In the rain…

現女王の勅命で今の聖地には四季がある。
それまで聖地は常春だった。同じような気温と小さな天候の変化。
つまらないと言いだした女王を説得することをしなかったのは、とくに理由がなかったからという以外にない。
そして今はいわゆる夏だ。
うっとおしいほど近くに感じる太陽が、今日も光線のような陽ざしを浴びせてきて、木陰に設けられたテラスであっても、じっとしているだけで汗が滲んでしまう。
土の曜日という気安さからか、ロザリアのお茶会に集まっているメンバーはほとんどが私服で来ていた。
単に執務服では暑すぎると言うこともあるだろう。
ジュリアスは長いマントを手繰り寄せると、背筋を伸ばして席についた。
首まで覆う長袖の執務服が暑くないはずはないが、首座の守護聖としてだらしない服装で皆の前に現れることは考えられない。
額にじんわりと汗がにじんだ。

「ジュリアスはどちらになさる?」
銀のワゴンを押したロザリアが近付いてきた。
彼女も今日は補佐官服を着ていない。薄手の白いワンピースが風が吹くたびに帆船の帆のように空気を含んで揺れている。
細いストラップ以外はむき出しになった肩も涼しげだ。
ジュリアスはワゴンの中をのぞいた。
ロザリアお気に入りの白磁のティーポット。そして水滴のたくさんついたピッチャー。
2つが並んでいた。
「ごめんなさい。今日は陛下のリクエストでコーラなんですの。」
申し訳なさそうに言うと、ロザリアはグラスを取りだした。
この暑さなのだ。おそらく冷たい飲み物を選ぶだろう、と自然に身体が動いたようだ。
しかしその動きを遮るように、「私はこちらをもらおう。」と、ジュリアスはポットを指差した。
「こちらは熱いままですのよ?」
「ああ。構わぬ。」
ロザリアが少し嬉しそうな顔をした気がして、ジュリアスは目をそらした。
彼女が炭酸飲料を好まないことはよく知っている。
そしてアイスティーよりも暖かいままの紅茶を好むことも。
けれどなぜ紅茶にしたのかといえば、首座の守護聖にはコーラはふさわしくないと思うからだ。
それだけのことで、別に彼女のことは関係ない。
ロザリアの細い指がカップを置いた時、一瞬、周りの温度が上がったような気がしたが、それは紅茶の湯気のせいだと、なんとか自分を納得させた。

ジュリアスがカップに口をつけると、その熱さが唇を刺激した。
テーブルの一角で、年少組の3人がコーラを片手に騒いでいる。
女王やロザリアも混ざり、楽しそうな笑い声が聞こえてきた。
何を話しているのか、気になって仕方がないのに、ジュリアスは話に加わろうとは思わない。
楽しくないのではないか、とロザリアがこちらをちらちらと見ているのがわかる。
お茶会の主催者として、客が楽しんでいるかが気になるのだろう。
だがジュリアスは静かに紅茶を飲んでいた。
首座の守護聖は、そんなくだらない話には加わったりしないものだ。幼少のころからそう思って生きてきた。
『首座』であること。
それはすでに自分の一部になっている。

現女王を選出する女王試験の時、ジュリアスは首座として、二人の女王候補に平等に接しなければならないと考えていた。
そして実際に分け隔てなく、アドバイスをし、叱り、試験を進めることができた。
だがそれは、ジュリアスにとてつもない疲労感をもたらしたのだ。
『平等』にしなければならない『首座』の立場が、無性に腹立たしかった。
首座でなければ、彼女を、彼女だけを応援することができるのに、と心の奥で思っていたから。
けれど、それを認めることはできなかった。
認めてしまえば、『首座の守護聖』ではいられなくなる。
冷たいコーラより紅茶を選ぶことも、同じことだった。


お茶会が終わり、ジュリアスは研究院に向かった。
本当ならお茶を飲んでいる時間も惜しいくらい仕事がおしていて、考えただけで頭が痛くなる。
それでも自分の目の届かないところで、彼女が他の男と話しているのかと想像した時の頭痛よりはずっとましだった。
つまらなそうにお茶会に出席する自分を、きっと皆は義理がたいと思っていることだろう。
補佐官主催だから、仕方なく来ているのだ、と。
しばらく調べ物をした後、外に出ると、不思議な色が空を覆っていた。
空自体はどこまでも青いのに、まるでどぶ鼠のようにあわただしく灰色の雲が走っている。
なま暖かい空気が頬を撫でると、突然大粒の雨がこぼれ出した。
目を開けているのも苦しくなるような勢いに、ジュリアスは慌てて近くの大きな木の下に向かった。
木の下に雨はないけれど。
ジュリアスは雨の代わりにいた人影に思わず息を飲んだ。

「急に降って来ましたわね。夕立ち。」
主星では時々ありましたのよ?と、ロザリアは美しい笑顔を浮かべた。
青紫の髪に絡みつく銀の糸。
彼女が手を動かすたびに、銀の糸はほどけ、雫になって下へ滑り落ちた。
服の上についた雫の一粒一粒まで、銀の輝きになって彼女の周りを飾っている。
髪を滑る、細い綺麗な指。
その美しい動きに、ジュリアスは彼女を凝視していた。
「どうかなさいまして?」
見られていることに気づいたのか、ロザリアはほんのりと頬を染めた。

「夕立か。初めてだな。今までの聖地にはなかった。」
急に視線を外したことにロザリアは気付かなかったのか、「ええ。そうでしょうね。」と答えを返した。
それきり、とくに話すこともない。
ジュリアスは前を向いて、ただ雨の雫が落ちるのを眺めていた。
それほど広くない木の下で、ともすれば彼女の息遣いまで聞こえてきて、ジュリアスの鼓動が早くなる。
ちらりと隣を見れば、ロザリアもただ雨を眺めていた。

「早く止めばよいな。」
前を向いたまま、そう言った。
青い瞳がこちらを向いて、ジュリアスの言葉の続きを待っているように見える。
聞こえるのは葉を打つ雨の音だけ。
重い沈黙にロザリアがため息をこぼした。
「こうしているのが不愉快でいらっしゃるのね。…わたくし、先に参りますわ。」
雨の中に消えようとした白い手首をジュリアスは掴んだ。
驚いたように見開いた青い瞳を手繰り寄せる。
「不愉快などではない。夏とはいえ、濡れれば風邪をひく。」
思わず口調が強くなり、それが彼女に不信感を与えるのではないかと、ドキリとした。
ムキになる理由が、彼女にここにいてほしいからだと知られてしまうことが恐ろしい。
大人しく木陰に戻るロザリアからジュリアスはすぐに手を離した。
ほんの少し触れただけなのに、もっと触れたい、もっと触れられたい、と心の奥から声がする。
雨の重みに耐えかねた木が葉を震わせて雫を落とすと、ロザリアの白いワンピースが水を吸い、重く身体に張り付いた。
艶めいた姿に身体がざわめく。
雨音は緩みながらもまだ消える気配がなかった。

「もし。」
ロザリアが口を開いた。
「もし、ここにいたのがアンジェリークでも同じように引き留めるのですか?」
陛下、と言わずに名前で呼んだのは、なぜだろう。
ジュリアスは水を吸って重いマントを持ち上げた。
「無論だ。女王陛下であれば、なおのこと風邪などひかれては困る。引き留めるのが最善であろう。
だが、補佐官であるそなたも同じだ。執務に支障が出ぬように配慮するのが私の責務だからな。」
首座の守護聖として、当然の答えをジュリアスは口にした。
まるで、本を読むようにすらすらと口から出てくる、言い訳。
「そうですわね。当然ですわ。」
いつも通りの会話にジュリアスはほっと胸を撫で下ろした。
執務のため、宇宙のため。
首座の守護聖であれば、最優先しなければならないことは決まっている。
携帯の音が鳴り、ロザリアはジュリアスに一礼すると、通話を始めた。
どうやら相手は女王らしい。彼女の気安い話し方で、プライベートな内容なのだと察して、わざと聞かないように意識をそらせた。
「わかったわ。待ってなさい。」
ロザリアは携帯をしまうと、空を眺めた。
灰色の空は早い雲の流れを携えている。
水たまりを跳ねる音がして、ジュリアスが顔を向けると、雨の中にロザリアが飛び出していた。

「待つのだ!」
伸ばした手が空を切り、ジュリアスは何もつかめないまま、声を上げた。
「夕立ならばあとわずかだ。なにも濡れることはないであろう。」
確かに次第に雨脚は弱まっている。
ロザリアは困ったような、悲しいような、この空の雲のような顔をしていた。
「陛下がカフェで待っているんですの。あの子のことだから、きっと雨の中でも平気で戻ってきてしまいますわ。…濡れてしまったら風邪をひきますもの。迎えに行ってあげなければ。」
「そなたが濡れてしまうではないか。」
雨は今も彼女の身体に降り続き、柔らかな銀の糸となって、全身にまとわりついている。
「いいんですの。わたくしよりも陛下の方が宇宙に欠かせない方ですわ。」
彼女の瞳がジュリアスに同意を求めている。

「ジュリアスは、わたくしよりもアンジェリークが、大切なのでしょう?」
この空と同じように重い色を湛えた青い瞳。
青紫の睫毛に乗る銀の粒は、雨とは違う儚い輝きを放っていた。

雨は全てを隠してしまう。
周囲の景色が煙っているせいで、ほんの少し向こうにある宮殿がぼんやりとしか見えない。
ここがどこで、自分が誰なのか。
今、目の前には彼女と、雨。
「行かずともよい。」
木陰から飛び出したジュリアスの頭上に雨が降り注ぐ。
すっかり濡れてしまったロザリアの頭をかばうように、腕の中に包み込んだ。
「いや、行ってはならぬ。首座ならば、陛下を最優先しなければならないのだろう。
だが、私は、ジュリアスは、そなたを濡らしたくはない。去ってほしくない。それが本心なのだ。」

雨の音が聞こえなくなったのは、いつの間にか止んでいたせい。
それと入れ替わるように、鼓動の音があふれるほど大きくなっていく。
まだ湿気をはらんだままの風が二人の周りを通り抜け、服の裾を揺らすと、雨上がりの匂いが鼻先をかすめた。
揺れた葉から銀の粒が次々とこぼれおちては地面にぶつかり、はじけ飛ぶ。

「もうしばらく、こうしていてくれぬか…?」
濡れた体を早く乾かさなければ、本当に風邪をひくかもしれない。
『首座』の自分が、心の中で言っている。それを無視して、ジュリアスは動かなかった。
ロザリアの携帯も何度も呼び出しを告げては切れて、を繰り返し、やがて諦めたように沈黙した。
雲がはれ、オレンジ色の日差しが再び空から降り注ぐ。
夏の雨は暖かい。
初めて知ったそのぬくもりを確かめるように、ジュリアスはもう一度、彼女を抱く腕に力を込めた。


FIN
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