恋する条件

陽ざしの向こうに青い影が見える。
偶然会えたことに嬉しくて、オリヴィエは早足で彼女を追いかけると、肩に手を置いた。
振り向いたロザリアの頬にオリヴィエの人差し指が見事にぷにっとささると、オリヴィエは笑いだした。
「今時これに引っ掛かるって、かなり新鮮~。」
爆笑しそうな勢いのオリヴィエをロザリアは軽く睨みつけた。
「もう、オリヴィエったら! からかうのはおやめくださいませ。」
怒ったふうな口調でも、顔は笑っている。
ロザリアは楽しくて仕方がないという顔でオリヴィエを上目遣いに見た。

「あの、オリヴィエ、聞いていただけます?」
  手招きに誘われてロザリアの示す場所まで近づくと、指差したほうに視線を向けた。
緑の木々の隙間から、若い庭師が一所懸命梯子の上で高い木を剪定しようと頑張っている姿が見える。
ロザリアと顔を並べたオリヴィエはすぐ隣から香る彼女の甘い香りに戸惑いながらもしばらくその庭師の姿を眺めた。
ふと隣を見るとロザリアの青い瞳はうっとりと心なしか潤んでいるようにさえ思える。
まさか、と、じんわり胸にいや~な予感が広がる気がして、少し体をずらしてロザリアのほうに向きなおった。
「素敵ですわ・・・。」
やっぱり。
次に来る言葉を思い浮かべてオリヴィエは急に頭痛がしてくるような気がした。
「あの方とお近づきになるにはどうしたらいいのかしら?教えてくださらない?」

補佐官になってから何度目になるだろう。
恋なんてものに目もくれずに一心不乱に目指した女王という夢を果たせなかった彼女はふと気付いたらしい。
このままでは、恋を知らずにすぎてしまう、と。
「恋をしたいんですの。」 と真剣な瞳で相談されたときに、もう少し真面目に答えてあげていれば、こんなことにはならなかったかもしれない。
オリヴィエは執務室でため息をついた。
「あんたはどんな恋がしたいの?」ときいたオリヴィエに、ロザリアはわざわざ座っていたソファから立ち上がってグッと左手で拳を作って言った。
「何もかも捨ててその方に飛び込んでいけるような、そんな情熱的な恋がいいんですの!」
いったいどんな恋愛小説でも読んだんだか、ベランダから飛び降りた彼女を抱きとめて連れ去ってくれるような相手がいいらしい。

「じゃあ、体格のいい男じゃないと無理だね。」 
かなり冗談のつもりで言ったのに、ロザリアは生真面目に受け止めたらしい。
「そうですわね。
 だから今までわたくしは恋できなかったんですわ。だって、この聖地にはすらりとした方しかいらっしゃらないんですもの。」
そして、この日からロザリアのガタイのいい男を探す日々が始まったのだ。
聖殿の修理に来ていた大工からはじまり、左官屋、格闘技の講師。
果ては世界的クライマーまでどれも自分の2倍はありそうな男を 「好きになった。」 と言ってくる。
最近は工事のたぐいも終わり、ロザリアのお眼鏡にかなう男は現れていなかったのだが。
オリヴィエはそれこそ今日10度目にはなろうというため息をついた。

机の上の書類に外からの光が差し込んでくる。
近頃伸びてきた木のせいでオリヴィエの執務室はかなり影ができていた。
ちょきちょき切って、さっさと聖殿から出て行けばいいのに。
この前、遠くの裏庭を手入れしていた庭師はだんだんと聖殿の近くに来て、今は中庭に取りかかっている。
若い庭師が近付くにつれてロザリアはそわそわと廊下をうろつくようになり、今は一日中行ったり来たりを繰り返している。
中庭を通り抜ける渡り廊下は庭師に会える絶好のスポットなのだ、と昨日ロザリアが教えてくれた。

「オリヴィエ、あいさつ以外に最初になにを話したらいいのかしら?」 
今日も用事もないのにやってきたロザリアは窓から身を乗り出さんばかりにして外を眺めている。
なんでも、この斜め下の木に取りかかっているらしく、ここからだとちょうど背中が見えるらしい。
仕事をしている男は素敵だ、と言いながら窓枠に頬杖をついて一生懸命眺めている。
私だって執務中なんだけど、と、オリヴィエは光に縁取られたロザリアの横顔を見つめながらつぶやいた。
庭師がこの辺りをうろつき出してから4日間、それから名前一つ聞けないようだ。

「あら、休憩みたいですわ。」
ロザリアは顔をあげて、恥ずかしそうにオリヴィエを見ると、ソファに置いてあった紙袋を持ち上げた。
この部屋に来たときから気になっていたが、いったい何が入っているんだろう。
オリヴィエはロザリアに近づくと、紙袋の中を覗き込んだ。
思いがけずに間近に見ることになったロザリアの長い睫毛がまたたく。
「これ、差し入れにと思って作ってきましたの。喜んでいただけるかしら。」
ハートのかたちのクッキーが可愛らしい透明のラッピングバッグに入れられていた。
それで、今日はこんなに目が赤いのかとオリヴィエはようやく合点がいく。

「オリヴィエの分もありますのよ。」 
ハートの先端がオリヴィエの胸に刺さるような気がした。
「夜更かししたでしょ?」 オリヴィエの指がロザリアの目の下をなぞる。
ロザリアはされるがままになって、オリヴィエを見つめた。
綺麗な青い瞳に自分が映っているのを見て、オリヴィエはドキリと心が音を立てるのを聞いた。
「オリヴィエにはなんでもわかってしまいますのね。」 
なぞる指がふと止まって、一瞬二人の視線が絡んだ。
甘い瞳にロザリアはなぜだか胸がきゅっとするような気持ちになる。

けれど彼の綺麗な指は女性のようにネイルがされている。
この綺麗な手はきっとわたくしを受け止めるようなことをなさいませんわね。
ロザリアは手の中の袋をギュッと力を込めて握った。
そう、オリヴィエはわたくしの恋のお相手にはならないのよ。
だって、体格がいい人にしなさいと、教えてくれたのはオリヴィエなんですもの。
「行ってきますわ。」 
オリヴィエの指がついっと離れて、ロザリアを送り出した。


木の下の男にクッキーを渡す姿が見える。
お互いに真っ赤になってプレゼントの袋を間にはさんでいる姿はテレビドラマならほほえましいだろう。
身長もかなりあるし、何より肉体労働のためか、かなりマッチョな筋肉はオリヴィエ的には受け付けない。
ロザリアと並んだ姿はまさに美女と野獣に見えて、このイライラが美しくないものを見たせいだ、と懸命に考えた。
どうにか受け取ってもらったらしく、ロザリアが逃げるように走り去っていくと、男が戸惑いながらも嬉しそうに袋を開けてクッキーをかじるのがよく見えた。

「受け取ってもらえましたの!」 
勢いよく部屋に走り込んできたロザリアは息を弾ませながら言う。
「よかったね。」 ロザリアは返事を聞くよりも早く窓枠に行くと、またかじりつくように下を眺めていた。
オリヴィエもロザリアに並んで窓から外を眺めていると、男の周りで何かがきらりと光るのが目に入る。
ある考えが頭をよぎって、確かめずにはいられなくなった。
「ちょっと、出てくるね。」
上の空で返事をするロザリアを残して、オリヴィエは下へと降りて行った。


木の上にいる男は確かに立派な体をしている。
私が落ちても受け止められそうだね、とオリヴィエはひとりごちた。
しばらく下から眺めていると、バサバサと枝が落ちて、男が降りてきた。
オリヴィエも大きいほうだと思うが、男はさらに大きかった。
しかし陽に焼けた顔は意外にも端正で、いままでロザリアが好きになった(?)男どもよりはずいぶんましだった。

「ねぇ。」
いきなりかけられた声に男はかなり驚いた様子で振り向いた。
「それ、結婚指輪でしょ。あんた結婚してんの?」 
男の薬指にはきらりと銀色の指輪が輝いていた。
「はい。」 
滅多に見ることのない守護聖の登場に緊張しているのか、固まった声で返事をする男にオリヴィエはちらりと視線を向けた。
「結婚してるなら、気を持たせるようなことしちゃダメでしょ。さっきみたいにプレゼントを受け取ったりしたら誤解されるよ。」
安心してるのか怒っているのか、自分でもよくわからないせいか何となく歯切れの悪い口調になってしまう。

「すいません!」
怒られたと思ったらしく男は頭を直角に下げた。
「あんまりきれいな人だったんで、断りきれなくて・・・。まさか、俺を?」 
男は驚きながらも嬉しさを隠せないようだ。
そりゃー、あんたの人生では今まで見たこともないような美人だとは思うけど。
イライラと苦虫をかみつぶしたような顔をしたオリヴィエは素直にうんとは言わずに、黙っていた。
じっと男を睨みつけると、「これからはちゃんと結婚してるって言いなよ!」 とだけ念押しした。
これで、こいつがロザリアに手を出すことはないだろう。
何気なく上を見るとロザリアが何事かという顔をして見ている。
目が合うと、さっと身をひるがえすのが見えた。


別にやましいことはないけれど、なんとなく誤解しているような気がしてオリヴィエは部屋に急いだ。
階段の下から見上げると、ロザリアが廊下を走ってくるのが見える。
あんな細いヒールで走ったら危ないじゃないか、と自分のことは棚に上げてそう思った時、ロザリアの足首がかくっと折れた。
そこから先はスローモーションのように一瞬がコマ送りで瞳の中に映っていく。
手すりに手を伸ばすロザリアの瞳が大きく開いた後、ギュッと閉じられたところ。
ふわりと宙をういた体から空を舞うようになびくドレスの裾。
後ろ向きにくるりと回ったロザリアの体。
間に合ってほしい、と手を伸ばしたオリヴィエの少し先で、どさり、と鈍い音がした。

思わず、目をつぶったオリヴィエのすぐ前から聞きなれた声がした。
「なにを急いでる・・・?おまえらしくもない・・・。」
目を開けたオリヴィエの視界いっぱいに真っ黒な影が広がっている。
階段の下で片腕を手すりに絡ませてロザリアを抱きしめるように受け止めたのは、他でもないクラヴィスだった。
驚きで声も出ないロザリアを抱えたままゆっくりと立ち上がったクラヴィスはその白い手でロザリアの額にかかった髪を分けた。

「どうした・・・。けがでもしたのか・・・?」
まん丸の瞳のまま首だけをぶんぶんと振ったロザリアをクラヴィスは、くっと口をゆがめて笑った。
その笑い声にまた驚いてロザリアはクラヴィスをまじまじと見つめた。
クラヴィスの瞳は光を受けて不思議な紫に見える。

「あの、ありがとうございました。」
二人は固まったまま動こうとしなかった。
茫然としているロザリアはともかく、なぜクラヴィスはロザリアを抱いたまま動かないんだろう。
ようやく我に返ったオリヴィエはまだぼんやりしたまま、そんなことを考えていた。
そして、二人のそばに近づくと、「大丈夫だった?」 と声をかけた。
オリヴィエの声が合図になったようにロザリアは立ち上がると、クラヴィスの腕から抜け出した。
何度も何度も頭を下げて、ロザリアは階段を上がって行く。
なんだか夢見心地のようなその足取りが不安で、オリヴィエはクラヴィスを追い越してロザリアを追いかけようとした。
しかし、追い越そうとしてクラヴィスが笑っていることに気付いて、立ち止る。

「あんた、どうしたのよ。腰でも抜けた?」 
笑ってるクラヴィスの怖さにオリヴィエは恐る恐るという感じで尋ねる。
口端をわずかに上に向けて笑うクラヴィスはオリヴィエをじっと眺めた。
「いや・・・。おまえでもそんな顔をするのだな・・。」 
オリヴィエはぎょっと立ちつくしてしまった。
クラヴィスの言葉の意味がわからない。

「わたしがおらねばロザリアは大けがをしていただろう・・・。嫉妬する前に感謝してもらいたいものだな。」
クラヴィスはゆっくり立ち上がると、茫然としているオリヴィエを残して階段を上がっていく。
オリヴィエは姿が見えなくなるまでクラヴィスを見送っていた。

感謝しろ、か。
本当は自分がロザリアを受け止めたかった。
そのために腕の一本くらい折れてもかまわなかったのに。
見つめあった二人に嫌な感じがわいてきたのも本当。
私はどんな顔をしていんたんだろう。
オリヴィエは力なく歩いて自分の執務室へ戻った。


「オリヴィエ!」
いきなり名前を呼ばれてぎょっとする。
部屋の真ん中をうろうろと歩いているロザリアは瞳をキラキラさせて真っ赤な顔をしていた。
そうだ、大変なことを忘れていた・・・。
「どうしましょう。クラヴィスがわたくしを受け止めてくださいましたの・・・! こんな近くに理想の方がいたなんて!」
ほっそりしているように見えたのに、とか、身長が高いところがいい、とか一体いつまで続くのか、クラヴィスの素晴らしさを語り始めたロザリアをオリヴィエはやれやれという気持ちで見ていた。
さっきまでの庭師のことはもう忘れたのか、すっかりクラヴィスに夢中になってしまっている。
けれど、得体のしれない出入りの職人なんかより、クラヴィスのほうがずっとましだ。
しかもクラヴィスに限って、ロザリアの美しさによろめいたりはしないだろう。
そう思って、オリヴィエの胸になんだかいや~な感じが渦巻いてきた。
あの、クラヴィスが何とも思っていない人をはたして助けたりするだろうか?まして、突然視界に入ってきたクラヴィスはたぶん走ってきたのだ。
クラヴィスが走る? オリヴィエには想像もつかなかった。
ひょっとして・・・? まさか、ロザリアを?
あり得ない、なんてどうして言えるだろう。実際自分は彼女に夢中なのだから。

「クラヴィスと仲良くなるには、どうしたらいいのかしら?教えてくださらない?」
恋する瞳で語るロザリアを前にオリヴィエは重い気持ちで盛大にため息をついたのだった。


FIN
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