自転車に乗ろうよ

リンリンリーン。
ベルの音が自分に向けられていると気付いたロザリアは、くるりと後ろを振り返って、立ち止った。
金の髪をふわふわとさせたアンジェリークがベルを鳴らしながら近づいてくる。
アンジェリークはロザリアに自転車を横付けすると、ひらりと飛び降りた。
「見て~。ロザリア!」
アンジェリークはぴかぴかの自転車にいとおしそうに頬ずりしている。
真っ赤な自転車はアンジェリークの雰囲気にぴったりだ。

「あのね、ダメもとでディア様にお願いしてみたら、すぐに用意してくれたの~。
だって、あちこち移動するのに、歩くの大変だったんだもん。
これからは自転車です~いすいだね!」
ロザリアは嫌な予感がして、アンジェリークの顔を見ると、アンジェリークはにこにこのまま続けた。
「あ、もちろんロザリアの分もあるの。おそろいの青い自転車よ。
乗せてあげるから早く寮まで取りにいこ?」
(ああ、やっぱり。)
嫌な予感は大的中し、アンジェリークはロザリアを強引に荷台に乗せた。

「ど、どうしても乗らなければなりませんの?」 
声が震えるのが悔しくても前を向けない。
お尻は違和感があるし、足がぶらぶらして不安定極まりない。
「いくよ~。」 
アンジェリークは勢いよくペダルをこいだ。
しっかりとロザリアが腰をつかんでいるが、こぎ出しは軽やかだった。
「きゃ~~~。」 
ロザリアの叫びが飛空都市じゅうに響き渡った。

風と共に目の前をふわふわの金の髪が揺れる。
ロザリアはアンジェリークをしっかりと抱きしめると、目を閉じてお祈りしながら時間が過ぎるのを待った。
「はい。到着~。」 
キッと音を立てて自転車を止めて、アンジェリークは振り返った。
ロザリアは顔面蒼白で固まっている。
「怖かったの? ちょっとでこぼこしてるもんね。」 
小首を傾げて尋ねてきたアンジェリークにロザリアははっとして言い返した。
「わたくしに怖いものなんてありませんわ!ちょっと驚いただけですわ!」
ホーホホホと腰に手を当てて、いつもの高笑いをして見せた。
アンジェリークは小さな鍵をロザリアに手渡すと、青い自転車を指差した。
「あれが、ロザリアのね。一緒に聖殿まで行こ?」 
アンジェリークとおそろいのぴかぴかの自転車にまたがると、ロザリアは足をペダルに乗せた。
ふらふらと進んで、止まる。
そして、両足をついたまま、動かなくなった。
「もしかして、ロザリア、自転車乗れないの?」 
まん丸な碧の目にじっと見つめられて、ロザリアはカーッと顔が熱くなるのを感じた。
そう、ロザリアは自転車に乗れなかった・・・。


「学校は?」「車ですわ。」 
「お買い物は?」「車ですわ。」 
「友達の家とかは?」「車ですわ。」
プイっと横を向いたまま答えるロザリアにアンジェリークはうんうんとうなづいた。
「そっか~、お嬢様は自転車乗らないのね~。」
そして、ロザリアの両手をわしっと掴むと目をキラキラさせていった。
「わたしが教えてあげる!ロザリアに教えてあげられることがあるなんて嬉しい!」 
ぴょんぴょん飛び跳ねるアンジェリークをロザリアは肩を落として見ていた。


「さ~、行くわよ!」 
今日はもうすべての予定はキャンセル!というアンジェリークに連れられて、広々した野原にやってきた。
軽やかに乗るアンジェリークの隣で一生懸命自転車を押してきた。
動きやすいように着替えてきたジャージ姿とはいえ、春の陽気で少し汗ばんでくる。
ロザリアは自転車にまたがると、恐る恐る両足をペダルに移して漕ぎだそうとした。
とたんに重心が傾いて、あわてて足をついた。
「ダメダメぇ~。もっと勢いよく漕がなきゃ!」 
走り寄ってきたアンジェリークの声は気持ちウキウキしているように思える。
「わたしが後ろ持ってるから、勢い良く、だよ。」 
さあさあと押し出されるように再び前を向いた。
よろよろとこぎ出すと、アンジェリークの檄が飛ぶ。
「もっと、もっと~。」
ロザリア的には頑張っているのだが、何せ漕ぐ、という動作すら不慣れな状態ではどうにもならない。
「わ~。」「きゃ~。」
と叫び声が続いて、二人は座り込んでしまった。
アンジェリークもどうしたものか、と悩んでいる。
少し休憩と、風に吹かれておしゃべりしていると、土手の上から声が聞こえた。

「おめーら、暇そうに何やってんだよ。」 
「ゼフェル様!」
ゼフェルは土手をかけ下りてくると、二人をじろじろと見つめた。
「へえ~、そんなカッコもすんのな。」 
ロザリアははっとして、首まで真っ赤になってうつむいた。
「今、自転車の練習をしてたんです!」 
アンジェリークがぐっとこぶしを握って言うと、ゼフェルはふんと斜めにロザリアを見た。

「おめー、自転車も乗れねーのかよ。」
明らかにバカにした感じに思わず口を開きかけたが、
「お嬢様は乗らないんですよ! 運転手がついてるから、いらないんです!」 
アンジェリークが言うと、ゼフェルもうっとひるんだ。
「ゼフェル様こそお乗りになれるんですの?」 
言い返すチャンス!とばかりにロザリアが口をはさむ。
「はあ?!見てろよ!」 ゼフェルはひらりと青い自転車に飛び乗ると、シャーっと走って行った。
そのうち両手を離して乗ったり、Uターンしたりと、かなりの達人っぷりを披露してくれた。
どうだっと言わんばかりの視線に二人は唖然とする。
近づいてくるゼフェルに 「すごいですわ! ぜひわたくしにも教えてくださいませ。」 とロザリアは青い瞳をキラキラさせて言った。
気になる少女の素直な感嘆の表情に、ゼフェルもまんざらではなさそうだ。
「たく、しょーがねーなー。 まずはオレが持っててやるから、乗ってみろよ。」
ロザリアに自転車に乗るように促すと、ペダルの速度に合わせて後ろから走って行った。

ふらつくロザリアの自転車をゼフェルは支えながら、「もっと、スピード出せよ!」「いい調子だ!」 と声をかける。
二人はとてもいい感じに見えた。
アンジェリークは野原に寝転がると、二人の練習風景を眺めていた。
なんだかんだいってもゼフェルがロザリアを気にしているということは分かっている。
ロザリアは激ニブだから、全然気づいてないみたいだけど。
うふふふふ、と自然に笑いが漏れてきてしまう。ふと、土手の上に人影が見えた。

(あれ?オリヴィエ様?) 
なんとなくいつもと感じが違うような気がして、声を出せない。
すぐに人影は消えてしまって、結局だれかははっきりわからなかった。

「おい、昼飯食おーぜ。オレ、買ってくるからおめーらはここで待ってろよ。」 
ゼフェルはそう言うとロザリアの自転車に乗って行ってしまった。
寝転がるアンジェリークの隣にロザリアは腰を下ろした。
練習ですっかり汗をかいてしまった真っ赤な頬に風が気持ちいい。
「ゼフェル様って、いい人よね。」 
アンジェリークがなぜか上目遣いに尋ねてくる。
「ええ。こんなにしていただいて申し訳ありませんわ。」 
ロザリアも微笑んで答えた。

(あ~、やっぱりわかってないのね~。ゼフェル様ってばすっごく嬉しそうなのに~。)
アンジェリークはゼフェルに少し同情してしまった。
ゼフェルがテイクアウトの紙袋を前カゴに乗せて戻ってきた。
すっかりロザリアの自転車はゼフェルになじんでいる。
3人はゼフェルが買ってきたサンドイッチを食べながら、しばらくおしゃべりを楽しんでいた。


アンジェリークはロザリアの練習をゼフェルに任せると、聖殿に向かった。
「がんばってくださいね。」 と脇腹を肘でつつくと、ゼフェルは「おう。」と、赤くなって答えた。
(かわいーんだから。) 
くすくすと思い出し笑いをしながらルヴァの執務室に向かった。

「こんにちは!ルヴァ様!」 
勢いよくドアを開けると、部屋にはオリヴィエがいて、二人の視線が集まった。
「すみませ~ん。また出直します。」 と頭を下げると、「あら~、私の用事はもう済んだからいいんだよ。じゃ、ね。」
オリヴィエはウインクしながら部屋を出て行った。
アンジェリークが育成のお願いを済ませて部屋を出ると、オリヴィエが待っていた。

「ねえ、さっき野原で何やってたのさ。」 
やっぱりあの人影はオリヴィエ様だったのね、と思いながら今朝からの出来事を説明した。
「ふ~ん。自転車ねぇ。」 
オリヴィエはショールをひらひらさせてつぶやいた。
「ゼフェル様ったら、ロザリアの前だからってはりきっちゃって、もう、可愛いんですよ~。」 
また思い出して、うふふと笑ってしまった。
「ふうん。」 
オリヴィエは一瞬面白くなさそうな顔をしたような気がしたが、それもすぐに消えて、いつもの笑顔に戻る。
「今度、私も乗せてよね。」 と言うと、自分の部屋に戻ってしまった。


アンジェリークも二人の様子が気になって野原に急ぐと、練習に疲れたのか、二人は土手に座って休んでいた。
ペットボトルに夕陽があたって、オレンジ色の虹が見える。
「もうちょっとなんだけどよ~。」 
ゼフェルがあおむけになって、大きく伸びをした。
走り回ってくたくただ。
隣のロザリアが申し訳なさそうに目を伏せる。
それを見て、
「あ、いや、もうちょっとだからよ。おめーは頑張ってると思うぜ。」 と、あわてて声をかけた。
「ありがとうございます。ゼフェル様。当然ですわ。わたくしはロザリア・デ・カタルヘナですもの!」 
ロザリアの笑顔にとたんにホッとした顔になる。
アンジェリークはうふふ、と笑った。

帰り道、まだ乗れないロザリアはゼフェルの後ろに乗せてもらうことにした。
アンジェリークの赤い自転車の後ろをゼフェルがゆっくりと追いかける。
少し涼しい風が、疲れを吹き飛ばすようだ。
ロザリアがぴったりと体をくっつけているせいか、ゼフェルは胸がドキドキして思いっきり漕いでしまいたくなる。
腰にまわされた手。
(やべえ・・・。) 
背中に柔らかな胸があたっているような気がして、突然ゼフェルはやみくもにペダルをこいだ。
いつの間にか追い越してしまったアンジェリークが 「待ってくださーい。」 と大声で叫んでもゼフェルは止まらなかった。


候補寮の前まで来ると、オリヴィエが立っていた。
ゼフェルはその少し手前で自転車を止めると、ロザリアを下ろして自転車を押して近づく。
アンジェリークが一足先にオリヴィエに声をかけた。
「オリヴィエ様、どうしたんですか? こんなところでお会いするなんて、私達に御用ですか?」
夕陽を浴びたオリヴィエの顔は逆光になって表情が見えない。
キラキラとアクセサリーが光っている。
「ん。ちょっと通りがかってさ。 なあに、仲良く3人でどうしたの。」 
「ロザリアの特訓の帰りなんです。もう少しで乗れるって。ね、ゼフェル様!」
話を振られたゼフェルは気のない感じで頷いた。
「まあ、がんばんなよ。」 と、去り際にポンと頭に手を乗せられたロザリアが少し悲しそうな顔をしたように見えた。



翌朝、ようやく明るくなり始めた時間に、ロザリアは外へ出た。
柔らかな朝日が飛空都市の際を少しづつ照らしだしている。
さわやかな空気に鳥の声が耳をなでた。
ジャージ姿に髪を束ねたロザリアは小さな鍵を青い自転車にさすと、ゆっくり押して歩き始めた。
小さな石ころがタイヤに当たると、ダイレクトに腕に振動が伝わってくる。
昨日もう少しというところで時間切れになってしまった。
今朝のうちにどうしても乗れるようになりたい。
少しして野原に着いて土手を下りようと自転車をおすと、朝でぬるんでいたせいか、土手下で滑って尻もちをついてしまった。
「痛い・・・。」 とつぶやいて立ち上がろうとすると、「何やってんのさ。」 と声がした。

驚いて目をやると、すぐ向こうにオリヴィエが立っていた。
近づいてきて、自転車を立てせてくれる。
「大丈夫?あんたって変なとこでどんくさいよね。」 
面白そうに笑った。
「オリヴィエ様。どうなさったんですの?」 
その格好は? と続けようとしてオリヴィエの優しい瞳に口をつぐんでしまう。
「あんたなら絶対今朝も練習しに来ると思ってさ。一人じゃ練習にならないでしょ?つきあってあげるよ。」
「こんな格好までしたんだしさ。」と、Tシャツのすそをつまんだ。
いつものきらびやかな執務服とは違って、ラフなロンTとジーンズに髪を束ねた姿は何というか、とてもかっこよくて、ロザリアはオリヴィエを改めて男性なのだ、と意識してしまう。
「あんたも結構似あってるよ。」 ちらりと視線を受けて、ロザリアははっと自分の姿を見た。
変・・・なのかしら?なんとなくロザリアも自分のTシャツの裾を引っ張ってしまった。

「ん?どうしたの。」 
顔を近づけてくるオリヴィエに 「なんでもございませんわ!」 とあわててそっぽを向いた。
耳が赤いのがばれたようで、オリヴィエはくすくすと笑っている。
「じゃ、始めようかね。 あんたが乗って、私が持っててあげるから。」 
自分の後ろにオリヴィエがいる、と思うだけで足がもつれてしまいそうになる。
それでも必死でロザリアはペダルをこいだ。

「オ、オリヴィエ様~、きちんと持っていてくださってますの?」 
ペダルをこぎながら前を向いて叫んだ。
自転車はふらふらとしながらなんとか前に進んでいる。
「ん? ずっと前から離してるけど。」 
オリヴィエの声がずいぶん後ろから聞こえた。
「え?」 
思わず振り向いた拍子に見事に転んだ。 
向こうからオリヴィエが走ってくるのが見えた。

「大丈夫かい?」 
転んだことに驚いて、しばらくボケっとしていたが、やがてゆっくりと笑顔になった。
「オリヴィエ様!わたくし、ここまで一人で乗れましたわ!」 
キラキラした青い瞳につられて、オリヴィエもつい、笑顔になってしまった。
「ありがとうございます!」 
勢い良く抱きついてきたロザリアをしばらくそのままにしておいた。
ロザリアの柔らかな青紫の髪が目の前に広がる。
頑張ってこいだせいか熱くほてった体の温度がゆっくり伝わってきた。

涙ぐんだ様子が可愛くて、 「ねぇ。ここじゃ目立ちすぎるからさ。 あとでゆっくりやってくれない?」 と声をかけた。
はっと顔をあげて、真っ赤になるロザリアをオリヴィエは 「もう一回やってみようよ。」 と再び自転車に乗せた。
一度できれば後はなんとかなるものだ。
よろよろとしながらも前へ進めるようになり、一人でこぎ出すこともできるようになった。


「よくがんばったね。」 
7二人で土手に座り、もってきた水筒の紅茶を飲んだ。
青い自転車が野原の真ん中に倒れている。
草がさわさわと揺れて、そろそろ陽が昇り始めていた。
紅茶は少し生ぬるい感じだったが、渇いた喉には気持ちよかった。
ロザリアは思わず大きく息をつく。
心地よい汗でロザリアの瞳はキラキラと輝き、色づいた頬はドキドキするほどつややかだった。

「あの、ありがとうございました。わたくし一人でしたら、きっとできませんでしたわ。」 
ロザリアはオリヴィエに素直に頭を下げた。
土手に寝転がったオリヴィエは 「ちょうど運動不足だったからね。早起きしてあんたの顔を見れたし、別にかまわないよ。」 と、言った。
「なぜ、来てくださったのですか?」 と、聞いてしまいたくなる。
少しは期待してもいいのかしら? 
考え込むロザリアをオリヴィエが優しく見つめていた。

さあ帰ろう、というときに 「オリヴィエ様もお疲れになりましたでしょう?わたくしの後ろにお乗りくださいませ。」 とロザリアが言いだした。
今日乗れたばっかの人には無理! と言いたかったが、一度言い出したらひかないロザリアの性格はよくわかっている。
オリヴィエはサドルから声をかけるロザリアの後ろに乗ると、少し大げさにロザリアの腰に手をまわした。
びくっとロザリアの体が硬くなる。
面白くなって、少し力をこめてしがみついてみた。
ロザリアは固まったまま、動かない。

「さあ、行っていいよ。」 
オリヴィエの声にロザリアはペダルを漕ごうとした。
それに合わせて、また腕に力を込めた。
ロザリアはよろよろと腰くだけになってしまい、すぐに足をついてしまう。
何度か走り出そうとしたが、うまく力が入るわけがない。
そのうち真っ赤になって振り返るとおずおずとオリヴィエに言った。

「あの、オリヴィエ様。申し訳ないのですけれど、やっぱり乗せていただけませんこと?」 
「ん。いいけど。」 
うまくロザリアからサドルを奪い取ると、オリヴィエは軽くペダルをこいだ。
おずおずと腰にまわされていた手が自転車のスピードアップとともに力がこもってくる。

ロザリアはいつの間にかオリヴィエの背中にぴったりとくっついてしまった自分に気付いた。
思ったよりずっと広くて、それでいて引きしまった男性の背中にドキドキして心臓が破裂しそうに苦しい。
風に乗って流れてくるオリヴィエの香りにますます赤くなってきてしまう頬も気になる。
このドキドキが、オリヴィエ様に伝わってしまったらどうしよう。
そう思いながらも離れたくなくて、ロザリアはまわした手に力を込めた。

オリヴィエも次第に背中にくっついてくるロザリアの感触が気になって、つい足に力がこもってしまう。
その柔らかい感触に「絶対、あとでイジメテやるからね!ゼフェル!」 と心の中で思ったのだった。


FIN
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