君の空へ

恋愛なんて、ただのゲーム。
ほんの少しの夢を見せてくれる甘いスパイスみたいなもの。そうだよね?


「オリヴィエ様、今日はケーキをお持ちしましたのよ。お口に合えばうれしいのですけど。」
美容を気にするオリヴィエのために甘さを抑えたとか、お菓子作りは得意であるとか、たわいもないことを話し続けている。
ケーキにナイフを入れるロザリアを見て、ワタシは微笑んだ。
完璧に整った美貌、均整の取れたスタイル、洗練された所作。
どこを見ても美しい、と思う。
美しさをつかさどるワタシにふさわしい価値はある。

「ねえ、ケーキもいいけどさ。ケーキよりも欲しいものがあるって言ったら、アンタはどうする?」
わざと相手に気付かせるように投げかけるセリフ。
もちろんとびきりのカオで、誘いをかけるときの甘い瞳を添える。
思った通り、真っ赤な顔してうつむくロザリア。
恥じらう様子にますますかきたてられていくのを感じた。

軽く手をとって、ソファの隣に座らせると、もうロザリアの瞳にはワタシだけしか映っていない。
「ワタシの願い、わかるかな?」
額がくっつくほどに顔を寄せて囁いた。
うっとりとワタシを見つめていた瞳がゆっくり閉じられる。
甘い口付けから次第に深く、ワタシはロザリアを堕とした。


その日から繰り返される恋人同士の甘い雰囲気に、周囲が気づくのも時間の問題だった。
実際、ロザリアはアンジェリークにすべて話していたみたいだったし。
アンジェリークが時折ワタシに向ける意味ありげな視線。
それににっこりといかにも「幸せだよ」と笑みを返す。
ワタシ達が「公認」になったのはロザリアのがんばりも大きかったと思う。
実際、以前にも増して育成に励むようになったし、周囲に与えていたとげとげした感じがなくなっていった。
あのジュリアスでさえ「非の打ちどころがない。」と認めたくらいだもんね。
自分のおかげでどんどんきれいになっていくロザリアがうれしかった。
普段になく長く続いてしまっていることが少し気にはなったけれど。


試験終了まであと何日もない、とみんなが思い始めていた時、ゼフェルが執務室を訪ねてきた。
ゼフェルが真剣にロザリアを想っているなんてことはお見通し。
ほかの奴らは気付いてないかもしれないけどね。
ワタシの隣にいるロザリアをどんな視線で見ているか、気付かないほど鈍感じゃない。
その視線を受けるたびにワタシはたまらなくハイになって、ロザリアにますます優しくできるようになる。
ゲームの勝者は優しくなるんだ。
もちろん敗者の前でその戦利品を見せつけるときには特にね。

「は~い、何の用だい?珍しいじゃないか。」
ワタシの軽い口調に乱されずにゼフェルは切り込んできた。
「てめー、アイツのこと、マジなのかよ。」
赤い瞳が睨みつける。
嫉妬の炎だけじゃないことにワタシは驚いた。
不安?そんなにロザリアのことが心配なのかねぇ。
ワタシの中でなにかがうごいた。

「あの子はワタシといるときが幸せだって言ってるよ。それだけで十分なんじゃない?」
勘の鋭いゼフェルはその言葉で気が付いてしまったのかもしれない。
心底、絶望した目に変わった。
「アイツを傷つけないでくれ。オレが言いたいのはそれだけだ。おめーならできるだろ。」

今までならできたかもしれない、と思った。
ゼフェルが去った後、執着し過ぎた自分に舌打ちした。


土の曜日が来た。
このところ土の曜日はロザリアと私邸で過ごしていた。
そんなときのロザリアはワタシにすっかり心を開いているように見える。
怒ったり、笑ったり、時には悲しい絵本で涙を見せたりした。
最初のころは、まるでプライドの高い野良猫をうまく手名付けた時のような満足感でいっぱいだった。
でも、最近はどうだろう。
なぜか目をそらしたくなるような気がしている。


「ねえ、ワタシ達、そろそろ終わりにしようか。」
そう声をかけたのは、夕食が終ってプライベートルームに移ろうとしたときだった。
だらしなく頬づえをついて、ロザリアに目だけを向ける。
驚きで青い瞳を見開くロザリア。
きれいな青の中にワタシが映った。

(ああ、なんてきれいなんだろう。)

動揺で制御できないのか、ロザリアの体がかすかに震える。
うつむいたまま何も答えないロザリアに再度告げた。
「もう、終わりにしよう。とても楽しかった。ありがとう。」
自分の声がなぜか遠くに聞こえる。
もう少しうまく別れることもできたはず。
今までは、相手から別れを切り出すように仕向けてきたのに。
何を焦っているんだろう。
ゼフェルのせい?
余裕のない自分がおかしくて、笑みが出た。

「わたくしを厭わしくお思いですか?」
やっぱり来た。
驚きの次に来る懇願、そして憎悪。
いつだってその醜さにワタシは冷めてきた。
「ちがう、かな。ただ、もうその気じゃなくなったんだ。ごめんね。」
それは本当。
これ以上、続ける気はなかった。

しばらく沈黙が落ちた。
まあ、仕方ないか。突然すぎたからね。
ワタシはロザリアに近づくと、両肩に手を置いてもう一度「ごめんね。」と言った。
その途端、ロザリアは顔をあげて、そして、
ワタシに微笑んだ。

「謝らないでくださいませ。わたくしはすでにオリヴィエ様からたくさんのものをいただいております。
お気持ちが離れてしまったのなら、それはわたくしの責任ですわ。
今日はこれで帰らせていただきます。
これからは女王候補と守護聖としてお付き合いくださいませ。
…今までありがとうございました。」

ロザリアはワタシをまっすぐ見つめて、淑女の礼とともにゆっくり邸を出て行った。
ワタシは向けられなかった憎悪に困惑した。
ゲームのゴールはいつだって同じだったのに。
思わず近くにあったグラスを床に思いっきり叩きつけて、粉々になった破片を拾い集めた。
シャンデリアの光が鈍く反射して、ワタシの指から一筋の血が流れる。
これは、だれの傷?
自分でもわからなかった。


またいつもの日常が始まった。
退屈な時間。
ワタシとロザリアが別れたらしいということが次第に広まっていく。
せまい飛空都市ではそれも仕方ないか。
試験も終盤で幸い夢の力は二つの大陸に必要とされていなかったし、女王候補達はワタシの前に全く姿を見せなくなった。
アンジェリークとロザリアが話しているのは何度か見かけたけれど、もうワタシには関係のないこと。
ロザリアは少しやつれたようで、体調も良くなさそうだったけれど、気丈に試験を続けていた。
別に心配していたわけじゃない。
その資格はワタシにはないから。


間もなくアンジェリークが女王に決まった。
戴冠式で「ぜひ補佐官に。」とディアから薦められても、ロザリアは頑として断った。
驚いたのは、アンジェリークもロザリアを全く引き留めようとしなかったこと。
親友のように仲が良かったのに、とワタシは不思議だった。
ロザリアが補佐官を固辞すると、
「こいつのせいなのかよ!」
ゼフェルがワタシを指さして叫んだ。
会うたびにものすごい憎悪の目で睨みつけてきたゼフェル。
でも、ワタシを憎んでいいのはアンタじゃないはず。
だから相手にしなかった。

「いいえ、違います。わたくしが決めたことです。どなたにも関係ございませんわ。」
凛とした口調で言うロザリアに、誰も何も言いだせなかった。ゼフェルでさえも。
そして、ロザリアは下界へ帰って行った。
ワタシとは永遠に出会うことのない場所へ。



それから女王アンジェリークの治世が始まった。
新しい宇宙に移動したばかりで何かと目が離せない日々が続き、ワタシ達守護聖も雑事に追われた。
ある日、繰り返される会議にジュリアスが「補佐官がいれば…」と愚痴って、一瞬、緊張が流れた。
ワタシとゼフェルとのいざこざは周知の事実だし、みんながロザリアを思い出してたのは分かってた。
ワタシが席を立とうとしたとき、
「言ってもしかたなかろう…。いないのであればわれらがやるしかあるまい。」
クラヴィスがつぶやいて、目が覚めた。
もう、ロザリアはいない。

ワタシがみんなから距離をとるようになっても、聖地は何も変わらなかった。
ただ変わったのは、補佐官がいないため、女王と守護聖が直接謁見するようになったこと。
事務的に繰り返される謁見の途中で、女王はいつも何か言いたそうにしていた。
気づいても、ワタシからは何も聞けない。
もう下界ではどれくらいの時が経ったのかな。
ふと考えることがある。
一日の終わりやひとりになった時。

その夜は、久しぶりにオスカーが訪ねてきた。
「よう、久しぶりにいい酒が手に入ったんだが。」
両手に2本づつワインの瓶を掲げている。
早々に2本あけて、お互いに遠慮がなくなってきたころ、オスカーが言った。
「おまえ、変わったな。」
「そうかな?」
ワタシは手の中のワイングラスを傾けて、水面の揺らめきを楽しんだ。

「本気だったんじゃないのか?」
「どうかな?本気ってどうなったら言うのさ。」
感情を出さないようにグラスの中を一気にあける。
「いや、実は俺にもわからないな。まだ運命の女性には出会っていないからな。」
一息ついた。
「ただ、そんな女性に出会ったら、俺は変わっちまうだろう。それがどんなふうにかはわからんが。」

オスカーの言葉にワタシはため息をついた。
「あんたって、意外とロマンチストなんだねぇ。」
少しおどけて言うと、オスカーは意味ありげに笑った。
「おまえは、変わった。それが本気だったからだ、と俺は思ってる。」
残りを全部飲み終わるまで、たわいもない話をした。
気分は晴れたけど、心の奥でなにかが溢れそうになっている気がした。

初めの退任はルヴァだった。
次がジュリアス、クラヴィス、と年長組が入れ替わった。
そして、ワタシの退任の日も近付いている。


いつもながら晴天の聖地に早朝別れを告げた。
誰にも告げず、だから、もちろん見送りもなかった。
長い年月でワタシは何をしてきたんだろう。
何もしてない気がした。
すべてはこれから。

昨日の最後の謁見で、女王はワタシに一通の手紙をくれた。
聖地を出たらあけてほしいというその手紙を渡す時、女王は泣いていた。
「これはロザリアがあなたのために流したはずの涙よ。彼女は一度も泣かなかった。」

(ああ、ここにもまだロザリアがいる)

女王の言葉を聞いてワタシはそう思った。
「あなたを許せないと思ってきたわ。わたしから大切な親友を奪って、わたしを一人にした。」
女王はワタシを見つめた。
緑の瞳は何もかも悟ったような女王の目だった。
「だから、最後の命令よ。この手紙の場所に行きなさい。そうしたら、あなたを許すわ。」
女王は自ら謁見の間を退出していった。


手紙に書かれていたのは、主星のとある場所だった。
夏のはずなのに少し気温が低い。
冬になればきっと雪が積もるだろう。
ワタシは故郷の星を思い出して身震いした。
捨てたはずなのに思い出す故郷はあまりいい思い出がなかった。
歩くしかないような僻地で、ワタシはただ黙々と歩いていく。
長い坂の上は、広い墓地になっていた。


「ロザリア」と刻まれた墓標は、それほど古びてはいなかった。
あれほど自慢にしていた「カタルヘナ」の家名はない。
小さな墓石には彼女の名前だけが刻まれていた。
墓石に手を触れる。
冷たいのは、この地の気温のせいだけではないだろう。
あらためて、もうこの世に彼女がいないことが思い知らされた。
これが女王の下した罰なのか。
ロザリアがいないということがこんなにもワタシの心をきりさく。
膝をついて、小さな墓標を抱きしめた。


「本当に来たんですね。」
声をかけられたのが自分であるとしばらくわからなかった。
誰もワタシを知っている人間はいないはずだから。
振り向いくと、若い男が立っていた。
青い、青い瞳。
きついまなざしは整った顔に知性の色を添えている。
それはワタシのよく知った瞳に、あまりにも似すぎていた。
唯一違うのは、顔を彩る金色の髪。
ロザリアの髪は見事な青紫だった。
ワタシはいつもその髪をとかしていた。
恥ずかしそうにされるがままになっていた少女。
ワタシの中のロザリアはいつでも少女だった。

「あなたが、オリヴィエ様ですね。」
青年はおもしろくなさそうに言うと、持っていた花束をロザリアの墓に供える。
ワタシはその動作を眺めていた。
優雅な所作はロザリアと同じ。
目の前の青年は確かにロザリアの血縁の者だろうと分かった。
「僕はロザリアおばあさまの孫ですよ。」
ぶっきらぼうに告げる姿は、まるでワタシを拒んでいるように感じた。

「あなたの孫でもあるわけですね。どう見ても同い年くらいだけど。」

何を言われたのかわからなかった。
驚きで何も言えない。
この青年の金の髪は確かにワタシと同じだった。
「女王試験から帰ったおばあさまはすでに身ごもっていたそうですよ。
そのせいでカタルヘナ家からも勘当されて、ばあやと二人、この土地に来たそうです。
それで僕の父を産んでから、学校を作ったらしいです。」

青年は丘の上を指差した。
「ほら、あれ。」
確かに学校らしき建物が見えた。
「寒いところは楽しいことがないって言った人のために、学ぶことを教えたかったんだって。
おばあさまはいつもそう言ってたよ。
学ぶことは楽しい、いろんな経験が宝になるって。」

『ワタシの故郷は寒いところでね。なんにも楽しいことがなったんだ。
家でできることなんて限られてるだろう?
早く家を出たくて仕方なかったよ。』

そんな風に言ったのはいつの寝物語だっただろう。
ロザリアはその一言を覚えていたのか。
なぜ女王をあきらめたのか、なぜ補佐官にならなかったのか、やっとわかった。
小さな命のためにすべてをあきらめたのだ。

「すごく苦労したみたいでさ。あたりまえだけど。
たくさんは話してくれなかったけど、小さい頃のこととか聞いたよ。
ものすごいお嬢様で何でも手に入ったけど、本当に欲しかったものはすべて置いてきたって。」
父上が大きくなって結婚して、幸せになって、本当によかったって。
話しの最後はいつもそうなるんだ。」

「あんたのこと、悪く言ってなかったよ。」
青年は静かに言った。
「一番幸せだったって言ってた。」
「でも、僕はよくは思ってない。おばあさまが苦労した話聞いてるし。」
決して合わせようとしない顔がその気持ちを表していた。

「おばあさまが亡くなるときに言ったんだ。
もし、金の髪の、僕に似た人が現れたら伝えてほしいって。
だから僕は、毎日ここに来てた。
あなたに、出会えてよかった。そう言ってほしいって。」

二人で墓標を眺めていた。
彼の目にワタシはどう映っているのだろう。
おばあさまを捨てた悪い男。
彼は瞳の色以外ワタシによく似ていた。
「おばあさまは、僕が一番かっこいいって言ってた。似てるからだったんだね。」
青年は一度もワタシと目を合わせることもなく立ち去った。
ワタシは声をかけられなかった。

そのまま立ち尽くしていたワタシは、あたりが暗くなってようやく歩きだした。
帰りたい場所はもうない。
女王の罰はあまりにも重かった。
女王は何もかも知っていたのだろう。
ワタシはロザリアを愛していた。
けれど、変わっていく自分が怖くて突き放した。
失くしてからわかる、こんなにも簡単な答え。

日が落ちて冷たくなる風がワタシの髪をさらう。
これからもワタシはただ一つの愛を守っていくだろう。
今は空にいる君のために。


FIN
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