all‐or‐nothing

―女王に、なれなかった

聖殿の廊下の一番奥が、補佐官室。
女王の補佐が仕事のはずなのに、なぜ、女王の間から一番遠くにあるのか、ロザリアには不思議でたまらない。
執務の時は女王の間に詰めることも多いから、それくらいは我慢しろ、ということなのかもしれないが、こんな時は少し面倒だと思ってしまう。
山積みの書類の束はずっしりと重く、ロザリアの腕にのしかかってくる。
朝一から、これでは、まるで修行だ。

長い廊下をゆっくり歩いていると、ふいに腕から重みが消えた。
驚いたロザリアが顔を上げれば、少し先で長い金髪が真っ白なトーガの背に揺れている。
「ジュリアス。」
思わず呼ぶと、その背中はくるりと振り向き、紺碧の瞳がまっすぐにロザリアを捕らえた。
「陛下のところに行くのであろう。」
「ええ。」
「同じ行く先だ。 そなた一人で運ぶよりは早い。」

言いながら、ジュリアスはすたすたと先に歩き、女王の間へと消えてしまう。
不器用な表現だが、彼の優しさなのだと思うと、ロザリアの胸がきゅんと震えた。
たとえ彼がどんな相手にでも同じことをするとしても、嬉しい。
腕に残った僅かな書類を持ち直したロザリアは、慌ててジュリアスの後を追った。


「おはようございます。 陛下。」
恭しく膝をつき、女王アンジェリークの手に唇を寄せる。
女王就任直後はあまりにも仰々しいその挨拶に、ロザリアもアンジェリークも若干引き気味だったが、これもジュリアスなりの敬愛の示し方なのだと納得することにした。
もうアンジェリークも慣れたモノで、
「はいはい、おはよう。 今日もよろしくね。」
と、あっさりと躱している。
ジュリアスは紺碧の瞳を柔らかく細めた後、今日の予定などを語り出した。

良く通る、涼やかな声。
自信に満ちあふれた話し方。
ジュリアスの声だけが響く、この時間は、ロザリアにとって、一日の楽しみでもある。
つい聞き入っていると、突然、アンジェリークがその声を遮った。

「あのね、明日なんだけど、ロザリアと出かけるから。
 その予定でよろしくね。」

なぜ、今、その話を?!
思わずロザリアの足が一歩前へと出てしまう。
事前にジュリアスに話しておこうという点で、アンジェリークと意見は一致していたけれど、もう少し、良いタイミングで切り出したかったのに。
案の定、ジュリアスは渋い顔になり、あからさまに眉を顰めている。

「外出、ですか。 いったい、どちらへ?」
「セレスティアまでよ。 どうしても自分で選びたいものがあって。」
「聖地で手に入らぬモノはないと存じますが。」
「そうなんだけど。
 やっぱりつけ心地とか雰囲気とか自分で確かめたいじゃない。 そういうのって、返品もしにくいし。」
「そういうもの?」

ジュリアスが首をかしげたのを見て、慌ててロザリアは二人の間に割って入った。
このままでは、ジュリアスに知られたくない乙女の事情まで語り出しかねない。
アンジェリークは全く悪気なく、気まずい空気を作り出す天才でもあるからだ。

「陛下にも自由な時間があってもよろしいでしょう。
 わたくしもご一緒しますから、どうか、お許しを。」
ロザリアが重ねて頼むと、ジュリアスはしばらく考えた後、ようやく渋々と頷いた。
「…陛下の望みであれば仕方がなかろう」
納得はしていなくても、結局、ジュリアスは女王の願いを否定することはできないのだ。
彼にとって女王は唯一無二の存在だから。


ジュリアスが退出し、ロザリアとアンジェリークは今日の執務に取り掛かった。
明日のためにも、今日できることは全て終わらせておきたい。
二人とも順調に執務をこなし、昼時に、ロザリアが一度補佐官室に戻ると、すぐにジュリアスがやって来た。
あまりにも予想通りすぎて、つい、ロザリアに笑みが浮かんでしまうと、ジュリアスは怪訝そうにしながらも
「明日のことだが」
と、これまた予想通りの言葉を告げる。

すかさず、
「陛下との外出でしょうか?
 本当にセレスティアでお店をいくつか回るだけですわ。
 大げさなものにしたくないですから、護衛などの心配は無用ですわよ」
セレスティアにはそれほど危険な場所は少ない。
もちろん、人間の暮らす場所だから、闇の部分が全く無い訳ではないが、大通りのウインドーショッピングくらいなら間違いはないはずだ。
ジュリアスもそれはわかっているのだろう。
ただ…女王が心配なのだ。

「しかし、万が一ということもある。」
「ええ、わかっておりますわ。
 その際は、わたくしが命に変えても陛下をお守り致します」
「…その言葉に違えはないな」
「はい」
補佐官であれば、その程度の使命感は当然のこと。

ジュリアスの紺碧の瞳がまっすぐにロザリアを射貫く。
彼の完璧な美貌とその鋭い視線に、普通の人間なら怯んでしまうかもしれない。
けれど、ロザリアは同じように真っ直ぐに見つめ返した。
ジュリアスを、怖いとは思わない。
今、感じる胸の痛みは、怖さとは全く違うものだ。
もっと心の奥のどろりとした底の部分。
どくどくと血が流れ出すような痛みは、補佐官になってからずっと休むことなく続いていて、乾く暇もない。

「そうか。 くれぐれも陛下の安全を最優先にするように」
ジュリアスは、再度確認するように、そう言うと、トーガの裾を翻した。
凜とした後ろ姿は、威厳に満ちあふれ、見慣れているはずなのに、目が離せなくなる。


自分が女王になると信じて疑わなかった女王候補時代。
育成の合間に、ジュリアスの女王に対する尊敬や敬愛を聴くことが心地よかった。
ロザリアの中に育っていったジュリアスへの特別な感情は、もちろん、尊敬や敬愛だけではなかったけれど、その深い思いが、いずれ自分へと向けられることになると思っていたからだ。
女王になれば、ジュリアスにとっての唯一無二の女性になれる。
あの瞳に映るただ一人の女性になれる。
それはとても甘美な想像で、ロザリアは女王試験に邁進した。
けれど、女王に選ばれたのはロザリアではなくアンジェリークで。
その瞬間、ロザリアはジュリアスにとって、ただの同僚の一人になった。
女王以外のその他大勢の一人に。



セレスティアは聖地と気候が似ている。
湿度を感じない優しい風がふわりとロザリアの巻き髪を揺らし、頬を掠めていく。
若干、強めの日差しも木々の緑をより眩しく感じさせるくらいで、むしろ清々しい。

「わ! これ可愛い~。」
お目当てのショップに入って、数十分。
アンジェリークは並べられた品物をアレコレ手に取り、鏡の前で自分の身体に当ててみたり、素材を確かめたりと大忙しだ。
少し前にオープンしたというランジェリーの専門店は、特有の華やかな雰囲気があり、オフボーカルのBGMも聞こえるか聞こえないくらいのボリュームで耳当たりが良い。
大きめのミラーやディスプレイも細部までオシャレで、レースの手触りやシルクの光沢を見ればわかるとおり、品揃えも質の良いモノばかり。
普段は頭のてっぺんからつま先まで、お取り寄せで完結せざる終えない聖地暮らしに特別な不満はないけれど、こういうショッピングの時間自体楽しいし、実のところ下着くらいは品物を確かめてから買いたい、というのが乙女心だ。
モノがモノだけに大きな声では言えないからこその、お忍びのお買い物。

アンジェリークがうろうろと動き回る様は、とても楽しそうで、ロザリアの気持ちも浮き立ってしまう。
考えてみれば、お出かけも久しぶりなのだ。
この後、行くカフェも決めてあるし、まだまだ他のショップもまわる予定だ。
いつも頑張っている自分たちへのちょっとしたご褒美と考えて、今日は一日、羽を伸ばして楽しむつもりでいる。

「どっちが良いと思う?」
ヒラヒラピンクとクールな白を交互に見せられて、ロザリアは顎に手を当てて考えた。
可愛らしいピンクはもちろんアンジェリークに似合っているが、どうせならいつもと違うデザインを買う方が良いような気もする。
「どっちも買っちゃう?」
「それがいいと思いますわ」
決めかねたロザリアに、アンジェリークは二つともカゴに入れ、さらに奥へと探索していく。
時々、ロザリアにもおすすめを押しつけてくるのだが、そのどれもが、セクシーなデザインばかりで閉口してしまった。

「ロザリアには絶対こういう方が似合うと思うわ!」
アンジェリークが身体に当ててきた、ど派手な赤のベビードールに、ロザリアはため息をつく。
「…あんたはわたくしをなんだと思っているの?!」
「え~、だって、せっかくのぼんきゅぼんを利用しないなんてもったいない…」
「もったいないってどういう意味かしら?!」
「赤も似合うと思うし~」
「そんな派手なもの、着られませんわ」
ぷいっとロザリアが顔を背けると、アンジェリークは残念そうに、ベビードールをハンガーに戻した。

それからもショップを何周もし、ようやくいくつかの品物に数を絞る。
「いっそ買い占めたいー!」
「買い占めたら、次に来る楽しみがなくなりますわよ。」
「う~、それもそうね」

ストライプのモダンなショッパーに品物を包んでもらい、二人は店を出た。
店の間接照明に慣れた目に明るい日差しがキツく、さすがに大通りはそれなりの人出で、騒々しさも一段と強い。
「次はどこだっけ?」
先に歩き出していたアンジェリークがロザリアを振り返った瞬間、さっと二人の間を人影が通り抜けた。
「あっ」
アンジェリークが大きな叫び声を上げ、人影の背中を指さす。
アンジェリークの手からは、あったはずのショッパーが消えていた。

「泥棒よ!」
理解の追いつかないロザリアを置いて、アンジェリークは猛然と走り出した。
「待って! いけませんわ!」
ロザリアが叫んでも、アンジェリークはまるで聴く耳を持たない。
人波を泳ぐように、遠ざかって行く影。
慌てて、ロザリアもその後を追うと、影は大通りを抜け、路地裏へと入り込んでいった。


大通りとはまるで違う印象の薄暗い小道。
ところどころ剥がれた舗装は、長い間そのまま放置されたように荒れていて、足を下ろした箇所から砂埃が立ってくる。
古びた周囲の建物は、涙で落ちたマスカラのように雨樋からの黒いシミが壁ににじんでいて、ぬるい風に混じる安い油の匂いに、胸がむかむかする。
路地の行き止まりで影がくるりと振り向き、ロザリアはハッと我に返った。
影の男はショッパーをぶら下げ、にやりと笑っている。

「返しなさい! それはあなたには必要のないものよ!」
アンジェリークは目の前の男にだけ集中していて、まるで周囲が見えていないようだ。
音もなく、忍び寄ったもう一人の男が、退路をふさぎ、袋小路に追い込まれていることにも気づかない。
誘い込まれた、と悟った刹那。
「アンジェ!」
ロザリアが伸ばした手は、あと一歩でアンジェリークに届かずに空を切る。
背中に硬い金属を感じて、ロザリアの体が固まった。

「早く、返しなさいよ!」
詰め寄るアンジェリークに、男はショッパーを投げ捨てた。
高く空を飛んだショッパーは、アンジェリークを飛び越え、その背後の地面に転がる。
ショッパーを目で追い、振り向いたアンジェリークは、ロザリアの姿を見て、声を失った。
ロザリアの背後に男がいて、冷たい切っ先を首筋に当てている。
「どういうつもり?!」
ショッパーを奪った男が、ゆっくりとアンジェリークに近づいてきた。

「ずいぶん羽振りが良さそうじゃん。 ちょっと俺たちにも融通してくれよ。」
どこかで聴いたような安台詞で、男はアンジェリークをなめ回すように見下ろしている。
「お金なら差し上げますわ!」
ロザリアが声を上げると、背後の男がいらだったように、切っ先に力を込めた。
ひやりとした感触にぞっと肌が粟立つ。
「差し上げますわ、だって。 偉そうにしてんじゃねーよ」

背中を強く突き飛ばされ、ロザリアはアンジェリークの足下へ転がった。
勢いよくついた膝のストッキングが破れ、じわりと血がにじむ。
ロザリアは弱みを見せまいとすぐに立ち上がったが、足首をひねったのか、ずきりと鈍い痛みが走った。
けれど、今はこの程度の痛みを気にしている場合ではない。
ロザリアはアンジェリークを背にかばい、二人の男に対峙した。

「お金、いっぱいありそうだね、あんたたち」
「お金なら差し上げますわ。 これでよいでしょう?」
ロザリアは肩にかけていたショルダーバッグから財布を取り出すと、中の紙幣をすべて差し出した。
素手の男がさっとその紙幣を奪い取り、数を数えて、もう一人の男に目配せしている。
これからの予定の分もあり、紙幣だけでも、ゆうにセレスティアの平均月給程度はあったはずだ。
金額として納得してもらえるだろう、とロザリアはアンジェリークの手をぎゅっと握りしめて、男達の間を抜けようとした。
けれど、男達は二人の前から避ける気配もなく、むしろ、距離を詰めてきて、笑っている。

「お金はもらうし。 でもさ、これをもらうだけじゃなくて、もっと稼いでもらえる方法もあるんだぜ。」
「そうそう、あんたたち、かわいいから、すごく人気者になれるって」

きらりと光る刃をちらつかせて、男がロザリアの手首を掴もうとした瞬間。
ロザリアは男の胸めがけて、勢いよく頭突きをした。
全くの不意打ちに、男の手から刃物がこぼれ落ち、背中が道路にたたき付けられる。
「逃げて! アンジェ!」
ロザリアは背後のアンジェリークの手を掴み、明るい方へとその身体を押し出した。
「早く! 行って!」

倒れた男は動きを止めたけれど、もう一人の男がすぐにロザリアに向かってくる。
ロザリアは落ちた刃物を拾い上げ、アンジェリークを身体でかばいながら、明るい方へとじりじりと足を動かした。
とにかく無事にアンジェリークを逃がすこと。
『命に代えても守る』と、彼に誓ったのだ。
違えるわけにはいかない。

「いい? アンジェ。 あんたはまっすぐにあっちの明るい方へ走りなさい。」
「え、ロザリアはどうするの?」
「わたくしはいったん、ここであの男達を食い止めますわ。
 あんたは逃げて、誰か助けを呼んできて。」
「ロザリアを置いていくって事? いやよ」
「助けを呼びに行くの。 このままじゃ二人とも捕まってしまいますわ。
 わたくしより、あんたのほうが足が速いでしょう?」
「でも!」
「お願い。 それしか助かる方法はないの。
 わたくし一人なら応戦できても、アンジェを守りながらは無理ですわ。
 だから、先に逃げて。」
「ロザリア…」

倒れていた男が起き上がり、ぺっと道路につばを吐いた。
紅潮した頬で、怒りの度合いがわかり、ロザリアはまたじりっと後ろに下がる。
アンジェリークにも言ったとおり、護身術なら多少の自信はある。
けれど、男二人にアンジェリークを守りながらは、絶対に無理だ。
ロザリアが囮になり、食い止める。
結果がどうなろうと、それしかアンジェリークを救う道はない。

「走って!」
ロザリアが両手を広げて、男達の行く手を阻むと、アンジェリークは走り出した。
たしかに二人ではどうにもならないから、明るい通りまで出て、助けを呼ぶしか手はない。
決断すれば、二人の呼吸はぴったりだ。
アンジェリークの背中を追いかけようとした男に、ロザリアは素早く足払いをかけ、バランスを崩させると、そのまま、肘で打撃を与える。
非力でも力の入れる箇所がハマれば、十分に威力があるのだ。

男は横向きに転がり、アンジェリークとの距離は追いつけないほどに広がった。
この路地裏ならともかく、明るい大通りで手荒なまねはできないと、彼らもわかっているのだろう。
アンジェリークを諦め、ロザリアに狙いを絞ったらしい。
一人の男がロザリアの手首をねじり上げ、ナイフを取り上げる。
容赦のないやり方に、ロザリアは顔をしかめながらも、安堵していた。
すくなくともジュリアスとの約束は守れた。
そう思えば、今首筋に当てられた刃先から流れる血も、ねじり上げられた手首の痛みも我慢できる。

どん、と背中を押され、ロザリアは再び地面にうずくまった。
「逃がした女の分もあんたに稼いでもらうからな」
膝をついた男がぎらついた目でロザリアの髪を掴み、無理矢理、顔をあげさせる。
「ふん、イヤな目をしやがって。」
殴られる、と感じて、ロザリアは目を閉じた。


その時、
「俺のレディに汚い手で触るのは、そこまでにしてもらおうか」
路地裏に朗々と響く、自信に満ちた力強い声。
聞き慣れたバリトンに、ロザリアは体中の緊張が抜けるのを感じた。
Tシャツにダメージジーンズという、ラフな格好だが、緋色の髪と鍛え上げられた体躯は、見間違えようがない。
助かった、という安堵と、助けられてしまったという悔しさ。
「大丈夫か?」
それでも、抱きかかえられた腕にすがることしかできず、ロザリアは小さくうなずいた。
あれほどロザリアを苦しめた男達は、オスカーの手であっという間にのされ、地べたにうつぶせのまま、ぴくりとも動かない。

「くそ、こいつら」
オスカーは血のにじむロザリアの首筋の傷に指を触れると、忌々しそうに舌打ちをした。
ぎらりと男達に向ける視線は、瞳の色、そのままに氷のように冷たい。

「すまなかった。
 君たちがあの店にいる間、向かいのカフェで待っていたんだが、急に走り出されて見失ってしまったんだ。
 探していたところを、陛下が小道から飛び出してきてな。
 …無事で良かった」
オスカーは胸にぎゅっとロザリアの頭を押しつけると、大きなため息を吐き出した。
Tシャツ一枚越しに感じるオスカーの鼓動の早さで、彼の心配が直に伝わってくる。
何度も頭を撫でる大きな手の優しさに、ロザリアもようやく高ぶっていた気持ちが落ち着いてきた。

「…俺のレディ、という言い方、止めていただきたいですわ」
「助けて最初の言葉が、それか? まあ、君らしいがな」
オスカーは笑って、ロザリアを腕から解放した。


「あの、陛下は…?」
「ああ、あちらに」
オスカーが振り向いた方に視線を向ければ、大通りの明かりを背にしたアンジェリークが立っている。
無事な姿にほっとすると同時に、その隣に立つジュリアスに、ロザリアの心がざわめいた。
執務服ではないシンプルなジャケット姿は市井の人々と変わらない控えめな佇まいなのに、圧倒的な存在感が際立ち、神々しい騎士のようだ。
彼がその場にいるだけで、景色が輝いて見える。

表情を変えないジュリアスの視線にさらされて、ロザリアは自分の姿が恥ずかしくなった。
ストッキングは破れているし、緩くまとめていた髪はばらばらに乱れている。
這いつくばったせいで、服も靴も砂まみれだ。
「ロザリア! 大丈夫だった?」
駆け寄ろうとしたアンジェリークを、ジュリアスが手で制する。

「オスカー、問題はないか」
「はい。 この者達の処遇は、セレスティアの自治に任せようと思います」
「わかった。 ロザリアと後始末をしておけ」
オスカーが御意の意味で礼を取ると、ジュリアスはアンジェリークに向き直った。
さっきまでの無表情が、嘘のような優しい瞳で、恭しく手を取る。

「陛下。 ご無事で何よりです」
「わたしは大丈夫。 それよりロザリアが…。」
ちらちらと心配そうに視線をよこすアンジェリークに、ロザリアは微笑んで見せた。
ズタボロの姿では説得力がないかもしれないが、実際にたいしたケガはしていない。
大丈夫、と、わざと腰に手を当てて、ツンと顎をあげてみせると、アンジェリークにも伝わったのか、明らかにほっとしたように、胸をなで下ろしていた。

「陛下は私が先に聖地へお連れする。」
ジュリアスがアンジェリークの背に手を添えて、エスコートするように歩いて行く。
最後まで、ロザリアには一言もなく、ケガを尋ねることすらなく。

ジュリアスの紺碧の瞳には、アンジェリークしか映っていない。
『女王陛下の安全』が、なによりも優先されることなのはわかっている。
宇宙の平和は女王であるアンジェリークが存在してこそ、なのだ。
それは十分わかっている。
わかっているけれど、ただ、笑顔を浮かべるだけで精一杯で。
消えていく二人の後ろ姿を、ロザリアは見ていることしかできなかった。


「ロザリア」
突然呼ばれた自分の名前に驚いて振り返ると、オスカーが立っていた。
「大丈夫か?」
彼らしくない気遣いを浮かべた表情に、すっかりその存在を忘れていたロザリアは、慌てて頷いた。
「ええ。 地元の警察にも連絡を入れておきましょう。
 このような事件が起きていることを、きちんと伝えなくては。」

言いながら、一歩踏み出すと、ずきりと足首が痛んだ。
さっきまではジュリアスの前にいる緊張感からか、全く感じなかったのに、今はこれ以上動かせないほどの痛みが襲ってくる。
脂汗を浮かべて、そのまま立ちつくしたロザリアに、オスカーが手を伸ばし、彼女を身体ごと抱き上げた。
「な…?!」
「歩けないんだろう? 片付け仕事が済むまで、そこのカフェで待っていてくれ」
オスカーはロザリアの返事を聞く気配もなく、抱きかかえたまま、大通りのカフェへと向かう。
不本意ながら、歩けないことは事実で、ロザリアは抵抗することを止めた。
正直、もう疲れ切っていたのだ。

オスカーの腕の中で揺られていると、
「…ジュリアス様は女王陛下という存在を敬愛しているだけだ。
 陛下を女性として想っているわけじゃない」
上から降りてきた言葉に、ロザリアは唇を噛みしめた。

秘めていたはずの想いをオスカーに見透かされていたこと。
いろんな葛藤や心の奥の醜さを暴かれたこと。
綯い交ぜになった感情が、それぞれに騒ぎ出して、あふれだしてしまう。

「わかっていますわ。」
喉の奥が張り付いたように乾いて、声がかすれた。

わかっている。
女王は宇宙の至高の存在で。
ジュリアスにとって唯一無二の存在で。
彼の優しい瞳も、暖かな腕も、すべてが彼女のためで。
わかっているのだ。

「でも…女王に、なりたかった」
堪えきれず、ロザリアの頬を伝った一筋の雫に、オスカーは気づかないふりをしたのだった。


FIN
Page Top