もし、その歯車の一つが別の動きをしたら、まったく違う運命が訪れるのかもしれない。
「どうしてメイクをしているの?素顔を隠すため?」
そう尋ねたのは誰だっただろう?その時は笑って答えたはず。
「よりキレイに見せるために決まってんじゃな~い。」
でも、本当は思い出したくない過去にした、蓋のようなものだったのかもしれない。
素顔は素の心に似ているから。
はじめて思いが通じた夜、オリヴィエはそのことを思い出した。
誰かの胸で泣くことがこんなにも心癒されることだと、はじめて知った気がする。
「ずっとそばにいますわ。」
そう言ったロザリアの言葉がオリヴィエの心に灯りをともした。
心を覆っていた暗い闇が晴れていくような、本当の自分がその闇の隙間から顔をのぞかせてくるような、そんな気分。
あの時の自分は本当にコドモだった、と思う。
与えられるだけで、なにも与えていなかった。
眠っているロザリアの横を抜け出し、オリヴィエはバルコニーに出た。
月明かりに照らされた夜の景色は、昼間見える騒々しい美しさとはまったく違っている。
(今のワタシなら、ロザリアに夢も愛もどちらも与えてあげられるはず。だって、このオリヴィエ様が付いているんだからね。)
夜毎姿を変える不実な月に誓ったとしても、必ず幸せにしてみせる。
オリヴィエは月にウインクした。
コンコン。
許可する前に開かれたドアにもたれるようにオリヴィエが立っている。
「おや、どうしたんですか~。」
ルヴァはちらりと壁の時計に目をやった。
「まだお茶の時間には少し早いようですけどね~。何かお話ですか?」
にこにこしてお茶の準備を始め出した。
「今日は、いいお菓子があるんですよ~。実はね、ロザリアから頂いたんです。」
オリヴィエはドキリ、とする。
この地の守護聖は変なところで鋭く、変なところで鈍い。
(今日はどっちだろうねぇ。)
ソファにどっかりと腰を下ろした。
「あのさ~、ルヴァ。ちょおっと聞きたいんだけど。」 といいながら、お菓子を一口かじる。
ロザリアの差し入れというお菓子は口にネバネバくっつく食感の悪い白い塊の上に、これまたざらざらした口当たりの悪いやたら甘くて黒い硬めのクリームの乗った何とも言えない味のものだった。
「なに・・・・。これ・・・・。はっきり言って、まずいんだけど・・・。」
オリヴィエは一口食べてギブアップとばかりに皿をルヴァに押しやる。
「え~、これはおはぎと言ってですね。お餅にお米が入っているせいでこんなにモサモサするんですよ~。それに・・・」
「あ~あ~、ストップストップ。・・・ロザリアはこのお菓子なんて言ってた?」
少し気になる。
もしかしておいしいと言っていたら、どうしよう。
食べ物の好みは結構重要だ、とオリヴィエは考えた。
毎日これが食卓に出てきたら、いくら愛しのロザリアの手作りであってもキツイ。
「いえ、あなたと同じです。私はこの素朴な感じがいいと思うんですけどね~。」
ほっとした様子のオリヴィエの向かいで、ルヴァはずずっとお茶をすする。
「で、用件は何なんですか?」
(おっと、今日は鋭いほうみたいだね)
オリヴィエは居住まいを直した。
「女王もさ、恋していいよね。」
オリヴィエの言葉にルヴァは目を丸くした。
「う~ん、違うかな。恋してても女王になれるよね?」
考えながら言葉を口にする。こんなオリヴィエは珍しい。
「それは、ロザリアのことですか?」
ルヴァはため息とともに言った。
気づいていなかった、と言えば嘘になる。
ルヴァもまた、ロザリアを見ていたから。
ロザリアがずっと見つめていた人に気付かないはずがなかった。
「その~、あなたたちは~。」
はっきり聞いていいものか、とためらう。
「うん、ワタシ達は愛し合ってる。離れたくないんだ。」
オリヴィエのきっぱりした言葉に、ルヴァはさらに目を丸くする。
(オリヴィエのこんな顔は初めて見ましたよ。・・・完敗ですね、私は。)
「ロザリアも悩んでいるようです。前に、あなたの部屋の前で見かけた時、ずいぶん顔色が悪く見えましたから。」
あのときのロザリアは明らかにおかしかった。オリヴィエの顔が少し曇る。
「ワタシのせいなんだ。ずいぶんロザリアを傷つけたから・・・。だから、なんとかあの子の夢をかなえたい。そう思ってる。」
真剣なオリヴィエの姿にルヴァは立ち上がる。
「実際、女王が恋をしてはいけないとか、純潔を守らなければいけないとか、はっきり書いた何がある、というわけではないんです。」
「もう、調べてあるんだ。さすがだねぇ。」
なでなででもしそうな勢いにルヴァは後ずさる。
「いえ、私もよこしまな気持ちで調べたんですよ。だから、秘密にしておいてくださいね。」
まさか自分とロザリアのため、とは言えない。
ルヴァはオリヴィエに向き直る。
「でもね、だからこそ、私はできるんじゃないかと思うんです。
すべてを統べる女王が孤独という毒に侵されないためにも誰かの支えが必要だったはずです。
書いていないのは、実際にはあったからだ、と考えるのが自然です。」
「じゃあさ、なんで、こんなふうになってんのさ。」
「おそらく、ですが、女王の神格化じゃないですかね。神様は恋をしませんから。
女王を信じない人たちに存在を教えるときに神様のようなものだ、と教えると手っ取り早いですから。」
う~ん、とオリヴィエは腕を組んでソファにもたれた。
「でも、推測だよね。」
「はい、もちろん推測です。 ただ、その暗黙の了解とやらを破ろうとした人がいなかったのだけかもしれません。・・・実際、それであきらめた恋もありましたから。」
クラヴィスと女王の引き裂かれるような別れを思い出す。
もしあの時、クラヴィスがオリヴィエのように思っていたら、何かが変わったのだろうか・・・。
「やってみてください、オリヴィエ。ロザリアに女王も・・・恋も与えてあげてください。あなたにしかできません。」
ルヴァの瞳に熱い思いが見えた。
「うん、もちろんまかせてよ。ワタシが必ずロザリアを幸せにするからさ。宇宙一の幸せ者にしちゃうからね。」
ルヴァの気持ちに気付かないふりをして、オリヴィエは大きく胸をたたいた。
二人の女王候補は順調に育成を進めていた。もう間もなく、中央の島に辿り着くだろう。
ロザリアとアンジェリークの笑い声が候補寮に響いている。
すっかり仲良くなった二人はどちらが女王になったとしてもよい女王と補佐官としてやっていけるだろう。
「わたくしは女王にはなれないわ。」
ロザリアの声が聞こえた。
ドアをノックしようとしてオリヴィエは手をとめる。
そのあとの言葉で二人が再び笑い出した。
しかし、オリヴィエはロザリアの昏い声が気になった。
「オリヴィエ様、起きてくださいませ。」
ロザリアに揺り起こされて、目が覚めた。
金色に輝くロザリアを見て、オリヴィエは驚く。
「アンタ、女王になったんだね・・・。」
予想はしていたが、実際に起こってみると、そんなセリフしか出てこない。
「おめでとう。 さすがワタシのロザリアだね。」
オリヴィエはロザリアをぎゅーっと抱きしめる。
さあ、祝福のキスを、と思ったところで、ロザリアが言った。
「わたくしを、お連れくださいませ。」
オリヴィエはロザリアを見つめた。
(そんな、つらそうな顔しないでよ。アンタは気まじめすぎるから。)
夢ではなく愛を選ぼうとしている、その姿が痛々しい。
ロザリアは追いつめられたような表情でオリヴィエを見つめていた。
(ワタシを選んでくれたんだね。その気持ちに、答えてあげなくちゃ。)
ロザリアのことだから、きっと一人で何もかも背負いこもうとしているに違いない。
弱い自分しか見せてこなかったことを思い出す。
だからロザリアは夢を捨てようとしているのか。
オリヴィエはロザリアの眉間のしわについっと人差し指を当てた。
「ここのしわは取れないんだよ。ほら、笑って。」
ロザリアの瞳に涙があふれてくる。オリヴィエはその涙を唇でぬぐい取った。
「アンタの涙は全部ワタシが貰ってあげる。だから、そんな顔しないで。この世の終わりみたいじゃないか。」
胸に飛び込んできたロザリアをオリヴィエは優しく抱きとめた。
背中に流れる髪をそっとすいてやる。
「ねえ、愛のために夢をあきらめたとして、その愛は本当に唯一のものになるのかな?夢のために愛を捨てるのと同じだよ?」
ロザリアが顔を上げた。
「ワタシはね、もうどちらかなんて選ぶことはやめたんだ。どっちも捨てない。それが最高に決まってるでしょ?」
オリヴィエの声にロザリアは泣き笑いの顔になる。
「いつの間に、オリヴィエ様はそんなに強くなりましたの?わたくし、陰のあるオリヴィエ様が好きでしたのに。」
そう言ってまた胸に顔をうずめてくる。
オリヴィエは壊れもののようにそっとロザリアを包んだ。
「アンタのためだよ。ワタシはね、アンタのおかげで強くなれた。本当に欲しいものはね、もう離さないことにしたのさ。
陰のないワタシは好きじゃない? でもこれがほんとのワタシなんだ。」
オリヴィエがわざと悲しそうな顔を見せる。
「いいえ、わたくし、どんなオリヴィエ様でも愛していますわ。ただ、オリヴィエ様だけを。」
(もう二度と、この手を離さない。)
二人はお互いの心に誓った。
すでに女王のサクリアを発現したロザリアは意識のままで女王の元へ向かった。
ベットに横たわるロザリアの体のそばにはオリヴィエがいて、その手はしっかりとロザリアの手につながれている。
(がんばるんだよ。)
オリヴィエは手から想いを伝えようとするかのように祈った。
たくさんの流星が飛空都市の上に流れ、無事に女王の交代が終わったことを教えてくれた。
意識を取り戻したロザリアがベッドの上でたずねた。
「オリヴィエ様・・・?わたくし、女王になりましたわ。なにか、変わりまして?」
「ん~、ぱっと見は変わらないねぇ。変わったところがないか、確かめてみてもイイ?」
オリヴィエの瞳がいたずらっ子のように輝いた。
「え?」
ロザリアが何か言う前に、その唇を奪う。
「キスの感触は変わっていないみたいだね。 他は・・・・。」
オリヴィエはロザリアの顔を両手で包むと、まっすぐに見つめた。
「変わるはずがない。 ワタシだけのロザリアだよ。」
今度はさらに深くキスを繰り返した。新しい時代が、今、始まったのだ。
「新宇宙の女王陛下のおなりですっ!」
補佐官服のアンジェリークが大声で言った。
「ちょっとお~、その言い方じゃ、ロザリアの威厳てもんが吹っ飛んじゃうでしょーが!」
オリヴィエは丸めた進行表でアンジェリークの頭をたたいた。
「すみませ~ん。もう一回、いいですかあ?」
「もう一回、もう一回だけだからね! 時間が押してんだから、リハはあと1回だよ~。」
オリヴィエの総監督の元、新女王ロザリアの戴冠式が盛大に執り行われ、宇宙は無事に安定を取り戻したのだった。
「ねぇ、オリヴィエ。 もし、もしもよ、わたくしが女王をあきらめていたら、どうなっていたのかしら?」
日の曜日、ロザリアはオリヴィエと聖地のはずれでデートを楽しんでいた。
人気のないその場所は多くの花が咲き乱れ、一面の花畑になっている。
少し高くなった斜面のおかげで通りからの人目を気にせず、のんびりできた。
「恋をしてはいけないなんて、ただの迷信です。」と、頭の固い人々を一生懸命説得してくれたのはルヴァだった。
オリヴィエもロザリアのためにあらゆる雑事をこなしていた。
補佐官のアンジェリークから、かなり邪魔者扱いされるほどに。
そうして少しづつ周りの空気を変えていったのだ。
今や、女王ロザリアにはオリヴィエが必要なのだ、と周囲も認めるようになっている。
「さあ、どうなってたかな? 宇宙が崩壊してたりして。」
「もう!オリヴィエったら。」
ロザリアはこぶしを振り上げる。その手をオリヴィエが優しくつかむ。
「ん~、冗談、冗談。 でもさ、きっと今よりは不幸だったんじゃない?」
「まあ、なぜですの?」
「だって、今、最高に幸せだからね。」
オリヴィエがロザリアの耳元にささやく。
二人の周りで花が美しさを競い合うようにして咲き乱れている。
その花の中で、オリヴィエはロザリアの腕をひいた。
「きゃっ。」
ロザリアの声が途中で消える。
花の絨毯の上に寝転がるようにして、二人は何度もキスを交わした。
遠乗りに来ていたジュリアスとオスカーは二人が花の中で笑っているのに気付いた。
「私を卑怯な男だと思うか?」
オスカーは答えない。
ジュリアスが女王の恋に反対していた理由が慣例のせいだけでないことにオスカーは気付いていた。
オリヴィエがさらっていった天上の薔薇。その薔薇を愛しく思っていたのは自分も同じだった。
(俺にはあんなマネはできないけどな。)
悪友がおこした奇跡にオスカーは心の中で喝采を上げていた。
(二人が永遠に幸せでいますように)
花が咲く丘に二人の笑顔がこぼれおちていた。
FIN