花の咲く丘に

「わたし、行くね。」
男がベッドの上で半身を起こす。
薄暗い部屋で女の付けたネックレスが鈍く光った。
誕生日に男がプレゼントした安物の金ぴかだ。
「どうしても?」
男がつぶやく。 端正な横顔は苦悩に満ちていた。
取り戻せないことを分かっているのに聞かずにいられない。
「なぜって?わたしには夢があるから。」 
女がスーツケースに手をかける。
「あなたはついてきてくれないの?」 
男はカーテンの隙間からこぼれる光をぼんやりと眺めている。
愛よりも夢を選んだ彼女を許せなかった。
男には彼女がすべてだったのに。
女はテーブルの上のチケットをポケットにねじ込むと、振り向かずに部屋を出た。
女の足音が泣いているように聞こえた。


「オリヴィエ様、聞いていますかぁ?」
「ああ、なんだっけね。」
オリヴィエは我に返るとまぶしい光に目を細めた。
心地よい風の中で開かれたガーデンパーティーは、主催者のディアの心づくしのお菓子で彩られていた。
オリヴィエの前にも取り分けられたケーキが皿に盛られている。
つやつやしたチェリー入りのゼリーがルビーのように輝いていて、アンジェリークがそのゼリーをスプーンですくおうと躍起になっている。
「ですからぁ、このゼリー、生きてるみたいなんですぅ。全然スプーンに乗らなくて。」
あっという声とともにゼリーが皿から飛び出す。
きれいな流線形を描いて、テーブルの向こう側にべっちょりと落ちた。

「アンジェリーク!」 
震えるロザリアの声がする。
「まったくあんたって子は、どうしてそんなにお行儀が悪いの!」 
腰に手を当てて、さも呆れたという感じで怒っている。
オリヴィエはうんざりした。
その尊大な話し方も、高圧的な態度も気に入らない。
なにより、その瞳が、オリヴィエは大嫌いだった。

何も言わず席を立つと、ディアが心配そうに声をかけてきた。
「まあ、オリヴィエ、何か不愉快なことでもありましたか?」 
その言葉にオリヴィエは片手をあげて答える。
「そうじゃないよ。ただ、ワタシはうるさいコドモが嫌いなのさ。」 
オリヴィエの声が聞こえたのか、ロザリアは急に黙り込む。 
アンジェリークが飛ばしたゼリーを彼女はシミにならないようにと、手早く片づけていた。
しかし、手と同じように口も出していたのは事実で、アンジェリークの非難も続けていたのだ。
たしかにほかの守護聖達も苦笑しながら眺めてはいたのだが。
「じゃ、ね。」 
オリヴィエは手をひらひらさせながら消えていく。

「ねえ、オリヴィエ様、最近様子が変じゃない?」 
マルセルが口火を切る。
「俺もそう思うよ。前はさ、もっとおおらかっていうか、そんな感じだったけど。」
「ピリピリしやがってよ。こっちも気ぃつかうぜ。」
吐き捨てるようにゼフェルが言う。
確かにオリヴィエはおかしい。
陽気かと思えば、黙りこむ。猫の目のように変わる気分にみんな気を使っていた。
「でも、わたしたちには優しくしてくださいますよ~。ね、ロザリア?」
アンジェリークが同意を求めるようにロザリアを見た。 
ロザリアは無言のままうつむく。
言えるわけがない。
「オリヴィエ様は、わたくしを嫌っているようですわ。」なんて。


「何の用?」 
はじめてオリヴィエの執務室を訪ねた時、その明らかな拒絶にロザリアは少なからずショックを受けた。
第一印象で感じた柔らかなイメージとは程遠い、拒絶のオーラ。
他人に嫉妬や羨望の視線を受けることは多くあったが、ここまでの拒絶はなかった。
「用がないなら、お帰りよ。」
そのオーラにいたたまれなくなり、執務室を後にした。
それ以来、一度も尋ねたことはない。
アンジェリークやほかの守護聖が一緒の時はあのオーラは感じない。
しかし、一度として話かけられたり、名前を呼ばれたりすることもなかった。



急に目が覚めて、ベットの上で飛び起きる。
しばらく見ていなかったあの日の夢を最近また見るようになった。
原因は分かっている。 あの、青い瞳の女王候補のせい。
オリヴィエは汗で湿ったベットから抜け出し、サイドテーブルのスコッチをあおる。
彼女と同じ、青い瞳。
もう明るくなり始めた時間なのに、オリヴィエはグラスを重ねた。


その日のお茶の時間のころ、ロザリアはオリヴィエの私邸の前まで来ていた。
今日は日の曜日。
ロザリアはどうしてもオリヴィエの気持ちが知りたかった。
なぜ、自分を拒絶するのか、理由を知りたいと思った。
嫌われていてもいい、と思いきることができない。
約束もなしに尋ねることに躊躇はあったが、きっと執務室で頼んだとしてもOKはもらえまい。
それならば、と、半ばダメもとの気持ちで、手作りのお菓子も持参した。
大きく息を吸い込んでノックをする。きっと使用人が出てきて、取り次いでくれるだろう。
いくらオリヴィエがロザリアを嫌っているとしても、使用人の前で門前払いはすまい。

緊張して息を止めていたが、返事がない。
呼び鈴らしきものもなく、ロザリアは途方に暮れた。
何気なくドアを押してみると、すっと開いた。鍵がかかっていないのだ。
静まり返った世界はロザリアをドアの中へと誘い込むようだ。
一気に風が外から中へ流れてくる。
ロザリアは忍ぶように、邸の中に足を踏み入れた。

コツ、コツ、とロザリアの靴音が響く。
主の好みなのか洗練されたモダンな室内はきれいに片付いていた。
オリヴィエのセンスの良さがうかがわれる。ロザリアは客間を通り抜け、さらに奥へと歩を進めた。
心のどこかで警鐘がなる。「これ以上深入りするな」と声が聞こえた気がする。
でもロザリアは引き返さなかった。

ベットの横に座り込んでいる人影を見つけた。
眠っているのか、グラスと空になった瓶が転がっている。
鼻を突くようなアルコールの匂い。
オリヴィエと気づいて、ロザリアは駆け寄った。
「オリヴィエ様?!」 
かがみこんで肩をゆすった。
意識がないのでは、と心配したが、オリヴィエはすぐに目を覚ました。
焦点の合わない瞳でロザリアを見つめる、拒絶ではないオリヴィエの瞳。
暗青色の瞳に吸い込まれそうな気がした。

「アンタは・・・。」 
息がアルコール臭い。普段のロザリアならきっと話をする気にもならないだろう。
「ロザリアですわ。」 
一息置いてから尋ねる。どうやら意思の疎通はできそうだ。
「ノックしたのですが、どなたも出ていらっしゃらないので勝手に入らせていただきましたわ。」

ロザリアの言葉にオリヴィエは大声で笑い出した。
一瞬、気がおかしくなったのか、とロザリアは後ずさった。
そんなロザリアの手をオリヴィエがつかむ。
強い力に逃げ出すこともできず、両手を床に押し付けられたロザリアは、あおむけに倒れた。
息が苦しくなる。

「誰もいないから、入ってきたって?それってどういう意味?」 
オリヴィエの瞳がロザリアに近づき、押さえつけたままのロザリアの耳元に唇を寄せる。 
「ワタシにどうしてほしいわけ?」
突然、羞恥でいっぱいになった。 

オリヴィエの唇が静かにロザリアの首筋をなぞっている。
ロザリアは我に返ったように手を振りほどこうともがいた。 
しかし、オリヴィエはしっかり抑えつけて離さない。
「アンタの望みをかなえてあげようか・・・?」
オリヴィエが見つめる瞳に深い哀しみが浮かんだのに気付いた。
ロザリアは魅入られたように見つめ返してしまう。
そのまま、オリヴィエはロザリアに口づけた。
アルコールのにおいに頭の芯がしびれる。
ロザリアは激しく抵抗したが、もう逃れるすべはなかった。


目が覚めると、すでに陽が落ちていた。
ロザリアはしばらく床に倒れていたらしい。
痛みと驚きで体は思うように動かず、乱れた衣服をかろうじて整えただけで、のろのろと立ち上がった。
見回してみたが、オリヴィエの姿はなく、暗い廊下にポツリポツリと明かりがともっている。
ふと見れば、持参したお菓子の袋が部屋の隅に転がっていた。
ロザリアは袋をテーブルに置き、静かに邸を出た。

寮に戻ったとたん、遅い帰りに心配したばあやが飛び出してきた。
いつもと違うロザリアの様子に何かあったのか、としつこく尋ねてきたが、ロザリアは、
「散歩の途中で転んでしまいましたの。遠回りしなければ戻れなくて、すっかり遅くなってしまいましたわ。」と答えた。
ばあやもおかしいとは思ったようだが、この飛空都市で何かあるとはつゆほども思わないようで、そのまま温かい紅茶を用意してくれた。
カップから湯気がゆらゆら立ち上る。
紅茶を飲み終え、落ち着きを取り戻したロザリアは熱いシャワーを浴びた。 
体のあちこちにオリヴィエの痕跡が残っている。
しかし体の痛みよりも、最後に見たオリヴィエの瞳がロザリアの中に澱のようにたまっていた。

(わたくしはもう、女王にはなれませんわね。)
女王に「純潔」が求められていることは、暗黙の了解になっている。
ならばもう自分にはその資格はない。
幼いころから描いていた夢が途切れたことで、もっとショックを受けるかと思っていたロザリアは、思いのほか穏やかに受け入れている自分に驚いた。
その脳裏にオリヴィエの顔が浮かんでは消えてくる。
深い悲しみに満ちたダークブルー。

机のスタンドの灯りを頼りにフェリシアの資料に目を通した。
たとえ女王になれなくても、フェリシアはすでに自分の子供のような存在だ。
最後まで育成はつづけよう、と決めた。


女王陛下から候補失格の通告が来るのではないか、と何日かはびくびくして過ごしたが、どうやらそんなことはないらしい。
安堵すると同時に、ロザリアはアンジェリークに勉強を教えることにした。
宇宙の女王は今やアンジェリークしかいないのだ。
ロザリアはできる限りの知識を与えようと頑張った。
勝負でなくなると、より視野が広がったようで、フェリシアにも今までにない気持ちで接することができるようになったのだろう。
その週の定期試験で勝利したロザリアは自嘲の笑みをうかべた。
誰もその笑みの理由は分からなかったが、今までの尊大な態度のないロザリアは凛としていてとても美しかった。


オリヴィエは定期試験にも現れない。
執務室に来てはいるようだが、誰も話はしていないようだ。
オリヴィエの執務室の前を通ると、ロザリアの心に、心臓をギュッとつかまれたような恐怖と、何とも言えない感情がどっと押し寄せてくる。
「なぜ、わたくしを・・・。」 
ロザリアはドアの前でうずくまって、膝を抱えた。

「どうしました?ご気分でも悪いのですか?」 
ルヴァの声が上から下りてくる。
動かないロザリアを見て、不安になったらしい。
すぐに立ち上がろうとしたが、ロザリアはめまいとともにルヴァの腕に倒れ込んだ。
思いのほかしっかりと受け止められる。
「大丈夫ですか?」
ルヴァは本当に心配してくれているようだ。
確かにあれから眠れない。
青ざめた表情のまま、頷くとルヴァの腕から離れた。

「申し訳ありません。体調管理もできていないなんて、女王候補失格ですわね。」 
ロザリアの口調は静かで高慢なところは感じられない。
「ロザリア?」 
ルヴァは雰囲気の変わったロザリアに驚いた。
初めのころの彼女とは、まるで別人だ。
どこか儚げで、守りたいとすら思ってしまう。
「失礼します。」
立ち去った後ろ姿にルヴァは言いようのない不安を感じていた。


オリヴィエはドアの向こうのロザリアの気配に気づいていた。
こちらの様子をうかがっているのか、とも思ったが、足が縫い付けられたように動かない。
顔を見るのが怖かった。見ればまた傷つけてしまいそうだから。
しばらくドア越しに息をつめていると、ルヴァの声が聞こえた。
ロザリアの声もする。
女王試験を続けていることは知っていた。今までよりも優勢に試験を進めていることも。
二人の気配が消えると、オリヴィエは飛空都市を抜け出した。
このぬるい気候では自分を静めることはできない、と感じていたのだ。



日の曜日。
ロザリアはまたオリヴィエの私邸の前にいた。
先週も来ていたが、中には入れなかった。
今日はどうしても会いたい、と思う。もうずっと顔を見ていない。
まだ、拒絶の理由を聞いていない。まだ、自分にしたことの謝罪も聞いていない。
理由をいくつか考えてみたが、どれも違う気がした。
ノックをするが、やはり誰も出て来ない。相変わらず、鍵も掛けられていないようだった。
静かに邸に入ると、オリヴィエの部屋を目指して歩いた。
自分の足音がどこか遠くに聞こえ、心臓の音が大きく音を立てて、跳ねている。

オリヴィエはいない。
部屋はまるで人の気配を感じない空間になっていた。
幾日帰っていないのだろう。
ロザリアはベットに腰をかけて、そのまま倒れ込んだ。
整えられたシーツは洗剤の匂いとともに、オリヴィエの香りがする。
ロザリアは大きく息を吸い込んだ。近頃は呼吸をするのも苦しかったのだ。
自分の中の何かが大きく変わってしまったようで。
オリヴィエの香りに包まれて、いつの間にかロザリアは眠っていた。


オリヴィエは真っ暗な部屋の灯りをつけた。
飛空都市を出て、しばらく気ままに過ごしていた。
むき出しになりそうだった心がマヒして、また守護聖として過ごせると思えるようになるまで、酒を飲み、女と遊んだ。
バカバカしいと思いながら、止められない悪習。
つけたばかりの明かりの下に、ロザリアが現れた。
ベッドに横たわった姿を見て、一瞬目を奪われる。
青い瞳が隠されている彼女はとても小さな少女。
オリヴィエはロザリアの隣に腰を下ろすと、髪を優しくなでた。

(オリヴィエ様・・・。) 
ロザリアは夢の中で思う。
夢の中のオリヴィエはロザリアに微笑みを向けてくれた。
甘い疼きに心が揺れて、波にさらわれるような感じ。
ロザリアは初めて味わうその気持ちがなにかよくわからない。
ただ、もっと近づきたかった。

ふと、目が覚めた。
オリヴィエが微笑んでいる気がしたのだ。
確かにオリヴィエはそばにいたが、その顔は辛辣だった。
「何しに来たのさ。」
厳しい口調にロザリアは体を固くする。
オリヴィエはロザリアの顎に指をかけた。
無理に上を向かされて、オリヴィエの視線と交わる。
青い瞳。 傷つけたくなる衝動が噴き出してくる。
オリヴィエは乱暴にロザリアをベッドの上に押し倒した。

ロザリアの瞳に涙があふれだしてくる。
涙を見せることは弱いこと。
そう思ってきたロザリアは自分の頬を伝うものに驚いた。
止められない涙に想いが流される。

「オリヴィエ様・・・。」 
言葉が続かない。涙の奥でオリヴィエの瞳がまた悲しく揺らめくのが見えた。
静かにオリヴィエが口づける。
初めは優しく。次第に深く、激しく。
ロザリアはただ、翻弄されていた。


それから、毎週、ロザリアはオリヴィエの邸を訪ねた。
平日は試験に没頭し、週末はオリヴィエと過ごす。
平日にオリヴィエと顔を合わせることはなく、お互いに避けているようになっている。
二人の間に流れる違った空気に気付いたのはルヴァだけだった。
「あの~、私がこんなことを言うのもなんなんですけどね、オリヴィエと何かあったのですか?」
ロザリアはルヴァはまじまじと見た。
人付き合いが苦手だという地の守護聖に気付かれるとは思っていなかったのだ。
「いえ、なにもありませんわ。なぜ、そのようなことを?」
ロザリアはさも心外だと言わんばかりにじっとルヴァを見つめて答えた。
ロザリアに見つめられてあわてて目をそらしたルヴァは
「あ~、なんと言いますか。貴女がね、少し変わったような気がするのですよ。オリヴィエもね。」
 同じ空気がするというか。あ~やっぱりうまく言えませんねぇ。とにかく何もなければいいんです。」
オリヴィエの屋敷に出入りしていることが咎められているようではないらしい。
ロザリアは微笑んでいった。
「御心配には及びませんわ。わたくし、なにも変わっておりませんもの。」
なぜか昏い彼女の微笑みにルヴァは胸が痛んだ。


オリヴィエがそっとロザリアの頭を抱きよせる。
オリヴィエの腕枕でロザリアは安心して胸に寄り添った。
「寒い?」 
ロザリアが首を振る。嘘ではない。
触れた体からオリヴィエの熱が伝わるようで、熱いくらいだ。

「今日は、昔の話でもしようか。アンタが生まれるずっと前の。」
ロザリアは体を固くした。
オリヴィエが話をしてくれるのは初めてだ。
今までただそばにいた。同じベッドで体を寄せ合い静かに眠った。
お互いにゆっくり眠れるのは二人の時だけだったかもしれない。

「ある辺境の惑星に一人の男の子が住んでいました。てんでガキでどうしようもなかったけど、彼には一人の幼馴染の少女がいました。」


「ねえ、どう?わたしの歌?」 
少女は笑いながら少年に尋ねた。
真っ赤な頬をした少女は青い瞳をキラキラさせている。
「わたし、歌手になりたいの。 ううん、絶対なるわ!」
寒い惑星は夏以外は雪と氷が絶えないところで、店らしい店すらほとんどない。
買い物は隣町まで出かけなければならなかった。
少女は夢見がちでいつも歌を歌っていた。
せまい町で同じくらいの年の子は数えるほどしかいない。
年を経て、幼馴染の少年と少女は恋人になった。
二つ年上の彼女は彼にあらゆることを教えてくれた。
恋の素晴らしさや楽しさ、はじめてのキス、初めての夜。すべてが彼女につながった。
彼の夢は一つ。「彼女と幸せな家族になること。」


「子供みたいな夢だと思うかい? 」 
オリヴィエが尋ねる。ロザリアは首を振った。
「まあね、ワタシもそう思うよ。でもね、18くらいのオトコなんてまだ子供なのさ。彼女の夢に気付いてなかった。」

「わたし、ここを出るわ。」
  いつも言っていたセリフがやけに現実的に響いた。
男が顔を上げると、彼女は一枚の書類を手渡した。
「専属契約」の文字と、主星のステージに関するいくつかの項目。CDデビューなどが書かれていた。
「こんなの、詐欺に決まってる。」
男は見向きもしない。
「あなたはどうするの?」 
彼女の声は固い決意に満ちていた。 
「わたしと一緒に来てくれるの?ここに残るの?」 
青い瞳が揺れて男を見つめている。
「3日後にチケットをとったわ。もう、戻らないから。」


「そうして、彼女は旅立っていきました。そのあと彼女がどうしたのかわかりません。」
オリヴィエは言葉をとめた。
時を刻む音が響き、ロザリアはオリヴィエをぎゅっと抱きしめた。
彼を少しでも温めたい。

「守護聖になる前に、彼女がどうしてるか調べたんだ。もう二度と会えないと思ったから。
主星に行ってみたけど、手がかりは名前だけだからね。 何日もかかった。 
それで、わかった時、彼女はもうこの世にいなかったんだ。」
オリヴィエの声が震えている。
ロザリアが緩めた腕の中からオリヴィエの瞳を見ると、暗青色の瞳は悲しみの色で濡れていた。
溢れてくる熱いものをロザリアが唇で受け止める。
ただ、時が流れていった。

「やっぱりね、嘘だったんだ。歌手になんて簡単になれるはずないのにさ。」
 でも、そんなことよりも、ワタシは手を離したことを後悔したんだ。なぜ、彼女をとめなかったのか、なぜ、ついて行ってあげなかったのか。
 今思えば、きっと、ワタシに引き留めてほしかったんだと思う。
 あのとき、それに気付けなかった自分を、ワタシは憎んでいたんだ。」
ロザリアは瞳を閉じた。
オリヴィエにとって、この瞳はきっと罪の証。
彼女と同じ青い瞳が、彼を過去に縛り付けてしまうのだ。
けれど。

「わたくしは、おそばにいますわ。なにがあっても、けっしておそばを離れませんわ。」
「ワタシも、アンタを離さない。もう、あんな思いはしたくないから。」
想いがつながる。 求めて、求め合う、二つの心。
オリヴィエはロザリアの瞼に口づけた。

「アンタの瞳、夢にあふれていて怖かった。彼女と同じで。ワタシはもう一度失うことが怖かったんだよ。
 それでも、いつの間にか、アンタを求めてた・・・。」
ロザリアは目を開ける。
オリヴィエの瞳は穏やかにロザリアを映していた。
「オリヴィエ様がわたくしを見るとき、その拒絶の中に哀しみがあるような気がして、どうしてもその理由を知りたかったんですの。」
今度はロザリアが口づけた。
(そう、わたくしは、初めからオリヴィエ様を愛していたんだわ。)



何事もなく試験が進められていく。
今日もロザリアによるアンジェリークのための勉強会が開かれていた。
毎週土の曜日の視察が終った後、二人は勉強会を開いていたのだ。
「大体のところは終わったわね。よくがんばったわ、アンジェリーク。」 
ロザリアはほっと胸をなでおろした。
これで、アンジェリークも女王としてやっていけるだろう。
「ロザリアのおかげだよ。わたし一人じゃ、こんなにできなかったもの。」 
アンジェリークも嬉しそうだ。
育成は今や終盤になり、建物の数で2,3個ロザリアがリードしていた。

「ね、もし、ロザリアが女王になったらわたしを補佐官にしてくれる?」 
アンジェリークがにこにこと尋ねた。
アンジェリークとロザリアは今や親友とも呼べる仲だ。その申し出も自然なことだっただろう。
ロザリアはうつむいて資料を整頓している。

「わたくしは女王にはなれないわ。」 
ロザリアは顔をあげて笑った。
「わたくしがアンジェの補佐官になってあげる。だって、どうせわたくしばかりが働くのでしょ?だったら補佐官がいらなくなってしまうわよ?」
「ひどーい、わたしだって頑張るもん!」 
アンジェリークは、ロザリアの補佐官になる自分を想像して笑っている。
このまま時が止まればいい、とロザリアは思った。


オリヴィエの腕に抱かれて眠っていたロザリアは、自分を呼ぶ声で目を覚ました。
オリヴィエはすっかり眠りこんでいる。
ベッドから抜け出すと、自分の体が金色に輝いていることに気付いた。
「こ、これは、まさか・・・?」
声を出す前に、ロザリアの意識は宇宙の中心に呼び寄せられた。

「今、フェリシアの民が中央の島に辿り着いた。そなたが次代の女王になるのだ。」
閉ざされた空間に女王の声が響き渡る。
ロザリアは声を上げた。
「わたくしは女王にはなれません!すでにその資格を失っておりますわ!」
女王の姿がぼんやりと現れる。
金色に輝く翼。
「何を・・・。もし純潔のことを言っておるのであれば、そのようなことは問題ない。女王とはすべてを統べるもの。
 肉体にとらわれる必要はない。さあ、手をとるのだ。私のすべてを受け継ぐがよい。」
女王の手がロザリアに向かって伸びる。
ロザリアは体を縮めたまま、手を伸ばそうとはしなかった。
「わたくしは女王になりません、なりたくありません!」 
ロザリアは叫んだ。
「拒否は許されぬ。 崩壊する宇宙を救うために、そなたの力が必要なのだ。 さあ、手をとるのだ。」
女王が近付く。
ロザリアは精いっぱいのサクリアを放出させた。
宇宙よりもなによりも、今は彼が愛おしい。
頑ななロザリアの拒絶に女王が静かに語り始める。
ロザリアがその言葉にうなづくと、女王は空間から消えた。



「オリヴィエ様、起きてくださいませ。」 
ロザリアに揺り起こされて、オリヴィエはゆっくり目を開けた。
そして、金色に輝くロザリアの姿を見て瞬時に気付く。
「アンタ、女王になったんだね・・・。」
「いいえ、まだ、今上陛下からなにも受け取ってはおりませんわ。」 
ロザリアの青い瞳が決意で輝いた。
オリヴィエはその瞳をよく知っている。自分がそれを断れるはずがないことも。
「わたくしを、お連れくださいませ。」 
一瞬、オリヴィエが驚きに満ちた。
女王を連れ去るということの意味。 
しかし、すぐに立ち上がるとロザリアの手を握りしめた。
もう二度と、この手は離さない。


激しい雷雨が起きていた。
宇宙の崩壊はもはや飛空都市の上空にまで表れ出していたのだ。
ルヴァは突然の雷鳴にカーテンを開けた。
深夜まで書物を見ていたルヴァは、激しい不安に襲われていた。
(この天候は、ただ事ではありませんね~。陛下の身に何か?)
遠くに金色の輝きが見え、ルヴァは目を凝らした。
雨でけぶった視界に、金色に輝くロザリアがいる。

ルヴァは靴もはかずに窓から飛び出した。
激しい雨でぬかるんだ土がルヴァの足も、服も泥で覆って行く。
水を吸い、ターバンが重たくなる。それでもルヴァは走った。
「ロザリア!」 
ルヴァの人生でここまで大きな声を上げたのは初めてだ。

ロザリアとオリヴィエが振り返る。
二人の持った荷物は小さかったが、ルヴァはすべてを悟った。
「どこへ行くのですか?」
抑えた声音が、かえって激しい怒りを表している。
ロザリアはルヴァの前に飛び出すとひざまづいて彼の服の裾をつかんだ。
雨でロザリアの小さな体は濡れそぼり、髪も体も一層小さく見えた。
「お許しくださいませ。ルヴァ様。」 
ルヴァの足にしがみついたまま、ロザリアは同じ言葉を繰り返している。

「貴女は女王の座を捨てるのですか?女王になることは、貴女の夢ではなかったのですか?」
真っ黒な空から落ちてくる大きな雨粒が3人に降り注ぐ。
ルヴァは、雨ではない熱いしずくが自分の頬に流れるのを感じた。
ロザリアはルヴァを見上げて言った。
「女王になることはわたくしの夢でした。でも、オリヴィエ様はわたくしのすべてなのです!離れては生きていけません!」
雨がロザリアの顔を打つ。
オリヴィエはひざまづいたままのロザリアを支えて立たせると、ルヴァの前に立った。
「ワタシも、ロザリアと離れては生きていけないんだ。許してほしい、ルヴァ。」
雨音だけが響くなか、ルヴァは力なく尋ねた。
「貴女がいなければ、おそらくこの宇宙は滅んでしまうでしょう。それでも構わないと、貴女は何億の人々を犠牲にしてもそれでもかまわないというのですか?」
ロザリアの肩が震えた。何よりもつらい言葉に違いない。

「それでも・・・・わたくしはオリヴィエ様を選びます。オリヴィエ様だけを。」
ルヴァを見つめた青い瞳は美しかった。
(ほんとうは私に向けてほしかった。)
心に浮かんだ言葉をルヴァはすぐに打ち消した。
「貴女方の旅はかなりつらいと思います。ここに留まり、どちらかのサクリアが尽きるまで待つことはできませんか?」
ルヴァは二人の叛意を促すように続けた。
オリヴィエは力なく首を振る。
「もう、離れられない。」とその瞳が伝えていた。

「わかりました。私は何も見ませんでした。貴女方も私を見なかった。いいですね?」
くるりと背を向けたルヴァに二人は黙って頭を下げた。
足音が遠ざかり、やがてルヴァの耳に雨音だけが残る。
(せめて祈らせてください。貴女の未来が幸せでありますように・・・。) 
雨の中でルヴァは一人たたずみ、苦難の道を歩むであろう二人に祈りをささげた。



ロザリアとオリヴィエの出奔は、すぐに飛空都市じゅうに知れることになった。
即座に8人の守護聖が集められ、捜索について会議が始まった。
「すぐに探し出せ!命があれば構わぬ。」 
ジュリアスの激しい指示が飛ぶ。 
命令を受けたオスカーが下界に降りて行ったが、二人の行方はまったく分からなかった。
女王への反逆者として一斉に手配が及んだにもかかわらず、各地の王立研究員からも一向に連絡がない。
やがて、エリューシオンの民も中央の島にたどり着き、アンジェリークが女王になった。
宇宙の崩壊は避けられた、とみなが安堵し、二人の捜索もいつしかなくなっていったのだった。


オリヴィエとロザリアは辺境の惑星で暮らしていた。
二人は町でちいさな洋品店を開いた。
オリヴィエのセンスは言うまでもなかったし、ロザリアも淑女のたしなみとして一通りの裁縫ができたのだ。
滅多にない美男美女のカップルに町の人たちは驚いて、なかなか打ち解けなかったが、二人の落ち着いた様子に好感をもつ者が現れ始めると、次第に仲良くなっていった。
こじんまりとした家の周りに花を植え、汗をかいて仕事をする。
お嬢様として生きてきたロザリアに、そんな苦労はできないかもしれない。
オリヴィエは初め不安だったが、隣にいるロザリアは本当に幸せそうに見えた。
追手が来ないことにようやく安心して、オリヴィエとロザリアは二人の時を楽しんだ。

そんな暮らしが2年ほど続き、このまま時が過ぎていくのか、と思えたころ、ロザリアが倒れた。
「オリヴィエ…。」
急速に弱っていくロザリアにオリヴィエはなす術もない。
「ごめんなさい。あなたに隠しておりましたの。わたくし、もう逝かなければなりませんわ・・・。」
ロザリアは一筋の涙を流した。
「幸せでしたわ。あなたと過ごしたこの思い出だけで、わたくしは笑って逝けますの。」
オリヴィエはロザリアの額に口づけた。この衰え方が普通の病でないことは察しがついている。
ロザリアが眠ったすきに王立研究院に連絡を入れた。

アンジェリークの前に連れてこられたオリヴィエは昔と全く変わっていなかった。
メイクこそなかったが、端正な容姿はそのままで、幸せに過ごしてきた年月がうかがわれる。
手錠を外すようにアンジェリークが命令すると、オリヴィエは首を振った。
「いいんだ。ワタシ達は犯罪者だからね、このままで。ロザリアの様子だけ、教えてほしいんだ。」
アンジェリークは人払いをすると、オリヴィエに向き直った。
二人きりの室内でアンジェリークの顔に暗い影が宿る。

「オリヴィエ、よく聞いて。ロザリアにはもう生命エネルギーがほとんど残っていないの。だから・・・」
アンジェリークは言葉を切る。その先は聞きたくなかった。
「聖地でも、治すことは無理なの。」 
アンジェリークの瞳に見る見るうちに涙があふれる。。
玉座から駆け降りたアンジェリークは、すがりつくようにオリヴィエの手をとった。

「ごめんなさい、オリヴィエ。わたしがもっと早く女王になっていれば…!」
アンジェリークの言葉の意味がわからない。
「ロザリアはあの惑星からずっと、女王のサクリアを捧げていたわ。聖地のように守られた場所でなければ、サクリアの放出は危険すぎる。
 命を削って、ロザリアは宇宙を守っていたの・・・。」
オリヴィエは愕然とした。
二人で過ごす毎日は穏やかで愛に満ちていた。
それを支えていたのがロザリアの命だったとは。

「わたしも女王交代の儀式で初めてそのことを知ったの。前女王の力を受け継ぐときにロザリアの心が流れ込んできたから。」
アンジェリークの声が小さくなる。
「わたし、ロザリアに裏切られたと思っていたの・・・。親友なのにわかってあげられなかった・・・。
 ロザリアのそばにいてあげて。あの家に帰っていいのよ。」
アンジェリークの顔が歪んで見えた。
泣き崩れるアンジェリークの隣でオリヴィエは立ったまま、涙を流していた。


オリヴィエはすぐにロザリアを連れて、家に戻った。
ひどく痩せてしまったが、青い瞳は美しい。
あの、夢に満ちてオリヴィエを惑わせた瞳。
ロザリアはオリヴィエの淹れたぬるめの紅茶を一口飲んだ。

「おいしい。オリヴィエもすっかり上手に淹れられるようになったのね。」
ロザリアの口元にカップを寄せたオリヴィエの手が震える。オリヴィエはそれに気づかれないように微笑んだ。
「まだまだ、アンタにはかなわないよ。早く良くなって、ワタシに淹れてよね。」
微笑んだロザリアの青い瞳が閉じた。もう開くことのない瞼に優しく唇を寄せる。
オリヴィエはロザリアが最後に飲んだ紅茶とともに、一粒の薬をのみ込んだ。
オリヴィエの顔も優しく微笑んで、傍らのロザリアに向けられている。
静かに並んだ二人を、聖地の使いの者が運んで行った。



しばらくして、ジュリアスはオスカーと遠乗りに出ていた。
聖地の景色はいつも美しい。
花が咲き乱れる丘でジュリアスは馬をとめた。
アンジェリークの温情で眼前の花のどこかに、オリヴィエとロザリアが眠っていることをオスカーも知っていた。

「オスカー。」
隣に馬を並べたオスカーにジュリアスが声をかける。
「はい。」
「私を非情な男と思うか?」
ジュリアスは前を向いている。
オスカーは何も言えなかった。

女王になるべきロザリアを必死で探したのは最初だけだった。
おそらく、ジュリアスはロザリアと前女王の間に交わされた約束を知っていたに違いない。それがロザリアにどんな未来をもたらすのかも。
「私は主座の守護聖だ。何よりも宇宙の安定を考えなければならぬ。」
ジュリアスは馬の向きを変えた。
「それが、どんな結果になろうとも。これからも変わらない。」
走り出したジュリアスをオスカーは追いかける。
花畑の中にルヴァがいるのが見えた。


(私の判断は間違っていたのでしょうか…?)
飛空都市で見た最後の姿を思い出す。何よりも愛を求めていた二人。
ルヴァは咲き乱れる花の中で再び静かに祈った。
(どうか、その世界に二人を妨げるものがありませんように・・・。)
一瞬、聖地の空が、眩しく輝いた。

FIN
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