玉座に座った女王とその隣に控えるロザリアを見て、守護聖たちは年末に配られた手紙の内容を理解した。
『和装で来ること』
この一文にどれほどの守護聖が慌てただろう。
「け、めんどくせー。」とロクに準備をしないゼフェル。
「和装」という漢字が読めずに首をかしげながら聞きに来たランディ。
なぜか振り袖を持ってきたマルセル。
そして控えめながら「よくご存じでしょうから、わたくしたちの分もお願いいたします。」と、クラヴィスの分まで押しつけてきたリュミエール。
今日のほとんどの着物を用意したのはルヴァだった。
けれど、それは決していやなことではなくて。
むしろ、日頃自分が親しんでいる異文化に興味を持ってもらえる機会だと喜んだ。
そして、なんとか全員新年に間にあったのだ。
「あけましておめでとう。」
ふわふわ揺れる金の髪のトップをゆるく結んで、毬の髪飾りをつけた女王が微笑んだ。
朱色の着物にはめでたい鶴が描かれていて金糸の雲を飛んでいる。
豪奢な金の帯は虹色の細工がされていて、エメラルドの帯止めがきらりと輝く。
「おめでとうございます。陛下。」
恭しく頭を下げたジュリアスはきちんと紋付を着ている。
さまざまな和装の中で一番フォーマルなものを選ぶのがいかにもジュリアスらしい。
隣に並んだオスカーも同じ紋付だが、ジュリアスの黒に対して浅葱の着物はアイスブルーの瞳に合わせたのだろう。
派手な色が実に伊達男らしい。
「おめでとう、ジュリアス。」
ずらりと並んだ守護聖を一段高くから見下ろした女王は急に立ち上がると、こうのたまった。
「さあ、挨拶も終わったし、今から、『大はねつき大会』を始めま~~す!!」
は?とみんなの目が丸くなったところで、ロザリアがコホンと咳払いをして続けた。
もちろん着物姿のロザリアは藤色の総絞りで、銀の帯が上品なアクセントになっている。
細かな細工の帯止めは瞳と同じサファイヤで動くたびに揺れる金銀の房がかわいらしい。
「皆さん、はねつきはご存じかしら?」
ロザリアの手にはいつの間にか羽子板と羽根がある。
「テニスのようなものですわ。この羽子板で羽を打って、落としたら負けという単純なスポーツですの。」
にっこりと笑ったロザリアが打った羽根はカコン、といい音をさせてオリヴィエの足元に落ちた。
羽を拾い上げたオリヴィエは少し高い下駄を鳴らしてロザリアの方へ近づいて来る。
派手な着物を着てくるか、と思ったオリヴィエが紺色の羽織で現れた時、ロザリアの胸は大きく音を立てた。
もちろんいつものオリヴィエも素敵でかっこいいのだけど、今日のオリヴィエはまともに見ることもできないほど男らしいと思ってしまう。
「はい。」と渡された羽根を受け取るときに手が震えてしまった。
昨日もその手をつないでデートをしたばかりなのに。
ロザリアは思いを振り切るように再び前を向くと、
「女の子なら一度はやったことがあると思いますわ。」と、みんなに微笑んだ。
「なんで、そんなことしなきゃなんねーんだよ。」
無理に着せられた袴が七五三のようにも見えるゼフェルがさけんだ。
「あら、ゼフェルは参加したくないの?」
女王が可愛らしく首をかしげた。こういうときはたいていよくないことを企んでいるのだ。
なぜか背中に冷たい汗が伝わる気がして、ロザリアは女王を見た。
「優勝者はロザリアからキスのお年玉があるっていうのに・・・。」
残念だわ、ゼフェルは欠場ね、とにっこりした女王にゼフェルはあわてて声を上げる。
「なんだよ!その、・・・キスっていうのはよ。」
「だ、か、ら。優勝者にはロザリアがキスをするの。場所はそうねぇ、どこがいい?」
「陛下!!」
真っ赤になったロザリアが大声を上げるのを見ても女王は全然取り合う様子もない。
ゼフェルがちらり、と横目でロザリアを見たのを8人の守護聖は見逃さなかった。
「どこでもいいのかよ?」
「もちろん!ね、ロザリア?」
こうなったら仕方がない。頬くらいならお正月気分を盛り上げるためになんとか我慢する。
「頬くらいなら。…。」
と小さくつぶやいたロザリアの声はゼフェルの声にかき消されてみんなには聞こえなかった。
「ち、しょーがねーな。オレはこういうのわりと得意なんだよ。」
ゼフェルが側に積まれた羽子板を嬉々として選び始めた。
ぞろぞろと他の守護聖たちも羽子板を手に取っている。
いろんな絵柄を興味深く見ているリュミエールやいちいち解説するルヴァのせいで時間がかかったが、ようやくマイ羽子板をめいめいが手に持った。
「じゃあ、キスされたい人も横取りされたくない人も、みんな頑張ってね!」
楽しそうな女王がそう言ったのを合図にそれぞれにいろいろ抱えた「大はねつき大会」が始まったのだった。
オリヴィエは思いがけない展開に羽織の中で羽子板を握りしめた。
はねつき大会なんていつもなら一番にばっくれるところだけど、賞品がロザリアのキスというのなら抜けるわけにはいかない。
頬へ、なんて言い訳が通じそうもない奴らがそこかしこに居る。
特に素振りを繰り返すゼフェルと、草履を脱いだオスカー。
少なくとも彼らは本気で狙ってくるだろう。
大切な恋人が他の男にキスするのを黙って見ていられるはずがない。
自分だってまだキスをしていないのに。
オリヴィエは自分に向けられた女王の楽しそうな視線に気付いて自然とため息が漏れた。
昨日のデートの帰り、二人きりになった時のことだった。
オリヴィエは冷たい風から守るように後ろからロザリアを抱き寄せた。
「そろそろあんたが私のものだってみんなに言ってもいい?」
オリヴィエの腕の中に抱かれていたロザリアは顔をあげると首を横に振った。
「まだ・・・。もう少しお待ちになって。」
想いが通じあって3カ月。
ようやく恋人として過ごすことに慣れてはきたものの、まだオリヴィエの瞳に見つめられるだけで上がる体温をロザリアは抑えることが出来ない。
今もただ抱き寄せられただけで胸がドキドキして、めまいがしそうになる。
どうしようもなく緊張して身体が固くなってしまう自分が恨めしい。
髪をすべるしなやかな指先や、耳元にかかる吐息。
オリヴィエが、本当に自分を好きでいてくれることが信じられなくて。
そのまま寄りかかってしまいそうになるのを必死で我慢した。
なんだか少し寂しげに息をついたオリヴィエは「ん。あんたがいいって言うまで私は待ってるよ。」と言ってくれた。
その言葉に安心してロザリアはすこし身体の力を抜いた。
けれど、額に落ちたオリヴィエの唇で、また緊張してしまう。
いつになったらみんなの前でも恋人らしくふるまえるのか、恋に不慣れすぎるロザリアには自分でも見当がつかなかった。
そんな事を思っているうちにも、はねつきはどんどん進んでいる。
1回戦が終わり勝ち残ったのは、ゼフェル、オスカー、ジュリアス、そしてオリヴィエ。
もともと参加していないクラヴィスと、負けた4人は女王の隣にいすを並べて座っている。
すこしの運動で息が上がってしまったルヴァにランディがスポーツドリンクを手渡しているのが見えた。
負けたほうの和やかさとは一転、火花の散る一角があった。
「おい、おっさん。マジでやんのかよ。」
挑むように睨みつけてくるゼフェルをオスカーは軽くいなすように見下ろした。
右手に持った羽子板がしゃもじのように小さく見える。
その羽子板の上で羽をとんとんとバウンドさせて、いかにも余裕の表情だ。
「当たり前だ。ロザリアの唇がかかっているんだからな。悪いが本気でいかせてもらうぜ。ぼうや。」
唇?
オスカーの言葉に耳を疑ったロザリアをよそにゼフェルは本気で目を吊り上げている。
「オレだってマジでいくからな。後でほえ面かくなよ!」
カツンという小気味のいい音が、すぐにカカカカカっとマシンガンのような音に変わる。
目にも止まらぬ羽の動きにロザリアが目を白黒させているうちに、オスカーが大きく羽子板を振りかぶった。
「これで終わりだ。」
ガツッととものすごい音がして床に羽が落ちた。
「くそっ。」
羽子板を床に打ちつけて悔しがるゼフェルをロザリアは茫然と見つめた。
「お前じゃ、まだ俺の敵じゃない。」
余裕のオスカーの背後に人影が立つ。
「じゃあ、決勝戦は私達みたいだね。」
羽子板を肩に乗せて持ったオリヴィエがオスカーに向かって言った。
途中でロザリアの視線に気付いて軽くウインクする。
それだけでロザリアはドキドキしてつい視線をそらしてしまった。
「お前にだって負けるつもりはないぜ。」
オスカーに向かい合うオリヴィエをロザリアは祈るような気持ちで見送る。
決勝戦らしく緊迫した雰囲気の中でオスカーが羽を打った。
何度か様子を窺うように軽くラリーを続けた後、次第に速くなる動きにすべての視線が集中する。
もし、オスカーが勝ったら…。
怖くて目を閉じたロザリアの耳から羽を打つ音が消えた。
音もなく落ちた羽はオスカーの足元に転がっている。
「勝負あり、だね。」
「フェイントなんて卑怯だぞ。」
オリヴィエは羽子板で自分の肩をトントンとたたくと、頭を指差した。
「クレバーなプレイと言ってほしいね。」
「卑怯だ。」
「勝つためには仕方ないでしょ。あんたみたいな力バカとは違うんだから。」
ほほ笑んだオリヴィエが女王の前に膝まづいた。
「勝利の栄誉をくださいますか?」
その姿に満足したのか、女王はロザリアを手招きすると、玉座からぴょんと飛び下りてオリヴィエにささやいた。
「やるじゃない?やっぱりロザリアのため?」
「ま、ね。」
ひそひそと話す二人をロザリアと他の守護聖は首を傾げて見ていた。
「では賞品のロザリアで~す。」
女王が再び手招きをすると、ロザリアは不自然に赤い顔をしてぎこちなく近づいていく。
「では、賞品を与えましょう。・・・どこがいい?」
みんなの視線が二人に集まった。
悔しそうな顔、楽しそうな顔、無表情ないつも通りの顔。
そんな中でオリヴィエは困惑顔のロザリアの肩に両手を置くと小声で言った。
「ちょっと頑張っちゃったよ。」
安心したような声はいつものオリヴィエとは少し違っていて。
額にうっすら滲んだ汗で、どれほど頑張ってくれたのかロザリアにも分かった。
「あんたのキスを誰にも渡したくなかったから。・・・頬でいいよ。まだ、知られたくないんでしょ?」
ロザリアのために膝を折って頬を近づけてくれたオリヴィエの優しいブルーグレーの瞳。
きっと、自分のために普段ならしないようなことにも付き合ってくれたのだ。
自分は彼のために何が出来るだろう。
ほら、と頬を指差したオリヴィエの首に腕を巻きつけると、つま先で立ちあがる。
大きな袖がひらりと舞うと、そのまま自分の唇をオリヴィエの唇に重ねた。
え!とあたりで息をのむ音が広がる。
ロザリアは目を閉じてじっと息をとめた。
周りの声も、オリヴィエが小さく上げた声にも気付かずにただ、震える唇を合わせた。
びっくりして一瞬目を開いたオリヴィエもすぐにロザリアを抱きしめると、自分から唇を重ねていく。
落胆と安堵のため息が混じる中で、ロザリアはゆっくりオリヴィエから離れた。
「あなたが、好きですわ。」
「私もだよ。」
目を伏せたまま真っ赤になっているロザリアを抱き寄せると、オリヴィエは女王に向かって言った。
「せっかくだから賞品ごといただいていくね。」
「もう!仕方ないから全部あげるわ!」
オリヴィエはにっこりほほ笑んで女王にウインクすると、ロザリアをお姫様だっこで女王の間から連れ出した。
ロザリアはすこし手足をばたばたとさせたが、オリヴィエに何か言われると黙ってその首に手をまわした。
幸せそうな二人がドアの向こうに消えていくのを見送った女王が、茫然としている守護聖たちに声をかける。
「さ、次は新年会よ!」
嬉しそうな女王の声に元気良く返事をしたのはたった二人。
やけ酒だ!と大声をあげた二人と苦笑いの数名はしかたなく新年会の準備を始めた。
誰が酔いつぶれた女王を部屋に連れていくかでもめるのはあと数時間先の話。
一方、私邸までロザリアを抱いていったオリヴィエはロザリアをベッドの上に下ろした。
ヘッドボードに帯をもたれさせるようにして座ったロザリアをまたぐようにして上から抱きしめる。
「私、着物の着付けも出来るから。」
「え?」
着物の袖で口を覆ったロザリアが首をかしげると髪飾りの鈴がりんりんと音を立てた。
不思議そうな顔にオリヴィエは額を合わせた。
青い瞳がじっと自分を見つめている。
「キスだけじゃがまんできないってこと。」
耳元で囁いた言葉に赤くなったロザリアにオリヴィエはもう一度甘いキスを繰り返したのだった。
FIN