パチパチーっと拍手が沸き起こって、アンジェリークが次々とハイタッチを決めている。
「すごいね!僕、すっごく楽しみ!どんな仮装にしようかな。」
「陛下はどんな仮装にするんだい?俺、それに合わせたいな…なんて、ははは…。いて!」
ぽかり、と頭をたたいたのは丸めた新聞紙。
「ばーか。てめーはぐるぐる包帯でもまいとけ。ミイラくらいしかできねーよ。」
「なんだと!」
わあわあと楽しそうに騒ぐ姿を尻目に、ロザリアは自分の手をじっと見つめた。
チョキを形どった手に首をうなだれる。
「わたくしって、いざという時に本当に弱いんですわ…。」
思えば、ここぞという時には絶対アンジェリークに勝てないのだ。
わかってはいたものの、まんまと乗せられてしまった自分にも腹が立つ。
「うふ。それじゃ約束通り、仮装はわたしに任せてね!」
嬉しそうに手をたたいたアンジェリークにロザリアはため息をついた。
「くれぐれも節度ある仮装をお願いしますわ。」
「大丈夫だよ!ロザリア。僕たちも一緒に考えるから。」
マルセルの言葉に少し安心したロザリアだったが、アンジェリークがかぼちゃを抱えて右往左往しているのを見て、再びため息をつく。
頭の中で当日のスケジュールを確認すると、まだ騒いでいるアンジェリーク達を残して、ロザリアは部屋を出た。
そのまま向かった先はオリヴィエの執務室。
お茶の時間には少し早かったが、ドアをノックした。
「入ってー。」
声に呼ばれて入ってみると、部屋中に広がる、オレンジと黒。
「なんですの?これは?」
よく見れば、色とりどりのリボンやボタンも散らばっている。
「なにって、ハロウィンの仮装だよ。さっき、陛下が『今からロザリアとじゃんけんで勝負するんです!』って言ってたからねぇ。準備を始めたってわけ。」
オリヴィエの言葉にロザリアは腕を組んで、唇を尖らせた。
「まあ、わたくしが負けるって、わかっていたような言い方ですのね。」
少し頬を膨らませたロザリアにオリヴィエはくすりと笑った。
もし他の人にそう言われたら、ロザリアは「まるで預言者のようですわね。」と微笑みを浮かべながら答えるだろう。
それだけ、心を許してくれているということなのだろうけれど、恋人になるにはまだ少し何かが足りないようで。
オリヴィエは笑いながら手を振った。
「だって、あんた、陛下に勝ったことないでしょ?っていうか、あんたって、勝負事、からきしダメだもんねぇ。」
うっと、答えに詰まるロザリアにオリヴィエはますます笑い声をあげた。
「とにかく、仮装なんてめったにないからね。美しさを司る守護聖としては、張り切らないと。
ところで、あんたはどうするの?なんだったら私がデザインしてあげようか?」
ロザリアは眉を寄せると、いささか大げさにため息をついた。
「実は、さっきのじゃんけんにわたくしの仮装も入っていましたの。ですから、わたくしの衣装は陛下が用意することになりましたのよ。」
床に広がった布の中から真っ赤なラメ入りを取りだしたオリヴィエは、ロザリアの体にそれをあてがう。
「これなんかすごく似合うのにね~。でも、陛下が用意するって言うんなら、それも面白いかも。」
楽しそうなオリヴィエの顔にロザリアはイヤな予感がして、身体を震わせたのだった。
いよいよ当日。
朝早くからロザリアは走りまわっていた。
結局のところ、こまごましたことは全てロザリアが準備している。
大きなジャックオランタンを天井につるしている時に、アンジェリークが顔を出した。
「わ!すっごくかわいい!これ、ロザリアのアイデアなの?」
カボチャやお化けの飾りの間にお菓子の包みが隠れている。
「ええ、魔物が来た時にお菓子を差し出せるように、あちこちにおいておきましたのよ?」
聖殿の廊下やそれぞれの執務室、女王の間など、楽しそうに飾りつけるロザリアの隣で、アンジェリークもジャックオランタンの下にお菓子を並べた。
みんなどんな仮装をしてくるのだろう。
二人でそんなことを話しながら、最後の飾りつけが完成した。
「さ、ロザリア、着替えましょ。」
とうとう来た。
ロザリアはひきつった笑いを浮かべながら、アンジェリークの後について女王の間に向かった。
何度尋ねても「秘密。」と言って、教えてくれなかった仮装。
アンジェリークが浮かれていればいるほど、不安になってくる。
「はい。これよ。ロザリアはいたずら大好きな悪魔で、わたしは天使なの。」
手渡された衣装の軽さにロザリアは絶句した。
ふわふわした衣装は体積はやたらとあるが、ビックリするほど軽い。
しかも、どうみても布の面積はとても小さかった。ロザリアの背中に冷たい汗が流れる。
「早く着替えて!」
アンジェリークに奥の間に押し込められて、しぶしぶ着替えたロザリアはめまいを感じてこめかみに手を当てた。
こんな破廉恥な恰好で、今日一日をすごさなければならないのだろうか。
執務の終わりまで、あと9時間。
最後のお菓子回りまで、とても耐えられる自信がない。
着替えてからも部屋をうろうろと歩きまわっていたロザリアにアンジェリークの声が聞こえた。
「早く出てきてよー!」
半ばやけになって、アンジェリークの前に飛び出したロザリアを真っ白な天使が出迎えた。
ふわふわの金の髪にまるでバレエのチュチュのような真っ白なワンピース。
タイツもブーツも真っ白で、背中には小さな羽が付いている。
ぽかんとしたロザリアの前でアンジェリークはくるりと回って見せた。
手にした魔法少女のようなステッキがロザリアの目の前でひらりと踊る。
「かわいいでしょ?ロザリアもすっごく可愛いー!!」
飛び付こうとしたアンジェリークをさっとよけたロザリアは顔を真っ赤にして自分のスカートを引っ張った。
「こ、これは少し短すぎるのではないかしら?それに、胸元も開き過ぎですわ。」
「そうかなあ?ほら、同じくらいだよ?」
たしかに、長さは同じくらいのような気はするが、なぜかロザリアの方が短く見えるのだ。
身長差があるのだから当たり前なのに、ロザリアはそのことに気付かない。
そして、パフスリーブのアンジェリークに比べ、ロザリアはビスチェになっている。
当然露出度は高い。
「悪魔だからしょうがないの。みんなを虜にしちゃってね!」
さあ、行きましょう、とアンジェリークは強引にロザリアを引っ張っり出したのだった。
ハロウィンだから、という理由で、聖殿全体がうす暗い。
ロザリアはそのことにほっとしながら、スカートの裾ばかりを引っ張っていた。
どういうわけだか丈はぴったりで、少しかがんだぐらいでは下着が見えるようなことはない。
まず補佐官室の執務机に座ったロザリアはどうにも足元がスースーするのに耐えかねて、部屋を飛び出した。
誰にも会わないように、こそこそとオリヴィエの執務室に向かうと、後ろ手でドアを閉めて、ソファに座り込む。
「どうしたのさ?」
あちこちにつるされたランタンにともるキャンドルの灯り。
黒のフロックコートを優雅に着こなしたオリヴィエがロザリアの隣に座った。
「バンパイアですの?」
「そ。派手なのも考えたんだけどさ、このほうが意外性があると思わない?」
ストレートにした金髪にいつもより抑えたメイク。
ちらりと見える牙がいいようもなくセクシーでロザリアはドキリとしてしまった。
意外性。
確かに今日のオリヴィエはいつもと違って、なんというか男性的な気がする。
「ええ、素敵ですわ。」
意外な言葉に驚いてオリヴィエは目を丸くした。
いつもなら、呆れたように「自信がおありですのね。」なんて返すはずなのに。
改めてロザリアを見たオリヴィエは、さらに目を丸くした。
綺麗にそろえられたすらりと伸びた脚を包む黒い網タイツ。短すぎるスカートからチラリとのぞくガーターベルト。
こぼれそうな胸元にきらりと光るシルバーの蝙蝠。
いつになくつややかにグロスが塗られた唇を前に、オリヴィエは思わず二人の間の距離を開けた。
「あんたこそ、意外。そのカッコ。」
「え?!」
かーっとロザリアの全身が熱くなる。耳まで真っ赤になった姿に、オリヴィエまで、なんだか照れてしまった。
「やっぱり、似合いません?」
上目遣いの視線も反則だし、動くたびにちらちらとのぞく胸の谷間は殺人的だ。
オリヴィエは立ち上がると、コート掛けからマントを手に取った。
つられるように立ち上がったロザリアにそのマントを巻きつけると、首元のピンをしっかりと止めつける。
「これでも巻いておきなよ。毒だからさ。」
「毒?!」
毒とはどういうことだろう。見せるべきではないとでも言いたいのか。
ロザリアはなんだか落ち込んでしまった。
「そう。ホントに毒だよ。まったく、陛下は何を考えてるんだか。」
「陛下は天使ですのよ。わたくしが悪魔ですの。」
「へえ。」
言いたいことはそういうことじゃないんだけど、と思いながらもオリヴィエはロザリアを見た。
セクシー過ぎる衣装はマントですっかり隠れている。
「じゃあ、またあとでね。執務が終わったら、お菓子回りをするんでしょ?」
「ええ。」
ロザリアが少し浮かない顔をしていることにも気付かず、オリヴィエは部屋からロザリアを追い出してしまった。
「ふう、汗かいちゃったよ。」
決してろうそくの熱でもなく、スーツが暑いわけでもない。
オリヴィエは苦笑して、手で顔を仰いだのだった。
「ね、見た?ジュリアスの仮装!」
お昼御飯を食べに来たアンジェリークが言った。
補佐官室に運ばせたランチはハロウィンらしく、かぼちゃコロッケにかぼちゃプリン。
「ええ。申し訳ないけれど、笑ってしまいましたわ。」
「それよりルヴァよ!あれ、幽霊って言うんだって。頭の三角はなに?って聞いたら、わからないって言うの。おかしかったー。」
「ゼフェルのフランケンは少し可愛らしかったですわね。ランディのオオカミ男も。」
「きゃ!ランディはわたしが考えたの。カッコいいでしょ?」
「ええ。マルセルのネコ耳もあなたでしょう?」
「バレた?絶対似合うと思ったの~~~。」
意外にも仮装は好評だったらしく、あの、ジュリアスでさえも参加していた。
最終兵器の「泣き落とし」が炸裂したとはいえ、渋い顔で魔法使いの帽子を頭に乗せているの見て、ロザリアでさえ笑ってしまったのだ。
「わたしとしてはリュミエールが人魚になってくれるのを期待してたんだけどな~~。」
「それは無理でしょう。それよりオスカーが…。」
「いいのよ!だって、オスカーがオオカミ男なんて、フツー過ぎてつまんないもの。ちょっと落ち込んでるといいんだわ!」
突然、アンジェリークがぷっと吹きだした。
「クラヴィスってば、なんであんなカッコしたのかな?」
ロザリアも思い出したら、笑いが止まらない。
「ルヴァの勧めらしいですわ。落ち武者っていうんですって。」
「落ち武者・・・。すごいよね!」
顔を見合わせて大笑いした後、涙目になったアンジェリークが言った。
「でも、なんで、ロザリア、そんなの巻いちゃったの~?全然見えない!」
ロザリアの体にはオリヴィエのマントが巻かれたまま、まるで蝙蝠のようになっている。
「オリヴィエが見せないほうがいいと言いましたの。きっと、似合っていなかったのですわ。」
落ち込んだように見えるロザリアにアンジェリークが拳を握った。
「すっごく似合ってるのに!もう!オリヴィエったら、自分はあんな地味なカッコしちゃって。」
地味だけど、とても素敵だった。
オリヴィエを思い出すと、なぜかロザリアの胸がドキドキと鳴りだした。
いつもと違う服を着ている、ただそれだけなのに、まるで別の人のような気がする。
「よくお似合いでしたわ。」
「ふ~~ん。」
アンジェリークは手にしていたフォークを振りまわすと、ロザリアに向けた。
「じゃ、オリヴィエはロザリアの担当ね!あとはわたしが適当に回っておくわ。」
「え?!そんな、できたらわたくしはオリヴィエ以外のところに行きたいのですけど。」
毒、と言われたこともあるし、勝手にドキドキしてしまう心臓も、なんだか今日はオリヴィエに近づきたくない。
「そうなの?じゃあ、じゃんけんで決めようか?」
アンジェリークのにっこりはとても天使には見えなかった。
「そうしましょう。」
受けて立ったロザリアは深呼吸を繰り返す。
「じゃんけんぽい!」
一瞬の沈黙の後、
「じゃ、決まりね。」と、スキップをしたアンジェリークはうなだれたロザリアの肩をぽんと叩く。
そして、女王の間に戻るとつぶやいた。
「ロザリアったら、負けるって知っててじゃんけんするんだもん。本当は行きたいくせに。素直じゃないんだから。」
ふふふ、と笑いながら、およそ天使らしくなく、隠されていたお菓子をつまんだのだった。
外が暗くなると、いよいよハロウィンの始まり。
「本当に、魔物が出そうですわ。」
『ハロウィンの夜は魔物が出るから、捕まらないように早く帰りなさい。』
昔、誰かに言われたことをロザリアは思い出した。
早く帰りたくても、これからのことを考えると、それは無理そうな気がする。
「じゃ、お菓子をもらいに行っちゃお!」
アンジェリークに押されるように、ロザリアはオリヴィエの執務室へと向かった。
ドアをノックしても返事がない。「あとでおいで。」と確かに言ったはずなのに。
「オリヴィエ…?」
いつもより軋んだ音のするドアに、ロザリアは驚いて手を離した。
その勢いで自然にドアが閉まると、中はやはり暗く、目を凝らしても人影はない。
「いらっしゃらないのかしら…?」
なぜかホッとして後ろを向いたロザリアの肩を、誰かの手が掴んだ。
「きゃー!」
思わず叫んだロザリアの口をあたたかい手がふさぐ。
「ちょ、ちょっと、そんなに驚かないでよ!」
怖くて目をつぶってしまっていたロザリアは、聞き慣れた声に叫ぶのを止めて振り返った。
バンパイアの困ったような驚いたような顔で、ようやくロザリアは我に帰ると、へなへなと座り込んでしまう。
「もう!わたくし…。」
腰が抜けたようなロザリアに手を差し出して、オリヴィエはくすりと笑った。
「ごめん。驚かせすぎたね。」
手にすがって立ちあがったロザリアは、顔を真っ赤にしてオリヴィエを睨みつけた。
「もう、許しませんわ!」
「ごめん。…でもさ、悪魔ならそんなことに驚いちゃダメでしょ?」
「悪魔じゃありませんわ!…蝙蝠ですの。」
つんと、顎を上げてロザリアが言った。
マントを巻いているところは、本当に蝙蝠みたいでオリヴィエは笑ってしまう。
「私の前では悪魔でいいんだよ。ほら、マント返して。」
ロザリアは首元のピンを外すと、マントをオリヴィエに手渡した。
中から出てきた悪魔はやっぱり、幻惑されそうなほど魅力的だ。
「私以外に見せたくなかったからね。この悪魔に捕まるのは私だけでいいの。」
なんだろう。
ロザリアの心臓がうるさいほどに動いている。
うす暗いから?いつもと違う服装のせい?
『私以外には見せたくない』
その言葉の意味を知りたくて仕方がない。
「それに、あんたがお菓子くれないから。つい、意地悪しちゃった。」
オリヴィエにそう言われて、ロザリアは自分が何をしに来たのかようやく思い出した。
「お菓子をくれないと、いたずらしますわよ?」
少しでも悪魔らしく見えるようにと、ロザリアは人差し指でオリヴィエの胸をついた。
オリヴィエは返事もせずに、顔に手を当てている。
「どうなさいますの?」
もう一度、ロザリアはオリヴィエをついた。少しはよろけるかと思ったが、思いのほか微動だにしない。
何の反応もないオリヴィエにロザリアは悲しくなって、うつむいた。
「もう、いいですわ!どうせ、わたくしの悪魔なんて、あなたには毒にしか思えないのでしょう?」
少しだけ、ドキドキしてしまったのが口惜しい。
いいえ、少しだけじゃない。今まで自然に話していられたことが不思議なほど、ドキドキが止まらない。
逃げ出そうとしたロザリアの手をオリヴィエが掴んだ。
「待って。」
掴まれた力の強さに、ロザリアは仕方なく振り返った。
「あんたは毒。ホントに私を殺す気?」
目の前のオリヴィエのブルーグレーの瞳がロザリアを見つめている。
「あんたが好きだよ。好きすぎて、死にそうなくらいにね。」
キャンドルの明かりがバンパイアのオリヴィエを照らしている。
茫然としたロザリアにオリヴィエが微笑むと、チラリとのぞく牙。
オリヴィエはフロックコートからキャンディを取り出すと、口の中にほおりこんだ。
「お菓子が欲しいなら、ここから取って。」
オリヴィエの唇の間で、キャンディが輝いている。
うす暗いランタンの明かりに照らされて、まるで、ここは夢の世界。
だからきっと、普段ならできないようなことまで、できてしまうはず。
ロザリアはかかとを上げると、オリヴィエの唇からキャンディを奪った。
口に入れたキャンディは、とけるように甘くて、ロザリアは思わず頬を押さえた。
そんなロザリアをオリヴィエは優しく抱きしめる。
「ね、あんたはお菓子をくれないの?」
抱きしめられたことに驚いて、ロザリアは声も出せずに、必死で頭を巡らせた。
この部屋でお菓子はどこに隠しただろう?
そういえば、ソファの下だったかもしれない。どうしてすぐに取れるところにしておかなかったのかしら。
オリヴィエは困惑するロザリアの耳元に囁いた。
「じゃあ、私はあんたを捕まえちゃおうかな。だって、今日はハロウィンなんだから。お菓子をくれきゃ、ね。」
オリヴィエの唇がロザリアに近づいてくる。
お菓子を渡さなくて、よかったのかもしれませんわ。
ロザリアは自分を捕らえたバンパイアの胸にそっと寄り添ったのだった。
FIN