Be yourself, Baby

2.

いよいよ、デートは明日。
ベッドに入る前、もう一度ロザリアはワンピースを体に当ててみた。
「本当に似合っているのかしら…?」
正直、ロザリア自身はよくわからない。
まるでいつもの自分と違っていて、まともな判断がつかないのだ。
オリヴィエと並んでいても、おかしくない自分でいたい。
オシャレでオトナな彼をがっかりさせるようなことはしたくない。
だから、この服を選んだことは間違いではないはず。
そう思いながらも、どこか迷っている。

結局、いつも通りの時間にベッドに入り、間もなく。
ロザリアは懐かしい夢を見ていた。
まだ女王候補のロザリアとオリヴィエが森の湖のほとりに並んで座っている。
まるで自分の登場する映画を見ているような不思議な光景だ。
ピリピリしたオーラを纏って緊張した様子の自分に、ロザリアは苦笑した。


女王試験のころ、なかなか素直になれなかったロザリアに、オリヴィエは意地悪な笑みを浮かべながら、よくこう言っていた。
「自分らしくしてればいいんだよ。 飾りたてたり、嘘をついたり。 誰もそんなあんたには興味がないんだ。
 好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。 それでいいんじゃないの?」
高飛車な物言いしかできなかったのは、弱い自分を隠そうとしていたからだ、とオリヴィエには最初から気付かれていた。
知らないということが怖くて、嫌われるのが怖くて。
初めから嫌われていたら、ショックも少ない、と、ずっと信じていた。
だから、いつでも自分から垣根を作っていて。
『自分らしくいていい』
完璧な女王候補を求められていたロザリアにとって、その言葉は、新しい翼のようだった。

キラキラした緑の木々から溢れる木漏れ日の下、オリヴィエのダークブルーの瞳がロザリアをじっと見ている。
長いマスカラに縁取られた瞳は、優しげだ。
彼がこんな顔をしていたなんて、全然気がつかなかった。
夢の中のロザリアは相変わらず緊張したままなのに、それを見ている今のロザリアの方はなんだか落ち着かなくなってくる。
オリヴィエがロザリアに教えてくれたことは、何だったのだろう。
その答えを自分はすでに知っているはずだ。

いつの間にか、ロザリアは深い眠りに落ちていた。
そして、その顔に迷いはすっかり消えていたのだった。



落ち着かなくて、携帯の時計を何度も見る。
約束の時間まで、あと10分。
家にいても落ち着かなくて、ロザリアは30分も前にセレスティアの門の前に着いてしまっていた。
穏やかな晴天が心地よく、時折吹く風が長い青紫の髪を揺らしている。
補佐官服の時はきつく結いあげているからなのか、髪の乱れが気になって、やたらと手で押さえてしまっていた。
短めのスカートもひらひらしていて足が涼しく、こちらもつい手で押さえてしまう。
両手で上下を一生懸命押さえている姿。
きっとかなりおかしいだろうと、自覚してはいた。
それにずっと同じ場所に立っているせいか、人の視線も気になってくる。
実際、さっきから無遠慮なほど、ロザリアを見つめるいくつかの視線があるのだ。
まさか補佐官と気づかれてはいないだろうけれど。
二人組の男性がひそひそと話しながら、こちらを見ていることを感じて、ロザリアはわずかに背中を向けた。

オリヴィエはまだ来ない。
彼ほど目立つ人なら、かなり遠くからでもわかるはずなのに、その気配は一向に感じないし、人の騒ぐ様子もない。
今日もあのファッションなのだろうか。
それはそれで、とても彼らしいとは思うけれど、目立つことは間違いないだろう。
ロザリアは自分の服を見下ろしてみた。
茶色い革のバッグは、この間、アンジェリークと買ったばかりのものだ。
小ぶりだけれど、ポケットがいっぱいついていて、機能的なところが気に入っている。
あまり飾りのついていないところもいい。
もっと下へ視線を向けると、つま先が見える。
バッグと同じ茶色の靴。

じっと見ていると、ふいに頭の上から声がした。
「おまたせ。 時間より早くからいるなんて、あんたって、相変わらず真面目だね。」
聞き慣れた声。
全く気配に気づかなかったロザリアは驚いて顔を上げた。
ロザリアを見下ろす、ダークブルーの瞳。
けれど、彼の顔はいつもと全く違っていた。


「あなた…。オリヴィエですの?」
目を丸くしているロザリアに、オリヴィエはくすくすと笑みをこぼした。
「そうじゃなきゃ誰だって言うの? まさか、女王陛下だとでも?」
からかうような言葉は、たしかにいつものオリヴィエだ。
「だって、え? あなた、どうして…?」
驚きすぎて言葉が出ないロザリアに、とうとうオリヴィエは身体を曲げて笑い始めた。
くつくつと揺れる背中が、憎らしい。

「そんな驚かないでよ。 なにさ、 もっと奇抜なカッコしてたほうが、私らしいっていうの?」
その通りだ。
まだ雑誌の通りの派手な格好の方が、よほど彼だと信じられる。
だって、今日のオリヴィエときたら。
わずかに胸をはだけた白いシルクのシャツに、シンプルなタイトのグレーのパンツ。
上から羽織るローゲージのロングニットは確かにおしゃれだけれど、いたって地味なアイボリーだ。
レースも派手なアクセサリーも、なにもない。
それどころかメイクすらしていないのだ。
あまりにも違いすぎて、二度見しても、一瞬彼だと信じられなかった。

そして、大きな驚きのあとは、どこかがっかりした気持ちが残る。
オリヴィエはとても個性的なオシャレを楽しむ人だ。
その彼がオシャレしていないということは、多分、そういうこと。
悩んで、迷って、散々考えた自分が、まるでバカみたいに思えてきて、ロザリアはぎゅっとバッグの取っ手を握りしめた。


「ね、今日のあんた、すっごく可愛いね。」
黙り込んだロザリアを気遣ったのか、オリヴィエが話しかけて来た。
彼はネイルのない細い指で風で舞いあげるロザリアの髪に触れる。
シンプルなブレスレットが目に入って、ロザリアは顔をそむけた。

「ええ、とっても悩みましたわ。 あなたから誘っていただいてからずっと、毎日毎日、そのことばかり考えて。
 アンジェリークに相談して、一度は、あなたに合わせようともしていましたの。
 フリフリなミニのワンピースですのよ。
 でもそうしなくて本当によかったですわ。 だって、あなたは全然オシャレをしてこなかったんですもの。
 わたくしだけが目立って、大恥をかくところでしたわ。」

あんな恰好をしなくて、本当によかった。
そう思ったのに、胸が苦しくなる。

「私のために、悩んでくれたの?」
「ええ、そうですわ。 あなたのことで頭がいっぱいで、ずっと考えていましたわ。」
「…そんなに?」
「そんなにですわ! オシャレなあなたに少しでも釣り合いたい、って…。」

髪に触れていたオリヴィエの手が離れていった。
理不尽なことを言っていることは、ロザリアにもよくわかっている。
オリヴィエから考えてほしいと頼まれたわけでもなく、勝手にしていたことなのだから。
重たい沈黙にロザリアはますますうつむいた。
できたら今すぐここから消えてしまいたい。

「私ってさ、いつもあんな派手な格好ばっかりしてるって思われてる?」
「え?」
溜息といっしょに吐き出されたオリヴィエの言葉に、ロザリアは思わず目線を上げた。
ロザリアを見下ろしている彼の瞳は、少し困ったようでいて、どこか楽しげだ。
「そりゃ、オシャレは大好きだし、ファッションは自分にとって欠かせないもんだって思ってるよ。
 だけど、家にいる時まで、あんなひらひらした格好してるわけじゃない。
 くつろいだり、飾ったりしたくないって思うときだってあるんだ。」
わかる? とでも言いたげに、オリヴィエは唇の両端を軽く上げるだけの笑みをくれた。

「あんたはどうして、今日、その服を選んだの? ミニのフリフリワンピースじゃなくてさ。」
「それは…。」

ロザリアは自分の服を改めて見直した。
ブラウンのざっくりしたニットにキャラメル色のフレアスカート。
スカート丈こそ短いものの、いつも通りの服だ。
清楚で上品には見えるけれど、決して冒険のない、無難なオシャレ。
もちろん今日下ろしたばかりの新しい服だし、流行の大きなリボンのついた靴も履いている。
けれど、それはアンジェリークと大騒ぎをして決めた、あのコーディネートとは全く違っていた。

「あなたの前では、自分らしいわたくしでいたい、と思いましたの。」

昨夜、見た夢。
オリヴィエはいつでも、ロザリアにそのままでいていいと、教えてくれていた。
だから、無理をしたオシャレではない、そのままのロザリアを、オリヴィエに見てもらいたくなったのだ。
平凡でつまらなくても、それがロザリアなのだから。

「私も同じだよ。 派手でもなくて、メイクもしてない。 コレが素のままの私。 …あんたに見せたかった私なんだ。」

オシャレを『していない』んじゃなくて、『しなかった』。
もしかして、オリヴィエもロザリアと同じように、今日のことをたくさん考えてくれたのかもしれない。
そして、やはり同じように感じてくれたのだ。
ありのままの自分を見せたい、と。

オリヴィエのダークブルーの瞳がロザリアを優しく見つめている。
彼はいつもこんな瞳でロザリアを見ていてくれたのだ。
とくん、と、小さくロザリアの胸が疼く。
初めて感じたそれは、かすかな痛みにも似ていて、言葉が出ない。
混乱と期待。そして自覚する新しい想い。
ロザリアはぐるぐると回りだした感情に振り回され始めていた。



「あの…。」
おそるおそる、といった雰囲気で背後からかけられた声に、オリヴィエが振り返ると、そこには見知らぬ女性が立っていた。
手には少しゴツメのカメラ。 動きやすさを重視したボーイッシュなファッション。
いかにも、といった雰囲気のある女性だ。
オリヴィエに営業向けの笑顔を浮かべた女性は、胸ポケットから名刺を取り出すと、カメラを抱えて見せた。
「私、こういうモノなんですけれど。」
差し出された名刺に書かれていたのは、オリヴィエの予想通り、雑誌のカメラマンという肩書き。
控え目にかけられた声に、ロザリアは気がついていないようだ。
もっとも、自分の世界でなにやら頭を抱えている様子のロザリアには、今の周囲の様子は全く耳に入らないだろうが。
じっとうつむいたまま、顔を赤くしたり青くしたりしているロザリアを横目に、オリヴィエは女性に向き直った。

「とてもお似合いのお二人に、ぜひ、ウチの雑誌のページを飾っていただきたいんです。」
またも予想通りの言葉にオリヴィエは苦笑した。
先日も同じようにセレスティアで声をかけられたのだ。
あの時は一人だったし、かなり目立つ格好をしていたこともあって、ノリノリで快諾したのだが。
「女性向けのファッション誌なのですが、この『街のベストカップル』というページなんです。
 編集に関わっている自分が言うのもなんですけれど、とてもおしゃれで素敵な雑誌ですよ。」
その雑誌はオリヴィエも知っているし、実際にそのページを目にしたこともある。
幸せそうなカップルが、お互いのファッションのポイントや、ちょっとしたのろけ話などを語る、名物コーナー。
女性は、オリヴィエとロザリアの二人を見て、絶対に撮りたい、と思った、と熱く語っている。
オリヴィエにも彼女の気持ちはありがたい。
けれど。
ちらりとロザリアを見たオリヴィエは、彼女がまだこちらに気が付いていないことを確認すると、女性に向かって耳打ちした。

「あと1時間、待ってくれない?」
「はい?! 1時間ですか?!」
「実は、彼女のコーディネートはまだ完璧じゃないんだ。
 今から、私がイヤリングをプレゼントして、それをつけてもらって完成するってわけ。」

あのイヤリングを見たロザリアは、きっと欲しいと思うはずだ。
オリヴィエは初めからあのイヤリングをプレゼントするつもりだった。
少し遅れたけれど、ホワイトデーのプレゼント、といえば、彼女も拒む理由がないから、素直に受け取ってくれるだろう。
イヤリングをつければ、本当に今日のロザリアのコーディネートは完璧になる。
清楚で可憐。
ロザリアの持つ魅力は、地味でつまらないと評する彼女自身の見解とは少し違っている。
それに、そんな彼女を花開かせることができるというのも、オリヴィエにとってはとても楽しみな事なのだ。

「1時間後、絶対に戻ってくるからさ。 その時にお願い。」

オリヴィエはカメラマンの女性に小さくウインクをすると、まだ考えこんでいるロザリアの肩に手を置いた。
ビックリしたようなロザリアの頬が、あっという間に真っ赤に染まっていくのが面白い。
彼女の頭の中は、今、一体どうなっているのだろう。
けれど、決してオリヴィエにとって悪い方向でないことは確かだ。
一時間後に、撮影を伸ばしたのは、イヤリングのせいだけではない。
その時にはきっと、恋人同士になれているはず。
ベストカップルにふさわしい二人に。

「さ、行こうか。 イヤリングも待ってることだしね。」
「え、ええ…。」
さりげなく手が触れただけで、ロザリアの身体が異様に硬くなる。
今までだって、これくらいの接触は何度もあったのだ。
髪をセットしたりメイクをした時は、もっと近いことも普通だったのに。
彼女の変化が楽しくて、オリヴィエは彼女を抱えあげて、走り出したいような気分になった。
もちろん、本当にそんなことをしたら、ロザリアは怒るどころか気絶するかもしれない。
それはそれで楽しいけれど、とりあえずはこのままでいよう、と、オリヴィエは隣にいる彼女に向かって微笑んだ。
今日はもっともっと、素敵な日になる予感がするのだから。



そして、数週間後。
「うっそー! やだ! ちょっと、コレ、信じらんない!」
いつも通りの午後。
ロザリアに隠れて執務をサボり、ファッション誌をぺらぺらとめくっていたアンジェリークは、雑誌の中に二人の写真を見つけた。
『街で見かけたベストカップル!』
オリヴィエとロザリアが当たり前のように手をつないで、ごく普通のカップルとして映っている。
もちろんビックリするほど美男美女の組み合わせで、紙面越しでも眩しく見えるが、ファッションとしては、本当に平凡だ。
もっとも、ある意味オリヴィエにとってみれば、このほうが非凡なのかもしれないけれど。

いつも通りの清楚で可憐なロザリアと、シンプルだけどセンスのいいオリヴィエ。
まじまじとそのページを眺めていたアンジェリークは大きくため息をつくと、拳を握った。

「やっぱり女子はモテ系が一番よね!」

その後、アンジェリークのクローゼットはすっかりピンク色に入れ替わっていたのだった。


FIN
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