Happinessの分配

いつも通りの聖地の午後。

片付けても片づけても減らないように思える書類の山に、一つ一つサインをしていたアンジェリークは大きくため息をついた。
「ねえー、ロザリア。ちょっと休まない?」
時計を見れば、ちょうどおやつの時間だ。
もう限界、とばかりに上目づかいで向かいにいるロザリアを見つめ、アンジェリークは、ばたりと机に顔を伏せた。
こうなったらアンジェリークは梃子でも動かない。
「もう、仕方のない女王陛下だこと。」
ため息は移る、という言葉を思い出して、補佐官ロザリアは出かかったため息を飲み込んだ。

確かに今日は朝からずっと書類とにらめっこだった。
昼食もココまで運ばせて二人で摂ったのだから、文字通りの缶詰め状態。
アンジェリークが飽き飽きするのも無理はないだろう。
けれど。
「あと少し、がんばりましょう。」
「えーっ!」
アンジェリークが唇を尖らせながら、突っ伏していた顔を盛大に上げたところで、ドアが鳴った。

同時に勢いよく飛び込んでくる空色の瞳。
「あのさ、一緒にカフェにでも行かないかい?そろそろ休憩だろ?」
白馬の騎士のように現れたランディに、アンジェリークが目を輝かせる。
そのタイミングの良さに、ロザリアはくすりと笑みをこぼした。
本当にこの二人は、波長が合っている。
いつも一緒にいて、悪く言えばイチャイチャしているのに、二人を見ていても不快な感じはまったくしない。
むしろ二人が一緒にいるのが自然な気さえするのだ。
幸せが移る、という話は聞かないが、見ていると、こっちまで幸せな気持ちになってくるのだから、ある意味、移っているのかもしれない。

「大丈夫かい?疲れた顔してるね。」
ランディがアンジェリークを覗きこむように見つめている。
アンジェリークは恥ずかしそうに頬を赤らめると、こくんと頷いた。
甘えた様子がとても可愛らしくて、ロザリアまで頬が赤くなってしまう。
「俺がおぶって連れてってやるよ!」
「えっ?!」
本当に背中を向けて膝まずいたランディに、ロザリアは目を丸くした。
もしかしてアンジェリークなら乗るかもしれない。
さすがにそれは注意しなければ女王としての威厳が・・・と思っていたが。

「大丈夫!…ね、行ってもいいよね? ロザリア!」
天使のような笑顔で見つめられて、断れるわけもない。
仕方なくロザリアが頷くと、二人は手をつないで、部屋を出ていった。
スキップするような足取り。
おそらくしばらくは戻らないだろう。

一人残されたロザリアは、一番上に積んであった書類を手にとってため息をついた。
すでに補佐官の印は押されていて、後は女王の決済を待つだけ。
さっきまではまだまだ頑張れそうな気がしていたのに、特にやることがないと思うと、急に喉が渇いた気がする。
ロザリアは奥のミニキッチンに行き、ケトルを手に取った。
けれど、このまま一人でお茶をするのは、どうにも味気ない。
ロザリアは少し考えると、女王の間を出た。



ドアの前に立って深呼吸するのもいつものこと。
ロザリアはノックをすると、優雅な笑みを浮かべながら部屋を覗いた。
柔らかな午後の陽ざしを背に受けて、机に座り執務をしている姿。
金の長い髪が輝いて、まるで後光が射しているようだ。
ノックの音に顔を上げたジュリアスは、紺碧の瞳をロザリアに向けている。
「執務中にごめんなさい。」
ロザリアが手ぶらでやってきたことに気がついたジュリアスは、一瞬上げた顔を再び机の上の書類に戻した。
執務で来たのでなければ、用はないということなのだろうか。
ロザリアが黙ってその場に立っていると、ようやくジュリアスは執務の手を休め、顔を上げた。

「どうしたのだ。…なにか問題でもあったのか?」
「ええ。わたくしにとっては大問題ですわ。存亡にかかわる事態かもしれませんもの。」
「なに? 惑星に異変があったのか?」
ジュリアスは真剣なまなざしでロザリアを見つめている。
その瞳が真剣なほど、ロザリアにいら立ちの波がざわめいてきた。
『大問題』と言われて、なぜ、宇宙のことを最初に考えるのだろう。
もう少し、他のこと。たとえば恋人であるロザリアのことを考えてくれてもいいのに。

「あなたにとって、一番大切なものはなにかしら? 宇宙?女王?」
「突然何を言い出すのだ。」
「わたくし、喉が渇きましたの。 もう、お茶の時間でしょう?」
「お茶ならいつものように奥で淹れればよいではないか。」
「今日は朝から執務にかかりきりで、とても疲れましたわ。」

ジュリアスは眉を寄せている。
噛みあわない会話が彼をいら立たせているのだろうとロザリアは気づいていたが、そのままつんと顎を上げていた。
しばらくの沈黙。
「そなたらしくないぞ。私に言いたいことがあるならはっきりと言って欲しい。…できる限り改善するように努めよう。」
ロザリアがじっと見つめると、ジュリアスはますます眉を寄せている。
けれど、その紺碧の瞳がふと逸らされたことに気づいて、ロザリアは心の中で微笑んだ。
眉を寄せているのは、怒っているのではなくて、きっと。

「ランディが陛下をカフェに連れて行きましたの。」
「そうか。それで執務に支障が生じているというわけなのだな。私からランディにきつく申し渡しておこう。」
ジュリアスは、ようやく理解できた、と言わんばかりに、大きく頷いている。
「違いますわ。」
ロザリアは即座に否定した。
まったくこの人ときたら。呆れながらもイライラは落ち着いてきていた。
むしろなんだか、愉快な気持ちだ。
「ランディは陛下にとてもいい影響を与えていますもの。」
にっこりとほほ笑むロザリアに、ジュリアスは今度は困ったように眉を寄せている。
些細な変化だが、ロザリアにはその変化がよくわかった。

「…わたくしだって、誘われたりしてみたいんですのよ。」
お茶の時間にジュリアスの元を訪れるのは、もちろん楽しい。
ジュリアスの好みのエスプレッソの淹れ方だって、すっかり覚えている。
でも。

美しい青い瞳をジュリアスはポカンと見返した。
いつも凛として、恋人同士であっても節度を失わないロザリアからの初めてのお願い。
ジュリアスはこほんと咳払いをした。
「わかった。改善しよう。」



それから。
コンコンとドアを叩く規則正しいリズム。
アンジェリークは書類から顔を上げると、にっこりとほほ笑んだ。
「は~い、どうぞ!」
「うむ。執務も順調に進んでいるようで、なによりだ。」
ジュリアスは神妙に頷くと、ロザリアのほうをちらりと見た。
「時間があれば、お茶をともにせぬか?」
「やったー!」
なぜか大喜びのアンジェリーク。
さっきからそわそわと時計ばかり見て、全く集中力が途切れていたのだから、ジュリアスの言葉は渡りに船だろう。
すぐに書類をわきに押しやっている。
ロザリアは肩をすくめてみたものの、何も言わなかった。
実のところ、ロザリアもすっかり心が浮き立っているのだ。

「でも、ジュリアス、最近、毎日来るのね? どうしたの? ヒマなの?」
そんなことないはずだけどな~、と、目の前の書類の山にアンジェリークがため息をつく。
相変わらず片付く気配がない書類のほとんどは、ジュリアスから回ってきたものだ。
「ねえ、どうして?」
小首をかしげて見上げるアンジェリークにジュリアスはグッと喉を詰まらせる。
しばらく視線を泳がせた後、仏頂面のまま、ぽつりとこぼした。
「ヒマではない。忙しい。」
「ふーん。」
にやりとイヤな感じの笑みを浮かべたアンジェリークの背中を、ロザリアがそっとつつく。
「あまりいじめないでちょうだい。来なくなってしまいますわ。」
アンジェリークにだけ聞こえるように囁けば、アンジェリークがペロッと舌を出すのが見えた。
そして、再びドアを叩く音。

「やあ、アンジェ!…じゃなかった、陛下。」
ジロリとジュリアスに睨まれたランディはあわてて言いなおし、頭を掻いた。
「休憩だろ? 今日はさ、俺のところに来ないか?マルセルが焼いた美味しいパイをもらったんだ。」
「わ!行く行く!」
勢いよく席を立ったアンジェリークが、ランディと手をつないで部屋を出ていく。
仲睦まじい様子は相変わらずで、ロザリアも幸せな気持ちになった。

二人の背中を見送ったロザリアは、ジュリアスへ瞳を向ける。
「わたくしはカフェに行きたいですわ。」
「うむ。」
ジュリアスはいつも通りの真面目な顔で、先に立って歩き出した。
けれど、開いたままのドアを通ろうとして、ロザリアがまだその場に立ったままなことに気がつき、ふり向いた。
「どうした? 何かあるなら、申してみよ。」

本当にジュリアスは何も言わないとわからない人だ。
宇宙のことや、執務のことには、あんなに頭が回るのに、なぜ、と不思議にすら思うけれど。
「…ありがとう。わたくし、とても幸せですわ。」
きちんと伝えれば、必ず応えてくれるし、信頼を裏切ることがない。
綺麗な笑顔を浮かべたロザリアに、ジュリアスは照れたのか、ふいっと顔をそむけた。

「でも、もう一つ、お願いがあるのですけれど。」
まるでダンスの申し込みをする時のように、すっと伸ばされたロザリアの手をジュリアスが訝しげに見つめている。
「手を繋ぎたいのですわ。」
くすりと笑ったロザリア。
ジュリアスは難しい顔をしたまま、彼女の手をとると、再び前を向いてしまった。
しっかりと繋がれた手から伝わる熱。
先に立って歩く彼の背中しか見えないことが残念でたまらない。
けれどきっと、今のジュリアスの顔は予想通りのはずだ。
ロザリアは手に力を込めると、ジュリアスの隣に並べるように、足を速めたのだった。


FIN
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