ジュリ誕2021

ジュリアス、リモージュ、(ユエ、ロザリア、オリヴィエ)

君がくれるサプライズ


「夏が近づいてきたわね~」
少し蒸してきた空気を感じて、ロザリアがフランス窓を両開くと、執務の手を止めたアンジェリークがぽつりとつぶやいた。
じわりとぬるい湿気を帯びた外の空気が一気に部屋の中に流れ込んできて、あおられた書類の角が、かさかさと音を立て、わずかにカーテンが揺れる。
もうすぐ暑くなる予感。
常春だった聖地に四季を取り入れたのは、アンジェリークだったが、どうにも夏だけは、聖地の人々に評判がよくない。
今までの職員の制服は長袖で暑苦しいし、そもそも聖殿には空調すらなかった。
やっとすべての建物に空調が整備された時は、皆がその前で涼んだものだ。

「そうですわね」
軽く相槌を打ちながら、夏服の支度を想像していたロザリアは、アンジェリークの微笑みにぎょっと目を丸くした。
女王らしく背筋を伸ばした、お手本のようなほほえみ。
この目は、絶対によくないことを企んでいる。
けれど、同時にキラキラした緑の瞳はとても楽しそうでもあった。
「ああ…」
『夏』でアンジェリークが喜ぶ『楽しいこと』。
理由に思い当たったロザリアは、アンジェリークににっこり微笑み返した。

「それで、今年はどうなさるおつもりかしら?」
「うふふ。もう考えてるのよ」
女王になって数年。
その日が来るたびに、アンジェリークは趣向を凝らしてきた。
おととしは屋敷中に花火を仕掛けて、火事寸前の大宴会だったし。
去年は庭中に流しそうめんの機材を並べて、盛大にパーティをした。
その準備に3日ほどかかり、ロザリアは彼に特に急ぎでもない出張を言いつけたり、守護聖総出で飾りつけをしたり、なかなかに大変だったのだ。
もちろん、とても楽しい催しではあったけれど。
「今年はね…」
くすくすと笑いながら、アンジェリークがロザリアに耳打ちする。
その内容に、目を丸くした後、やっぱりくすくすと笑うしかないロザリアなのだった。



「ここはどこだ?!」
ソファで飛び起きたユエはあたりをきょろきょろと見回して、その見慣れた景色に、ほっと胸をなでおろした。
目に映っているのは、いつもの執務室。
金と青でまとめられた、いかにも光の守護聖にふさわしいと満足しているインテリアだ。
だが。
ずきりと痛むみぞおちが、さっき自分の身に起きた異常事態をしっかりと知らせている。

のんびり庭園で散歩していたら、石畳の通路に一人の女性がしゃがみ込んでいた。
長い金の髪をさらさらと背中に流し、淡いピンクのシフォンのワンピースが地面すれすれのところで風になびいている。
はあはあと、荒い息を感じさせる肩の動き。
急に体調が悪くなったのだろうか。
とっさに女性に駆け寄ったユエは
「どうかしたのか? 具合が悪いなら手を貸すぞ」
覗き込みながら優しく声をかけた。

金の髪をキラキラと輝かせながら、顔を上げた女性は、ドキリとするほど整った顔立ちをしている。
長いマスカラに縁どられた、宝石のように綺麗なブルーグレーの瞳。
パールピンクのリップも、ラベンダーのアイカラーもよく似合っていて。
ただ、
「…ごめんね?」
その唇が魅惑的な弧を描いたのを見た瞬間、ユエの視界は暗転していた。

「なんだったんだ?」
痛む腹をさすりながら一人ごちると、背後から
「うふ、ごめんなさいね」
突然、可愛らしい声がかかり、ユエは飛び上がった。
一人きりだと思っていた執務室に、なぜか3つの人影。
全く今まで気配を感じなかったが、どうやら、さっきの一人芝居を全部見られていたらしい。
ユエが顔を赤らめて絶句していると、中央の女性が、とことこと近づいてきた。
その顔をようやくはっきりと見て、ユエは今日何度目かの仰天を繰り返した。

「陛下?!」
その顔は見忘れるはずもない。
神鳥宇宙の女王陛下。
服装がいつものドレスよりもずっと軽装で、仰々しいアクセサリー類もないから全くわからなかった。
誰が想像するだろう。
まさか、宇宙の最高権力者である女王陛下ともあろうお方が、ジャージを着ているとは。
「あったりー」
両手をぱちぱちと打ち鳴らして、お見事と言わんばかりの仕草。
だが、ユエにその冗談に乗っかる余裕はない。
挙動不審にソファの座面をずり下がり、きょろきょろあたりを見回して
「あああ!!!」
思わず指さしたのは、三人のうちの一人だ。

「さっきの!」
長い金の髪にピンクのワンピース。洗練されたメイクまで、記憶にはっきりとある姿。
だが、その身長はヒールのせいもあるだろうが、おそらくユエよりも高い。
「そ。さっきはいきなり殴ってごめんね。この女王様が誰にも見つからないように連れて来いっていうもんだからさ」
「だからって気絶させることはないじゃないの~」
「あんたが攫って来いって言ったんでしょ」
「…だって、そのほうが秘密っぽくていいと思ったんだもの」
「とにかく、私の意思じゃないからね」
許して、と言わんばかりの婀娜っぽいウインクと投げキッス。
女王と言い争う姿を見て、ようやくユエはその人物が誰か理解した。
神鳥夢の守護聖オリヴィエだ。
そしてその隣は
「ちょっと、喧嘩している場合じゃありませんわ。早く要件を申し上げませんと」
眼鏡とマスクで変装しているが、特徴的な青紫の髪には見覚えがある。
才色兼備と誉れの高い、神鳥女王補佐官。

なぜこの三人がここに?
なんの用で?
ユエの精神は混乱の極みだったが、首座の守護聖という矜持で、なんとか立ちづけることだけはできていた。
よく見れば膝が笑っていたけれども。
不吉な予感に震えているユエに、
「あのね、お願いがあるの」
女王アンジェリークはまさに慈愛に満ちた表情で、微笑んだ。
こわい。こわすぎる。
ユエには、すでに逆らおうという気力は抜け落ちてしまっていたのだった。



30度を超えると、じわりと額に汗がにじむようになる。
ジュリアスは忌々し気に、きちんとアイロンのかかったハンカチで額を拭った。
角をぴっちり合わせた、綿100%の白。
聖地でも汗拭き用にハンドタオルなる手軽なものが出回ってきているが、なんだかだらしない気がして、ジュリアスは使っていないのだ。
空調の温度を下げようかとも思うが、秘書官をはじめ、他の職員たちはそこまで暑そうでもない。
汗をかいているのはジュリアスだけ。
理由は簡単。
ジュリアスの執務服が暑いのだ。

四季が導入され、夏服作成の申請があった時、ジュリアスはその申し出を拒否していた。
女王が持参したデザイン画がどれも露出過多で、ありえないほど奇抜だったせいだ。
半袖短パン。
キャミソールのワンピース的なもの。
スケスケのシャツ。
ところが、出来上がった他の守護聖たちの夏服は、とても涼し気で着心地もよさそうだった。
デザイン的にも、いつもの執務服を簡素化したような服ばかりで、ジュリアスは驚いた。
それとなくオスカーに夏服の経緯を尋ねてみると、なんと、専属のデザイナーと各々で相談して作ったらしい。
「女王からの提案は?」
「いえ。そのようなものはありませんでしたが…」
軽い鎧飾りがついただけの通気性がよさそうな執務服をまとったオスカーに、逆に不思議そうに問い返されて、ジュリアスは絶句した。
また、女王の悪ふざけにやられたのだ。

思えば、女王候補の頃から現女王アンジェリークは、時々、理解不能な行動に走ることがあった。
育成の必要性があるわけでもないのに、ジュリアスの執務室に日参したり。
日の曜日に私邸に来たがったり。
チェスを教えて欲しがったり。
乗馬の経験もないのに、一緒に遠乗りに行きたがったり。

「アンジェリークはすごいですねえ」
チェスの教授をジュリアスが断ったせいで、毎日押しかけられているルヴァが言っていたことがある。
「強くなったら相手をしてくださるって約束したんです!だから教えください!って、それはもう、真剣で。あんな様子では断れませんよねぇ」
「…それはすまない」
「いえいえ、それだけあなたと接点を持ちたいということでしょう。うらやましいくらいですよ」
ルヴァはニコニコしていたが、ジュリアスの心は晴れなかった。
ジュリアスとて、アンジェリークが自身に興味を持ってくれていることくらいはわかっている。
けれど、その理由も原因も全く理解ができない。
ジュリアスは自身が人に好かれるタイプではないとわかっているし、特別にアンジェリークに優しくしたこともない。
むしろ、厳しいくらいだろう。
なのに、なぜか彼女はめげないのだ。

ともかく、アンジェリークの行動は常にパワーにあふれていた。
育成でもないのに執務室に来ては、秘書官の入れるエスプレッソに「苦ーい」というのが当たり前になり。
日の曜日に、私邸の庭で勝手に手製のお弁当を広げていたり。
ルヴァ仕込みのチェスの腕前を夕食時に披露しに来たり。
ロザリアに習ったらしく、とことこと慣れない手綱で遠乗りについてきたこともあった。
突拍子がなく、目が離せない。
しかし、彼女の頑張りは試験にも通じていて、見事に女王になったのだ。

素直に尊敬したいのに、アンジェリークの不可解行動は相変わらず続いている。
夏服の件もそうだし、用もないのに執務室に居座ったり、日の曜日にも勝手に私邸に遊びに来る。
そういえば、いきなり私邸で流しそうめん大会をされたり、花火を打ち上げられたりもした。
あの聡明な補佐官のロザリアまで一緒になって悪ふざけを繰り返すのだから、たちが悪い。
もしかして、なにか恨みを買っているのだろうかと、ロザリアに相談したこともあったのだが。
「…本当におわかりになりませんの?」
と、冷ややかに返され、それ以上何も聞けなかった。

「ジュリアス様、どうぞ」
ぼんやりしているのを見かねたのか、秘書官が机の上に、そっとアイスコーヒーをおいてくれる。
あっという間にグラスの周りできた水滴が、壁面を流れていくのを、ジュリアスはじっと見つめていた。



用もないのに執務室に来ないでほしい。
とは常々、ジュリアス自身が言っていたのだが、いざ、来ないとなると、落ち着かない。
お茶の時間が来ても、誰もいないソファに、なぜか口からはため息がこぼれる。
さっき、秘書官がこっそりとお菓子を処分しているところを、ジュリアスはたまたま目撃してしまっていた。
いつもお茶の時間あたりにやってくる女王のため、秘書官がひそかに用意していたものらしい。
こってり甘いスイーツは、光の執務室では誰一人食べないからだ。

女王の訪問が途絶えて、2週間。
朝礼はあるし、執務も滞りなく進んでいるから、女王不在というわけではない。
実際、廊下をせわしなく歩いている女王の姿を何度か見かけている。
ただ、ここに来ないだけ。
そう考えたジュリアスの心臓が、なぜかずきりと痛む。
その痛みがなにかわからないまま、ジュリアスは執務室を飛び出していた。

女王の間まで行きかけて、ジュリアスはふと足を止め、柱の陰に隠れた。
とことこと聞きなれた軽快な足音。
目の前の廊下を、大きな袋を持ったアンジェリークが小走りに進んでいる。
どこに行くのか、方向的には聖殿の中ではなさそうだ。
ずるずるの衣装に苦心しつつ、こっそり後をつけると、何とアンジェリークは次元回廊を使っている。
彼女の姿が回廊に消えた後、行き先を調べてみて、ジュリアスはさらに驚いた。
行き先はなじみのある聖獣宇宙ではなく、令梟宇宙。
やっと女王が決まって落ち着きを取り戻しつつある令梟宇宙とは、今後も継続して協力体制を続けると決まったばかりだ。
次元回廊もその時に正式に整備されたばかりで、まだ公にされてはいないから、女王が単独で、しかもお忍びのようにして出かける要件はないはず。
気が付けば、そのまま、ジュリアスは次元回廊に乗っていた。
令梟宇宙に何かあったのかもしれない。
女王の出動を要する何かが。
それならば、首座の守護聖である自身が知らなければならないはず。
そう自分に言い聞かせてはみたものの、その理由にはジュリアス自身が一番納得していなかった。


次元回廊を降りると、やたらと広いだけの庭の隅のような場所のおかげで、アンジェリークの後ろ姿はまだ視界の隅に入っていた。
慌てて、息を殺したジュリアスは、そっとアンジェリークの後を追いかけていく。
令梟宇宙はまだ新しく、職員の手も行き届いていないのか、次元回廊から誰一人すれ違う者もいない。
広場の隣の大きな建物が聖殿だった。
堂々とした豪奢な建物ではあるが、まだ真新しい雰囲気が神鳥のそれとは違っている。
いつかはこの白い石壁も年月の重みで、灰色を帯びていくのだろう。

アンジェリークはとことこと、令梟宇宙の聖殿の中を闊歩している。
案内がなければ迷いそうなのに、アンジェリークの様子は慣れたもので、なんどもこうして来ているのだとうかがえた。
やがて、ドアがいくつも並んでいる、まっすぐに伸びた広い廊下に出た。
この風景は、神鳥宇宙と同じで、それぞれの扉の特徴もよく似ている。
守護聖たちの執務室。
アンジェリークは一番手前の金色に輝く扉を、勢いよく開くと、そのまま中に入っていった。

「うわ!また!」
数回、会ったことのある令梟宇宙の光の守護聖ユエの声がした。
まだ新しい宇宙のせいか、令梟宇宙の守護聖たちはある意味、フランクで自由なところがある。
ユエとジュリアスも実年齢は同じはずだが、守護聖になった年月の違いなのかもしれない。
光の守護聖としての責務をより強く感じているのは、自身だという自負がジュリアスにはあった。
「なんの用…って。アレだよな…」
女王に対する礼儀のなさに、若干、イライラしつつも、ジュリアスは声の聞える位置に移動して、聞き耳を立てた。

「またじゃないわ。もっともーーーっと仲良くならなくちゃいけないもの」
アンジェリークが唇を尖らせて抗議している。
彼女の話し方からして、ユエとはかなり親しいようだ。
ジュリアスの胸がずきっと痛くなった。
「ああ、それはそうですけど…。こう毎日来てて、大丈夫なんですか?」
毎日。
「大丈夫よ。わたしが会いたいんだから、何言われてたって平気だし」
会いたい。
「うーん、まあ、俺は別にかまわないですけど」
「じゃあ、いいでしょ!」
楽し気なアンジェリークの声に、ジュリアスはそっと中を覗いてみた。
ちょっと困ったような顔をしつつも、まんざらでもなさそうなユエと、ニコニコしているアンジェリーク。
仲良さそうに、なにかを話しているが、ジュリアスにははっきりと聞えてはこない。
ただ、ずきずきと胸が痛い。

アンジェリークが手にしていた大きな荷物を、ユエが受け取ったところで、ジュリアスはもと来た道を足早に戻った。
自分の姿を誰にも見られたくなくて。
まるで逃亡者のようだと自虐する。
無事に誰にも見咎められず、次元回廊に乗り、慣れた執務室の椅子に深く腰を下ろした。
秘書官を下がらせたジュリアスは、ようやくゆっくりと息を吐き出した。
さっきからずっと、胸のずきずきした痛みが止まらない。
なんだか吐き気のような感じもあるし、頭もガンガンするのだ。

「毎日、か」
ジュリアスのところに現れなくなったのは、ユエのところに通うためなのだろう。
今までジュリアスのところに来ていたことが不思議だったのだから、それがユエに変わったところで、なんの問題もない。
同じ光の守護聖で。
金の髪に青い瞳で。
『ジュリアスって理想の王子様みたい』
幾度となく、アンジェリークに投げられた冗談めいた言葉。
もしかすると、アンジェリークの理想の王子様にはユエの方が近いのかもしれない。
「…光の守護聖好き、だったのか?」
自分で言って、くすりと笑ってしまった。
世の中にそんなおかしな趣向があるのかとも思うけれど、アンジェリークならそれもアリだ。

ジュリアスは目の前の積まれた書類を手繰り寄せると、お気に入りの羽ペンを手に取った。
これからは、より執務に集中すればよいのだ。
邪魔されることもなく、静かで、きっと今までよりもずっとはかどるだろう。
ため息がこぼれていることにも気づかず、ジュリアスはひたすら執務に没頭し始めたのだった。



それからさらに数週間。
アンジェリークはますます元気で、廊下を歌いながらスキップしている。
健康的に日に焼けた肌に、頬はリンゴのようにつやつやと輝き、体の動きも軽やかだ。
少し痩せたのか、すっきりしたようにすら見える。
恋をすると女性は綺麗になるというが、アンジェリークもそうなのかもしれない。
また少し胸の痛みを感じたジュリアスは、邪念を追い払うように、頭を数回横に振った。
長い髪は真夏にうっとおしさを感じなくもないが、今更、髪を切れば、ますます誰かに似てしまうだろう。
横髪を手に取り、ため息をつくと、ふいに扉がバタンと大きな音を立てて開いた。

「ジュリアス!」
扉を両手で押し開け、ど真ん中で仁王立ちしているのはアンジェリークだ。
アンジェリークなのだが、彼女の姿はいつもの女王の正装ではなく、見たこともない服を着ている。
スカートではなく、ズボン。
上着も燕尾服のようなテールカットだ。
胸飾りの金のモールや、大きめの金ボタン。
白シャツに蝶ネクタイ。
たとえて言うなら、礼服が最も近いだろう。
いたずらっ子のように緑の瞳を輝かせたアンジェリークが、ジュリアスに向かって、仰々しく手を差し出した。
「さあ、こちらへどうぞ」

なんだろう、これは。
どういう茶番だ?
ぽかんとして動かないジュリアスに焦れたのか、アンジェリークはずんずん近づいてくる。
そして、ジュリアスの手から羽ペンをもぎ取ると、そのまま、椅子から引っ張り上げた。
身長差20cmを感じさせない、アンジェリークの圧。
「行くわよ~!」
ぐいっと手を引かれ、そのまま、ずるずる引っ張られるように、ジュリアスは外へ連れ出された。
執務時間中、普段ならそれなりに職員たちが忙しくしているはずなのに、なぜか廊下には誰もおらず、しんと静まり返っている。
もちろん、女王命令で人払いがされているせいなのだが、ジュリアスはそのことを知らない。
頭の中はハテナマークでいっぱいだったが、久しぶりにすぐそばにいるアンジェリークの手のぬくもりが、嬉しくて、振りほどく気にはなれなかった。


聖殿の玄関を出て、石段を降りた広場に、一頭の白馬が佇んでいた。
見事な体躯の白馬に、ジュリアスの目はくぎ付けになる。
綺麗に筋肉の浮き出た引き締まった脚や胴から臀部にかけての見事な曲線。
鬣から尻尾まで日を浴びた純白の毛並みはまるでシルクの輝きだ。
澄んだ瞳は知性を備え、ジュリアスを穏やかに見つめている。
馬を愛するものならば、一度は夢見る理想の馬。
この馬が駆ける姿はどれほど美しいだろう。
一瞬、ジュリアスは、その馬の背に乗る自らを夢想していた。

手をつないでいたはずのアンジェリークが、いつの間にか馬の手綱を握っている。
そして、鐙につま先をかけると、ひらりとその背に飛び乗った。
プライドの高い良馬は、乗り手を選ぶ。
危険を予想したジュリアスはこぶしを握ったが、すぐにアンジェリークと白馬の様子を見て、力を緩めた。
アンジェリークが首をなでると白馬は静かに鼻を鳴らし、とてもいい雰囲気なのだ。
確かな信頼関係が出来上がっているように見える。
とても美しい、まるで童話のワンシーンのようだ。

「見て、ジュリアス」
アンジェリークが馬の耳にこそこそと話しかけると、馬は小さく前足を打ち付け、体を震わせた。
途端に馬の全身から光の粒が広がり、大きな翼が現れる。
「これは…」
童話や神話で誰しも一度は目にしたことのある、翼のある馬。ペガサス。
まさか実在しているとは。
ジュリアスは目の前にいる未知の生物に、ただ驚き、触れることもできなかった。
ペガサスの姿があまりにも神々しく、現実のものと思えなかったからだ。

「うふ、びっくりした? このペガサスは、普段は令梟宇宙で暮らしているの。それをわたしが特別にお願いして、今日だけ神鳥宇宙に来てもらったのよ」
馬上のアンジェリークは誇らしげに胸を張り、つんと顎を挙げている。
まるで、褒められたい子供だ。
ペガサスも翼の先をぱたぱたと震わせ、アンジェリークに同意している。
見とれていたジュリアスだったが、ある言葉にぴくりと耳が動いた。
「令梟宇宙?」
「そうなの。令梟宇宙にはペガサスがいるのよ~。ジュリアスは知らなかったでしょう?わたしもアンジュに聞いて初めて知ったの。ユエと仲良しで、向こうの守護聖たちは時々乗せてもらったりしているんですって。すごいわよね!それで、ピンと来ちゃったの。ジュリアスは馬が大好きでしょ?だから、ペガサスにも絶対に乗りたいただろうって」
「ああ、その通りだ。こんなに美しい馬が実在するとは…夢でもありえないと思っていたが」

翼から絶えずこぼれる光。
圧倒的な存在感は、神の眷属にふさわしい。

「サプライズの誕生日プレゼント、大成功?」
「……誕生日?」
「やだ、忘れてたの?今日、ジュリアスの誕生日じゃない!」

得意げに話すアンジェリークに、ジュリアスは胸の靄がすっと晴れていくのを感じていた。
アンジェリークが令梟宇宙に足しげく通っていたのも。
ユエと親しげだったのも。
すべてはこのペガサスのためだったのだ。
ジュリアスの誕生日のサプライズのための。

「あ、今日のわたしは王子だから。ペガサスでジュリアス姫を迎えに来た、っていう設定」
「設定?」
またジュリアスには理解不能の言語だが、差し出された手と、ペガサスの目で言いたいことはわかった。

「乗って。ペガサスで空をかけてみましょう!」
断れるはずがない。
ジュリアスはさっと鐙に足をかけると、ペガサスの背に降りた。
すると
「ちょっと、そうじゃないわ。わたしが王子なんだから、ジュリアスは前じゃなきゃ」
アンジェリークが慌てふためいて、身体を捻っている。
ジュリアスが乗った場所は、アンジェリークの真後ろで。
自然と背後からアンジェリークを抱きしめるような格好になってしまったのだ。
「だが、私の方が体が大きいゆえ、前に座れば、そなたは前が見えなくなってしまうであろう。それでは、馬を操るなど到底無理だ」
「それはそうだけど!…なんかこの体勢じゃ…落ち着かない」
王子だし、とか、姫を前に乗せたい、とか、ぶつぶつ言うアンジェリークを放置して、ジュリアスは軽く手綱を引いた。
それだけですべてを察したペガサスは、ゆっくりと翼を広げ、数回、はためかせる。
優雅に揺れる翼から光の粒が溢れ落ち、ふわりと馬体が宙に浮いた。

ばさり、と大きな翼がすぐそばではためいているのに、背中に風が巻き起こることもなく、空の爽やかな風が、髪を靡かせる程度に落ち着いている。
重力や慣性を無視した、その不思議な浮揚感に、子供のようにワクワクする気持ちが止まらない。
もっと高く。
手綱をぎゅっと握ったジュリアスのはやる気持ちにペガサスはちらりと優しい黒い目を向けると、高く飛翔し、まさに空を駆けた。

「わあ!」
アンジェリークの弾んだ声に、ジュリアスの胸も高鳴る。
アンジェリークを腕に抱いて、ペガサスで空を飛んでいる。
ありえない状況に、ジュリアスは勝手に顔が緩んでくるのを感じていた。
「ふふ、ジュリアスが楽しそうで嬉しい」
「嬉しい?私が楽しそうだと、そなたが嬉しいのか?」
「もちろんよ!ジュリアスが喜んでくれると、わたし、とっても嬉しいし、楽しいし、最高の気持ちになるわ!」
靡く金の髪に縁どられた満面の笑みに、きらっと輝く緑の瞳。
生命力とパワーに溢れたその姿はジュリアスにとても眩しく映った。
彼女の言うことは、全部本当のことなのだろう。
けれど。

「…私は違うな。そなたが笑っていても、少しも嬉しくなかった」
ぽつりと零れ落ちた言葉にアンジェリークが息をのんだ。
輝いていた緑の瞳が急速に色を失い、うつむいたうなじが震えている。
「そなたが令梟宇宙で、光の守護聖ユエと楽し気に話しているのを見た時、笑えなかった。…そなたの笑顔が苦しく思えたのだ」
アンジェリークの純粋な心に比べて、自身のなんと醜い心か。
ジュリアスが自嘲をこめて告げた言葉に、アンジェリークがハッと顔を上げた。
「それって……?」
「未熟な人間だと笑ってもよい。だが、事実だ。そなたがユエと一緒にいるところを見て、私はイライラした」
あの時の気持ちはイライラしたという程度では説明できないが、他にうまい言葉も見つからない。
怒りでもなく、悲しみでもなく。
焦燥感とでも言う、胸を掻きむしりたくなるような想い。

アンジェリークはただ黙っている。
気まずい空気に、空の青さが目に痛い。
ペガサスは、背中の二人の雰囲気を敏感に読み取っているのか、ゆっくりと大きな動きで空を泳いでいる。
しばらく、何かを考えていたアンジェリークだったが、次第に、その顔に抑えきれないような笑みがじわじわ広がっていった。

「わたしがユエと仲良くしてて、イライラしたのよね?」
「ああ」
「ね、もしかして、ユエと仲良くしたのが、ロザリアだったら?やっぱりイライラしそう?」
問われるまま、ジュリアスは想像してみる。
二人が並んで話をしていても、特に胸が痛くなることはない。

「何も感じぬな」
「そっかあ~。そうなんだ~~~」
意味ありげに、うんうんと頷くアンジェリークの頬が耳まで赤くなっている。
なんだかよくわからないが、どうやらアンジェリークはすごく喜んでいるらしい。
「うふ、ペガサスって、すごく素敵ね!」
「…急にどうしたのだ?」
「いいじゃなーいい。ペガサスちゃん、もーっと飛んで!」
アンジェリークの声にペガサスは、ぶるると鼻を鳴らすと、一気にスピードを上げた。

空高く、ペガサスが神鳥宇宙の空に舞っている。
楽しそうに笑うアンジェリークに、ジュリアスにもつい笑みが浮かんでしまう。
彼女が笑うと、嬉しい。
もっと笑ってほしい。
自分の中に新しく芽生えた、不可思議な感情。
けれど、その感情が厭わしいものではないことに、ジュリアスは気が付いていたのだった。

FIN

2021/08/16 up

ジュリアス様、お誕生日おめでとうございます!
今年もみんなでお祝いすることができて、とっても嬉しいです。
三人目の光の守護聖様も登場しましたが、やっぱり私にとっての『光オブ光』はジュリ様ですv
今年も変わらず光り続けてください!!


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