その時が来るまでは

甘いにおいが立ち込めて来て、お茶の時間が近付いていることを教えてくれる。
「ねぇ、きょうのお菓子は何だと思う?」 
オリヴィエは向かい側に座るオスカーに声をかけた。
オスカーは目の前のチェス盤に視線を落したまま、気のない返事をする。
「そうだな。先週は栗のタルトだったし、そろそろリンゴかな?」
「う~ん。それじゃ、アップルパイかな?」
オリヴィエは手の中のナイトを転がしながら、においを確かめる。
かすかにリンゴの匂いが混じりだした。

「いや、タルトタタンだと思うぜ。」 
ようやく視線を上げて、にやりと口端を上げたオスカーの自信ありげな態度にオリヴィエはカチンとくる。
「何でそう思うわけ?」
「簡単さ。俺が好きだからだ。」
オスカーはクイーンをつまむと思いがけないマスにそれを下ろした。
あっという間もなく逆転した形勢に、今度はオリヴィエがチェス盤を凝視する羽目になってしまった。
とたんに甘いカラメルの匂いがし出して、ロザリアが奥から顔を出した。

「どちらが優勢ですの? お菓子もできましたし、そろそろ勝敗をつけていただきたいんですけど。」
美しい細工の銀のトレーに載せられた皿には、うまい具合に焦げ目のついたタルトタタンが乗せられている。
オスカーの(当たりだろう?)という視線がオリヴィエに向けられた。
「オスカー、ご希望のタルトタタンですわよ。
 初めて焼いたのでお味の補償はできませんけれど、昨日の御礼になりますかしら?」
ロザリアの言葉に、オリヴィエがオスカーを軽く睨む。
答えがわかっていたのか、と言いたげなオリヴィエの視線にオスカーは肩をすくめた。
「俺はパイよりこっちが好きなんだ。」 
オスカーがチェス盤を指差してオリヴィエに早くしろと合図を送る。
ロザリアのお菓子が食べたいらしい。
オリヴィエが降参だ、とキングを差し出すのを見て、ロザリアはお茶を取りに再び奥へと戻って行く。

いつの間にか土の曜日の恒例になっている午後のお茶会は、美しい補佐官と二人のナイトによって開かれていた。
消えて行く後ろ姿を見送って、オリヴィエがふたたび口を開いた。
「じゃあさ、今度はどれくらい続くと思う?」 
その言葉にオスカーはチェス盤のコマを戻しながら答える。
「そうだな、3か月、にしておこうか。」
「へえ~、結構長いね。」 
オリヴィエも同じようにコマを戻していく。
「ヤツは我慢強そうだからな。気合いが足りないともいうが。」
「たしかにそうかもね。」 

二人の視線があって、同時に笑いだしたとき、ロザリアがお茶を持って戻ってきた。
「何のお話ですの?ずいぶん楽しそうですこと。」
オスカーの前にカプチーノを、オリヴィエと自分の前にはハーブティを置いて、二人の間に座った。
綺麗に並べられたチェス盤を見て微笑んだロザリアはケーキナイフで器用にお菓子を切り分ける。
「で、昨日の御礼っていうのは何なの?」 
探るようなオリヴィエの言葉にオスカーは苦笑した。
フォークでお菓子を口に運ぶと、甘いリンゴとほろ苦いキャラメルが溶け合ってそこらへんのショップよりずっとおいしい。
オリヴィエがロザリアにウインクすると、ロザリアは少し照れたようにはにかんで微笑み返した。

「ああ、昨日ロザリアがたくさんのリンゴを抱えていたんでな。運ぶのを手伝った御礼に今日のリクエストをしたっていうわけさ。」
「なーんだ。そんなことなの。」
たわいもない会話とおいしいおやつ。そして何よりロザリアの笑顔。
その優しい時間を破るようにピピピ、っとロザリアの電話が鳴った。

「ごめんなさいね。」 
二人に断って電話に出るために立ちあがって歩いた。
「ええ、明日ですの?かまいませんわ。ええ、では、10時に。」 
輝いた瞳に喜びがにじんでいる。
オスカーとオリヴィエは黙って顔を見合わせた。
ヤツに違いない。
戻ってきたロザリアは申し訳なさそうにオリヴィエに言った。
「明日の朝は時間がありまして?急にお誘いがあったの。できたらまたお願いしたいのですけど。」
すでにお菓子を食べ終えたオリヴィエはハーブティに口をつけながら頷いた。
「明日はどこへ行くんだ?」 
オスカーの問いかけに
「美術館ですわ。期間限定の展示を忘れていたのですって。もう、急で困りますわ。」
と全く困ってなさそうに答える。

恋する乙女は美しいというが、本当に補佐官になってからロザリアは綺麗になり、たくさんの男どもがアタックしてきた。
そして、あまり恋愛にさとくないロザリアは断ることを知らないのか、フリーのときは必ずOKしている。
「なんで付き合うの?」
とオリヴィエが聞いても
「好きになってくださったんですもの。よく知らずにお断りすることはできませんわ。」
いちいち気まじめなのだ。
実際、麗しの補佐官にアタックしてくる男はかなりのレベルではあった。
しかしなぜか、どの彼も長くて3カ月、というのが今や聖地七不思議のひとつと言われていることを当のロザリアだけが気づいていなかった。


「はい、できたよ。」
オリヴィエの前でロザリアはかわいい女の子に変わる。
才色兼備の補佐官姿ももちろん美しいが、年相応の美少女に戻ったロザリアは本当にかわいいとしか言えない。
ふわりとひざ丈のワンピースにボレロをはおったところは一見補佐官とはわからないだろう。
シャドウをつけるために目を閉じた顔はオリヴィエをいつもドキリとさせた。

ロザリアは立ち上がると小さなバックを手に嬉しそうに出かけて行く。
その後ろ姿を見送ると、オリヴィエはため息をついた。
「オスカー、いっつも言ってるけど、気配を殺してのぞくのやめてくれない?」
その声に隣の部屋のドアが音もなく開いて、オスカーが現れた。
「別にいいだろう。お前に迷惑かけてるわけじゃない。」 
ドカッとソファに座ると、オリヴィエの許可もなく使用人を呼ぶベルを鳴らした。
「飲み物を。コーヒーでいい。」 「私は紅茶ね。」 
オスカーと向かい合って、腰を下ろす。
「美術館なんて、そんなところに行ってどうするんだ。」 
つまらなそうに言うオスカーに苦笑した。
「じゃあ、あんたが好きなイケナイところに行っていいわけ?」 
「いいわけないだろ!」 
目の色を変えて即答したオスカーはとても聖地一のプレイボーイとは思えない。
まったくお互いに彼女のことになるととても冷静ではいられないのだ。

運ばれてきた飲み物を飲み干すと、オスカーが立ちあがる。
「行くぞ。」 
どこへ、なんて聞かなくてもわかっている。
もしオスカーが行かなくても自分はきっと行くだろう。
オスカーはジャケットを手に取ると、さっさと前へ歩きだした。
すぐにオリヴィエもそのあとを早足で付いて行った。


天気のいい午後と言うのはどうも眠たくなる。
オスカーはまじめに執務に取り組んでいたが、こう書類ばかり多くてはやっていられない、とばかりに机に足を乗せた。
その途端に独特の正確なリズムでノックが聞こえた。
ふっと微笑んで座り直すと、中へ入るように言った。
補佐官姿のロザリアが現れて、オスカーを見る。
青い瞳がきらりと自分を映すこの瞬間がオスカーはとても好きだ。

「どうした? 俺に会いに来てくれたのか? うれしいぜ。」 
冗談と少しの本気。
たくさんの男と付き合ってもロザリアの鈍さは全く変わらない。
「ええ、あの、明日の土の曜日なんですけれど、用事が出来ましたの。お茶会はまた後日でお願いしますわ。」
目が泳いでいる。
オスカーはロザリアの隣に立つと、そっと手をとった。
「どんな用事なのかは教えてくれないのか? 俺が君との時間をどれくらい大切にしているか、わかっているだろう?」
手に口づけしようというオスカーをロザリアはついうっとりと見つめてしまった。
アイスブルーの瞳は冷たい色なのに、なぜだかとても熱く見える。
「あのね。私もいるんだけど。」
その声でロザリアははっと我に返ると、そういえば途中で一緒になったんでしたわ、と恥ずかしくなってしまう。
ドアにもたれて立っているオリヴィエはなんだか憮然としているように見えた。

「ああ、見えてたぜ。べつにお前がいても俺は全然気にしないさ。」 
しれっと答えるオスカーを無視して、ロザリアに近づいた。
同じように手を取って、ロザリアを見つめる。
ダークブルーの瞳も吸い込まれそうに暖かい。
「デートなんだよね? ロザリア。」 
予想通りの展開にオスカーは両手を上げた。
わざとらしく 「それは残念だな。デートならば仕方がない。来週は行ってもいいだろう?」 と寂しげな瞳を見せた。
オスカーの視線に少し頬を染めると、「来週はあけておきますわ。」 とロザリアは部屋を出て行った。
嬉しそうな足音がオスカーは気に入らない。

「2ヶ月半だね。」 
オリヴィエが自分の金の髪をくるくると指に巻きつけながら言った。
「まあ、来週からはしばらくゆっくりできそうだ。」 
意味ありげにオリヴィエを見ると、オスカーは楽しそうにくくくっと体を折り曲げて笑った。


「どうなさいましたの?少し休んだほうがいいかしら?」
急にお腹が痛いと言ってうずくまった男をロザリアは心配そうに見つめた。
男の背中をさすってみても、立ち上がれそうもないほど苦しそうだ。
さっきまでいたライブハウスは古いけれど格式あるジャズを聴かせるハウスで、演奏も素晴らしかった。
普段クラシックしか聴かないロザリアもその哀愁のあるリズムとメロディーにいたく感激してしまい、隣にいた男のことをしばしば忘れて食事もろくにのどを通らなかった。
外に出て、飲み直そうという言葉に頷いてついてきたものの、路地をまがった先は、けばけばしいネオンとひっそりとした雰囲気のある通りで、少し心細いと思ったところだった。

「さっきの通りなら薬を売っていたかもしれませんわ。少しお待ちになって。」
ロザリアは立ち上がって走り出すとさっき見かけたドラッグストアに向かった。
閉まっていたら叩き起こしてでも薬を出してもらうつもりだった。
ロザリアの姿が見えなくなると、男は近くの縁石に座って財布の中身を確かめた。
まだ十分に残っている。
きっとロザリアはこのネオンサインが何かも知らないだろう。
戻ってきたら、薬を飲むためにここへ入ろうといえばきっとついてくるに違いない。
くわえた煙草に火をつけようとして、目の前に人影が現れたことに気づく。
男はそれを無視して火を取りだした。

「ずいぶん古典的な手だねぇ。」 
男にしては綺麗な細い指が煙草を取り上げる。
「今時そんな手に引っ掛かるのなんて、ホント、ロザリアくらいだと思うよ。」 
見上げると、月明かりにかがやく金の髪が目に入った。
「まったくだ。女性を誘うときはもう少しスマートに行かないとな。
 俺みたいに、は無理としてももう少しくらいなんとかできると思うが。」
さらに長い影が並んで、男はぎょっと立ち上がった。
頭一つ違う長身の男二人が自分を囲むようにして立っている。
燃えるような赤い髪はいくら月明かりしかない時間でも隠しようがない。

「オスカー様ですか? なぜ、こんなところに?」
だから隠せって言ったでしょ!と金の髪の男がオスカーにひじ打ちするのが見えた。
男は最初の驚きから立ち直ると、こんな場所で守護聖がうろついていることに興味を持ったようだ。
まさか女性と一緒なのか?と背後を確認する。
「んふふ。残念でした。私たち二人だよーん。」 
金の髪の男がオリヴィエであるとようやく気付いた男はじりっと後ろに下がって、建物の壁に張り付いた。
「おい、おまえ。」 
オスカーは人差し指で男の胸をついた。軽い力でもよろめくような迫力だ。

「俺達のレディに手を出すっていうんなら、まずは男を見せてみろよ。」
「どっちから先に行く?」 
オスカーと喧嘩をするなんて絶対に無理だ。
その隣で腕を組んで立っているオリヴィエは華奢で力も弱そうにみえる。
ここまで来て何もしないで帰るのはあまりにももったいない。
ロザリアが戻ってくるまで時間を稼げばなんとかなるかもしれないと、男の中で計算がよぎった。
オリヴィエを見た男の気配を察したのか、オスカーが面白そうに言った。

「言っておくが、こいつは一見弱そうだが、なかなかひどいぞ。この前は相手の足を折ったからな。」
その言葉にオリヴィエのほうを向きかけた男がオスカーに向き直る。
「あれは違うでしょ! あんたが肩に腕をまわしたのがムカつくって言って、腕を折ろうとしたから、腕よりはって、足にしてあげたんじゃないか。
親切だよ!腕は困るんだから! あんただって、その前は鼻折ったじゃないか!」 
「あれだって、不可抗力だろう?キスしようなんて言うからついカッとなってだな。」
「あんたのほうがひどい! その前だって肩はずした!」
「あいつは抱きしめたりしたから、そういうことができないようにしただけだ。お前だってやれって言っただろ!」
「だいたいあんたはその前だって顔はやめろって言ったのに眼鏡まで割っちゃって、かわいそうだったじゃないか!」
「眼鏡くらいなんだ。おまえなんかズボンを脱がして外に放り出したくせに!」
いったいこの人たちは何を言っているんだろう? 
男はロザリアの元彼たちが次々とケガをしていたことを思い出した。
このままでは何かひどい目にあわされる。
言い争う二人からこそこそっと逃げ出すと、一目散に走って消えて行ったのだった。

「なんだ、今回の男は根性がないな。」 
オスカーが残念そうに舌打ちした。
「だよね~。この前の男はさ、私に向かってきたもんねぇ。」 
オリヴィエも頭を振った。
「あんたが足を折ったなんて言うから。」
「ほんとだろ。」「あのねぇ。」

カツカツと急いだ足音が聞こえて、二人は黙った。
どぎついピンクのネオンの明かりに不思議そうな顔をしたロザリアが現れる。
「オスカー?オリヴィエも? こんなところでどうなさったの?」
目をぱちくりとさせて、小首を傾げたロザリアは今まで走ってきたという様子で息を乱して二人に問いかけた。
腕にしっかりと抱えた紙袋はたくさんのものが入っていそうだ。
「君こそどうしたんだ。こんなところで。あまりいい場所とは言えないぜ。」 
オスカーがロザリアの荷物を持ち上げて尋ねる。
見事にしらばっくれるその様子にオリヴィエは舌をまいた。
「あの、ここに男の人がいませんでした?お腹が痛いと言って休んでいたはずなんですけれど。」
「ああ、そいつなら治ったみたいで、急に走って行ったぜ。君の知り合いか?」 
オスカーは親指で通りを指差すと、ロザリアを見つめた。
こういうときのオスカーの瞳はいつも優しい。
ロザリアはその言葉の意味を考えた。
オスカーが優しいのも無理はない。

「わたくし、置いていかれてしまいましたのね・・・。」
さっきまではとてもいい雰囲気だったのに。
しょんぼりしてしまったロザリアの髪をオリヴィエは優しくなでた。
「ね、3人で何か食べようよ。私、いいところ知ってるんだ。」 
オリヴィエの手の中でロザリアの髪はさらさらと滑り落ちた。
オスカーがロザリアの手をとる。
「よし、お前のおごりなら俺も行ってやる。行こう、ロザリア。」
オリヴィエはさっさと歩きだしたオスカーを追いかけて、ロザリアのもう片方の手を取る。

「あんたには、私達がいるじゃない?そんなに落ち込まないでよ。」 
ね、とオリヴィエはロザリアの手を軽く握った。
オスカーの眉がぴくりと上がり、ロザリアは少し悲しそうに眉を寄せたが、両手から伝わる二人のぬくもりにすぐに笑顔になる。
「わたくしったら両手に花、ですわね?」
嬉しそうに言うロザリアに二人はその頭の上でにやりと笑いあった。

いつかはどちらかを選ぶ日が来るだろう。
たとえそれが自分たちではなくても、その日まではこうして3人でいたい。
オスカーは見上げた月に、「不実なお前に俺の気持ちは分からないだろうがな。」 とつぶやいた。
その言葉が気に入らないのか、月はいつまでも3人を追いかけるようについてくるのだった。


FIN
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