なのに自分を見つめる視線に気づくと、目をそむけたくなる。
いつもと違う自分が、嫌でたまらなかった。
お茶会のデザートは全部で6種類。
「わあ、これ、全部ロザリアの手作りなの?!」
マルセルの声にテーブルに目を向けると、綺麗に並べられたホールケーキが目に入った。
素直な賞賛にはにかんだロザリアは少し頬を赤くして言った。
「ディア様のレシピを譲り受けましたの。お味は保証できますわ。」
嬉しそうにテーブルに着いたマルセルをはじめ、ランディもゼフェルも珍しく喧嘩をせずにおとなしく座っている。
今日はロザリアが補佐官になって初めて開いたお茶会。
当然のように守護聖全員に招待状が届き、女王陛下になったアンジェリークも来るはずだった。
「甘そうなのばかりだねぇ。・・・私はお茶だけもらうよ。」
ケーキを切り分けようとナイフを手にしたロザリアは驚いたように顔を上げた。
「あ、ごめんなさい。・・・これはどうかしら?豆腐を使っていますからカロリー控えめなんですのよ?」
わたくしが考えたんですの。と、皿を傾けて見せたのは真っ白なケーキ。
雪のようなムースに真っ赤なソースが綺麗だった。
誰のために考えたんだろう。豆腐なんてものを喜ぶのは、・・・あいつ?
「ごめんね。いらないや。」
一瞬、目を伏せたロザリアはすぐに微笑むとナイフをマルセルに渡した。
「申し訳ないけれど、切り分けて下さるかしら?お好きなだけお取りになって。お茶をお持ちしますわね。」
足早に奥へ消えるロザリアをオリヴィエはわざと見ないようにした。
悲しい顔をしているといい。私の言葉に傷つくなら、それでいい。
ゼフェルが立ち上がる音がして、奥へと消えて行く。
すぐに二人が紅茶のポットを持って現れた。
「お待たせしましたわ。」
目の前に置かれたカップに一人ひとり回って紅茶を注いでいく。
最後にオリヴィエのカップまで来ると、ロザリアは申し訳なさそうに手をとめた。
「少し、足りなかったみたいですわ。もう一度、淹れてきますわね。」
再び奥へ戻ったロザリアと入れ替わるように女王が来て、テーブルは途端ににぎやかになった。
ケーキに関してはマルセルと同じくらいうるさい女王は早速ナイフで自分の分をとり分けている。
多い、少ないと言ってもめる姿を横目にオリヴィエはロザリアを追いかけた。
「わざと?」
コンロの上のケトルがカタカタと音を立て始めている。沸騰するまであと少し。
「いいえ。さっきはゼフェルがお湯を入れてくれたんですの。きちんと確かめなかったわたくしがいけないのですけれど。」
ゼフェル。
胸がざわざわして、止まらない。
「そうなんだ。あんたとゼフェル、最近仲良さそうだもんね。」
弾けるようにしてロザリアが顔を上げた。青い瞳が悲しげに揺れている。
「そんな・・・。仲がいいなんて。」
それきり静かになってしまった。
「おい、おかわりほしいって言ってんぞ。」
声が聞こえて、赤い瞳がのぞいた。ゼフェルと入れ替わるようにして、オリヴィエが出て行く。
「・・・何か言われたのかよ?」
ゼフェルが心配そうに尋ねるのが聞こえて、オリヴィエはお茶会を切り上げることにした。
「オリヴィエ様?ケーキ、いらないんですか~?」
もごもごしながら言う女王がジュリアスにたしなめられているのが見える。
ロザリアが女王になればよかった。
目に入らなければ、なにも思わないのに。
オリヴィエは片手だけあげて女王にあいさつすると、聖殿を後にした。
夕方になって、オリヴィエはスピーカーのボリュームを上げた。
ドアをノックする音が聞こえないくらいにあげたボリュームのせいで、スピーカーの上に置いたリングホルダーが揺れる。
「オリヴィエ様?」
鍵をかけていなかったことを思い出して、舌打ちした。
テーブルの上のリモコンで音量をぐっと落とす。
「なに?」
声のする方に顔は向けない。ソファのひじ掛けにだらしなく足を乗せてクッションを枕にして寝転んだ。
横になったオリヴィエを見てロザリアが近付いてくる。
「お加減でも悪いのですか?」
「なんでもないよ。」
それきり何も言わないオリヴィエにあきらめたようにロザリアはテーブルの上にお皿を置いた。
「あの、これ、ケーキですの。残りではなくて、オリヴィエの分としてとっておきましたの。ですから・・・。」
「うん。ありがと。」
こちらを、見てほしい。一瞬でいいから。
ロザリアの願いもむなしく、オリヴィエは腕を目の上に乗せていて、その隙間からこぼれる髪しか見ることができなかった。
「お茶でも、用意しましょうか?」
ロザリアの淹れてくれた紅茶はとてもおいしい。飛空都市の私邸で彼女はよくお茶を淹れてくれた。
妹のように可愛かったロザリア。
「いいよ。・・・帰ってくれる?」
こんな気分でロザリアとお茶なんて飲んだら・・・なにを言ってしまうかわからない。
あからさまな拒絶にロザリアは落胆を隠して部屋から出て行こうとした。
玄関のドアを開けようとして、何度もドアノブに手をかけては止めることを繰り返す。
なぜ、こんなに嫌われてしまったんだろう。
ため息とともに外へ飛び出すと、まだゆるい夕方の風が顔の横の髪を揺らした。
「送っていくよ。」
飛空都市にいたころは必ず言ってくれたのに。
補佐官の自分には優しくする価値がないのかもしれない。
あれほど応援してくれたのに、わたくしは女王になれなかった。
ロザリアは手にしていたショールを肩にかけ直すと、一気に走りだした。
窓からオリヴィエが見ていることにも気付かないほど、無理に前だけを向いていた。
隣の部屋から聞こえてくる笑い声にオリヴィエはイライラと爪を噛んだ。
塗りなおしたばかりのラメがはがれて唇についた。
そのざらっとした感触がさらにイライラを増していく。
「ちょっと、静かにしてよね。」
ルヴァの部屋にいた4人が一斉にオリヴィエを見た。
「あんたまで一緒になって遊んでたんじゃ、他に示しがつかないよ。」
まっすぐに見つめた先はロザリアで、その厳しい言葉に思わず目を伏せている。
ちっと舌打ちする音が聞こえて、ゼフェルがつまらなそうに大声を上げた。
「なんで、おめーがそんなこと言うんだよ。ジュリアスのヤローが言うんならともかくよ。
それともそんなカッコしてるからって生理でもあんのかよ。イライラしてるみたいだぜ。」
「何だって?」
険悪なムードが広がって、ルヴァとマルセルがおろおろと間に入って困っている。
「申し訳ありません。」
ロザリアの凛とした声にはっとあたりの空気が変わった。
「わたくしが補佐官としていたらなかったのですわ。執務時間でしたのに、このようなことを。以後気をつけますから・・・・。」
次第に声が小さくなって、語尾が震えて行く。
逃げ出したロザリアを見て、ゼフェルがオリヴィエに鋭い視線を投げた。
「おめー、いつからそんなふうになったんだよ。」
顔を近づけて睨みつけるゼフェルからなぜか視線をそらしてしまった。
部屋を飛び出していくゼフェルの足音が次第に遠ざかっていく。
変わったというのなら、それは彼女のせい。
テーブルの上に置かれたケーキへ、オリヴィエは視線を向けた。
それに気付いたルヴァがケーキを一切れ、オリヴィエに見せる。
「これは、ニンジンとおからでつくったケーキなんですよ。すこしでもヘルシーなケーキを作りたいとロザリアに聞かれたものですからね。
私がある惑星のものを教えたんです。」
ふわふわとしたスポンジは少しオレンジがかって見えた。
生クリームではなく、添えられているのはラズベリーのソース。
「すごくおいしいんです~。」
マルセルが大きな塊をフォークに挿しながら言う。
ルヴァの瞳がオリヴィエを優しく諭している様でいたたまれずに部屋を出た。
すぐにルヴァが追いかけて来て、オリヴィエにお皿を渡してくる。
「食べてみてください。・・・あなたのためのケーキだと思いますよ。」
言われなくたってわかっていた。ルヴァはオリヴィエの手をとってお皿を強引に握らせる。
穏やかな瞳に見つめられて、オリヴィエはつぶやいた。
「ごめん。」
「謝るなら私ではないんじゃないですか~?」
ルヴァの声は変わらずに優しかった。
自分の執務室にもどって、ケーキを口に入れた。
ニンジンの優しい甘さとおからのボリュームでシンプルだけど家庭的な味がする。
オリヴィエからイライラした気持ちが消えて、たまらない後悔でいっぱいになった。
こんなふうに彼女の行動の一つ一つで心が乱されることが嫌だ。
いなくなってしまえばいい。そうすれば、こんなこともなくなるのに。
オリヴィエがお皿を返そうと補佐官室に向かう途中で、ゼフェルと会った。
赤い瞳にはまだ怒りの色がのぞいている。
「よお、おめー。最近やけに突っかかんじゃねーか。ロザリアのこと、気にしてんじゃねーの?ガキみてーなことすんなよな。」
からかうような口ぶりに思わず頭に血が上る。
ゼフェルこそロザリアを好きなはず。彼女をいつでも見ているその視線。
「勘違いしないでよね。私はロザリアがいるとイライラするんだよ。」
気になって気になって、しかたがなくなる。自分が自分じゃなくなるくらいに。
「だから、それは・・・。」
大きな物音がして、二人は振り返った。
女王とロザリアが少し離れた所に立っている。気まずい顔をした女王と表情のないロザリア。
「・・・なにも聞こえなかったよね?ロザリア?」
「ええ。」
何事もなく通り過ぎようとするロザリアの横顔が泣きだしそうに見える。
何か言いかけたゼフェルに軽く会釈をして女王とロザリアは補佐官室に入って行った。
「ちっ。おめーのせいだからな。」
ゼフェルの捨て台詞さえ気にならなかった。
どうしようもない罪悪感。また、コントロールできない気持ちに溺れそうになる。
けれど、彼女の元に行って謝るなんて、それこそ私らしくない。
オリヴィエは頭を振って、自分の執務室へと戻った。
返しそびれたお皿を飾棚の上に置くと、なんだかその皿だけが部屋にそぐわないような気がした。
「ねぇ、ロザリア。少し痩せたんじゃない?」
アンジェリークの声にロザリアは振り向いた。
もともと細い方だけれど、このところのロザリアはなんだかやつれているように見える。
アンジェリークはふざけるつもりでロザリアの腰を両手で押さえた。
・・・本当に細くなってる。ドレスが余るくらいに。
「ずっとお茶会もしてくれないわよね?わたし、ロザリアのケーキ食べたいな~?」
抱きついたアンジェリークにロザリアがよろめいた。
「そうですわね。今度の土の曜日にお茶会をしましょうか?・・・代わりにアンジェリークにお願いがあるんですの。」
「なに?」
嬉しそうに飛び跳ねたアンジェリークの顔がロザリアの言葉とともに暗く変わっていく。
「どうしても?」
碧の瞳が細められると、悲しそうに潤んだ。
「ええ。ごめんなさいね。アンジェリーク。」
ロザリアのヒールの音が廊下に聞こえている。
オリヴィエは何度もドアの前を行ったり来たりしているその足音に鼓動を速めて待っていた。
やがて、思いついたようにノックの音が響く。
「は~い、開いてるよ。」
待っていた嬉しさとじれったいことを拗ねる気持ちでオリヴィエの声は幾分やわらかい。
けれど、部屋に入ったロザリアを見ると、また心臓がはねて、自分が抑えられなくなる。
「なに?」
この頃、ロザリアはすごく痩せて、顔色が悪い。
「あんた、最近おしゃれサボってる?女の子はいつもきれいじゃないと。私はおしゃれに手を抜くコはキライなんだよ。」
オリヴィエが渡した手鏡をロザリアは素直に受け取った。
痛々しい笑顔で鏡を覗き込んだロザリアは小さなため息をつく。
「本当にひどい顔・・・。」
これでは、あなたに嫌われても仕方がないですわね。
声にならない言葉をロザリアは呑み込んだ。
「今度の土の曜日に、お茶会を開くことになりましたの。必ず出席してくださいませ。」
必ず、と言われたのは女王試験の時以来。
「なんで、必ず、なの?」
「・・・大切なお話がありますの。」
手鏡をオリヴィエに差し出しながらロザリアは微笑んだ。
笑顔を見ると、胸が痛くなる。もっと、笑ってほしくなる。それなのに。
「できるだけ、顔を出すよ。」
そう言って、向きを変えたオリヴィエをロザリアは静かに見つめた。
話は終わり、と態度で示されても、足がなかなか動かない。
「それでは。」
ロザリアが静かにドアを閉める。
オリヴィエはすぐにロザリアの出て行ったドアに手をかけた。
なにか、気になった。それでも、気になったことを自覚したくないと、オリヴィエはまた執務に戻る。
かすかに残る薔薇の香りがいつまでもロザリアを思い出させた。
土の曜日、オリヴィエはお茶会の時間よりもかなり前に聖殿についた。
中庭を抜け、テラスへ向かう。
たくさんの薔薇が咲いていて、ロザリアのお気に入りの場所。
飛空都市にもあった薔薇園で、よくデートをした。あのときはただロザリアを女王にしてあげたいとそれだけだったのに。
「あ~、オリヴィエ。ちょっと手伝ってください~。」
ルヴァに呼びとめられて、ケーキを渡された。
「準備がまだできていないようなんですよ。これをテーブルに並べていただけませんか?」
ふと見ればテーブルの上には空の皿とカップが並んでいるだけだった。
「ロザリアはどうしたの?」
準備の時間に姿が見えないなんて。
「たぶん奥にいるんじゃないですかね~?陛下がいてよくわからないのですが。」
ルヴァに促されてオリヴィエもテーブルセッティングを手伝った。
結局一度もロザリアは現れずに、時間が来てしまう。
守護聖が全員そろって、テーブルに着いた。
すると女王が奥から出てきて、紅茶を配る。みるからに出し過ぎた濃い水色にオリヴィエはなぜか鼓動が速くなるのを感じた。
「じゃ、お茶会を始めましょ。ロザリアのケーキもあるし、準備はオッケーよね?」
にこにこしている女王にゼフェルが馬鹿馬鹿しいとばかりに声を上げた。
「ロザリアがいねーだろ。いくらケーキが食いたいからってフライングすんなよな?」
女王は再びにっこりとほほ笑むと、口を開いた。
「もう、ロザリアはいないの。今日付けで補佐官を退職しました。」
一瞬、空気が止まった。
「どういうことだよ!」
一番に口を開いたのはゼフェルで、真っ赤な瞳が女王を射抜くように据えられている。
「だから、ロザリアは補佐官を辞めたの。補佐官は自分で辞められるのよ?今日のケーキはみんなへの餞別なの。残さずに食べてね。」
フォークを握りしめた女王が笑顔のまま涙をこぼし始めた。
「パクパク食べて、忘れないようにおぼえておかなくちゃ。せっかく作ってくれたんだもの。」
泣きながら切り分ける女王に誰も声を掛けられなかった。
マルセルが女王の元に走り寄って、一緒にケーキを切り分ける。
全部で7種類のケーキを10等分すると、女王は無言で食べ始めた。
「全然甘くないわ。しょっぱいみたい。ロザリアったら最後に砂糖と塩を間違えたのかな?」
しゃくりあげる女王にランディがその背中を優しくさすった。
立ち上がったゼフェルをアンジェリークが大きな声で制止した。
「全部食べてからにして。」
「なんでだよ!まだそのへんにいるんだろ!連れ戻すんだよ!」
フォークが大きな音を立てて皿にぶつかる。
「だめよ。ロザリアに幸せになってもらいたいの。ここにいたらダメなのよ。」
補佐官になれば、また一緒にいられると思った。
でも、そばにいるだけでいいと思えるほど、強くなかった。
「ごめんなさい。逃げ出すみたいで情けないけど、あんたなら女王としてやっていけるわ。あの方には頼んでおくから。」
ロザリアはお茶会のケーキと引き変えのお願いに、そう言った。
「理由はそうね。病気、にしておいて。・・・恋煩いも立派な病気でしょう?」
青い瞳が綺麗に微笑んでいる。一回り細くなった白い顔。
やっと楽になれる。そんな安堵が見えてアンジェリークはそれ以上なにも言えなかった。
アンジェリークの目の前のケーキはどんどんなくなっている。
最後にニンジンとおからのケーキが残った。
「わたし、このケーキ大嫌い。・・・なんで、こんなのをつくるのよ。こんなの・・・。」
それを無理に口に押し込めると、アンジェリークはちらりと時計を見た。
ロザリアの旅立ちの時間はもう過ぎている。
「さあ、お茶会は終わりよ。残りのケーキは持って帰っていいわ。わたしは、戻るから。」
広がったドレスの裾をくるりとなびかせて、女王は帰っていく。
泣いている後ろ姿にランディとマルセルが慌てて追いかけた。
テラスに残った守護聖たちは重い空気の中で無言のまま席に座っている。
薔薇のように輝いていたロザリアが次第に元気を失っていくのを気付いていながら何もしなかった。
そんな後悔を誰もが感じていた。
「片付けましょうかね?」
ルヴァが言いだして、皆が黙々と片付けを始める。
オリヴィエは目の前のケーキにどうしても手をつけられなかった。
無理に持たされたケーキを持って私邸に戻ると、手紙が届いていた。
青い封筒に白薔薇のシール。差出人を見なくてもロザリアからだとわかった。
女王試験の間の様々な出来事に対する感謝の言葉、期待に添えず申し訳なかったという謝罪の言葉。
そして最後に書かれていた一言。
「あなたを好きでした。」
オリヴィエの手から手紙がこぼれて、床に青が広がる。
彼女を好きだと、わかりたくなかった。
誰かに縛られて思い通りにならなくなることが嫌だった。
いなくなればいいと思って、本当にいなくなったのに。
彼女がもういない。それだけで、全てが無意味に変わってしまった。
手にしたお皿から、ニンジンとおからのケーキをつまんだ。
フォークをとりに行くのももどかしくて、手づかみのまま口にはこぶ。
「甘くないね。」
口に入れるたびに甘みの消えて行くそのわけを、オリヴィエは拭うこともせずにただ食べ続けた。
FIN