君ヲ想フ

たくさんの書きこみがあるノートに、ルヴァはさらに赤線を引いた。
これで何冊目になるだろう。
左にロザリアの調べたことを、右にルヴァの教えたことを。
一つの事柄を、見開き1ページごとに二人で勉強していた。
科目ごとに作ったノートは全部で5種類。
ルヴァが別のノートをパラパラとめくると、それはもう最後のページだった。
『ありがとうございました』と、一言書かれたページに、ルヴァも『どういたしまして』と返事を書く。
ノートを一つ一つチェックしていくと、最後のノートに1枚のメモがある。
ロザリアは時々勉強とは関係のない事をこうしてメモに書いて挟んでいることがあった。


初めてメモが挟んであったのは、1カ月前。
ノートをめくっていくと、空色の小さな紙がはらりと落ちた。
『大切な人によくないことを言ってしまいました』
いつも整ったロザリアの文字が少し歪んでいて、何度もためらったのか、インクの文字の濃さもところどころ違って見える。
ルヴァはペンをとると、引き出しから一枚のメモ用紙を取り出した。
飾り気のない黄ばんだメモ用紙に苦笑しながら、文字を書いていく。
『貴女が悪いと思ったのなら、素直に謝ることです』
いつも通り朝一番にノートを取りに来たロザリアに返事のメモを挟んだまま、手渡した。
昨夜、眠れなかったのかもしれない。
ロザリアの青い瞳が少し、赤くなっていた。

その日のお茶の時間、ロザリアはアンジェリークと一緒に執務室にやってきた。
「お菓子を焼いたんですの。ご一緒にいかがですか?」
「わたしの大好きなアップルパイなんですよ!すっごく美味しいんですから。」
ねーっと、アンジェリークに顔を向けられて、ロザリアは恥ずかしそうにそっぽを向いた。
「では、お茶でもいれましょうかね。」
ルヴァが椅子から腰をあげて奥のキッチンへ向かうと、楽しそうな少女たちの笑い声が聞こえてくる。
「ちゃんと同じように分けてよね。」
「わかっていますわ。」
はしゃぐ声にルヴァは湯呑を手にしながら安堵の息を漏らした。
どうやらうまく仲直りができたらしい。
ポットの湯を注ごうとして、中身が入っていないことに気付いたルヴァはケトルを探してきょろきょろとあたりを見回した。
「こちらですわ。」
振り返るとロザリアが古ぼけたデコボコだらけのケトルを掲げている。
ロザリアはそのケトルに水を入れると、コンロの火にかけた。
しばらく、二人で火をじっと眺めていると、「ありがとうございました。」と、つぶやく声がする。
ぼんやりしていたルヴァが顔をあげると、ロザリアと目が合った。
「ルヴァ様のおかげで、謝ることができましたの。アンジェも許してくれましたわ。」
くすり、と笑い声が漏れる。
「もっともあの子は何のことかわかっていないようでしたけれど。」
まっすぐで綺麗な青い瞳。
「お茶まだー?早く食べたーい。」
アンジェリークの声が聞こえてくる。
ロザリアは沸騰したケトルのお湯を湯呑に移して、それから急須へ戻すと、以前、ルヴァが淹れた通りのやり方を守って、急須から湯のみへ少しづつ注ぎわけていた。
少し驚いた顔をしていたのかもしれない。
ロザリアはほんの少し恥ずかしそうに、「見よう見まねですけれど、間違っていますか?」と小首をかしげた。
「いいえ~。とても上手ですよ。」
お盆に3つの湯呑を乗せて、ロザリアはアンジェリークの待つ部屋へと戻って行った。
背中を流れる青紫の髪。凛とした後ろ姿を見ていたら彼女を応援したいと、心から思った。


ルヴァは机の一番下の引き出しを開けると、奥から四角い紙箱を取り出した。
もともとお菓子が入っていたその箱は、風流な和紙の切り紙の付いた山鳩色のものだ。
蓋を開けると、空色の小さなメモが入っている。
ルヴァは先ほどのノートに挟んであったメモをその箱の中に入れようとして、もう一度、メモを眺めた。
『この頃、よくないことばかりを考えてしまいます。』
きっと、この間の定期審査の結果を気にしているのだろう。
今まで建物の数だった審査が、急に守護聖の支持に変わったのだ。
建物の数では大きくリードしていたロザリアだったが、こちらでは劣勢を強いられた。
ロザリアを支持したのはわずかに3人。
初めて定期審査で負けたことはロザリアにとっても大きなショックだったはずだ。
『貴女は貴女の女王を目指してください』
若葉色のメモ用紙に、そう返事を記すと、ルヴァはペンを置いた。
箱にロザリアからのメモをいれると、元通りに引き出しの奥にしまい、書いたメモをノートに挟み込む。
ふと外を見ると、窓の外は暗闇に包まれていた。
慌てて帰り支度をしたルヴァは、鞄を抱えて外に出たのだった。

午後のお茶の時間、ロザリアが本とノートを抱えてやってきた。
先日の定期審査以来、彼女はますます勉強に励むようになっている。
「あまり根を詰め過ぎるとよくありませんよ~?」
机の上に置かれたたくさんの資料を、ルヴァは一つ一つ確かめた。
さすがというか、今日の勉強のテーマをきちんと理解した資料をそろえてきている。
「ええ。わかっていますわ。…でも、わたくしには勉強することくらいしかできませんもの。」
ノートから顔をあげたロザリアは、前に降りた巻き髪のひと束を背中へと払った。
優雅なしぐさに、一瞬、目を奪われる。
「やはり女王にはそれにふさわしい知識が必要だと思いますの。」
それが『貴女の女王』の答えなのだ、と言っているような気がした。
ルヴァはロザリアの隣に椅子を並べると、用意した資料をファイルから取り出した。
彼女が知識を求めるのならば、できる限りの手助けをしたい。
いつものように、ファイルにした資料とロザリアのノートを照らし合わせながら、疑問点を解消していく。
手元が暗くなり、文字が読みにくくなって、ようやく勉強会は終わった。
ロザリアを候補寮の前まで送ると、すでに空には星が光り始めている。
彼女の部屋に明かりがついた時、ルヴァは自分の心にも明かりが灯った気がした。


数日後、ルヴァは足りなかった資料を求めて、図書館へと向かった。
飛空都市の図書館は場所の制限もあって、聖地に比べれば蔵書が少ない。
取り寄せるには日数もかかるから、早めに準備をしておきたかった。
おそらく3日後くらいにはルヴァの思う問題点に、ロザリアも気づくはずだ。
その時にすぐに渡せるようにしておけば、育成もスムーズに進むだろう。
せまる夕闇に急かされるように足を速めたルヴァは、庭園の木陰に人影を見つけた。
見事な長身に緋色の髪。
傾きかけたオレンジの夕日が彼にオーラのような輝きを与えている。
男性である自分でさえも一瞬見とれてしまう。
木に寄りかかるようにして立つオスカーの隣にいるのは、ロザリア。
緋色と対照的な青紫の髪がそよ風にふわりと揺れて流れていた。
並んで立つ二人はまるで一枚の絵画のようで。
周りの景色も、言葉も、すべてがかすんでしまうくらい、完璧な一対。
ルヴァはしばらくそこに立ち止って二人を眺めていたが、やがて来た時と同じ速度で前へ進みだした。
目を開けていられないのは、西日が眩しいせいだ、とルヴァは目を伏せた。

お風呂上がり、ルヴァは鏡の前で立ち止まる。
息がかかるほど近くに顔を近づけて、また離して。何度もそうやって自分の顔を眺めてみた。
『醜男』というほどではないが、カッコいいとも思えない。
目も鼻も特に大きくも小さくもなく、どこか印象に残るかと問われれば、首を傾げるしかないような、そんな顔が映っている。
「はあ。」と、少し大げさについたため息で、近づき過ぎていた鏡が曇った。
釣りあうはずがない。
彼女はまるで薔薇のようで。
もし、想いを伝えても、きっと困らせるだけで。
動揺させてしまって、女王試験に支障をきたすようなことになったら、彼女を傷つけてしまう。
頭にのせたタオルをガシガシと力を込めて動かした。
水滴が飛んで鏡に張り付くと、映っていた顔がモザイクのようにぼやけていく。
ルヴァは一心に鏡に向かって水を飛ばし続けたのだった。


その日は朝からどんよりとした曇り空だった。
この間、聖地から取り寄せを頼んだ本が届いたとの連絡を受けて、ルヴァは帰りがけに図書館に向かった。
見上げれば、今にも雨粒がこぼれおちてきそうで、ルヴァの足も自然に早くなる。

今日、ロザリアが部屋に来なかった。
どうやらオスカーと出かけているらしい。
「今日、ロザリアのヤツ、オスカーと湖に行くんだってよ。勉強、勉強ってうるさかったてーのに、わけわかんねーよな。」
ゼフェルはごついブーツを床に脱ぎ棄てると、テーブルの上に両足をドンと乗せた。
お茶の時間になるとふらりとこの部屋にやってくるゼフェルは、いつもロザリアと言い争いばかりしていた。
けれど、決して仲が悪いというわけではないのは、ルヴァもよく知っている。
「おや~?おもしろくないんですか?」
転がり落ちそうになる急須のフタに慌てて左手を添えながら、ルヴァは微笑んだ。
ゼフェルの言葉に少し動揺してしまったのかもしれない。
この間見た、二人の姿が脳裏に浮かぶ。
「ちげーよ。あいつのことは根性あるヤツだとは思ってるけど、そんだけだ。…オレはな。オレはそうだけどよ。」
いつになく歯切れの悪い口調にルヴァは困ったように眉を寄せた。
最後の一滴まできちんと出して、ルヴァは2つ並んだ湯呑の片方をゼフェルの方へ差し出す。
爽やかな草に似た緑の香り。
砂に覆われた惑星で育ったルヴァにとって、緑茶が醸し出す緑の香りはほのかなノスタルジーを感じさせる。
「守護聖を知ることも試験において大切なことだと、私はそう思いますよ~。」
抱えた湯呑の中の茶柱が寝転んでいた。
ルヴァはそれを黙って飲み込む。
「そんなら別にいいんだけどよ。オスカーのヤローは女受けだけはいいからな。」
勘の鋭いゼフェルのことだから、薄々は感じているのかもしれない。
そして、ルヴァが傷つくことになるのではないかと心配してくれているのだろう。
しかし失恋すると決めつけているのは酷いような気もする。
「すみませんねえ。」
そう言ったルヴァにゼフェルは舌打ちをしながら、乱暴に湯呑を取り上げた。

図書館から借りた本を持って、執務室に戻る途中、オスカーとすれ違った。
湖に行ったにしては帰りが早いし、家まで送り届けたのなら、聖殿まで戻っては来ないだろう。
つい見てしまったルヴァの視線に気付いたのか、オスカーは軽く片手をあげると、近づいてきた。
「相変わらず勉強好きだな。」
ルヴァの抱えている本に苦笑したオスカーは、前髪をかきあげた。
そして抱えていた本を半分持ち上げると、前に立って歩き出す。
そういう自然な優しさが女性だけに向けられるものでないのが、オスカーの美点だ。
ルヴァは、軽く礼をすると、隣に並んで歩きだした。
「今日は湖に行ったと聞いていましたが、ずいぶん早いんですねぇ。」
ふっと、微妙に口端をあげたオスカーは吐息のような笑みを漏らした。
「もう少し、お嬢ちゃんを口説いていたかったんだがな。雨が落ちてきたから引きあげたんだ。さすがの俺でも女王陛下の御心には逆らえない。」
飛空都市の天気は陛下の御心次第。
ルヴァはひそかに感謝した。
「ルヴァも誘ってみたらどうだ?執務室で勉強ばかりしていても、なにも始まらないぜ。」
今日は厄日らしい。
ルヴァは首をかしげながら、やんわりと言った。
「私はそんなにわかりやすいですかねえ。」
「いや。他の奴らは気付いていないと思うぜ。俺くらいになれば、自然にわかってくるだけさ。」
ゼフェルにも気づかれている、とは言い出しにくくて、ルヴァは曖昧に笑みを返した。
それをどう思ったのか、オスカーはそれ以上は何も言わずにいる。
執務室のドアを開けて、ルヴァは「よっこいしょ。」と掛け声をかけながら机の上に本をのせた。
オスカーがその上に軽々と持っていた本を積んだ。
「ふう。助かりました。」
「俺になにかあった時は、ルヴァに助けてもらうさ。」
ルヴァの肩にポンと手を置いた後、部屋を出ていこうとするオスカーを呼びとめた。
「あの、私は今のままでいいんですよ。なにも始めるつもりなんてないんですから。」
オスカーの片眉があがった。
「もう、始まってるんじゃないのか?止めようと思って止められるモノなら、俺だって、こんなに苦労したりしないさ。」
聞き返す間もなく、ドアが閉まる。
ルヴァは積み上げられた一番上の本を取ると、ページをぱらぱらとめくった。
たしかに、もう始まっているのかもしれない。
もちろん誰にも、彼女にも、言うつもりはないけれど。


一通り、本を確認して、大切な個所に附箋をつけると、ルヴァは時計を見た。
すでに執務時間は終了していて、人の気配もほとんどなくなっているようだ。
規則的なリズムをたたく窓に目を向けると、雨が滲んでいる。
こんな天気になるとは全く予想していなかったこともあって、傘を持ってきていない。
ルヴァはため息をついて、正面玄関に向かうと、静まり返ったホールに見慣れた人影が立っている。
声をかけようか迷っていると、影が振り向いた。
「ルヴァ様。遅くまでご苦労様ですわ。」
ホールに凛とした声が響いた。
「あなたこそ、こんな時間までどうしたんですか~?」
「ディア様のところに資料を忘れてしまって、取りに戻ったんですの。どうしても今日のうちに確かめておきたいことがあったものですから。」
雨の中を歩いてきたせいか、ロザリアの長い髪のところどころに細かな水滴がついていた。
まるで、そのまま雨に溶けてしまうのではないかと思うほど、水滴は彼女の輪郭をぼやけさせている。
「ルヴァ様?どうなさったんですの?」
綺麗だ、と思っていました。
ぼんやりとロザリアを眺めていたルヴァは慌てて言葉を飲み込んだ。
「いえ、傘を忘れてしまいましてねぇ。どうやって帰ろうか、考えていたんですよ~。」
半分は本当のことを言うと、ロザリアは少し考えた顔をして、すぐに微笑んだ。
「でしたら、わたくしがお送りいたしますわ。ルヴァ様のお屋敷でしたらそんなに遠回りではありませんもの。」
「そんな。あなたにそんなことはさせられません~。風邪でも引いたらどうするんですか~?」
何度断わってもロザリアは全く譲ろうとしなかった。
それどころか、ルヴァが一緒に帰らない限り、自分もここから帰らない、と言い張るのだ。
仕方なく、ロザリアの持っていた傘を手に取った。
「では、せめて私に傘を持たせてください。これでもあなたよりは力があると思いますよ~。」
さらに資料の入っている鞄も彼女から受け取ると、ルヴァは聖殿の扉を開けた。

雨足はそれほど強くはない。
灰黒色の空にロザリアの露草色の傘が咲くと、滴りおちるような優しい雨が傘に弾かれていく。
それほど大きくない傘の下、左腕がロザリアに触れた。
そのたびに跳ねあがる鼓動を気付かれたくなくて、ルヴァはいつもより大きな声で話をした。
耳元で奏でられる彼女の声。冷たいはずの雨さえ、暖かく感じることに改めて自分の想いを自覚する。
いつまでも続けばいいと思う時間ほど早く過ぎてしまうものだ。
屋敷の玄関の庇に入ったルヴァは傘をたたんでから軽く振って雨を払うと、ロザリアに手渡そうとした。
右腕がいつもより重く感じて、首をかしげると、肩から水が滴り落ちる。
「ルヴァ様!びしょぬれですわ。」
腕が重かったのは、右半身がぐっしょりと雨に濡れていたからだ、とようやく気付いた。
ロザリアを濡らしてしまわないように、とそればかりが気になって、自分が傘から出ていたことが気にならなかったのだ。
「ああ~、本当ですねぇ。私ときたら、本当にぼんやりしていて…。」
「このままでは風邪をひいてしまいますわ。」
ロザリアはハンカチを取り出すと、手を伸ばして、ルヴァの肩を拭き始めた。
髪から伝わる水で、顔も濡れてしまっている。
背伸びをしたロザリアは、ルヴァの頭に手を伸ばした。
「これが水を吸ってしまっていますわ。とってもよろしいでしょうか?」
言いながら、ロザリアはターバンに手を伸ばした。
ぐっしょりと濡れたターバンから滴る水が髪を伝わり、顔や肩を濡らしているのだ。
「あー、それは・・・。」

言うよりも前に頭が軽くなった。見れば、ロザリアの手の中にターバンがある。
「ご覧になって。こんなに水を吸っていますわ。」
ロザリアの手の中で絞られたターバンから水が流れ落ちた。
ルヴァが頭に手を当てると、そこには自分の髪だけがある。
しばらく茫然として、ようやく我に返ったルヴァは静かに微笑んだ。
「本当ですねぇ。ぞうきんを絞っているみたいです。」
「でしょう?頭が冷えると風邪をひくと言いますもの。」
見とれるほど綺麗な笑顔でロザリアが笑った。
そして2枚目のハンカチを取り出すと、ルヴァの顔を拭いた。
近づいてきた彼女の顔にどうしようもなく焦る。
「ああ~、大丈夫ですよ。あとは自分でやりますから。あなたも冷えてしまったでしょう?送りますから、中で待っていていただけませんかね?」
諭すように言われて、近づきすぎた、と恥ずかしくなったのかもしれない。
ロザリアは頬を赤らめると、すっと身体を引いてルヴァから離れた。
「申し訳ありません。出過ぎたことをいたしましたわ。もう帰らせていただきます。」
立てかけてあった傘と鞄を取ると、ロザリアは雨の中を走りだして行った。
追いかけようと、庇から出て、頭に直接あたる雨に気付いて立ち止る。
このまま外には出られない。
考えているうちにロザリアの姿はあっという間に消えてしまった。

暖かいシャワーを浴びて、鏡の前に立ってみる。
海老茶色のパジャマを着て、頭にタオルをかぶった姿は、やはりどう見てもカッコいいとは思えない。
タオルでごしごしと髪を拭いて、ため息をついた。
ターバンのない姿をロザリアに見られてしまったのだ。本当なら大問題なのだろうけれど、不思議と気にならない自分がいる。
「大切な人、というのなら間違いではありませんね…。」
鏡の中の自分は幼いころの記憶の中の父親に、ほんの少し似ていて。
頷いた自分に、父親が許してくれたような、そんな気がした。


ノートのやり取りと毎日の勉強会。
時折挟んであるメモの内容も、だんだん親しみのある内容に変わってきていた。
『今日、アンジェリークがデートをしましたの。湖はとても素敵なところらしいですわ。』
『ゼフェル様は、意外といい方ですのね。ルヴァ様が気になさる理由がわかりました。』
『この次の日の曜日、一緒に出かけていただけませんか?庭園の薔薇が見事だそうですの。』
山鳩色の箱は抑えつけないと蓋が浮いてくるくらいになっている。
そろそろ2つ目の箱が必要かもしれないと、ルヴァはせんべいの箱に目を向けた。
臙脂色の箱はちょうどいい大きさに見える。
午後のおやつにすれば、ちょうど空になるだろう。

今日はメモが入っていないのか、と最後のノートを開けた時、空色がはらりと落ちた。
拾い上げてメモを見たルヴァの動きが止まる。
しばらくメモを見つめていた後、ルヴァは引き出しから返信用のメモ用紙をとりだした。
淡い桜色のメモ用紙は、ロザリアも綺麗だと言ってくれたモノだ。
『濡れたから脱いだだけです。』
そう書いて、ペンを置いた。
この一言を彼女はどう思うだろうか。
それよりも、なぜ彼女はメモにこんなことを書いたのだろうか。
ルヴァはもう一度、空色のメモを手に取った。
ロザリアの見慣れた綺麗な文字に、心が勝手に踊りだしてくる。
伝えるつもりはなかったけれど。
ただ想っているだけでいいと、そう思っていたけれど。

少し傾きかけた午後の日差しが、古い木の床にあたたかな日だまりをつくっていた。
こんな晴れた日は自分のような性格でも思わず外に出たくなるのかもしれない、と思う。
なにかを始めるなら、この執務室から飛び出してみよう。
ルヴァは書いたメモを引き出しにしまうと、立ち上がった。
「えー、湖にでも行きませんか?…いきなりすぎますかねぇ。えー、お話があるのですが…。真面目すぎますかねぇ。」
ぶつぶつと独り言を繰り返しながら、ルヴァが執務室のドアを閉めると、机の上に置いたままだった桜色のメモ用紙が、風にふわりとこぼれおちていった。


FIN
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