、まだ残っている。
執務終了まで、あと少し。
ぐっとペンを握ったロザリアは、それを叩きつけるように机に置くと、チョコレートの箱を持って、部屋を飛び出した。
「申し訳ありません。」
ルヴァの部屋のドアがほんの少し、開いている。
その細い隙間から、ルヴァの声が聞こえてきて、ロザリアは足音を忍ばせて近付いた。
はしたない、と思いながらも、耳を寄せてしまう。
「そのチョコレートを受け取ることはできません…。」
もしかして、あの女官と話をしているのだろうか。
思わず、自分の持っているチョコレートの箱を握りしめた。
確かに甘すぎるモノは好きではないルヴァだけれど、今の言葉はもっと重い、別の響きを持っていた気がする。
受け取ることができない、とはどういう意味なのだろう。
二人はすでに付き合っているという噂なのに。
「その、あなたを傷つけてしまったかもしれません。私は、どうも、口下手で、その、うまく説明できないのですが。」
拙いながらも、懸命に言葉を探すルヴァ。
見えなくても、ロザリアにはその様子が手に取るようにわかった。
「私があなたを助けたことがある、と言いましたね。
でも、その、私はもともと他人と関わることが苦手で、以前なら、きっと、あなたが困っていたとしても、見て見ぬふりをしたと思うんです~。」
「でも、そうしなかった…。それはきっと、その、ある人のおかげなんです。」
「ある人?」
やっぱりあの女官だ。
控え目な声がすこしくぐもっているのは、手で口を押さえているからかもしれない。
「ええ。その人は何にでもまっすぐで、一生懸命で、他人に厳しいけれど、自分にはもっと厳しくて。お節介なほど世話好きなんです。
その人を見ていたら、私も、その、誰かのために、なにかしたいと思うようになったんです~。」
ルヴァはようやく気がついた。
他人に無関心だった自分が、誰かに親切心を抱いたのだとすれば、それはきっと彼女の影響。
高飛車でわかりにくいけれど、お節介で困っている人を放っておけない。
悪態をつきながらもアンジェリークの世話をしているのは、女王候補の時も補佐官の今も変わらないところだ。
そして、自分は、そんな彼女を。
しばらく、沈黙があった。
ルヴァの言う『その人』が誰のことなのか。
ロザリアにはすぐには思い浮かばなかった。
けれど。
「ルヴァ様はロザリア様をお好きなんですね…。」
ドキン、と音がしそうなほど、心が揺れた。
女官の声が耳から入り、全身に回ると、足元から震えが来る。
「好き…。そうなんです。好きだったんです。考えたこともありませんでした。いつの間にか、彼女がいることが当たり前になっていたんです…。」
ロザリアは踵を返すと、補佐官室に戻った。
背中でドアを閉め、何度も深呼吸を繰り返すと、破裂しそうだった心臓が次第に収まってくる。
なのに、ルヴァの言葉を思い出すたびに、また鼓動が激しくなるのだ。
ルヴァが自分を好き…?
では、自分はルヴァを…。
「好き、なんですわ…。」
女官と付き合い始めたと聞いた時。もう今までのようには会えないと思った時。
あの衝撃は彼を想っていたからこそだった。
今日、チョコレートを渡したいと思ったのも。
いつのまにかこんなにもルヴァに惹かれていたことに、自分でも気が付いていなかった。
コンコン、とドアを叩く音がする。
小さな文字が見難いほど、部屋の中は光が落ちていた。
「どなた?」
ドアの向こうは沈黙のまま。
ロザリアが仕方なくドアを開けると、そこに立っていたのは、ずっと心を占めていた人。
「あの、あなたに、お話したいことがあるのですが…。」
続けられた言葉に、ロザリアの瞳から涙が零れおちる。
腕を伸ばした際に落ちたチョコレートの袋が、足元を転がっていった。
土の曜日のお茶会は、今日も大盛況だ。
たくさんのお菓子が並ぶテーブルに、相変わらずアンジェリークとマルセルが貼りついている。
「おいしいー!」
「ホントに!幸せだね!」
楽しそうな声を聞きながら、ルヴァは木陰の椅子に座っていた。
その隣でロザリアが紅茶を飲んでいる。
風に揺れる彼女のベール。じっと見つめていたせいか、ロザリアが視線に気がついて、にっこりとほほ笑んだ。
その笑顔がまぶしくて、あわてて湯飲みを持ち上げ、ごくりと中を飲み込む。
「あっつ!!!」
手の離れた湯のみが草の上に転がり、膝に緑茶がこぼれた。
「大丈夫ですの?」
声をかけながら、ロザリアがハンカチで拭きとっている。
いつかと同じ光景だ。
「あ、ロザリア。この間はチョコレートありがとう。すっごく美味しかったよ。」
ケーキで口をいっぱいにしたマルセルが、目をキラキラさせている。
「来年もよろしくね!」
アンジェリークもひょっこりと横から顔をのぞかせた。
「もう、クリームが付いていますわよ。」
もう一枚のハンカチを取り出したロザリアが口の周りを拭くと、アンジェリークがぺろりと舌を出した。
「ああ~~、残念ですが、来年はチョコなしですよ~。」
「えっ!」
「どうして?!」
二人の声が一番大きかったが、他のみんなもぎょっとしているのがわかる。
ぼんやりしていると思ったルヴァが、突然、椅子を飛び出したからだ。
「それは、えっとですね。」
もごもごしながら言葉を探すルヴァ。
一気に集まった視線に、照れているのだろう。
ごくりとルヴァの喉が鳴った。
「ロザリアのチョコは、もう誰にもあげたくないんです~。全部私のものです~~!!!」
絶叫したルヴァを、マルセルがきょとんとした瞳で見つめている。
「なーんだ、やっぱり恋人なんだね!」
ルヴァとロザリアが顔を見合わせた。
かーっ、と同時に赤くなる頬。そして。
同時にこくんと頷いた。
「じゃあ、僕、我慢するよ。来年までには僕も、素敵な恋人を見つけるから。」
「わたしの分はいいでしょう?ロザリアのチョコが食べたいの~。ね~、ルヴァ~。」
「陛下はあげる方じゃないですか~。ね、ジュリアス?」
「なぜ、私に話を振るのだ。」
「隠すことないじゃないですか~~。」
「えー!まさか!」
甘いお菓子の匂い。甘い恋の香り。
今日も聖地に吹く風が優しく皆を包んでいったのだった。
FIN