限りなく0に近い1/9

なにかに熱中していると、他のことがどうでもよくなってしまう。
たとえば、ご飯を食べること、お風呂に入ること。
当然執務なんてよっぽどの急ぎでなければ、後回しだ。
幸い、ここのところ宇宙は平和そのもの。
多少サボったくらいでは、びくともしないはず。
一応守護聖なのだから、そのくらいのことは把握している。
昨夜から(正確には昨日の朝から)、かかりきりの機械いじりに没頭していたゼフェルは、何度も繰り返されているノックの音さえ、完全に排除していた。

たいていは10回も叩いて反応がなければ、諦めて去ってしまうのだが、この訪問者は違った。
コンコン、という品のいい音が、間もなくドンドン、とイライラした音に変わり。
最後にはドアを壊しそうな勢いで、バーンと開け放ったのだ。
「うるせえなあ。 とっとと開けりゃあいいだろ。」
ちっと舌打ちしたゼフェルに、形のよい眉がグッと寄せられる。
大きく息を吸い込んで、今にも怒鳴りだしそうに肩を怒らせたのは補佐官のロザリアだ。
執務に忠実すぎるほどの彼女のこと。
いつもならここで、小言の百くらいは飛んでくる。
けれど今日のロザリアはゆっくりと息を吐き出した後、にっこりとほほ笑んだ。

「ずいぶんとお時間が余っていそうですわね。 …ちょっとお茶でもしませんこと?」
うすら寒い。
怒られることを予想していたゼフェルは、ロザリアの意外な態度に心の中でそっと溜息をついた。
これはなにか、面倒なことを押し付けられそうだ。
とはいうものの、彼女の頼みなら、どうせ断れるはずはないのだけれど。
ゼフェルは手にしていた小さな機械を、テーブルの片隅に押しやった。


キッチンからほのかな紅茶の香りが流れてくる。
彼女と出会う前、ゼフェルにとって、水分補給はまさにその字の通りで、特別な意味など何もなかった。
喉が渇くから、水を飲む。
ただそれだけ。
紅茶なんていうものを美味しいと言う人のことを、バカにしていたくらいだ。
けれど、彼女の淹れる紅茶はただの水よりもずっと美味しい。
運ばれてきたカップから立ち上る湯気が、まわりの空気まで暖かく変えてしまうような気がする。

「何を作っていたんですの?」
ロザリアはピンと背筋を伸ばし、ソーサーを左手に持っている。
洗練された優美な所作。
こんなごちゃごちゃの部屋の中で、間違いで咲いた花みたいだ。
ゼフェルは隅に押しやっていた機械を取り上げた。
「コイツはよ、センサーなんだ。」
「センサー?」
不思議そうに首をかしげたロザリアにゼフェルはにやりと笑って見せる。

「コイツにある人間の波長を覚えさせておくと、そいつが近付いてきた時に教えてくれるんだ。」
「それが何の役にたつんですの?」
「ばっかだなー。お前。」
ゼフェルは両手を上にあげて、呆れたポーズをとった。
「たとえば、会いたくねえヤツがいるとすんだろ? 見つけられる前に、うまく逃げだせるっつーこった。」
「まあ!」
とたんにロザリアの眉がきりりとつり上がる。
「逃げ出すのに使う機械なんて。 わたくし、許しませんわよ?」
本当に怒っているのか、ロザリアはプイっとそっぽを向いてしまった。
女王試験の時に比べて、ゼフェルはずいぶん執務にも真面目に取り組むようになったし、人間的にも丸くなったと噂の的だ。
ロザリアも本当にそう思っていたのに。

「他にも使い方があるんだぜ。」
ゼフェルはロザリアの内心の不満には気づかなかったようだ。
ちょっと自慢げに手の中の機械をチラつかせている。
「どんなことなんですの?」
「ああ? …まー。 …あ、そうだ、お前、なんかオレに用があんだろ? 早く言えよ。」
わざとらしいゼフェルの口ぶり。
問いただしたい衝動にかられたロザリアだったが、それを我慢して、本題を切り出した。


「あの、今度の日の曜日、買い物に付き合っていただきたいんですの。」
「買い物~~?」
「ええ。アンジェと行こうと思ったのですけれど、今度の日の曜日はデートなんですって。」
「デエト。」
能天気そうな女王とアホ面のランディ野郎がイチャイチャとバカップルを披露している姿がゼフェルの脳裏に浮かんだ。
幸せな女王の姿は守護聖の一人としては悪くない。
でも、思春期の青少年としてはいささか微妙なところで。
とくに思い通りに行かない想いを抱えている身としては、考えるだけでイライラしてくる。

つい、そのイライラを表に出して、
「んじゃあ、その次にでもすりゃあいいだろ。 俺は買いモンとか興味ねえんだよ。」
言い放ってしまった。
「今週でなければダメなんですの。」
「あ?」
珍しくロザリアがくいさがってくる。
それでも知らん顔のゼフェルにロザリアは大げさにため息をついて見せた。
「じゃあ、仕方がありませんわね。わたくし、一人で参りますわ。
 一人じゃ危ないから、いつでも連れて行ってやるって、おっしゃった方が一緒に来て下さらないんですもの。」
ゼフェルがぐっと言葉につまった。


買い物といえば、下界に行くことを指している。
以前、たまたまゼフェルが遊びに出た時、ある大きな都市で、ロザリアとアンジェリークに出くわした。
オシャレなカフェの入口で、見知らぬ男二人と話している。
何となく胡散臭いモノを感じて、忍び寄ってみると、案の定。
タチの悪いナンパに引っ掛かっている最中だった。
白けた顔をしているアンジェリークと目があうと、彼女は手を振って、ゼフェルを呼び寄せた。
「あ、いいところに来た。 ゼフェル~、助けてよ~。」
その言葉にロザリアがはっと顔を上げてゼフェルを見る。

補佐官服でないロザリアを見るのは久しぶりだ。
品のいいブラウスに膝丈のフレアスカート。
カチューシャで止めただけの長い髪がそよ風に揺れている。
まさに清楚な令嬢。
その隣にいるアンジェリークも今日はピンクのミニのワンピースだ。
この二人が宇宙の女王と補佐官だなんて、目の前の男たちは考えてもいないに違いない。

「よかったわ。ゼフェル。この方、気分がすぐれないそうなんですの。
 この近くのご自宅まで連れて行って差し上げたいのだけど、手伝っていただけないかしら?」
あまりにも見え見えすぎて、脱力する。
ゼフェルはちっと舌打ちをすると、男に向かって言った。
「おい、俺が病院に連れてってやるよ。 それとも救急車でも呼んでやろーか?」

「なんだ、お前?」
頭の悪そうな方の男がお決まりのセリフを吐いた。
ありがち過ぎて、本当に泣きたくなる。
ゼフェルがアンジェリークをちらっと見ると、アンジェリークは肩をすくめ、心底呆れた顔をしていた。
一方のロザリアはといえば、まだもう一人の男の心配をしているようだ。
「しっかりしてくださいませ。」
という声が聞こえて来た。

「ったく、簡単に引っ掛かってんじゃねーよ。」
男にムカつくよりも前に、ロザリアに腹が立った。
「なんですの?」
「お前、バカだろ? こんな見え見えの手、ありえねーってーの。」
「なんですって?!」
もう相手にするのもバカバカしい。
ゼフェルはロザリアの手首を握ると、二人の男の間を走りぬけた。
心得ていたようにアンジェリークも二人のあとを追って、駈け出して来る。
背後に男たちの怒声が聞こえてくる事も、お約束過ぎて笑う気にもなれない。
ようやく足を止めたのは、アンジェリークの「待って~!もう限界!」という叫び声が耳に入った時だった。


「もう!どこまで行く気なの?!」
追いついてきたアンジェリークにギロッと睨まれて、ゼフェルは舌打ちした。
ロザリアのことで頭がいっぱいで、正直忘れていたのだ。
「仮にも、女王陛下なんだよ~!!! 守護聖のクセに!!」
「はあ?! 女王なんだったら、ぱぱっとビームでも出して、蹴散らせばいいだろ?!」
「こんなとこでビームなんか出せるわけないでしょ!」
「おめーが周りなんか気にするタマか? 上手く当てられるように練習しとけよ!」  
言い争いを始めた二人の間に、ロザリアが割って入る。
「ビームなんて、女王だって無理ですわ。」
心底呆れたようなロザリアの声に、二人が同時に反応した。
「「そういう問題じゃない!」」

「だいたい、おめーが悪いんだろ?」
びしっとロザリアを指差したゼフェルにムッとする。
「ロザリアは困ってる人をほっとけないタイプだから。 お嬢様だしね~。」
「世間知らずなんだろ。」
さっきまで言い合いをしていたくせに、今度は妙に気があっている。
アンジェリークとゼフェルから、よくわからない説教をくらい、それでも。
「でも、困っている方がいたら、見過ごせませんわ。」
きっぱり言い切ったロザリアに、ゼフェルは考えこんだ。
彼女のこういうところは、そう、嫌いではない。

「しょうがねーな。 今度から下界に来たい時はオレに言えよ。いつでも連れて来てやるから。」
ゼフェルの言葉にアンジェリークが嫌な感じに笑みを浮かべてうつむいた。
肩が震えているから、多分笑っているんだろう。
ムカつくが、自分でもとんでもないことを言っているという自覚がある。
ナイト気取り。 赤毛のおっさんじゃあるまいし。
すぐに否定しようかと口を開きかけたゼフェルに、ロザリアがにっこりほほ笑んだ。

「ありがとう。ゼフェル。 これからは、そうさせていただきますわ。
 アンジェもデートがあって、忙しいんですもの。 一人では不安なこともありますし…。 嬉しいわ。」
あまりにもその笑顔が可愛くて。
ゼフェルは赤くなった頬を気づかれないように、ぷいっとそっぽを向いた。
…腹の立つことに、アンジェリークはますます笑い転げていたけれど。


「…わかったよ。連れてってやるよ。」
一人で行かせるなんて、絶対にできない。
ちっと舌打ちしたゼフェルを、ロザリアが楽しそうに笑って見ていた。



日の曜日。
ものすごい人波と喧騒に、都会には慣れていたゼフェルでも、頭が痛くなる。
赤やピンクのハートや愛や恋の文字が並ぶPOP。漂う甘い香り。
広いデパートの、その一角だけが、まるで別世界のようになっている。
バレンタインの特設スペース。
ここを普通の場所だとは思ってはいけない。 言ってみれば、ここは、女子の戦場なのだから。
圧倒的な女子パワーに怖気づきたゼフェルは恐る恐るロザリアに声をかけた。
「おい、こん中に入ってくのかよ。」
「ええ。 ここが一番種類も豊富で、数も揃っているんですの。」
ロザリアはやる気満々といった風情で、フロアの中を見回している。
「ゼフェルはここで待っていて下さって結構ですわ。 わたくし、行ってまいります。」
ぐっと拳を握り、ロザリアは人ゴミの中に入っていった。

見る見るうちに、ロザリアの姿は人並みに飲まれて、見えにくくなっていく。
肩をすくめたゼフェルは、隅の柱に移動して、置かれていた長椅子に腰を下ろした。
ふと周りを見れば、自分と似たような境遇なのだろう。
手持無沙汰そうに、ぼんやりとフロアを眺めている男たちがたくさんいる。

「おまたせ!」
手に大きな紙袋を持った女の子が、近くにいた男の元に駆け寄って来た。
「おせーよ。」
「ごめんね。」
腕を絡ませてきた女の子の頭を優しく撫でる男。
恋人同士、なのだろう。
ぼんやりしていると、同じような光景がいくつも目に入って来た。

オレとアイツは違う。
オレとアイツは、ただの友達だ。いや、友達でもないかもしれない。
ただの同僚。ただの…たまたまちょっと特殊な境遇にいる同士。

ゼフェルは騒がしい女の子たちの人込みを眺めた。
すぐに目の中にロザリアの姿が飛び込んでくる。
女にしてはわりと長身な方で、長い青紫の髪も特徴的だから、すぐに見つかるのも当然だ。
真剣な瞳で、チョコレートを選ぶ姿。
いつもの補佐官然とした彼女も美しいが、こうして楽しげにしている姿は、年相応の少女らしく、とても可愛い。

ロザリアはあちこちを歩き回っていて、まだまだ買い物は終わりそうもない。
ヒマを持て余して、つい、コートのポケットをごそごそと探ると、中で小さな機械が触れた。
センサー。
イヤな奴を避けることができると言ったけれど、会いたい人を探すことにも使えると、彼女は気づいていないだろう。
もしも、ロザリアを見失ったら、これを使うつもりだった。
けれど。
そんな機械が必要ないほど、ゼフェルの目も心も彼女を追いかけ続けていた。


しばらくして。
「おまたせしましたわ。」
小走りにゼフェルの元に駆け寄って来たロザリアは大きな紙袋を手に提げていた。
ド派手なピンクの袋の中をちらりとのぞけば、たくさんの包みが詰まっている。
「ずいぶんたくさん買ってんじゃねーか。」
「だって、聖殿の皆さんにお渡ししなければならないんですもの。 コレでも足りるかどうか心配ですわ。」
「全員分? バッカじゃねーの。」
なんだかホッとした自分の方が、ずっとバカみたいだ。

「お茶でもいかが? お付き合いいただいたお礼に御馳走しますわよ。」
「…あったりめーだろ。」
睨むように言い返したのに、ロザリアは笑っている。
先に立って歩き出したゼフェルに、彼女が追いかけてくる足音が聞こえてきた。
腕を組むわけなんてないし、手を繋ぐわけでもないけれど。
それも悪くないと思った。


カフェに入り、ロザリアは紅茶を、ゼフェルはレモンスカッシュを注文した。
運ばれてくるなり顔をしかめたロザリアに、ゼフェルはわざと勢いよく、中身を吸い上げる。
頭がキーンとするほど冷たくて、心地よい。
ロザリアと向かい合っているせいで、さっきから落ち着かなかった心臓も、ようやく冷えていったらしい。
「寒くありませんの?」
身を震わせて尋ねてくるロザリアに、ふんと鼻を鳴らして「寒くねー。」と答えた。
「寒いでしょう?」
「別に。」
「本当は寒いのでしょう?」
「寒くねえっつってんだろ!」
勢いよく言った拍子に、ゼフェルの口から盛大なくしゃみが飛び出した。
同時にぶるっと震える身体。
「やっぱり寒いんじゃありませんの。」
笑われて、むすっとしたゼフェルは、グラスの中のレモンをとりだして、口の中に放り込んだ。
氷で冷えたレモンが痺れるほど冷たい。
思わずむせて、また、ロザリアに笑われた。

「でもよ、全員おんなじチョコなんて、いかにも義理って感じで面白くねーな。」
ぽつりとつぶやいたゼフェルにロザリアが微笑んだ。
「あら、ちゃんと違いますのよ。 守護聖の皆さまには、それぞれにお好みのチョコレートを買いましたの。
 いつもお世話になっていますもの。」
少し恥ずかしそうに染まった頬。
「マルセルにはイチゴクリーム入り、ルヴァには抹茶入り。
 ランディにはチョコクリームサンドのビスケット。」
「ふーん。 ま、妥当な線なんじゃねえ?」
ロザリアがいくつか教えてくれたチョコレートは、それぞれによく合っている。
「ゼフェルのぶんも、ちゃんと考えましたのよ?」
悪戯っぽく輝いた青い瞳が、とてもキレイだ。

「どーせ激辛チョコとかなんだろ?」
「まあ! 激辛チョコなんて、ありますの? 」
「知らねーよ。」
「ゼフェルったら、本当に嘘つきですわ。」

怒ったふりをしていても、口調が柔らかい。
ロザリアもゼフェルとのこういうやり取りを楽しんでくれているのだろう。
それに、彼女が本当にゼフェルのことを考えてチョコレートを選んでくれていたのはよく知っている。
うろうろと売り場を歩きまわっていたロザリアは、とても真剣な顔をしていたから。
それでも。
一番長い時間悩んでいたのが、あの守護聖の分だということもわかっている。
何度も何度も、選んではカゴに入れ、また別のところで、違うモノと入れ替えて。
結局最後まで悩んで、一番最初に手に取った華やかなシルバーピンクの箱に決めていた。

9人の守護聖、それぞれに選んだチョコレート。
込められた想いも、それぞれに違うだろう。
けれど、その瞬間は、きっとゼフェルのことだけを考えていてくれたはずだ。
たとえ、限りなく0に近い、9分の1の想いだとしても。
彼女がゼフェルのために選んでくれたチョコレートは、きっとどんなチョコレートよりも美味しく感じるに違いない。


ロザリアは、2杯めの紅茶をポットから注ぎ、立ち上る湯気の香りを楽しんでいる。
周りから見れば、恋人同士のように見えているのかもしれない。
そう思ったら、途端にゼフェルの胸にピリッとした痛みが刺した。
「いつまで飲んでんだ。とっとと帰らねーと。」
脱いでいた上着に袖を通し、ゼフェルは立ち上がった。
「まだ残っていますのに。」
不満そうに口をとがらせつつ、ロザリアも席を立つ。
彼女がレジで清算している間に、ゼフェルは先に店の外へ出た。
ちらちらと舞いだしていた白い雪。
寒いはずだ、と、ゼフェルは両手をこすり合わせ、白い息を吹きかけた。


---彼女が自分のモノになれば、他のモノは何も、要らないのに。


FIN
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