因果性のジレンマ

2.

それからもレオナードは神鳥の宇宙へ足しげく通った。
この間の告白が効いたのか、ロザリアは急にレオナードを意識し始めたようだ。
はにかむような笑顔と照れた口調。
誰の目から見ても、ロザリアが変化したことがわかるほどで。
ある日、教会からの帰り道で、レオナードはそっとロザリアの手を握った。

  4

女の細い手を壊さないように、触れる程度に包み込む。
一瞬、ロザリアは身を固くしたが、拒むような様子は見せない。
だんだん熱くなる掌に、ひんやりとしていた女の手が温まったのかと思った。
けれど、汗ばんでいるのは自分の手のほうだと気づいて、レオナードはそれ以上考えるのをやめた。



その日も神鳥の宇宙へ出かけていたレオナードは、戻ってきてすぐに机の上に新しい書類があるのに気づいた。
「至急」と大きな赤で書かれた書類は、1cmくらいの厚さがあり、読むだけでもめんどくさそうだ。
通常は首座である自分から書類を回すのが慣例だが、留守で飛ばされたらしい。
すでに全員が回覧したチェックがついていた。
「ったく、めんどくせェ。」
いちいち全部を読んでいたら、いくら時間があっても足りないが、全く中身がわからないのも都合が悪い。
レオナードは書類をパラパラとめくると、自分の名前をチェックした。

「おい、さっきの書類なんだがよォ。」
ノックもせずにドアを開けると、執務椅子に座っているフランシスの姿が目に入った。
そして、その上に乗っている女官の姿も。
「きゃー!」
ばっちりと目があった女官が叫び、またか、と半ばあきれて、レオナードは下を向いた。

バタバタと衣服を整えて逃げる女官が、横をすり向けていく。
レオナードがドアを閉めて向き直ると、フランシスはまた、いつものように微笑んでいた。
「なにか…御用ですか…?」
「だから用事がなきゃ来ねェっつーの。しかし、お前も好きだよなァ。」
「私を求めてくれるレディたちにはお応えしたい…そう思うのが、普通ではありませんか…?」
「なんでもいいけどよォ。とっかえひっかえしやがって、面倒なことにならねえように気をつけろよ。」
「ご心配なく…。繋がっているのは身体だけですよ。彼女たちも、分かっているでしょう…。」
涼しい顔したこういう男が実は一番たちが悪い。
さんざん男女のもめ事を経験してきたレオナードはフランシスに鼻を鳴らした。


「やはりあなたは相当なロマンチストでいらっしゃる…。」
「はァ?どういう意味だァ。そりゃ。」
フランシスはいつものような謎めいた頬笑みを浮かべて、レオナードを見つめている。
「ロザリア様ですか…?私には、とても…。」
フランシスの意味ありげな言い方に、理由もなくカチンときた。
一人の女にいつまでもかかずらって、と、バカにされているような気がしたのだ。

「勘違いすんなよなァ。」
つい、声が大きくなった。
「手近にヤれる女が欲しくて、口説いてんだ。もうちょっとでヤれそうなんだから、邪魔すんじゃねェぞ。」
自分の声が大きすぎたせいか、いつの間にかドアが開いていたことに気づかなかった。
「ああ…。これはこれは…。」
珍しくフランシスが困ったような表情をしている。
いつも人を小馬鹿にしてるフランシスのあわてた様子に、女王陛下でも来たのか、と、レオナードは振り向いた。


見開いた青い瞳。
いつもの補佐官服とは違う、淡いブルーの柔らかなワンピース。
見てみたいと思っていた、下ろしたままの青紫の長い髪。
ぐっと下唇をかみしめて、足元を見つめている、ロザリア。
「お前…。」
言葉も出ないレオナードの後ろから、フランシスが声をかけた。
「いらっしゃいませ。ロザリア様。…わざわざこちらの宇宙までおいでくださるとは、どういった御用件でしょうか…?」
ロザリアはうつむいたまま、大きく肩を上下させ、しばらく黙っていた。
聞こえていなかったのかもしれない。
多分、そうだろう。
もし聞こえていたら、こんなふうにココにいるはずがない。
半ば祈るように、レオナードはロザリアを見つめた。

「忘れ物を届けに参りましたの。」
顔を上げたロザリアの瞳はどこか虚ろで、全く感情が読み取れない。
初めのころ、貴族的でつまらない、と思った時の顔だ。
「すぐにでも必要なのではないかと思って。」
ロザリアはフランシスに向かってディスクを差し出した。
「それから。」
女の手が首の後ろに回る。
「これもお返ししますわ。」
投げつけられたネックレスが、レオナードの足元に転がるように落ちた。
きらりと光るそれに、目を奪われた瞬間。
パンっと音がして、頬に鋭い痛みが走った。

  5"

「明日からは、別の女性を当たってくださいませ。」
睨みつけた青い瞳に怒りよりも悲しみの色が強いのを感じ取って、レオナードは凍りついたように動けなくなった。
やはり聞かれていたのだと、目の前が暗くなる。
フランシスに向かって、ゆっくりと淑女の礼をしたロザリアは、礼儀正しくドアを閉めた。
消えていく足音さえ、優雅なまま。


「追いかけないのですか…?」
フランシスの声に、ようやくレオナードは我に返った。
「あァ?今さら追いかけたって、もうヤれるわけでもねェだろ。」
今までの苦労が全部水の泡だ。
女とヤるどころか、二度とまともに顔を会わせることもできない。
じわり、と冷たい綿で首を絞められたような苦しさに、レオナードは顔をしかめた。

「私は、あなたのことをバカだと思っていましたが、どうやらそれは間違いだったと言わなければなりませんね…。」
「はン、今さら俺様の天才ぶりに気づいたって言うのかァ?」
「ええ、バカどころか大バカですね…。」
「なんだとォ?!」
掴みかかろうとして振り上げた拳が空を切った。
あんなことを聞かれた自分は確かにバカ以外の何物でもない。

「手近でヤれる女、と言いましたね…? 私にはロザリア様が手近な女とは思えません…。むしろあなたには高嶺の花。違いますか…?」
反論の余地もない。
「なぜ、ロザリア様なのでしょう…。女官でも他の職員でも、女性ならこの聖地にも、いくらでもいるというのに…。
手近だというのなら、よほどこちらを口説いた方が効率がいいのでは…?」

なぜ、あの女なのか。
今までも考えようとしたことはあった。
ヤりたいだけなら、ほかにいくらでも女はいるし、好きになってもらおうなんて面倒なことをする必要もない。
金で買うことだって、今の自分なら自由にできるだろう。
だが、それを突き詰めると、なんだか負けのような気がして目をそむけていたのだ。

フランシスはもう興味がなさそうな顔で、ソファに気だるげに座っている。
「ちっ。お前に言われるとなァ。なーんかムカつくんだよなァ。」
レオナードは、転がったままのネックレスを拾いポケットにねじ込むと、外へと飛び出していった。



外はすでに夕暮れと夜のはざまだ。
薄いオレンジの光が、地平線に沿うように辺りを照らしている。
次元回廊のある建物まで一気に走ってみると、回廊はまだ使われた様子がなかった。
女はまだこのあたりにいる。
きょろきょろとせわしなく首を動かすと、建物の向こうに人影を見つけた。
風に揺れる、青紫の長い髪。
小刻みに震える肩が背中越しでも女の表情を伝えていた。

「おい。」
声にびくっと身体をすくめたロザリアは手で顔を隠しながら走りだした。
けれど、女の足で逃げ切れるはずもない。
レオナードは背後からロザリアの腕を引き寄せ、倒れそうになるその身体を胸で包み込んだ。
「離して!」
突然抱きしめられたロザリアは、身体を大きく捩って腕から逃れようとした。
「もう少しであなたに騙されるところでしたわ。自分が恥ずかしい。」
青紫の睫毛を濡らし、白い頬を滑るように零れる涙。
女のいろんな顔を見たいと思っていたのに、泣き顔は全く想像していなかった。
泣かせたくない、と、どこかで思っていたような気がする。


「好きだ。」
「嘘!」
「お前に惚れてる。めちゃくちゃに惚れすぎて、頭ン中がおかしくなっちまうくらいだ。」
「嘘ですわ!もう騙されたりしない…。」
レオナードは、なおも逃れようと拳を振りおろすロザリアの身体を、ぎゅっと強く抱きしめた。
髪から漂う甘い香りに、やはり息が苦しくなる。
でも、その息苦しさがなぜなのか、今はもう、知っていた。

「ヤりてェから口説いてた。それは嘘じゃねェ。」
女の身体から力が抜ける。
騙していたことを認めた、と思われてしまったのかもしれない。

「でもよ、誰でもよかったんじゃねえ。お前だからヤりてェんだ。お前が好きだから、好きな女とだから、ヤりてェんだよ。」

正直に言葉にすれば、簡単なこと。
この女が好きだ。
笑顔もそれ以外の顔も、身体も、全部。欲しくなるくらいに。



長い抱擁のあと。
「ごめんなさい。やっぱりあなたの願いには応えられませんわ。」
ロザリアの言葉に、レオナードは腕を緩めた。
無理もない。
そう思いながらも、最後の指の一本まで女から離れたくない、と悲鳴を上げていた。
ふと、顔を上げた女と目が合う。
涙で洗われたかのように、いつもよりも綺麗な青い瞳がレオナードを見つめていた。

「わたくし、まだ結婚は考えられませんの。陛下をお支えする今の仕事に、誇りを持っていますし。」
「はァ?!結婚?!」
思わず声が出た。
「だって、わたくしと…。」
ロザリアは首をかしげ、ほんのりと頬を染めている。
「結婚しなければ、夫婦の営みはできませんわ。…ですから、もう少し、待っていただけるかしら?」

マヒしていたレオナードの頭に、ようやくロザリアの言葉の意味がしみ込んでくる。
どうやら結婚しなければ、この女とはヤれないらしい。
手近で簡単に、とは全くもって、いかないけれど。
「ああ。いくらでも待ってやるぜェ。もう俺はお前以外の女には勃たねェからな。」
きょとんとした女の手を軽く握った。
手をつなぐだけで、身体がつながるのと同じくらい幸せになれるのは、相当この女に参っている証拠なんだろう。


次元回廊を渡ろうとするロザリアを、レオナードが呼びとめた。
女の首に手を回し、ネックレスをつけてやる。
甘い香りにほんの少し、欲情した。
「あのよォ、キスはいいんだろ?」
恥ずかしそうに、でも、幸せそうに小さく頷いたロザリアの額に、レオナードはそっと、唇を落としたのだった。


  6


FIN
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