男が9人の、はっきりいって、むさくるしい所帯に突然2人の女の子が現れたのだ。
浮足立つのも無理はない。
「オリヴィエ様。よろしいでしょうか?」
2人の女王候補のうちでもオリヴィエのお気に入りは、蒼い瞳の女王候補だった。
「もちろんだよ。さ、こっちおいで。」
執務机から手招きしたオリヴィエに、ロザリアは軽く会釈をすると、部屋に足を踏み入れる。
振り向いて、ドアを閉める後ろ姿も優雅で美しい。
「ごきげんよう。オリヴィエ様。」
一歩中で淑女の礼をする姿にオリヴィエは目を細めた。
「ちょうどよかったよ~。あんたに似合いそうな髪飾りを見つけたんだ。ちょっとつけさせてよね。」
ソファに座るようにロザリアを促して、オリヴィエは引き出しから綺麗な箱を取りだした。
出張先で偶然見つけたバレッタ。
細かな銀の薔薇の細工にちりばめられたブルーの石。
中心に向かってグラデーションを描くその色はまさにロザリアそのもので、オリヴィエはつい衝動買いをしてしまった。
…改めてプレゼントにするには少々値段がはりすぎる。だから、さりげなく渡したかった。
「まあ、綺麗ですわ。わたくし、薔薇はとても好きなんですの。」
「あんたに似てる気がするよ。ホラ、動かないでね。」
ロザリアの後ろに立ったオリヴィエは青紫の髪にブラシを入れると、リボンを外して結い直した。
綺麗なうなじが目に入って、少しだけドキリとする手。
カールした髪を流して、目立つ位置にバレッタをとめる。
「ホラ、すっごく綺麗だよ。」
出来栄えに満足して、オリヴィエはロザリアに鏡を手渡した。
キラキラと光を受けて、バレッタが輝く。
ロザリアの瞳も輝いた。
「ありがとうございます。オリヴィエ様はとてもセンスがよくていらっしゃるんですわね。」
「そう?あんたもすぐにおしゃれになるよ。私が教えてあげる。」
楽しい時間。
オリヴィエは心の奥にほんの少し芽生えた気持ちに蓋をするように、ロザリアとの時を過ごした。
女王試験も後半に入り、二人の候補たちの育成は接戦になりつつあった。
初めリードしていた分だけ、ロザリアの方が精神的に追い詰められているようだ。
オリヴィエはロザリアを湖に誘った。
「大丈夫。あんたならできるでしょ?私はあんたの味方だよ。」
冗談ぽく、オリヴィエはそう言ったが、ロザリアの表情はさえなかった。
「わたくし、女王にはなれないような気がしますの。」
オリヴィエは驚いた。
いつも自信にあふれたロザリアが初めて見せた弱さ。
うつむいたまま、震えているのではないかと思える肩を抱き寄せようとして、手をとめた。
「がんばって。まだ、試験は終わったわけじゃないでしょ?」
触れられる距離から一歩、退いてオリヴィエは明るい声で言った。
好きだ、と言ってしまえたなら。
あんたには私がいると、そう言ってしまえたなら。
でも、それは今、弱気になっているロザリアに逃げ道を与えるだけの気がする。
いつか、女王をあきらめたことを後悔してほしくないから。
「応援してる。あんたが女王になるのを。」
顔を上げたロザリアはなんだかさびしそうにも見えた。
手をぐっと握りしめて、オリヴィエは笑顔を見せる。
励ますことでロザリアに元気になってほしいと、そう思った。
けれど、17の彼女には、励ましよりも支えが必要だったのかもしれない。
次の日、オリヴィエの執務机に薔薇の花束が置いてあった。
白い薔薇をまとめた青いリボンに銀色に輝くバレッタは、いつかロザリアにつけた薔薇。
「どうして?」
ロザリアの姿を見つけて尋ねると、ロザリアは少し微笑んで言った。
「似たものを自分で買いましたの。ですから、お返しいたしますわ。」
握りしめたオリヴィエの手の中で薔薇がきしむ。
彼女を傷つけたのだと、手のひらを刺す花びらが教えてくれた。
ロザリアは淑女の礼をすると、背筋をぴんと伸ばしたまま、歩いていった。
それからロザリアがオリヴィエの元を訪れることは減った。
執務室を訪れるのは育成のお願いだけ。
やがて、試験が終わり、ロザリアは補佐官になった。
守護聖と補佐官。
近いようで遠い距離にオリヴィエはなにもできなかった。
「オリヴィエ。ブーケをお願いしてもよろしいかしら?」
久しぶりにオリヴィエの元を訪れたロザリアは開口一番、そう言った。
「薔薇でしたら、わたくしの花をお使いになって。」
ロザリアが薔薇を育てていることは知っていた。
一番広く植えられているのは白薔薇。
オリヴィエはゆっくりと頷いた。
「ん。わかった。ブーケだね?ドレスはいいの?」
「ドレスは宮殿のドレス商におねがいしておりますの。聖地では滅多にないことでしょう?とても張り切っていましたわ。」
「楽しみだね。きっと、すごく似合うと思うよ。」
「ええ。…では、お願いしましたわ。」
ロザリアが去って、オリヴィエはスケッチブックを取りだした。
白を基調に、グリーンを多くした方がいいか。小さくまとめる方がいいか。
何度も考えては消していく。
頭で考えることに疲れて、オリヴィエは外へ出た。
やはり薔薇を使いたい。
そう考えて、薔薇園に向かった。
薔薇園の中に浮かぶ青い人影。
いままでなら、声をかけたりしなかったけれど、今日は話をしたくなった。
ブーケを頼みに来た時のロザリアが、少し微笑んでくれたから。
「大変だね。毎日あんたが?」
オリヴィエの声に驚いたのか、ロザリアの後ろ姿がこわばる。
一瞬遅れて、振り返ったロザリアはとても綺麗だった。
「ええ。ここへ来てすぐからお世話させていただいていますの。随分花も増えましたわ。」
ロザリアが来る前は、薔薇は片隅に少し植えられただけだった。
それが、今は薔薇園と呼んで差し支えのないほどに増えている。
「でも、わたくしの力だけではありませんわ。庭師の方たちにもずいぶん教えていただきましたし、お手伝いもしていただいていますのよ。」
あれからずっと、こんなふうに話したことがなかった。
オリヴィエの鼓動が少しづつ早くなる。
ロザリアが言った。
「女王試験からもう2年も経ちますのね。なんだか随分以前のことのような気がしますわ。」
柔らかい風。
「そうだね。でも私はまだ、覚えてるよ。」
あんたと過ごした時間のことを。
ロザリアが薔薇を差し出した。
「こちらの花はいかがかしら?きっと、ドレスにとても映えると思いますの。」
見事な一輪咲きの薔薇。花びらまでつややかなシルクのような光沢をしている。
「そうだね。これを使わせてもらうよ。もらっていいの?」
ゆっくりと頷いて、ロザリアはまた薔薇へと向き直った。
束の間に香った薔薇はまた離れていく。
オリヴィエは執務室の机から一番目立つ場所にその薔薇を飾った。
ロザリアの期待に添えるような、この薔薇を最大に生かしたブーケを。
オリヴィエは何度も花を見てはデザインを考えた。
当日。
出来上がったブーケにオリヴィエはリボンをかけた。
綺麗な蒼いサテンのリボンはサムシングブルーの言い伝えから選んだものだ。
オリヴィエはブーケを手に取ると、控室まで花を抱くようにして運んでいく。
扉を開けると、目の前にウェディングドレスが広がった。
「まあ、ありがとう。オリヴィエ。とっても素敵なブーケね。」
白い手袋がブーケを受け取った。
ベール越しでもわかる輝くような笑顔。
人生で一番幸せな時に、一番美しいのは当たり前なのかもしれない。
「あら?これはなあに?」
手袋がブーケの花に触れた。
オリヴィエは彼女に近づくと、耳のあたりに顔を近づける。
「お願いがあるんだ。聞いてくれる?」
おごそかな鐘が鳴り響いて、教会の扉が開いた。
世界で一番幸せな二人の登場にフラワーシャワーの列が近づく。
扉の前で、立ち止った新婦がブーケを掲げた。
「ロザリア!受けとって!」
投げられたブーケは綺麗な弧を描いて、ロザリアの腕に収まった。
同時にウェディングドレスのアンジェリークが階段を駆け下りてくる。
「ありがとう。ロザリアのおかげよ。次は絶対ロザリアが幸せになってね…。」
言葉の最後はよく聞き取れない。
涙にぬれるアンジェリークの頬をロザリアのハンカチが抑える。
「泣いたらダメでしょう?お化粧がはげるじゃないの。まったく、あんたって子は…。」
「だって、わたし、嬉しくて…。」
ひとしきり泣いた後、アンジェリークは新郎に連れられて、フラワーシャワーの中を歩いていった。
祝福の花が舞い落ちるなか、二人が去ると、集まった人々も次第に消えていく。
最後まで残ったのは、ロザリアとオリヴィエだった。
「行ってしまいましたわ。」
多分オリヴィエに言ったわけではなく、自分に言い聞かせたのだろう。
手を離れた親友に寂しさを感じないはずがない。
オリヴィエはロザリアの背中を静かに見つめていた。
ロザリアが手の中のブーケを抱え直す。
白い薔薇。
その中できらりと何かが光った。
「これは…。」
青い石がきらめく銀色の薔薇が、白薔薇の中で一輪咲いていた。
ロザリアはブーケの中からそれを拾い上げると、オリヴィエを振り返る。
「もう一度、もらってくれないかな? 今さらだと、思うかもしれないけど。どうしても、捨てられないんだ。」
ロザリアは手の中の銀の薔薇をじっと見つめている。
「あの頃のわたくしは、あなたのお心を少しもわかっておりませんでしたわ。ただ、拒絶されたのだと、そのことしか思い当りませんでしたの。」
向かい合っていたロザリアが後ろを向いた。
オリヴィエの鼓動が速くなる。
もう遅いと、背中を向けたのかもしれない。
後ろを向いたまま、ロザリアがオリヴィエに銀の薔薇を手渡した。
「つけて下さいませんか?あの時のように。」
綺麗に結いあげられた髪にオリヴィエはバレッタをとめる。
変わらない薔薇の香りに、オリヴィエの顔に微笑みが浮かんだ。
「すっごく綺麗だよ。本当に、すごく綺麗になった。」
「わたくしも少しは大人になれたのかもしれませんわ。だって。」
ロザリアの手のブーケが足元に落ちる。
「こうして、あなたを抱きしめることができるようになったんですもの。」
大人になった19のロザリアは、そう言ってオリヴィエに抱きつくと、子供のような顔で笑ったのだった。
FIN