砂漠の求める色は

謁見の間に入ってきた少女を見て、地の守護聖ルヴァの心臓は大きな音を立てた。
かなり緊張した様子できょろきょろとあたりを眺めてはもう一人の女王候補の少女にたしなめられている。
輝く金の髪。澄んだ碧の瞳。
「わたしの名は、アンジェリークです。」
その声は天上の音楽よりも素晴らしいと思った。

女王陛下と補佐官の前で女王試験についていくつかの説明がなされたが、そのほとんどをルヴァは聞いていなかった。
瞳がアンジェリークに縫い付けられたように凝視している。
「ねぇ、ちょっと、ルヴァ。ルヴァってば。」
オリヴィエに肘でつつかれてようやく自分の自己紹介だと気付いた。
何と言ったのかも覚えていない。
とにかくルヴァはアンジェリークに一目ぼれしてしまったのだ。

「あ~、この世に本当にいたんですねぇ。碧の妖精は…。」
執務室に戻ったルヴァは一番手近にある書棚に手を伸ばした。
この書棚にはルヴァの特別にお気に入りの本が収められていて、すぐに取り出せるようになっていた。
難しそうな分厚い本の片隅に、一冊の絵本が差し込まれていた。
ルヴァはその絵本を取り出すと、パラパラとページをめくる。
お目当てのページにたどり着いたのか、ルヴァは絵本を机に置いて広げた。

開いたページに描かれていたのは、金の髪に碧の瞳をもつ少女の姿の妖精だった。
(砂漠の地にあらゆる恵みをもたらす碧の妖精は、その若者の願いを聞きとげました。)
ページをなぞるようにして、ルヴァは文字を追った。
(あなたも私の願いをかなえてくれますか?アンジェリーク・・・)

女王試験が始まって、ルヴァの周囲もあわただしくなった。
毎日のように女王候補が訪ねてきたからだ。
ノックがするたびに、ルヴァはドキドキして入室を許可するのだが、やってくるのはもう一人の女王候補のロザリアだった。
正直、ロザリアのことはまったく気にしていなかったし、謁見の間でも見た覚えがない。
最初の訪問で 「はじめまして。」と言ってしまい、ロザリアを困惑させもした。
どうも意識はしていないのだが、顔に出てしまっているらしい。
いつもロザリアは少し申し訳なさそうにして部屋に入る。
そして、ルヴァはがっかりした心を隠して、ロザリアの質問に答えるのだった。

毎晩、ルヴァは絵本を読んだ。
小さいころから繰り返し読んできたので、すでにストーリーは暗記している。
碧の妖精はアンジェリークの声でルヴァに語りかけてきた。
(あなたの望みをかなえましょう。砂漠を緑に彩りましょう。)
碧の妖精がルヴァの故郷のような砂漠を一面の緑に変える、ルヴァの一番好きな場面だ。
砂漠に必要な色。豊かな緑。
話をしたこともないのに、ルヴァの中でアンジェリークに対する想いはどんどん膨らんでいた。


しばらくして、アンジェリークはロザリアとともにルヴァのもとを訪れた。
試験開始から半月余りが経っている。
ロザリアの後ろにアンジェリークを見つけたルヴァは、呼吸困難になったように胸が苦しくなった。
それにあわてて立ち上がったせいか、周りにあった本が崩れてルヴァの足の小指を直撃した。
胸も足も痛くて倒れそうだったが、同時にあまりの嬉しさに踊りだしそうにもなっている。
どう見てもルヴァの様子は普通ではなかった。

「あの、ルヴァ様、いままでお伺いしなくて済みませんでした。」
アンジェリークがぺこりと頭を下げた。
金の髪がふわりと揺れてルヴァは眩しくて目が潰れそうになる。
「いいえ~、いいんですよ~。これからもいつでもお待ちしていますからね~。」
ルヴァの顔は嬉しさで輝いていた。小さなころからずっと憧れていた碧の妖精がいる…!
「あの、今日は育成をお願いしたいのですけど…。」
「はいはい、少しですか、たくさんですか?」
もみ手でもしそうな勢いだ。
「ねえ、どっちがいいのかな?」
アンジェリークがロザリアに尋ねると、ロザリアはすぐに答えた。
「そうね、エリューシオンの様子なら少しでいいんじゃないかしら。」
「ではルヴァ様。少しでお願いします。」
ルヴァはすこしでいいことに喜んだ。
(少しづつ、毎日来てくださいね~。)


女王試験の日々は穏やかに流れた。
アンジェリークのことばかり考えているルヴァはみんなからおかしな目で見られていることにも気付かない。
ゼフェルなどは「おっさん、とうとうボケがきたぜ。」と公言していた。
(あ~、今日もアンジェリークは来ませんねぇ。)
カレンダーのバツ印がどんどん増えていく。
待ちきれないルヴァは執務室のドアから首を出してアンジェリークが通りかかるのを待った。
(アンジェリークが通ったら、「私の部屋でお茶でもいかがですか~」と声をかけて…)
ルヴァの妄想が果てしなく広がっていたとき、ロザリアが来た。

「ああ~、貴女でしたか。私に何か御用ですか?」
「ええ、昨日のテーマをわたくしなりに解釈しましたので、ぜひ見ていただきたいと思いまして。」
ルヴァはがっかりした様子を隠して、ロザリアを部屋に招き入れた。
ロザリアは毎日のように執務室にやって来る。
今日のように勉強のためだけにやってくる日も多くなっていた。
「サクリアの配分ですけれど、わたくしならばこのように地の配分を増やして、鋼とのバランスを取りたいと思いますわ。」
「そうですね~。それも悪くないと思いますよ。フェリシアは貴女の大陸ですからね。貴女のカラーが出てもいいと思いますよ。」
ロザリアは勉強熱心で育成にも前向きだった。幅広い知識からルヴァともしばしば対等に議論した。
議論の間の反論や質問も的確で、ルヴァは素直に感動していた。
理解できないことは必ず納得するまで調べていたし、さらに深い考察をしていることもあった。
少し理性が過ぎると思うこともあったが、今ではロザリアの勉強につきあうことが苦痛ではなくなっている。
「ありがとうございます。ルヴァ様にそう言っていただけると自信がつきますわ。」
ロザリアは几帳面な字で今までの議論を書き留めていった。

「アンジェリークをお待ちでしたの?」
ロザリアに聞かれて、ルヴァはお茶を噴き出した。
「ええ~と。その、そろそろエリューシオンにも地の力が必要とされているようだったのでね、気になりまして…。」
しどろもどろになって顔を真っ赤にさせているルヴァを見て、ロザリアはくすくすと笑った。
「もう、存じておりましてよ。いくらわたくしが疎いといっても毎日ルヴァ様を見ているのですもの。
アンジェリークをお好きなことくらい気が付きますわ。」
茫然と見つめてくるルヴァにロザリアはさらにくすくすと笑った。
なぜかルヴァの胸がきゅっと小さく動いた。


女王試験も80日を過ぎた。
あれからアンジェリークは一度もルヴァの元を訪れていない。
カレンダーがバツ印で埋め尽くされている。今日の日付にもバツ印を書き入れた。
(なぜ、アンジェリークは来ないんでしょうか…。)
今やロザリアとの差は決定的なほどに開いている。
もし、アンジェリークが来たら、と、書き留めてある育成のための資料もすでに電話帳ほどの厚さになっていた。
ルヴァは本棚の絵本を取り出して眺めた。
相変わらず碧の妖精はにこやかにほほ笑んで、ルヴァを見つめている。
ふと、ため息が漏れた。

「なんだよ、暗い顔しやがって。」
「ゼ、ゼフェル!」
驚いて、絵本を取り落とした。
「驚かせないで下さいよ~。なぜいつも窓から入ってくるんですか~。」
「廊下でほかの奴に見つかるとうるせーからよ。」
落ちた絵本を拾い上げて、ルヴァに渡そうとして手が止まった。
絵本をまじまじと眺めて、それからルヴァに向かって放り投げる。
「わ~、何するんですか!大切な本なんですよ~。」
ルヴァがあわててしっかりと抱え込んだ。

ゼフェルは素知らぬ顔で机のふちに腰掛けた。
「オレさ、あんたはロザリアに気があんのかと思ってたぜ。」
ゼフェルがそっぽを抜いたまま話し始めた。
「はぁ?!」
思いもよらない言葉に大声を上げる。
「あんだけ熱心に面倒見てやってんのは、そーゆーコトなんだろうってさ。」
ゼフェルと目があった。彼の目の中に安堵の色が見えて、ルヴァは戸惑う。
「じゃあな、オレ行くわ。邪魔して悪かった。」
残されたルヴァは絵本を手にしたまま、立ち尽くしていた。

それからもロザリアはルヴァのもとを訪れていた。
最近では辺境から取り寄せた珍しいお菓子などを持ってくることもある。
そしてあれから勉強の合間のお茶の時間になると、どこからともなくゼフェルが現れる。
お菓子の取り合いやたわいもない言い合いをして、二人は実に楽しそうだ。
ロザリアからもしばしばゼフェルの話を聞かされる。
「ゼフェル様がフェリシアに興味がおありだなんて意外でしたわ。」
ロザリアが言った。
「オレだって、一応気になるぜ。おめーが一生懸命やってんだし、手助けくらいしてやるぜ。」
真っ赤な顔をしてゼフェルが言う。
(あなたが興味があるのはフェリシアでなくて、ロザリアのほうでしょう?はっきり言ったらいいじゃないですか。)
ふと湧き上がる暗い考えにルヴァは驚いた。
(私は、なにを・・・。)
そういえばもう何日もあの絵本を見ていない。

「今度の日の曜日によ、どっか行かねーか?」
ゼフェルの声がする。
「そうですわね…。ルヴァ様とアンジェリークもご一緒にいかがですか?」
(アンジェリーク!)
あの碧の妖精に会えるのだ。きっとこのもやもやした嫌な気持ちを取り払ってくれるだろう。
「も、もちろん、行きますよ!」
急に輝きだしたルヴァの顔を見て、ゼフェルとロザリアは笑った。
ルヴァはカレンダーに大きな丸をつけておいた。


日の曜日はもちろん晴天で、4人はピクニックへ出かけた。
ロザリアとアンジェリークが仲良く先を歩く。
よく考えてみれば、女王候補たちの私服姿を見るのは初めてだ。
つまり、ルヴァはどこにも出かけていなかったのだ。
4人は小高い丘に着くと、レジャーシートを広げて座った。
聖地に似た美しい世界。碧の妖精がそばで笑っている。
ルヴァは久しぶりにに心のもやもやが晴れていくような気がした。

「ルヴァ様~。」
アンジェリークの声が聞こえる。その声はやはり心地よい。
(この晴れ晴れした気持ちはやはり、あなたがいるからですかねぇ。) 
アンジェリークが持ってきたお弁当を広げ始めた。
「はやくなさい。まったくとろいわねぇ。」
ロザリアのきつい言い方にルヴァは眉をひそめた。
しかし、アンジェリークもゼフェルも全く気にしていないようだ。
アンジェリークにいたっては、「もう~、ロザリアの意地悪~。」と、にこにこしている。

「さあ、お弁当ですよ。わたしたちが作ったんです。ルヴァ様もどうぞ。」
アンジェリークがルヴァに笑いかけてお弁当箱を差し出した。
ルヴァは天にも昇る心地だった。
(やっぱり碧の妖精は私に恵みをくれるんですねぇ。)
浮き浮きした気持ちが隠せない。
「まあ、アンジェったら。ほとんどわたくしが作ったんですのよ。」
ロザリアがアンジェリークからお弁当を取り上げて、みんなの真ん中に置いた。
「ゼフェル様もどうぞ。」
ロザリアがゼフェルにおかずをとり分けている。
ルヴァは胸がきりきりするのを感じた。言葉が飛び出すのを抑えられない。

「ロザリア、さっきからアンジェリークにきつく当りすぎなのではないですか?貴女がそんな人だと思いませんでしたよ。」
ロザリアの表情がさっと変わった。
「申し訳ありません…。」
消え入りそうな声で謝る。
「わたくし、反省してまいりますわ。」
立ち上がって、駆け出していくロザリアの後をゼフェルが追いかけていった。
ルヴァとアンジェリークが残される。
アンジェリークの碧の瞳がルヴァを見据えている
「ルヴァ様、ロザリアはいつもあんな言い方だけど、本当は優しいんです。今日だって、わたしが寝坊しちゃったからお弁当はロザリアが全部一人で作ったんです。」
4人分作るのは大変だっただろう。
ロザリアは少しだけ自分のガンバリをほめてもらいたかっただけなのだ。
(素晴らしいですね~、本当にロザリアが一人で?)と言えばよかった。
いつも完璧を目指し、その努力を人には見せたがらないロザリア。
ルヴァにはその気持ちがよくわかった。
なぜ、あんなことを口走ってしまったのか、自分でも不思議だった。

「アンジェリーク、私がいけませんでしたね。あなたにそんな顔をさせてしまいました。」
「ロザリアに謝ってくださいね。」
アンジェリークに言われて、ルヴァは頷いた。
初めてアンジェリークと二人きりになれたというのに、ルヴァは少しもウキウキしていないことに気付いていた。

しばらくしてゼフェルとロザリアが戻ってきた。
明らかに泣いていた顔にルヴァは動揺した。
謝るルヴァにロザリアは、「お気になさらないでくださいませ。わたくしが少し調子に乗ってしまったようです。申し訳ありませんでした。」
と、さらに頭を下げた。また、ルヴァも頭を下げる。何度かそれを繰り返した。
しかし、ルヴァはお互いに謝りあう間、ロザリアの肩に置かれたゼフェルの手が気になって仕方がなかった。


2,3日後、何事もなかったかのようにロザリアはルヴァを訪ねてきた。
もう来ないのではないか、と思っていたルヴァはロザリアの姿にホッとした。
「あ~、いらっしゃい。もう来てくださらないかと思っていましたよ~。」
「あのときは申し訳ありませんでしたわ。取り乱したりしてルヴァ様にも不愉快な思いをさせてしまいました。
ルヴァ様はアンジェリークがお好きなのですもの。わたくしの言い方が気に入らないのは当然ですわ。」
ロザリアは自分の中でもう納得しているようだった。いつもどうりの笑顔。
ルヴァは理性的にふるまうロザリアを見て、罪悪感でいっぱいになった。

ロザリアは来ると必ずアンジェリークについて話してくれていた。
勉強を見てもらうお礼、という意味だったのかもしれない。
毎日の様子や二人で話したことなど些細なことだったが、アンジェリークの話を聞くルヴァはとても嬉しそうで、ロザリアも嬉しかった。
「確かにエリューシオンには地のサクリアが必要ですわね。」
ロザリアは両手に持った湯呑を慎重に机の上に置いた。
カップと違って扱いに慣れていない湯呑は不安定で落としはしないかと、つい慎重になってしまう。
ルヴァはそんなロザリアの様子に微笑んだ。

「わたくしも言っているのですけど。これを見てくださいます?」
ロザリアはバックの中から一冊のファイルを取り出した。
几帳面なロザリアの字で「エリューシオン」とタイトルが書いてある。
中も細かな文字でエリューシオンの様子が書かれていた。
ときどき、アンジェリークの文字だろうか、可愛らしい書き込みがある。
しかし、最近の記録には書き込みがなく、ロザリアの文字だけが並んでいる。
確かにエリューシオンの育成はずいぶん偏っていた。

「う~ん、どうしたんでしょうねぇ。このままでは大陸によくない影響が出てしまいます。」
「やはりそう思われますか?」
ロザリアもじっとファイルを眺めている。
自然にファイルを挟んで頭を寄せ合う形になり、ロザリアの髪がルヴァの目の前で香る。
髪はバラの香りがして、(ああ、まるでこの人そのものですね。)とルヴァは考えた。
目の前の蒼がルヴァの視界だけでなく、心の中まで浸食してくるようだ。
すっと頭を上げたロザリアの瞳は蒼く輝いて、はじめて、この蒼色をとても美しいと思った。
砂漠を潤す深い青。
自分の乾きが消えていくような気がした。

その夜、ルヴァはあの絵本を久しぶりに読んだ。
あいかわらず碧の妖精は絵本の中で微笑んでいるけれど、以前のような何とも言えない甘い気持ちは感じない。
その微笑みは幼い頃から確かにルヴァの心を癒してくれてきたし、ずっと、この妖精に恋していた。
でも今は、妖精が何も与えてくれないことにルヴァは気づいてしまった。
ルヴァにとって必要な色は碧ではない。

次の日、ルヴァはゼフェルの執務室を訪ねた。
滅多にルヴァから尋ねることはないためか、ゼフェルは動揺している。
「オレ、なんかやったか?最近はなんもしてねーぜ。ジュリアスの野郎に言われたのかよ?」
説教モードになる前に逃げ出そうというのがバレバレだった。
そんなゼフェルにルヴァはにっこりとほほ笑んだ。
「いえ、いえ、そんなことじゃありませんよ。」

「今日はあなたに宣戦布告をしに来たんです。」
ルヴァははっきりと言った。
「はあ?!」
ゼフェルの目が大きく見開かれたのを見て、ルヴァはさも面白そうに続けた。
「ですからね、どうやら私もロザリアが好きになってしまったみたいなんです。あなたに隠しておくのはよくないと思いましてね。」
ルヴァは一呼吸置いて 「今日から、ライバルということでお願いしますね。」と言った。

しばらくぽかんとしていたゼフェルだったが、にこにこしているルヴァを見てにやりと笑う。
「先に好きになったのはオレだからな。手加減はしねーぜ。」
「ええ、かまいませんよ。きっと、今のところロザリアは私のほうを慕ってくれていると思いますしね~。」
澄ました顔でルヴァが言う。
「なんだと!」
「毎日来てくれますしね。きっとゼフェルよりも好意をもってくれていますよ~。」
「オレのとこにだって毎日来てるっつーの。」
「え~~!本当ですか~。」
賑やかな声がゼフェルの執務室から聞こえてくる。
今日も二人に取り寄せたお菓子を持ってきたロザリアは、自分をめぐる戦いが起きていることをまだ知る由もなかった…。


FIN
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