Super girl

草木も眠る丑三つ時・・・。
凛と立って歩くロザリアの腕にアンジェリークがしがみついている。
ここは飛空都市の森。
穏やかな気候で寒さは感じないはずなのに、時折吹く風はなんとなく冷たいような気がする。
ざわざわざわ、と葉の揺れる音がするたびにアンジェリークはびくりと体を震わせた。
「ね、ロザリア。早く行こうよ。ちょっと怖いし。」

ちょっと?!

アンジェリークの言葉に怒りだしそうになったロザリアだったが、急に頬をなでた風に驚いて言葉を飲み込んだ。
「あ、ここ!」
「な、なんですの?」
腕にしがみついていたアンジェリークがふと離れると、近くの切り株に座る。
「このあいだ、ランディ様とピクニックに来た時に休憩したところだわ。うふふ。すっごく楽しかったんだから!」
あの日はね、と切り株でうっとりし始めたアンジェリークにロザリアはため息をついた。
ランタンの明かりがアンジェリークをぼんやりと照らしている。
ロザリアは光から離れるのが怖くて、一緒に切り株に座り込んだ。
さっきから感じていたのだが、アンジェリークは怖がってはいるけれど、怖くないようなのだ。
鈍感なんだから!と、ロザリアは恨めしげにアンジェリークを見つめた。
そもそも、なぜ、こんなことになったのだろう。
草が揺れるたびに口から飛び出しそうになる心臓。
ロザリアはアンジェリークののろけ話をききながら、お茶の時間のことを思い出していた。


「あー、ぜんぜんわかんないー!」
アンジェリークがペンを机に置くと、ペンは勢いよく転がって、床に落ちてしまった。
「なんだよ!もうあきらめんのか?」
ゼフェルがノートの角で頭を小突く。
「イタイ・・・。」
と涙目になるアンジェリークをランディが慰めた。
「難しいよな。俺だって全然わからないけど、こうやって守護聖してるんだし、アンジェだってできるさ!」
「なにがだよ!こんなこともわかんねーで女王になれるわけねーだろ。」
「ゼフェルは言い方がきつ過ぎるんだよ。アンジェに謝って。」
マルセルまで敵になって、ゼフェルはおもしろくないというように机に足を乗せた。
いつのまにか始まった勉強会。
もともとロザリアがアンジェリークに教えていたのだが、興味を持った年少組達も参加するようになったのだ。
「とにかく、これくらいで音を上げていては、先が思いやられますわ。」
そう言ったロザリアにアンジェリークが身体を乗り出してきた。
「ね、ロザリアはこれ全部、理解してるの?」
「当然でしょう?幼い時から勉強してきましたのよ。とっくに頭に入っていることばかりですわ。」
「ふえー、すごいんだ。」
アンジェリークから感嘆の息が漏れた。
キラキラした碧の瞳に浮かぶのは間違いなく称賛の光。
「ロザリアって、何でも出来ちゃうのね。勉強も、スポーツも、マナーだって、完璧だし。ホント、スーパーガールだわ。」
実のところ、それほどスポーツは得意ではないが、たしかに一通りのことはできる。
ロザリアは素直な讃辞に照れたのか、少し頬を赤くした。
「苦手なコト、ないの?」
「ありませんわ。」
即答したロザリアにアンジェリークがさらに続ける。
「キライな食べ物とか?」「とくにないですわね。」
「苦手な先生とか?」「いらっしゃいませんでしたわ。」
「えー、じゃ、コワイものは?」「コワイもの?」
「おばけとか。」
ロザリアは一瞬ドキッとして、すぐに顎を上げたいつものポーズを取った。
「お化けですって?あんたって子は、まさかそんなモノを信じているの?あんなもの、本当はいないのよ。」
「さすが~。ロザリアってばすごいのね!」
アンジェリークの言葉にロザリアはほっとして、顎を引いた。
これ以上、この話は続かないと思った時だった。

「ねえ。それじゃあ、みんなで肝試ししない?」
「肝試し?!」
マルセルの提案に一番に飛びついたのはアンジェリークだった。
「そう。僕ら3人でやるより、大勢でやる方がきっと楽しいと思うんだ。ね、いいでしょう?」
ロザリアはつばをごくりと飲み込んだ。
冗談じゃない。そんなことは絶対にやりたくない。
「そんな子供みたいなこと…。それに夜に出歩くなんて、はしたないですわ。」
「へ。ホントはこえーんじゃねーの?」
ゼフェルに図星を刺され、ロザリアはムキになってしまった。
この負けず嫌いが、いままでどれほどの面倒事を抱え込んできたのか、十分わかっているのに。
「怖いはずありませんわ!」
「おもしれえ。やってもらおうじゃねーか。」


そして、今のこの状況なのだ。
一通りのろけ終わったのか、アンジェリークがうふふっと、思い出し笑いをした。
しんとした夜の空気が再び辺りに立ち込める。
木の葉が重なり合い、揺れる音。
女性のすすり泣きのようにも聞こえる細い風の音にロザリアは身を震わせた。
「ねえ、アンジェ。早く・・・。」
ロザリアの手がアンジェの肩に触れようとしたその時、「あれ!見て!」とアンジェリークが立ちあがった。
「人玉じゃない?!」
見れば、少し向こうの低い木の隙間にぼんやりとなにかが光っている。
ピンクのようなオレンジのような光の揺らめきは、そう言われれば人玉のような気もする。
ロザリアは息をのんだ。
「絶対、火の玉だわ!ロザリア!早く見に行こう!」
アンジェリークの言葉はもう、ロザリアの耳に入らなかった。
「きゃーーー!!!!」と大きな声で叫んででもいれば、アンジェリークにも気付いたかもしれない。
けれど、お嬢様のプライドなのか、はたまた恐怖で声も出なかったのか。
とにかくロザリアは無言で元来た道へと走り出していたのだった。
「あれ?」
振り向いたアンジェリークは背後のロザリアがいないことに気付いて、首をかしげた。
「ロザリア~~。先に行っちゃったの?もう~~~。」
ランタンを掲げて辺りを見回しても、ロザリアの髪の毛の先ほども見えない。
まさかロザリアが逃げ出したとはつゆほども思わないアンジェリークは、一人にされたことにぶつぶつと不平を洩らしながら、先へ進んでいった。

一方、無言で走るロザリアの頭はすでにパニック状態になっていた。
とにかく走っていると、お約束のように木の根に躓いて転んでしまう。
なんとか手をついて、顔面から落ちることは避けられたが、張り詰めていた気持ちまでプツンと切れてしまったロザリアは、その場に膝を抱えて座り込んだ。
かろうじて今夜は月夜。
じゅうぶんに辺りが見える明るさがあることだけが救いだった。

「誰か、助けて。」
うつむいて景色が見えなくなると、自分を包むのは果てしない静寂。
心臓の音だけがやけに耳に響く。
「ロザリア。」
誰かが名前を呼んでいる。
「ロザリア。」
誰もいる筈がないのに、声がする。
逃げ出したくても、立ち上がる元気もないまま、じっと膝に顔をうずめていたロザリアの手に、何かが触れた。
「ロザリア。もう大丈夫だから。顔を上げて。」
イヤイヤと首を横に振ったロザリアの頭を優しい手がなでる。
「私だよ。迎えに来たから。」
聞き慣れた声にようやくロザリアが顔を上げると、オリヴィエの顔が目の前にあった。
「オリヴィエ様?どうして?」
声が上ずってしまう。
「ん?あんた、『助けて』って、言ってたでしょ。だから、助けに来たんだよ。」
「オリヴィエ様、わたくしの声が聞こえましたの?本当に?」
オリヴィエは少し微笑むと、ロザリアの頬に触れる。
「聞こえたよ。どこにいたってあんたの声なら聞こえる。」
視線が重なって、オリヴィエの腕がロザリアの頭を包み込んだ。
「怖かったんでしょ?あんたってば、お化けとか大嫌いだもんね。」

何度もデートしているうち、オリヴィエにわかったのは、ロザリアが意外に怖がりだというコト。
暗いところがキライだから、夜は必ず手をつないだり、昼でも薄暗い場所には近づかなかったり。
聖殿の七不思議を聞かせたとき、ロザリアは耳をふさいで涙目になった。
「あんたの弱点、見つけちゃった。」
オリヴィエがそう言うと、怒りだすと思ったロザリアは恥ずかしそうに頬を赤くした。
「でも、怖いと思ってしまうんですの。こんな子供のわたくしはお嫌いですか?」
…これでかわいくないと思うヤツがいたら、お目にかかりたい。
それから時々、怖がりを利用して役得をさせてもらったこともあったりしたのだ。

今日のことを知ったのは、本当に偶然。
開け放った窓からゼフェル達年少組の話が聞こえてきたのだ。
「あいつ、絶対ビビってたぜ!」
「もう、ゼフェルったらー。ホントに意地悪なんだから。かわいそうだよ。」
「いっつもくそ生意気なことばっか言いやがるからよ。ちょっと泣かせてやろうぜ。」
「お前がロザリアに突っかかるんだろ。もしかしてゼフェル、ロザリアのこと、気になってるんじゃないのか?」
「はあ?!バカ言ってんじゃねー!!!」
「よく言うだろ?好きな子ほど苛めたくなるってさ。」
「ええー!ゼフェルってば、ホントにそうなの?」
「ち、違う!そんなんじゃねえ!オレはただ、あいつがムカつくだけだ!ランディ野郎はアンジェリークの心配だけしてやがれ!」
「そうだよなあ。俺、やっぱり心配だよ。後ろから見ててもいいかな?」
「バーカ。そんなコトしやがったら、テメーを幽霊にしてやっからな!」
「なんだって!」
「もう、いいかげんにしてよね~。」
他にも断片的に聞こえてきた話を総合して、ゼフェル達の計画がわかったのだ。
知ってしまえば、放っておけない。
目の前にいるロザリアを見て、オリヴィエは本当に来てよかったと心の底から思っていた。

「さ。立って。あいつらのとこに行かなきゃ。」
差し出したオリヴィエの手に捕まったロザリアだったが、一向にそこから動こうとしない。
「どうしたの?」
再びオリヴィエが声をかけると、ロザリアは真っ赤になって、うつむいてしまった。
「立てませんの・・・。」
蚊の鳴くような声。
オリヴィエは思わず上を向いて笑ってしまった。
その笑い声にロザリアは少しムッとしたのか、顔を上げて睨んでいる。
「あ、ごめん。だって、あんたがあんまり可愛いから。…それじゃ、仕方ないねぇ。」
オリヴィエはロザリアに背中を向けると、「乗って。」と声をかけた。
「え?」
戸惑うロザリアにオリヴィエはさらに続けた。
「歩けないんじゃ仕方ないでしょ?おんぶしてあげる。」
「ええ?!そんな、恥ずかしいことできませんわ。」
「じゃ、ここにいる?」
我ながら意地悪だと思いつつ、オリヴィエは、かかんだままでロザリアが乗るのを待っている。
しばらく沈黙が続いて、ためらいがちな手が肩に触れると、その手をつかんで、オリヴィエはロザリアの身体を背中に乗せた。
「あんた、すっごく軽いねー。心配しなくていいから。そこで大人しくしてて。いい?」
頷いたロザリアの頬がオリヴィエの髪に触れた。
背中に感じるロザリアのぬくもりと柔らかさにオリヴィエの心が揺れる。
女性に触れるのが初めてなはずはなく、もっと、直接触れたこともあったのに。
このドキドキは、初めてのような気がする。

「あの、ごめんなさい。」
オリヴィエの背中がとても広いことにロザリアは驚いていた。
近づくたびに、ふと香る香りに、訳もなくときめいてしまう。
「オリヴィエ様はわたくしのヒーローみたいですわ。」
「ヒーロー?」
「ええ、アンジェリークがわたくしのことを何でもできるスーパーガールだと言いましたの。
スーパーガールの危機を助けて下さるのは、ヒーローではありませんこと?」
「そっか。それじゃ、これからも助けに行くよ。いつでも、呼んでよね。」
あんたのヒーローになりたいから。
そんなことを言ったら笑われそうで、オリヴィエはロザリアを乗せてゆっくりと歩いていった。

二人が歩きながら話していると、ゴール地点が見えてきた。
すると何やら騒がしい声がする。
「探しに行かなくちゃ。わたし、一人でも行くから!」
「アンジェが行くなら、俺も行くよ。」
「オメーラみてーなヤツラが行ったってしょーがねーだろ。オレが探してくる。」
ランタンを手にしたゼフェルが走り出そうとしたとき、ロザリアを背負ったオリヴィエが現れた。
「はあい。ロザリア、連れてきたよ。」
よっこいしょ、と大げさに掛け声をかけてロザリアを下ろしたオリヴィエは、自分の肩をトントンと叩いた。
「まったく、人に迷惑かけるんじゃないよ。お子様たちは早寝してればいいの。」
「なんだと!」
ロザリアをおんぶしてきたことが気に入らないのかもしれない。
明らかにケンカ腰のゼフェルをオリヴィエは軽くかわした。
「ロザリア、どうしたの?足が痛いの?」
腰が抜けただけではなく、ロザリアは本当に足を痛めていた。
少し腫れた足首が痛々しい。
「どうして一人で行っちゃったの?わたし、すごくびっくりしたんだから。」
う、と答えに詰まるロザリア。
怖かった、なんて死んでも言えない。
ロザリアは腰に手を当てると、いつものように高笑いを始めた。
「そ、それは、あの人玉の正体を確かめようと思ったんですの。こっそり行かないと逃げてしまうかもしれないでしょう。」
ホーホホホ、と木々の間に笑い声が吸い込まれていく。
そんなロザリアにアンジェリークは緑の瞳をキラキラとさせて指を組んだ。
「素敵!ロザリアって、ホントにスーパーガールなのね!」
ホホホ、と笑うロザリアにオリヴィエはぷっと笑いを漏らした。

彼女がホントはスーパーガールじゃないとしても。
それを知っているのは自分だけ。
それはとってもイイことのような気がする。

オリヴィエは少し楽しくなって、まだぶつぶつ言っているゼフェルの頭をぽんと叩いたのだった。


FIN
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