氷の城  



ロザリア視点・ロザ→ジュリ×リモ:アンハッピーエンド:ネガティブ注意
ツンと顎をあげ、まっすぐに前を見つめる青い瞳。
すらりと伸びた背筋と美しい歩様。
貴族出身の完璧な女王候補であるという自負は伊達ではない。
聖殿をただ歩いているだけで、ロザリアは圧倒される様なオーラを放っている。
「ごきげんよう。ジュリアス様」
スカートを僅かに摘まみ上げ、軽く膝を折る淑女の礼が、ごく自然にできるのも、ロザリアゆえだ。
もしももう一人の女王候補アンジェリークなら、この簡単な動作でさえも、ぎこちないロボットのようになるだろう。

「今日は育成のお願いに参りました」
「うむ」
執務机に座ったまま、ジュリアスは鷹揚に頷く。
ロザリアはさらにぴんと背筋を伸ばし、ジュリアスの紺碧の瞳を見つめ返した。
彼の視線の前に立つと、身が引き締まるような気がする。
アンジェリーク曰く『コワイ』。
けれど、ロザリアはジュリアスの射貫くような視線に恐怖や動揺を感じたことはなかった。
むしろロザリアの知る限り、ジュリアスは厳格過ぎる嫌いはあるが、公平で知性と教養に溢れた立派な人物だ。
首座の守護聖として申し分がない。

「試験で何か困ったことはないか?」
「はい。今のところはございません。皆様、よくしてくださいます」
「そうか。アンジェリークはどうだ?私のところにまったく姿を見せぬが、育成は進んでいるのか?」
ジュリアスの問いかけに、ロザリアは内心で舌打ちをした。
やはりアンジェリークはジュリアスが苦手で避けて回っているのだ。
先日、望みの予測を見ながら、二人でお茶をしていた時、エリューシオンの光のサクリアだけが極端に少ないことを指摘したばかりなのに。
「申し訳ありません。アンジェリークに伝えておきますので」
「いや、そなたが気にすることではない。これからそれとなく気をつけよう。・・・私は女性の扱いがあまり得意ではないのだ。なにか不愉快な思いをさせてしまったのかもしれぬ」
ふとジュリアスの口からこぼれた意外な言葉にロザリアは思わず彼の顔をじっと見てしまった。
すると、いつも凜としている紺碧の瞳はそわそわと揺れ、ほんのりと頬が染まっているようにも見える。
彼は彼なりに、女王候補との距離感をはかりかねているのだ。
なんだかとても可愛らしい。
初めて見るジュリアスの表情に、ロザリアはクスリと笑いをかみ殺していた。


女王試験は終始、ロザリアのリードで進んでいる。
アンジェリークとは出発点が違うのだから当然だ。
女王候補として幼い頃から厳しく教育されてきた自分と、女王の存在を遠い物としてとらえてきたアンジェリーク。
もちろん彼女の優れている点はロザリアも認めている。
誰とでもすぐに打ち解けられたり、人の痛みを自分のもののように感じたり。
女王の慈愛の心とは、本当はこういうモノではないのかと思ったりもする。
けれど、ロザリアは試験である以上、真っ向から取り組み勝利することが大切だと、育成と学習に手を抜くことはしなかった。
おまけに、今のロザリアには、確かな心の寄りどころがあったのだ。
そのためにも試験に負けることは許されない。

今日もロザリアは聖殿に向かうと、真っ先に光の執務室に向かった。
「ジュリアス様、昨夜は贈り物をありがとうございました」
淑女の礼で対すると、ジュリアスは頷いた。
紺碧の瞳がわずかに細められ、唇の端が満足げな弧を描く。
人の容姿に関してアレコレいうのは好きではないが、ジュリアスの造形は奇跡のように整っていると認めざるを得ない。
だからこそ、ほんの少しの表情の変化にドキドキしてしまう。

ここのところ、光の育成は、まったく必要がなくなっていた。
贈り物という形で、ジュリアスがフェリシアにサクリアを送ってくれているからだ。
おかげでロザリアは必要な力を他のサクリアに振り分けることができ、育成は飛躍的に進んでいた。
さらに、ジュリアスは毎朝、お礼のために光の執務室に立ち寄るロザリアに、育成のアドバイスを与えてくれるのだ。
二人でフェリシアの未来を考える秘密の時間。
ロザリアにとって、ジュリアスが自分に寄せる期待をひしひしと感じる、とても誇らしい時間だ。

「地のサクリアを与えてみてはどうであろう?」
望みの予測を見たジュリアスが、フェリシアの地図の一点を指さした。
土地は肥沃なのに、今ひとつ収穫の上がらない土地。
ロザリアも不思議に思っていたが、これといって不満点のない場所でもあり、決め手に欠いていたところだ。
「民達が自ら発展するためには探究心が必要なのかもしれぬ」
発展して欲しい土地には、つい豊かさや力などを与えがちだが、必要な物に自ら気がつく能力が、今のフェリシアには必要なのかもしれない。
ロザリアは小さく頷くと、この後の予定を地の執務室へと変更した。
ちょうど、一度ルヴァにも相談してみたいと思っていたところだ。
ジュリアスも同じ考えならなお心強い。

ロザリアが資料などを片付けていると、ジュリアスがごほんと喉を鳴らした。
「アンジェリークとは親しくしているのか?」
唐突な質問に少し驚いたものの、ロザリアはすぐに、ジュリアスの心配を察した。
エリューシオンは相変わらず、光のサクリア値が低い。
きっとアンジェリークはジュリアスのところをあまり訪れていないのだろう。
それは女王候補のライバルとしてあまり良くないことだとわかっている。
けれど、アンジェリークとジュリアスが親しくないということに、どこかホッとしている自分にも気づく。
「はい。同じ女王候補として、親しくさせていただいています」
無難な答えにとどめて、ロザリアは淑女の礼をとり、退出した。
今までもうっすらとは感じていた、特別な感情。
女王候補として秘めていなければならないものだとわかっていても、芽生えてしまった気持ちを葬り去ることはできそうもなかった。

その後も、ロザリアはジュリアスの執務室を毎日のように尋ねた。
彼からの的確なアドバイスと贈り物のおかげで、フェリシアの発展はめざましい。
「そなたが女王となる世界は安心だ」
ジュリアスの言葉に、ロザリアは誇らしげに胸を張った。
期待と重圧は時に重いモノになるが、ジュリアスからのものであれば、ロザリアに翼を与えてくれるような気さえする。
ロザリアはいっそう、女王へと突き進んでいった。


ここ最近、夕食後にお互いの部屋を行き来して、アンジェリークとおしゃべりする事が増えていた。
その時間は女王試験のことを忘れて、一人の女の子として過ごすのだ。
お茶とお菓子の準備も万端。
アンジェリークの女の子らしいピンク色の部屋では、つい恋の話が多くなる。
「わたし、今日、ランディ様と庭園に行ったの」
「まあ。それで?どうなの?」
ロザリアが身を乗り出したのは、ランディの気持ちがアンジェリークに向いていることを知っているからだ。
もっとも、それは飛空都市の皆が知っていることでもある。
まさに知らぬは当人ばかりなり、だ。

「犬とフリスビーをして遊んだわ」
「犬?」
「うん。すっごく楽しかった!」
アンジェリークの話ぶりではデートのような甘い雰囲気はなさそうだ。
「わたくしはジュリアス様と森の湖に行きましたわ」
「へえ!」
わずかに目を見開いたアンジェリークに、ロザリアは得意げに語ってみせた。
森の湖でジュリアスが草の上にハンカチを敷いて、ロザリアを座らせたこと。
ロザリアのバイオリンの演奏を褒めてくれたこと。
手作りしたお菓子を美味しそうに食べてくれたこと。
どれもささやかなことだが、ロザリアにとっては素敵な出来事だ。
アンジェリークはにこにことロザリアの話を聞いている。
「ジュリアス様って、本当に素晴らしい方ですわ」
話し終えたロザリアが紅茶のカップに口をつけると、アンジェリークも同じようにカップの縁に唇を寄せ、小さく頷いた。
「うん。最初はコワイ人だと思ってたけど、それだけじゃないよね」
「あら、あんたもようやくわかってきたじゃないの。今からでもせいぜい頑張ってみるのね」
まるで自分が褒められたように嬉しくて、ロザリアはツンと顎をあげて笑った。


ある日のおしゃべりタイム。
アンジェリークの部屋のラグに腰を下ろし、クッションを抱えたロザリアの目に、綺麗に生けられた花が目に入った。
豪華なカラー。
清楚で凜とした姿がロザリアも大好きな花だ。
「まあ、綺麗。あんたにしてはいい趣味じゃないの」
思わずロザリアが言うと、アンジェリークはなぜか少し慌てたように目を泳がせた。
「あ、うん。もらい物なの」
「へえ、あんたにも花をくれるような人がいるってことですのね。珍しい方もいるものですわ。おほほ」
つい腰に手をあてて、高笑いをしてしまった。
今となっては悪いクセだとわかっているが、もはや体に染みついてしまった動作をそうやすやすと止められない。
それにこの頃はちょっとしたネタだとロザリア自身も思っている。

「それにしてもカラーなんて」
誰のセンスかわからないが、アンジェリークには少し違う様な気がする。
もしもロザリアがアンジェリークに贈るなら、ひまわりやダリア。
大きく花開く、明るい色の花にするだろう。
もしかして花の贈り主は、ロザリアの知らないアンジェリークのなにかを知っているのかもしれない。
けれど、初めてできた友達に、どこまで踏み込んでいいのかもわからないし、アンジェリークの横顔が少し困っているようなことも気になる。
ロザリアに話したくないのだろうか。
なんでも話せる関係になれた、と思っていたのに。
窓辺で揺れるカラーに、なぜかロザリアの胸がズキリと痛んだ。


「今日も留守ですの?仕方のない子ね」
日の曜日、わざわざ午後のお茶を誘いに来たというのに、アンジェリークの部屋からノックの返事はない。
ここ最近、アンジェリークの様子がおかしいことにロザリアも気がついていた。
夜のおしゃべりも、体調が優れないとか、どうしてもやりたいことがあるとか、そんな理由で流れてしまっている。
女王試験ももう終盤にきているから、こんな時間も残り僅かだというのに。
寂しい、なんて口が裂けても言いたくないが、話したいこともたくさんあるのだ。

「デートかしら」
ぽつりと呟いて、ロザリアは首を振った。
ロザリアはこの頃、日の曜日のデートをほとんどしていない。
育成が追い込みということもあるが、最近、ジュリアスはとても忙しそうで、毎朝執務室で育成の相談をする以外、ほぼ会えないのだ。
相変わらず、ジュリアスはロザリアの育成の手助けをしてくれているし、定期審査でもロザリアを推してくれている。
けれど、本当にそれだけだ。
もっと親しくなりたい、というのはわがままなのだろうか。

なんとなく、ロザリアの足は森の湖へと向いていた。
もしかしたら、予感めいた物はあったかもしれない。
少女特有のカン、のようなもの。
飛空都市の気候は常に穏やかで、今日も爽やかな風が静かな湖面を撫でている。
ロザリアは人気のない湖の付近をぐるりと巡り、滝からこぼれ落ちる水の流れを見つめていた。
すると、かすかな人の声が風に乗って聞えてくる。
聞き覚えのある声の元を辿り、足音を忍ばせて近づくと、木々の隙間に人影が見える。
わずかにのぞき見えた、その衝撃的な光景にロザリアは息をのんだ。

アンジェリークの前に跪くジュリアス。
二人の間に漂う空気は甘く、見つめ合う瞳は熱く潤んでいる。
鈍感なロザリアが見ても、二人が特別な感情で結びついているのがわかった。
「全宇宙の女王ではなく、私一人の女王になってくれ」
ジュリアスの言葉にロザリアの全身の血の気が引いていく。
ジュリアスだけの女王。
それはアンジェリークがジュリアスにとって、宇宙でただ一人の自分のそばに置きたい愛する女性だということだ。
あの鋭い紺碧の瞳が今は一人の男として、アンジェリークを捕らえている。
熱意と劣情が入り交じる瞳。
あんなジュリアスをロザリアは見たことがなかった。
ロザリアの前で彼は常に首座の守護聖だったのだ。
「喜んで・・・」
緑の瞳をいっぱいに見開いて、頬を赤くしたアンジェリークは大きく頷くと、声を震わせた。
頬を伝う綺麗な涙。
二人の距離が近づき、アンジェリークがジュリアスの腕に包まれる。
いたたまれなくなったロザリアがその場を走り出しても、二人はまったく気がつかず、甘い一時を噛みしめていた。


翌日、ほとんど眠れないまま、ロザリアは聖殿へ向かった。
目の下のくまはなんとかコンシーラーで隠せたし、身だしなみにも問題はない。
心の中は嵐でも、人にそれを悟らせないことが上流階級の処世術だ。
それでも、誰かが近くを通るたびにドキドキと心臓は跳ね、まるで落ち着かない。
さすがにジュリアスの執務室に行く気持ちにもならなくて、ロザリアは裏庭を一人ぶらついていた。
綺麗に整えられた花壇から溢れてくる花の香り。
普段なら心洗われるはずの光景が、今のロザリアにはまるで目に入らなかった。
浮かんでくるのは昨日のジュリアスとアンジェリークの姿。
想いあう恋人同士の姿。

けれど、女王候補と守護聖の恋愛はタブーと言われている。
実際、女王になれなければ候補生は下界に帰り、守護聖の住む聖地とは同じ時を生きることすらできない。
ただ辛い別れが待っているだけだ。
ロザリアがジュリアスへの想いを自覚しながら、あえて目を背けていたのは、たとえ両思いになったとしても未来がないと、どこかでわかっていたこともある。
女王は宇宙を等しく愛し、守らなければならないから。
誰か一人の恋人になることは許されない。
「わたくしは女王になるんですもの」
一つの恋を失ったくらいで嘆くことなどない。
こぼれ落ちる涙と嗚咽が止まるまで、ロザリアはその場で泣き続けたのだった。


間もなく、フェリシアの民が中の島にたどり着き、ロザリアが新女王として即位することになった。
即位式が執り行われる直前、先代女王とディアが見守るなか、ロザリアは玉座に腰を下ろした。
女王の豪華なドレスはまだないが、幼い頃から憧れた玉座に座ることができたのだ。
金色の光がロザリアの身体を包み、宇宙の祝福が自らの元に降りてきたことを感じる。
感動で胸がいっぱいになり、すぐには何も言えなかった。
守護聖達は玉座の下に整列し、軽く頭を垂れ、新女王になるロザリアからの言葉を待っている。
その静寂を破ったのは、最後尾に居たアンジェリークだった。

「あ、あの、わたしを女王補佐官にしてもらえませんか?こんなわたしでも、きっとなにかの役に立てると思うんです!」
うつむいていた守護聖たちが一斉に顔を上げ、アンジェリークを見つめる。
ロザリアも意外な言葉に驚いて、目を丸くした。
アンジェリークとは試験を通じて、一時はかなり親しくなったと思う。
けれど、ある時から、急にアンジェリークの方から距離を置きだした。
今思えば、ロザリアが密かにジュリアスを慕っていたことを知っていたから、ジュリアスと想いを通じ合ったことで気まずさを感じたのだろう。
ロザリアもあの決定的なシーンを見てしまってからは、声をかける気にならなかった。
夜のおしゃべり会も自然消滅して、微妙な空気になってしまったのは、仕方がないと諦めていたのだ。
それがなぜ、今、補佐官になりたいなどと言うのか。

守護聖たちもざわつき、
「なるほど」「いいんじゃない?」「アンジェリークならできるよ」
など、どちらかというと認めるような空気が流れている。
「先代女王とディアも、同じ女王候補同士から、女王と補佐官になり、二人で宇宙を支えてきましたからね~」
耳に飛び込んできたルヴァの言葉にロザリアは一瞬、言葉を失った。
先代女王とディアも女王候補同士で。
女王は宇宙に全てを捧げるけれど、補佐官はなにもなくて。
そして、ロザリアは気がついてしまった。
ジュリアスの紺碧の瞳に浮かんだ、一瞬の喜色。
アンジェリークのジュリアスだけに向けた特別な微笑み。
ロザリアの心が、ぴしり、と凍り付く。

「お断りいたします」
冷たく響く声に女王の間が静まりかえった。
「え、あ、あの、えっと・・・ロザリア?」
アンジェリークがひどくうろたえた様子で、一歩前へと進み出る。
そのまま玉座まで走り寄ろうとするアンジェリークを、ロザリアは手で制した。
「わたくしは一人で宇宙を支えていく覚悟ができておりますわ。貴女の助けは必要ありません」
これ以上はない、と、ぴしゃりとざわつく声を全てシャットアウトすると、アンジェリークはジュリアスにすがるような瞳を向けた。
泣き出しそうな顔で、ぎゅっとスカートを握りしめている。

すると、ジュリアスが
「どうかアンジェリークを補佐官に。陛下お一人では辛いときもございましょう。先代とディアのように、支え合い、宇宙を導かれるのがよろしいかと思います」
恭しい礼をとり、ロザリアを説得しようと言葉を重ねている。
丁寧だが、有無を言わせない響き。
慣れない者ならば、震え上がって反対などできないだろう。

けれど、ロザリアはジュリアスの言葉をほとんど聞いていなかった。
たしかに一人では重すぎるかもしれない。
誰かと心を分かち合いたいと思うかもしれない。
けれど、今、このとき以上に、苦しくて辛いことなど、きっとこの先にもない。
いつから彼はこの方法を考えていたのだろう。
女王は恋愛できなくても、補佐官なら問題ない。
聖地と下界で別れることもなく、ともに過ごすことができる。
ロザリアの育成を導いてくれたことも、贈り物でフェリシアを満たしてくれたことも、定期審査での支持も。
なにもかもが色あせて、目の前がモノクロに反転する。

「補佐官は置かないと決めましたの。アンジェリークは準備ができ次第、主星へ戻るように」
威厳に満ちた声が女王の間に響くと、ジュリアスもそれ以上は何も言えなくなった。
今、ロザリアは女王なのだ。
たとえ首座の守護聖といえども、従わなければならないのは彼の方。
ロザリアが玉座から立ち上がると、ジュリアス以外の守護聖たちは跪き、女王の通り道を開けた。
中央をゆっくりと進み、扉の前に立ったロザリアの背中にジュリアスの感情を抑えた声がぶつけられる。

「今一度、お考えを。アンジェリークをどうか補佐官に」
ロザリアは大きく息を吸い込み、目を閉じた。
そして、くるりと振り向くと、ジュリアスの紺碧の瞳を見据えた。
その瞳の中に、すがるような懇願の色を読み取って、ロザリアはゆっくりと口を開く。
「わたくしが女王です」
思い描いた未来が粉々に砕け散った深い絶望に、ジュリアスがかすかにうめいた。
青ざめた顔でぐっと唇を噛み、握りしめた拳は震えている。
女王とは慈愛に満ちた存在のはずなのに、彼のその様子を見て、ロザリアはなぜか笑い出したくなった。
もちろん顔には出さなかったけれど、ただおかしくてたまらなかったのだ。

へたり込むアンジェリークの姿を視界の端に捕らえた瞬間だけ、わずかに胸が痛んだ。
初めてできた友達。
彼女には別の形で幸せになって欲しい、と心から思う。
ロザリアの背中で重い扉が閉まり、そして、256代女王の治世が始まったのだった。


「この惑星には緑のサクリアが必要かと思うのだけれど、あなたはどうお考えになって?」
分厚い書類をめくり、ロザリアが示した個所にジュリアスは目を向けている。
アンジェリークが聖地を去った日、彼は一日執務を休んだ。
誰も何も言わなかったし、ロザリアも理由を聞いたりはしなかった。
けれど、ロザリアは女王で、ジュリアスは首座の守護聖だ。
ともに宇宙を平和に導く責務がある。
「はい。よろしいかと思います。一度、ルヴァにも検討させましょう」
「ええ、お願いね」
ジュリアスは臣下の礼をとったまま下がり、ロザリアの顔を一度も見ない。
ちくり、とロザリアの胸に棘が刺さる。
たとえアンジェリークが居なくても、彼がロザリアを見ることはないのだ。
首座の守護聖としての礼は尽くしても、ジュリアスの心は別にある。

「それでいいのですわ」
愛されないなら、憎まれてしまいたい。
慈愛の心は全て宇宙に捧げてしまったから、もうロザリア自身には欠片も残っていないのだ。
今、ロザリアに残るのは、暗い暗い憎しみと哀しみ。
凍てついてしまった想いの残骸。

───聖地は常に春のように暖かいけれど、そこに氷の城があることを人々は知らない。


End

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