愛の小箱

「今日もありがとうございました。」
「いえいえ~、いつでも来てくださいね~。」
ゆったりしたルヴァの声に見送られて執務室から退出した。
ドアが閉まると、そのドアに背中をあずけて、ロザリアはため息をついた。
(ルヴァ様…)
いつからだろう。穏やかな声で接してくれるルヴァにロザリアがときめきを感じ始めたのは。
試験でピリピリしていたロザリアに、「肩の力を抜くといいですよ。」と言ってくれた。
期待されることに慣れていて、その期待にこたえるようにいつだって努力してきた。
初めてその羽根を休める場所を見つけたのだ。
ロザリアの心が急速にルヴァの傾いたのは仕方がないことだったのかもしれない。

部屋に戻ってからも、ロザリアの心からルヴァの姿が消えることはなかった。
ルヴァの占める割合が日に日に大きくなってくるような気さえする。試験のことも頭に入らない。
ロザリアは机の上の宝石箱に手を伸ばした。
家を出るときにお母さまから頂いた宝石箱。
美しい銀細工が施され中央には大きなサファイアが埋め込まれている。
(あなたの大切なものをここに入れるのですよ。)
母の声がロザリアに今も残る。
ロザリアはふたを開けると小箱に向かって囁いた。

「ルヴァ様、大好きですわ。」
小箱の中に吸い込まれていく言葉。
ロザリアは大切な小箱に恋心という宝物を閉じ込めていた。
小箱に囁いた後は、なんだか気持ちが軽くなったような気がして、勉強に集中できるようになるのだった。


ある日、ロザリアが出かけた後、アンジェリークが訪ねてきた。
「ロザリアの資料を借りる約束をしてたんですけど、もう、出かけちゃいました?」
寝坊しちゃって…というアンジェリークはかなり困ったようだ。
ばあやは少し考えたが、アンジェリークをロザリアの部屋に通した。
アンジェリークなら問題ないと思ったのだ。
アンジェリークは机の上に資料を見つけると、急いで聖殿に向かった。
その時、何かにぶつかったような気がしたが、そのことはすっかり忘れてしまっていた。

そのころ、ルヴァは自分の執務室で至福のひと時を過ごしていた。
つまり、読書だ。頼んでおいて本が昨日一気に入荷して、今朝からホクホク顔だった。
一度読書を始めるとルヴァの集中力はすごい。
たいていのことは読み終わるまで目に入らないのだが、今、目の前にいるソレは到底無視できるものではなかった。
机の上にどっかりと腰を下ろした蒼い影はまちがいなくロザリアの顔をしていた。

「おや、ロザリアじゃないですか。私ったらノックの音にも気付かないなんて、申し訳ありませんでしたね~。」
ここで、いつもなら、「あら、気にしておりませんわ。読書なさっているときはいつもですもの。もう慣れましたわ。」
ぐらいのセリフが返ってくるのだが…。今日のロザリアは返事をしない。
(もしかして、怒っているのでしょうか…。)
ルヴァはロザリアの顔を見た。
二人の視線が合った、と思ったとたん、ロザリアがルヴァに抱きついた。
「わあっ!」と、情けない声をあげて、ルヴァは椅子に倒れ込む。
ルヴァの首にはロザリアの腕がしっかり巻きついている。
自然とルヴァの顔がロザリアのきれいな首筋にくっつようになって、今にも首筋に口づけてしまいそうだ。

(いい香りですね~)
などとのんきに思った後、恥ずかしくなってあわてて腕を放そうともがいた。
「え、え、、あの、ど、どうなさったんですか~。気分でも悪いのですか~?」
我ながらばかばかしいと思いながら、ルヴァの口から出るのはそんなセリフ。
その声に腕を放して、ロザリアはじっとルヴァを見つめた。
離れたとはいえ、一つの椅子に二人で座った形になり、ロザリアはルヴァの膝の上にいる。
ロザリアはにっこり笑った。その微笑みはまさに天使のようだ。
ルヴァもつられてにっこりする。
そして、ロザリアはルヴァの頬に ちゅっと口づけた…。

「ええ~~~~~。」
 聖殿中にルヴァの絶叫が響き渡った。

「どうした!」
 一番最初に飛び込んできたのはオスカーだった。
まだ膝に座っているロザリアを見られるのは恥ずかしかったが、ルヴァはとりあえず謝った。
「すみませんね~。初めてのことに動揺してしまって・・・。いや~恥ずかしい。」
何やら照れまくって真っ赤になっているルヴァにオスカーは首をかしげた。

「おい、どうしたんだ、ルヴァ。何があったかちゃんと言ってくれよ。」
ますますルヴァは赤くなる。
「見たらわかるじゃありませんか~。ロザリアが…。」
「ロザリア??」
オスカーは部屋中を見回した。
(俺とルヴァしかいないじゃないか??)
「ロザリアがどうしたんだ?」
はてなマークいっぱいのオスカーを見て、ルヴァははっと気づいた。
(まさか、見えてないなんてことは…)
「あの、オスカー、ここに、何か見えますか?」
ルヴァは再び首に手を巻きつけてべったりとくっついているロザリアを指差した。
「いや、なにも。」 
オスカーの顔は至極真面目で冗談を言っているようには見えない。
ルヴァは安心したような、残念なような気持で言った。
「いや~、どうも寝ぼけてしまったようです~。昨日も遅かったものでね~。ご迷惑をおかけしました。」
「まったく、何かと思ったぜ。どうせなら、色っぽい夢でも見ろよ、賢者殿。」
(夢どころか、大変な現実ですよ~。)
動揺はおくびにも出さない。
オスカーは怒った様子もなく、廊下に集まっていた人々に、「ただの寝言だ。」と言ってくれた。
野次馬が散っていくと、再び、執務室は静かになった。

ルヴァは膝の上のロザリアに、「すみませんね。」と声をかけてソファに座らせた。
すると、ロザリアはいやいや、というようにまたルヴァにくっついてくる。
向かいに腰掛けたはずなのに、隣に来て、ルヴァの肩に頭を乗せてくる。
ルヴァが少しでもずれようとすると、腕をしっかり握って離さない。
どうやら、自分だけに見える幻だとわかっても、ルヴァは落ちつかなかった。
いつも凛としたロザリアも美しいが、こんなロザリアはかわいいと思ってしまう。
嬉しくて、思考がマヒしてしまいそうだ。
ただくっついているとどうにも落ち着かないので、ルヴァは話しかけた。

「あ~、今の貴女は何も言ってくれないのですね。でもね、こう見えても私も嬉しいんですよ。
なぜ、貴女がここにいるのかわかりませんが、私のところへ来てくれたということは、すこしうぬぼれてもいいんでしょうか・・・?」
(貴女も私を気にしてくれている、と…)
ロザリアはにっこり笑っている。
ルヴァの胸がドキドキと音を立てた。その音が壁の時計の音よりも大きく聞こえた。
「ロザリア…」 
ルヴァの口調が熱を帯びる。
自然と顔を近づけて、ロザリアの唇と重なると思った時、コンコン、とノックの音がした。

ルヴァはこれ以上は無理と言うほど大きく飛びあがった。
隣のロザリアが驚いてルヴァの服の裾をつかんだ。
入ってきたのは本物のロザリア。
「オスカー様から、ルヴァ様がお呼びだと伺ったのですけど。」
部屋に入ったロザリアの目に飛び込んできたのは、女性と仲良く座っているルヴァの姿だった。
しかも、その女性はルヴァの首に手をまわして、今にも耳に口付けしそうだ。
驚いて顔をそむける。
女性の顔は見えなかったが、ロザリアは下を向いたまま、声を出すこともできない。
「あ、あの~、どうしました?」 
ルヴァの何でもない様子が憎らしい。
涙が出そうになるのを必死でこらえた。

「このような場所で、そんな破廉恥なことをなさって、恥ずかしくはないのですか? わたくしに見せつけるなんて、あんまりですわ。」
声が震えていないことを祈ったが、無理だった。
「ああ、ロザリア、やっぱりあなたには見えるんですね~。よかったですよ~。」
ルヴァの声に顔を上げると、そこにいた女性はまさに自分自身だった。


ロザリアの瞳がまん丸になる。
それを面白そうに眺めていたルヴァが恐る恐るといった感じで話し始めた。
「こういうわけなんですよ~。」
ルヴァの話を聞いても信じられなかった。
ルヴァと手を握り、にこにこ笑っている自分はとても幸せそうだ。
なぜだかメラメラとした気持ちがわきあがってきた。

「ルヴァ様、なぜ手をつないだりなさるんですの?先ほども抱き合っているように見えましたわ。」
ロザリアはツンとして非難するようなまなざしを向けた。
それにルヴァは悪びれず答える。
「いえね、こちらのロザリアが離してくれないんですよ~。私も何度も離れようとしたんですけどね。」
ロザリアは真っ赤になって、立ち上がる。

「ちょっと、貴女、ルヴァ様になれなれしくなさらないで!」
二人のロザリアが引っ張り合いをしている。
冗談のような光景にルヴァは目をしばたたかせた。
幻のロザリアはルヴァから全く離れようとしない。
ロザリアはとりあえず離すのをあきらめて、ルヴァに向き直った。
「申し訳ありません。わたくしのせいでルヴァ様にご迷惑をかけてしまって…。」
ロザリアの表情はさえない。
「いいえ、わたしは嬉しいくらいです。貴女にこんなに近づいていただけるのはきっともうないでしょうからね~。」
ロザリアがルヴァを見つめた。瞳に困惑の色が浮かぶ。
「でも、このままでは困りますね~。ほかの人に見えないといっても、何があるかわかりませんし…」
ルヴァは考える。
「何か原因があると思うんですがね~。」
「まさか、貴女の想いが具現化した、なんてことはないでしょうしね~。」
ロザリアが真っ赤になって、すぐに青くなった。
「あ、あの、わたくしの想い、とは…?」
「いえ、そうだったらいいな~、なんて思ったんですけどね。貴女が私を想っていてくれて、その気持ちがこうしてきてくれた、なんて、都合が良すぎますよねぇ。」
「聖地では時々不思議なことが起きますからね。この飛空都市でも起こるかな~、と。」

ルヴァは照れ臭そうにターバンに手を当てて、もじもじとしている。
そして思いきったように言った。
「私もね、実は、貴女のそばにいたい、と思っているものですから…。その、同じだったらなぁ、なんて。はは、あり得ませんよね…。」
ルヴァの言葉にはじけるように、ロザリアは立ちあがった。

幻のロザリアが本物のロザリアに手を伸ばした。
その途端に姿がすっと消えて、ロザリアの胸のあたりに勇気がわいた気がした。
「ルヴァ様、大好きです!」
ロザリアは大きな声でいうと、ルヴァの胸に飛び込んだ。
「ずっと、言いたくて、言えませんでした。女王候補として優しくしてくださっているのだと…。
わたくし、おそばにいてもよろしいのですか?」
ロザリアの声が震えている。
ルヴァはロザリアを優しく抱きしめた。
「ありがとうございます。私にとって貴女は大切に守ってあげたい、たった一人の女性です。」
今度こそ、ルヴァは本物のロザリアの顔に唇を寄せた。


ロザリアが私室に戻ると、大切な宝石箱がベットの上に転がっていた。
ふたが開いて、ひっくり返っている。
「もう、アンジェリークね! 明日、キチンといっておかなくては!」
「明日もまた来てくださいね~。」
帰り際ルヴァに言われた言葉を思い出す。
熱くなってくる頬を抑えると、自然に口元が笑みになっていくのがわかった。
(もしかして、本当にあれはわたくしの恋心だったのかしら。この小箱に閉じ込めていたわたくしの想い…。)
ロザリアはそっと小箱をなでる。本当の宝物はこの小箱にしまえそうもない。
「おかあさま、わたくし、宝物を見つけましたわ。この、小箱のおかげかもしれませんわね。」
ロザリアのつぶやきを聞いた小箱が輝いたような気がした。


FIN
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