side Bitter

シールを半分剥がしかけて、オリヴィエはもう一度上から抑えた。
ロザリアから預かった大切な手紙を開けるなんて、いいはずがない。・・・例えどれほど気になったとしても。

オリヴィエは手紙を引き出しに入れると、ぼんやりとペンを手に取った。
すぐにオスカーのところに持って行くべきなんだろう。でも、できない。
なんとなく、ロザリアも自分を好きでいてくれているような気がしていた。
一番、親しくしている自信もある。それなのに。

ふと時計を見ると、3時。
まるで計ったようにノックの音がして、再びロザリアが顔を出した。
恥ずかしそうにのぞいた瞳はキラキラと輝いている。
「いいお茶が手に入りましたのよ?ご一緒にいかがかしら?」
手にしているのは黒い丸筒の缶。金色の文字はなにが書いてあるのかまでは見えない。
オリヴィエはロザリアから目をそらすと、書類をわざと大げさに振って見せた。
「まだ、やりかけなんだよ。しばらくはお茶出来そうもないかな。ごめん。」
オリヴィエの言葉にロザリアは少しがっかりしたようだったが、すぐに笑みを見せた。
「・・・では、また参りますわ。」
ドアのしまる音がして、オリヴィエは書類から手を離す。
彼女の聞きたいことはきっと、これなんだろう。
手紙を渡したか、どうか。
引き出しから出した手紙はとても薄い。けれど、オリヴィエにはとても重いものに感じられた。
その重みに沈み込むような気分で服の間に手紙を忍ばせると、オリヴィエは部屋を出た。


傾きかけた午後の陽ざしを背に受けて、オスカーは執務机に座って何かを書いていた。
「珍しく仕事してるじゃない?」
オリヴィエは明るい声をかけて、近づいていく。 オスカーの机のはじにそっと手紙を置くと、オスカーは眉を上げてそれを見た。
「これはなんだ?」
「・・・ある子から預かってきた。」
冷静に話すことができる自分を褒めてやりたいと思った。オリヴィエはオスカーの視線を受け止めたまま、肩をすくめる。
興味がなさそうな様子も思った通りで。
「あんたにとっちゃ、珍しくないだろうけどね。私が持ってきたんだ。返事を書いてやって。」
くるり、と踵を返したオリヴィエにオスカーは何も答えなかった。

暖かかった気温も夕方になると少し下がる。
窓から差し込む西日にオリヴィエはカーテンを少し閉めた。
淡いレースのカーテンが西日でオレンジに染まっている。
ドアを開けて入ってきた人間が作る長い影が壁伝いに天井に伸びた。
「これを、彼女に渡してくれないか?」
机の上に置かれた白い封筒。
自分で渡せばいい、と言おうとしてやめた。
オスカーらしくない手紙という行為と、今の表情でなんとなく答えがわかった気がする。
一人になって、手紙を窓に透かしてみた。
白い便せんに書かれた青い文字が透けている。ただ、言葉までは読みとれない。
ほんの数行の手紙にこれまでロザリアと過ごしてきた思い出が浮かんでは消えた。

補佐官室は紅茶の香りに満ちていた。
ロザリアのお勧めの紅茶は甘い花の香りで、今の気分には合わないとオリヴィエは思った。
「まあ、来て下さいましたの?すぐにあなたの分も淹れますわ。」
嬉しそうに席を立ったロザリアを手で制して、手紙を差し出した。
ロザリアの視線がオリヴィエから手紙に移る。
「返事。よかったね。」
固まったように動かないロザリアに押し付けるようにして手紙を渡す。
なにも言わないロザリアをそのままにして、オリヴィエは補佐官室を出ると私邸に戻った。
きっとこの後は仕事にならない。
頭から浴びた冷たいシャワーの雫が背中を伝っていった。

ロザリアはどんな顔をしていただろう。
ソファに転がってワインを重ねたオリヴィエは最後の一滴をグラスに落としながら考えた。
思い出せないことが不思議で、もう1本、セラーからワインを取り出す。
窓をたたく音がしてカーテンを開けるとオスカーが立っていた。
「こんないいワインを一人で飲むつもりなのか?」
ラベルを見たオスカーはオリヴィエの返事を待たずにサイドボードからグラスを出した。
立ったままワインを注ぐと、オリヴィエに向かって小さくグラスを掲げる。
香りを楽しんでゆっくり口に含むと、ヴィンテージ特有の重い味わいが口の中に広がった。
とりとめのない話をして、2本目が空になる頃、オスカーはふと視線を上げた。
「もうすぐ10時か。」
オスカーが気にするにはいささか早い時間にオリヴィエは首をかしげた。
オスカーはそれきり黙ってオリヴィエを見つめている。アイスブルーの瞳は酔いだけではない熱を帯びていた。
「お前は・・・。」
ようやく出た言葉さえ、途切れてあたりに吸い込まれる。
時計の音だけが響く部屋で、お互いに言いたいことはたった一つ。
先に言葉を出したのはオリヴィエだった。
「気にしないでよ。私は何とも思っていないから。」
それを聞いてグラスの中身を飲み干したオスカーは、立ち上がると来た時と同じように窓から出て行った。
再び戻った静けさにオリヴィエは一人、グラスを重ねた。


庭園の噴水は夜空を映して青く輝いている。
そのそばに立つ人影を認めると、オスカーはわざと靴音を立てた。
音にはじかれたように振り返ったその影は夜よりも青い瞳をオスカーに向けて、安堵したように肩を落とした。
自然と早くなる足を意識してゆっくりと動かしてオスカーはロザリアに近づく。
手を伸ばせば触れられる距離で二人は立ち止った。
「こんな時間に何のお話ですの?」
警戒心のない瞳で、ロザリアが尋ねると、オスカーは静かに空を見上げる。
つられてロザリアも空を見上げた。視界に入るオスカーの表情はどこかいつもと違っていて、一瞬不安になる。
「この星空の下で輝く君を見てみたいと思っただけだ。・・・思った以上に綺麗だ。」
ゆっくりとロザリアを振り向いた顔にからかいの色はなく、ロザリアは息をのんだ。
この先を聞きたくないと、思わず耳に手を当てる。
「君を傷つけることになってしまったことを謝らなくてはならないな。」
目をそらしたロザリアの手をそっと取ると、オスカーは言った。
「あいつの気持ちを知りたいと言われたとき、君をあきらめなければいけない日が来たと思った。だが。」
ロザリアは噴水のふちに腰かけると、手をついて流れる水を眺めた。
流れ落ちる水は透き通る鏡のようにロザリアの寂しげな顔を映している。
背中から響くオスカーの言葉がロザリアの耳に重く響いてきた。
「俺が君の前にいることが答えだ。」

デートのときにわざと見せつけるように買ったレターセット。
渡してほしいと頼んだ手紙。
「もし、あいつの気持ちが少しでも君にあれば、きっと来るさ。他の男と夜のデートをさせるほど、あいつは寛大じゃないはずだ。」
初めて好きになった人は、本当の心を見せない人。
素直に想いを伝えるには不器用過ぎるロザリアは、少しだけ卑怯な手段で気持ちを確かめようとした。
オスカーの提案を受け入れて、オリヴィエに仕掛けた小さないたずら。
こんな形で、彼の気持ちを知るつもりはなかったのに。

ロザリアからこぼれたしずくが起こす水面の波紋がやがて消えて行くと、オスカーはロザリアの隣に腰かけた。
熱い手のひらがロザリアの頬を拭う。
しばらくして立ち上がったロザリアはまっすぐにオスカーを見つめた。
「もうしわけありませんでしたわ。では、これで。」
いつものようにピンと背筋を伸ばして、星明かりの下を歩いていくロザリアを見送った。
噴水の音だけが静かに流れる中、オスカーはその水に手を浸してみる。

オリヴィエは手紙を見ないかもしれない、と思っていた。
ロザリアを大切に想っているからこそ、見ないだろうと。
卑怯だと言われればそうかもしれない。
ただ、賭けてみた。もしオリヴィエがここに来れば、本当にあきらめるつもりだったのに。
彼女に触れた手のひらが冷たくなるまで、オスカーは動かなかった。
噴水の水面はいつまでも一人の影を映していた。


あれほど一緒に過ごした毎日が少しづつ遠くなって、一人でお茶を飲むことが増えた。
あまりに執務室に居続けることが嫌になって、オリヴィエは外へ出てみる。
噂というのは無責任なもので、否応なくオリヴィエの耳にも入ってきた。
だから知ってしまったのだ。
ここのところロザリアが一緒にいるのはオスカーらしいということを。

よく通ったカフェのウィンドーから外を眺めると、眩しい光とともに飛び込んできた姿。
見たいと思っていた彼女。けれど見なければよかったとすぐに後悔した。
隣にいるのは間違いなくオスカーで、微笑み合う二人はどう見ても恋人同士。
外から中を見ることはできないと知っていても、なぜかオリヴィエは目をそらしてしまった。
タイミング良く紅茶が運ばれてきて、続いてテーブルに置かれたケーキにオリヴィエは視線を上げた。
「ちょっと、私、頼んでないんだけど。」
責めるような口調になったことに自己嫌悪しながらもオリヴィエはウェイトレスに皿を押し付ける。
皿を返されたウェイトレスは少し照れながら、小声でオリヴィエに向かって言った。
「ケーキがお好きなのではないのですか?いつもご一緒に注文されていたので、おかしいな、と思って。こちらからのサービスです。」
力が抜けたオリヴィエをどう思ったのか、再びにっこりとほほ笑んでウェイトレスはケーキの皿を置いた。
皿の上のケーキは大きなイチゴの乗ったタルト。
きっと、今日はこれを注文したと思う。もし、ロザリアが一緒ならば。
「もうね、ケーキはいらないんだよ。」
一緒に置かれたケーキフォークを手にとると、一番綺麗なイチゴに挿した。

あのとき、好きだと伝えていれば。
どこで変わってしまったのか、すれ違った想いはもう重なることはない。

口に入れたイチゴは酸っぱくて、まるで後悔の味のようだと思う。
皿の上に半分だけケーキを残して、オリヴィエはカフェから立ち去った。


FIN
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