side Sweet

オリヴィエはシールに爪をかけると、傷をつけないようにゆっくりとシールをはがした。
中から出てきたのはやっぱり昨日買ったレース模様の便せん。
少し濃いめのブルーのインクでロザリアの綺麗に整った文字が書かれている。

『ずっと、あなたを見てきました。』
『一緒にいる時間がいつの間にかこの上もなく大切なものに思えるようになりました。』

控えめながらもロザリアの強い想いが伝わる言葉の数々にオリヴィエはうめいた。
この『あなた』がオスカーでなければ、どんなに幸せなことだろう。

『あなたをお慕いしております。わたくしの気持ちを受け取っていただけますか?』

最後まで読んで、罪悪感よりも深い後悔に襲われたオリヴィエは手紙を元通り封筒に戻した。
ロザリアがオスカーを好きだなんて。
確かに最近はよく話していたけれど、どちらかといえば、ロザリアは自分に心を許してくれていると思い込んでいた。
テーブルの上に置いた小さな手紙がオリヴィエの心を押しつぶしそうなほど大きく見える。
まるでロザリアのようなその封筒をしばらく眺めて、オリヴィエは手紙を手に席を立った。


まっすぐに向かった先はオスカーの執務室。
速度を緩めることなくドアを開けたオリヴィエは執務机に座るオスカーの前に立った。
オリヴィエの勢いに気圧されたようにオスカーは軽く眼を見開く。
「・・・どうしたんだ。やけに怖い顔をしてるじゃないか。今日のメイクはよくないぜ。」
オスカーの軽口に大きく息を吸いこんだオリヴィエは大きな音を立てて手紙を机の上に置いた。
その勢いで、机の上の書類が少し浮いたくらいだ。
オリヴィエの綺麗な手の下の封筒に気付いたオスカーが軽く眉を上げる。
「なんだ?お前がこんなものをよこすなんて。金を貸した覚えはないが。」
普段なら「バカなこと言ってんじゃないよ!」と、軽くかわせるジョークが神経に触った。
「・・・渡してくれって頼まれた。」
誰に、のところは言いたくもない。
「そうか。」
別に珍しいことでもないのだろう。オスカーはオリヴィエから視線を外して、書類を手に取った。
そのすました態度に舌打ちしてオリヴィエはオスカーの手の書類を強引に取り上げる。
「ちょっと!ちゃんと受け取ってよね。」
「わかったって言ってるだろう?後で読んでおく。・・・誰に頼まれた?」
熱くなりすぎたことを後悔しながらオリヴィエはロザリアの名前を出した。
オスカーの動きが止まって、手紙の方へ手を伸ばす。
オスカーが封を開けるのを見て、オリヴィエは部屋を後にした。
廊下を歩くとカツカツとヒールの音が響く。
誰にも会うことなく部屋に戻れてよかったと思う。
自分の執務室に戻ったオリヴィエは執務をする気になれずに、ソファに寝転がって、天井を眺めていた。

ノックもせずに部屋に入ってくる相手はそうはいない。
オリヴィエが顔を上げると、オスカーはにやりと笑って、机の上に手紙を置いた。
真っ白な封筒の宛名は『ロザリア』。
「渡しておいてくれないか?」
頼むような口調のくせに、すでに腕を組んで断わるはずがないという顔をしている。
オリヴィエは手紙に吸い寄せられていた視線をオスカーに向けて、鼻を鳴らした。
「なんで私が。」
オリヴィエの言葉に肩をすくめたオスカーはゆうゆうとドアの方へ向かいながら言った。
「手紙なんてもの、俺らしくなくて恥ずかしいだろ?」
本気なのか冗談なのか分らないような言葉を残してオスカーが出て行くと、オリヴィエは白い封筒を手に取った。
ロザリアの時と同じように封にしてあるのは金色のシールだけ。
「全くここの連中ときたら、人を信用し過ぎだよね。」
オリヴィエの整えられた爪が金のシールに触れる。
面白いように簡単に開いた封筒から再び便せんをとりだした。

『今夜10時に庭園で。』

他にもいかにもオスカーらしい文章が綴られていたけれど、オリヴィエの目に映ったのはその一文。
早速、こんな夜に呼び出すなんて、いかにもアイツらしくて・・・・イヤになる。
オリヴィエは元通りに手紙を直すと補佐官室に向かった。
「伝書鳩。」
右手にひらひらさせた手紙を見て、ロザリアは少し驚いた顔をした。
ちょどお茶の途中だったらしく、テーブルに置かれたカップからはまだうっすらと湯気が上っている。
ロザリアはオリヴィエから渡された手紙を机に置くと、何か言いたそうにオリヴィエを見た。
「ああ、私がいたら読みにくいよね。ごめん。」
早々に出ようとしたオリヴィエをロザリアが呼びとめた。
「あの、ご一緒にお茶でもいかがかしら?」
今までなら、自分から「私も飲んでいい?」と聞いていただろう。
でも、と、オリヴィエはロザリアを振り返ることもなく首を振った。
「また、今度ね。」
出て行ったオリヴィエの姿を見て、ロザリアはため息とともにカップを持ち上げた。
「オスカーったら・・・。わたくし、わかりませんわ。」
淹れたてのキーマンは少し渋みが強くて、ロザリアは顔をしかめた。


夜の庭園はとても静かで、ぽつんと灯った街灯の明かりと下弦の月の明かりだけに照らされていた。
少しの肌寒さを感じて、ロザリアは上着の襟を合わせる。
約束の時間まであと少し。
静けさの中に一人きりでいることに不安を感じて、うろうろと歩きまわった。
ようやく向こうの方から人影が見えて、ロザリアはほっと胸をなでおろす。
ゆっくりと向こうから来る立派な体躯。
見間違えようもない緋色の髪が、ロザリアの前に立つと、耳元に顔を寄せて、何かをささやいた。
雲が動いて、一瞬ロザリアの顔がほの白く浮かぶ。
薄闇でもはっきりとわかるほど赤くなった頬。
それを見て薄く笑ったオスカーはロザリアの肩に両手を置いて、大きく息を吸った。

「そこにいるんだろう?」
庭園の闇は静かなまま、オスカーの声だけがこだましている。
「出てこないなら、ロザリアは俺がさらっていくぜ。」
ロザリアの青い瞳はじっとオスカーに注がれている。まだ静かなままの夜にオスカーはロザリアを抱き寄せた。
「手初めにこの唇からいただこうか?」
オスカーの顔がロザリアに近づいていくと、ロザリアは顔をそむけた。
明らかにイヤそうなロザリアの腕をつかんでオスカーは強引に自分の方へ向かせる。
逃げ出そうとするロザリアの背中に腕を回すと、背後の茂みが動いて、人影が飛び出してきた。
「ちょっと!!どういうつもりなのさ!嫌がってるじゃないか!」
オフだからなのか、変装の一種なのか。普段のメイクを落としてすっきりした服を着たオリヴィエがオスカーの腕をとった。
その強い力に眉を寄せたオスカーがロザリアをつかんでいた手を離す。
「やっぱりいるんじゃないか。家にいないから、まあ、そうだろうとは思ったが。」
「家?人んちにまで寄って確かめたわけ?」
まくしたてるオリヴィエに、オスカーはにやりと笑みを返す。
「お前、手紙を見ただろう?」
その一言にオリヴィエの言葉が詰まる。見ていなければ、今夜のことが分かるはずはない。
ロザリアの後をつけてきた、というのと、どっちがいいんだろう。
悩んでいるオリヴィエを見つめるロザリアの肩にオスカーは軽く手を乗せた。
「言った通りだろう?こいつは君のことが気になって仕方がないみたいだぜ?・・まあ、あとはこいつの口から聞くといいさ。」
恥ずかしそうにオスカーを見上げた青い瞳が揺れる。
思考のループから意識を取り戻したオリヴィエは目の前のロザリアを見た。
赤く上気した頬と何か言いたそうな唇。
「もしかして、嵌めたの?」
恨めしそうに睨んできたオリヴィエにオスカーは背を向けた。
「ロザリアがお前の気持ちがわからないと言うんでな。説明してやってくれ。なんで、手紙を盗み見したのか、ってところからな。」
そのまま、すたすたと歩いていくオスカーの後ろ姿が月明かりに滲んでいく。
二人に見えないところまでまっすぐ歩いて、オスカーは足をとめた。
「新しい恋を探しに行くか。手初めは・・・こっちからだな。」
上着の内ポケットの中のブルーの手紙にそっと触れると、オスカーは家と反対の賑やかな通りを目指して歩いて行ったのだった。

オスカーがいなくなってもまだ、オリヴィエとロザリアは黙って向かい合っていた。
ふと流れた雲に月が隠れると、辺りに暗闇が落ちる。
「手紙、見てごめん。」
顔がよく見えない分、ロザリアの声がはっきりと聞こえた。
「いえ。・・・あれはもともとあなたあてに書いたものなんですの。ですから、読んでいただいてもかまいませんわ。」
今、なんて言った?
オリヴィエの胸が大きく波打つと、再び月が辺りを照らした。
「オスカーが添削してやるから、あなたに書くつもりで書いてみろ、と言いましたの。まさか、こんなことになるなんて思いませんでしたけれど。」
少し離れていた二人の距離をオリヴィエがゼロにする。
1ミリの隙もなく抱きしめるオリヴィエの腕の中で、ロザリアは少し震えているように思えた。
「ね。今度の日の曜日も一緒にいてくれる?」
耳元で囁く甘い声にロザリアは頷いた。
「今度だけじゃなくて、その次も、その次も。ずっと一緒にいたいんだけど、いいかな・・・?」
ロザリアの返事は誰にも聞こえなかった。
言葉を紡ぐ唇がふさがれてしまったから。


次の日の曜日。
二人はいつものカフェにいた。
今日のお勧めケーキはイチゴのタルト。
大きなイチゴがたっぷりと乗っていて、塗られたシロップのせいで、イチゴの一粒一粒がキラキラと輝いていた。
紅茶しか頼まなかったロザリアの前にウェイトレスがケーキを置いた。
むっとした顔でケーキの皿をオリヴィエの方に押しやったロザリアは口をとがらせて言う。
「わたくしはこんな子供っぽいものは食べませんわ。あのウェイトレスったら本当に失礼ですわね。」
オリヴィエが注文すると思うほうがおかしいのに、ロザリアは不満そうだ。
けれど、オリヴィエがフォークを手にすると、やっぱりキラキラとした瞳で見つめてきた。

「おいしそうでしょ。一口食べる?」
ファークに乗せた一切れをロザリアの目の前に差し出した。
大きなイチゴとボリュームのあるタルト生地。
不安定に乗ったフォークから今にもこぼれおちそうだ。
「あーん、して?」
オリヴィエの言葉にロザリアが目を丸くした。
そんな恥ずかしいことできませんわとでも言いたそうに蒼い瞳がオリヴィエを睨みつけている。
さっと赤らんだ頬がかわいくて、オリヴィエはフォークを少し揺らして見せた。
ロザリアはじっとケーキとオリヴィエを交互に見つめると、辺りをきょろきょろと見る。
そして、ぱくり、とフォークをくわえた。
「・・・おいしいですわ。」
にっこりしたロザリアに今度はオリヴィエが口を開ける。
「私にも食べさせてよ。」
途端に赤くなって止まってしまったロザリアに、今度は囁いた。
「口うつしでも、いいんだけど。」
目の前のイチゴとロザリアと、どっちが赤いかな、なんてことを考えて、オリヴィエは小さく笑ったのだった。


FIN
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