タマゴとキャベツ

「驚かないで聞いてくださる?」
恥ずかしそうに顔を赤らめてそう言ったロザリアにアンジェリークは思わず身を乗り出した。
「それに、誰にも言わないでほしいんですの。約束できまして?」
うんうん、と激しく首を縦に振る。
「では、言いますわね。・・・・・・・・・ですの。」
「はあ?」 
全然聞こえない。
耳に手のひらをくっつけてアピールすると、ロザリアは真っ赤になって、口を開いた。
「わたくし、赤ちゃんができましたの。」
「え~~~~~~~~~~~~~!!!!!」
宮殿上にアンジェリークの声が響き渡った。

ロザリアは大慌てでアンジェリークの口を手で押さえた。
鼻も一緒に押さえつけられたアンジェリークは息ができず、フガフガともがく。
「もう、秘密と言ったでしょう!」
ロザリアは手を緩める気配がない。アンジェリークは涙目になって首をぶんぶんと振った。
「もう、仕方ありませんわね。」 
ロザリアの手が離れ、アンジェリークはようやく息をついた。
近くにあったティッシュの箱をわしづかみにすると、一気に2,3枚とって、涙を拭く。

「ど、どういうこと???」
アンジェリークは動揺、驚愕、仰天、とにかくびっくりしていた。
持っていたティッシュを無意識に細く裂いている。
何かしていないと飛び跳ねてしまいそうだ。
冷静に考えれば、どーもこーもないのだが、思わず確認してしまう。

「誰の、子なの?」
ロザリアは真っ赤になってうつむいた。
結い上げた髪のせいでうなじまで真っ赤になっているのがわかる。
アンジェリークでさえ、そのセクシーさにクラクラしてしまいそうだ。
(そりゃー、オリヴィエだって、我慢できないよねぇ。) 
アンジェリークはひとり頷く。
(だからって、付き合い始めてまだ何ヶ月も経ってないじゃないの~。オリヴィエのヤツ~~。絶対後でイジメテやる!)
アンジェリークのうすら笑いにロザリアは気付かない。

「と、とにかく、そういうわけですの。だから少し執務をお休みしたりするかもしれませんけど、許してくださいね。」
ひとりでできるかな?と少し不安になるアンジェリークだったが、とりあえず許可しておいた。
どちらにしても、かなり先の話なのだ。
(どっちに似るかな?どっちにしても美形の子供に決まってるわよね。やだー、ツバつけとかなきゃ!)
アンジェリークはきゃっと飛び上がった。


ロザリアが補佐官室に下がった後、アンジェリークは早速オリヴィエを呼びだした。
緊急呼び出しです、と女官に告げられたオリヴィエはとりあえず飛んできたという雰囲気で手のひらをひらひらさせていた。
「ん、も~。マニキュアがまだ乾いてないのに~。くだらない用事だったら許さないよ!」
オリヴィエが御前とは思えない口ぶりで目の前のソファに座った。
クッションを腕の下に引いて、指を気にしている。
そしてアンジェリークのジト目に気付くと、さも自慢げににっこりした。

「なあに~。今度の日の曜日なら、ワタシが先に予約したんだからね。譲らないよ!」
先日デートの予定を女王命令でキャンセルさせたことを根に持っているらしい。
どうしてもバーゲンに行く!と言い張ったアンジェリークに負けて貴重なデートの時間を譲ったのだ。
(これくらいの嫌味はいいよねぇ。) 
オリヴィエは指に息を吹きかけた。

「ふ、ふ、ふ、ふ、ふーーーー。」 
アンジェリークの不気味な笑い声にオリヴィエはぎくりとする。
こういうときはたいてい飛んでもないことなのだ。
オリヴィエはアンジェリークの言葉を待った。
「オリヴィエ、 あなたってほんとーに手が早いのね! このスケベ、 女の敵!」
はあ? オリヴィエの目が点になる。 
それを見てアンジェリークはニシシと笑った。
「まだ、知らなかったみたいね。わたしが一番に聞いたんだー。わーい。」 
アンジェリークはもろ手を挙げて大喜びだ。
「知りたい?ねえ、知りたいの?」 
もったいつけてオリヴィエににじり寄る。
玉座から立ち上がったアンジェリークはドレスのすそをひらひらさせながらオリヴィエの周りを回った。
どーしよっかなー、と歌っている。
いい加減顔が引きつるオリヴィエに、アンジェリークが耳打ちした。

「ロザリア、あかちゃんができたんだって。おめでとう。」


オリヴィエの顔からすーっと血の気が引いていく。
すっかり固まってしまったオリヴィエの顔の前でアンジェリークは手を振った。
(あら、ホントに固まってるわ~)
アンジェリークはめったに見られないオリヴィエの顔にほくそえんだ。
机の引き出しからカメラを出そうとしたとき、
「ワタシ、じゃないよ。」 
オリヴィエの声が苦しげにこぼれた。
「え?」
「ワタシの子供じゃ、ない。」 
オリヴィエはソファの背もたれに大きく手を広げて天を仰いだ。
「まだロザリアとは何もないよ。ホントにさ。」

想いを告げたのが今日から2カ月と12日前。
森の湖で確かにロザリアは嬉しげにはにかんでいた。
あのときすでに彼女はほかの男と・・・。
考えたくもない想像が頭の中を駆け巡る。
ロザリアのすべてが自分のものだと、勝手に思っていた。
大切にしたい、と思っていたのに・・・。ソファに座りなおして、テーブルの上で手を組んだ。
ソファがぎしりと音を立ててきしんだ。時計の音がやけに響いて感じる。

オリヴィエの苦悩の表情にアンジェリークは声も出せない。
ロザリアが候補のころからオリヴィエだけを想ってきたことを知っている。
告白を受けた夜、アンジェリークは部屋で一晩中ノロケ話に付き合わされた。
しばらくはオリヴィエの名前を聞くと自動的に耳栓できるくらいだったのに。
その、ロザリアが他の男と・・・?

「ありえない!」 
アンジェリークがテーブルをたたく。その音も耳に入らないようだ。
「ねえ、ロザリアは確かにワタシの子供だって言ってた?」
アンジェリークは必死で記憶の糸をたどる。 
「言ってなかったかも・・・。」
上目づかいでオリヴィエを見る。
「そっか。」 
オリヴィエは立ち上がると、くるりと後ろを向いた。
「教えてくれてありがと。心の準備ができたよ。じゃ、ね。」
握りしめた手が痛い。
乾ききっていなかったマニキュアが手のひらについて、醜く歪んだ。


カツカツ、とヒールを鳴らしてロザリアの部屋の前に立つ。
ノックしようとして手をとめた。
(何を言うつもり? 誰の子なのかって?) 
冷静でない自分がわかる。このままでは何をしてしまうかわからない。
あげた手を下ろして、ドアの前で立ち尽くした。
部屋の中のロザリアの気配が、オリヴィエの心にとげのように刺さって、心が破れそうに痛い。
オリヴィエはそのまま踵を返すと、自分の執務室に戻っていった。

執務机の椅子に腰をおろして、足を机に乗せる。
顔が天井を向くと、頭に昇った血が下がっていくような気がした。
塗りかけたマニキュアが歪んでいるのに気付いて、眉をひそめる。
そのままじっと眺めていると、不意にドアの向こうの気配に気づいた。
ロザリアだろうか?
なんとなくノックをためらっているような気がする。
オリヴィエは体が固くなるのを感じて、思わず手を強く握りしめる。
コンコン、と几帳面なリズムのノックが響いた。
やはりロザリアだ。
オリヴィエは居留守を決め込むことにした。まだ、会えない。
じっと、息をひそめているとやがて気配は消えた。
オリヴィエは大きくため息をついた。 
(ワタシって、意外と小さい男なのかもね。)
胸の中が嵐のように渦巻いている。
初めて味わうその痛みに予想以上の衝撃を受けていた。


オリヴィエは静かに窓辺で外を眺めていた。
いつの間にか空が茜色に染まり、夕闇を連れてきている。
今日は一日何も手に付かなかった。他の男と一緒にいるロザリアを考えるだけで全身の血が沸騰する。
(相手がわかってたら、ヤバかったかな。)
爪が食い込んでできた手のひらの傷をなめると、口の中に血の味が広がる。
この味をその男にも味あわせなければ、おそらく気が済まないだろう。
どうせここにいてもはじまらない、とオリヴィエは帰ることに決めた。
(なんてこった!) 
オリヴィエは神様を恨んだ。
あれほど会いたくなかったロザリアが廊下の向こうにいるではないか。
オリヴィエを見つけたロザリアは嬉しそうに駆け寄ってくる。
高いヒールとタイトなスカートにロザリアは途中でよろめいた。

「危ない!」 
思わず声をあげてオリヴィエはロザリアの元に走り寄った。
こちらもピンヒールだがなにせ年季が違う。
なんとか倒れ落ちる前に受け止めることができた。
「ありがとう、オリヴィエ。」 
ロザリアの笑顔が目の前で広がった。
「だめでしょ。アンタは大事な体なんだから。転んだりしたらどうなると思ってんのさ。」 
オリヴィエの口調は責めてはいたが暖かだった。
ロザリアがしゅんと、うなだれた後、顔を上げた。

「もしかして、ご存知ですの?」
「うん。陛下から聞いちゃってさ。」 
真っ赤になったロザリアはオリヴィエの腕の中でじっと体を預けている。
(ワタシったら、ホント馬鹿だったね。) 
オリヴィエはロザリアのぬくもりを全身で感じていた。
(なにも悩むことなんてないじゃないか。ロザリアの子供なら、ワタシの子供だよ。ロザリアを離すつもりなんて最初からないんだからさ。)
突然、くつくつと笑うオリヴィエをロザリアは不思議そうに眺めた。
オリヴィエがロザリアを抱きしめる腕に力を込めると、あたりは甘い空気に満ちた。

しばらくそうしていた後、「実は今からアンジェのところに見せに行こうと思っていましたのよ。」 
ロザリアが言った。
おなかのあたりにそっと手を当てて優しい目をしたロザリアを、オリヴィエは不思議に凪いだ心で見ていた。
(ロザリアを守れるのはワタシだけだよね。) 
オリヴィエはもう迷っていなかった。


「アンジェ、入るわよ。」
ロザリアが部屋に入ると、アンジェリークはソファの下に隠れて、クッションでバリケードを作っていた。
「・・・・あんた、なにやってんのよ。」 
ロザリアが呆れたようにクッションを一つづつ取り除いていく。
アンジェリークはロザリアと目が合うと、「ひいいいい~~。」と、とんでもない声をあげて、さらに潜っていく。
「ちょっと、アンジェってば、いい加減にしなさいよ!」 
アンジェリークの声が小さく聞こえてきた。
「ごめんね、ロザリア。わたし、オリヴィエに話しちゃったの。」
ロザリアはふんと鼻を鳴らして、イライラとヒールで床をたたいた。
「そんなこと知ってるわよ。先ほどオリヴィエと会いましたもの。一緒に来たんですわ。だから早く出てらっしゃい!」
アンジェリークはソファの下から這い出ると、ロザリアの背後にいたオリヴィエと目が合う。

アンジェリークの視線に、オリヴィエはにっこりと微笑み返した。
アンジェリークはその微笑みが嘘でないことに気付く。
(オリヴィエ、ロザリアと仲直りできたのかな?) 
アンジェリークはオリヴィエにごめん、と手を合わせた。

「もう!でもちょうどよかったわ。二人に見せようと思っていましたの。」
ロザリアはおなかのあたりにぶら下げていた小さな巾着を手に取った。
オリヴィエとアンジェリークはロザリアの優雅な動きをじっと見つめている。
あの丸く膨らんだ袋は相手のオトコがくれたものなのだろうか?

4つの痛いくらいの視線の中取り出されたそれは、少し大きな丸いタマゴだった。
(え?) 
オリヴィエとアンジェリークはお互いに目くばせする。
最初に聞いたのはアンジェリークだった。

「ねえ、コレ、なあに?」 
ロザリアは真っ赤になって小さくつぶやいた。
「わたくしとオリヴィエのタマゴですわ。少し早かったみたいですけど。」
アンジェリークとオリヴィエは目が点になって、思わずよろめいた。
(ま、まさか、これが・・・)(いや、きっと、そうだよ・・・) 
「もしかして、これが、ロザリアの言ってた赤ちゃん?」 
アンジェリークは世にも恐ろしいといった顔でロザリアに近づいてくる。
ロザリアはタマゴを大切そうに手に取ると、「そうですわ。」 
それがどうかしまして?と言ったのだった。


「ちょっと、見せてよ。」 
オリヴィエが手を伸ばす。
確かにその卵は綺麗な青紫色で、ロザリアの髪の色に似ていた。
ところどころに入れられた金糸のような装飾と暗青色の彫りも合わせて、まさにロザリアとオリヴィエのタマゴのようだ。
(これはイースターエッグだね。かなり高価なものには違いないけど。)
オリヴィエがタマゴをくるくると動かすのをロザリアが心配そうに見ている。
「ねえ、どうしてこれがワタシ達の子供だってわかったの?」 
隣でアンジェリークがコクコクとうなづいている。
あまりの衝撃に声も出ないようだ。
(ワタシだって、目から花でも咲きそうだよ。)

「だって・・・。」 
ロザリアは恥ずかしそうにうつむいている。
こんなときでもなければ、即効連れて帰っていろいろしてしまいたいのに・・・。
「昨日のこと、覚えてらっしゃいませんの? ちょうど、100回目のキスをしましたのよ?」 
オリヴィエは、あっと思いだした。


「オリヴィエ、今のがちょうど100回目のキスですわ。」
「数えてたんだ。」
「ええ、大切ですもの。 オリヴィエもご存じでしょう?」 
確かにあのときロザリアは何か言っていた。
何であんなに回数にこだわるのか、不思議には思ったけれど。

「昔、お母さまから教わりましたの。愛し合う二人が100回キスをすると、コウノトリが赤ちゃんを連れて来てくれる、と。」
ロザリアは両手で顔を覆っている。恥ずかしいのか声も震えているようだ。
「きっと、わたくしたちがあまりにすぐに100回になってしまったから、コウノトリもタマゴのままになってしまったのだわ。本当に恥ずかしいわ。」
アンジェリークをのぞき見ると、ほとんど魂が出たような顔をしている。
(呆けたね、これは。)
「それに、ベッドではなくて、中庭に落ちていましたのよ。きっとあわてていたんですのね。」

オリヴィエは笑いだしたいのをこらえて、言った。
「これはね、ワタシ達のタマゴじゃないよ。」 
ロザリアが不安そうな顔になる。
「あ~、そういう意味じゃないんだ。」 
オリヴィエはロザリアの手を握って、ほおに軽くキスをした。
アンジェリークの眉がピクリ、と動く。

「ワタシはロザリアを愛してるよ。気持ちを込めて100回のキスをした。そうじゃなくて、これはタマゴじゃないんだ。」
オリヴィエはタマゴをテーブルにコツコツと当ててみせる。
確かにその硬質的な音は普通のタマゴではなかった。
「タマゴの形をした置物、かな。ここまできれいだと装飾品だと思う。」 
オリヴィエがテーブルにタマゴを戻す。
ころころ転がったタマゴはよく見れば確かに人工物らしい。
「最近、インテリアとか、ジュエリーとかの商人は来なかった?きっとその人が落としたんだろうね。後で連絡してみるよ。」
オリヴィエは元通り巾着の中にタマゴをしまった。

ロザリアは激しく落胆した。
「まだ、わたくしたちには赤ちゃんは来ないのですわね・・・。」
オリヴィエがそんなロザリアを抱きしめる。
「まだまだ、これからがんばればいいじゃない? ワタシなら何万回だってアンタとキスしたいんだからさ。」
(それにキスだけじゃ子供はできないしね。) 
そこまで考えて、オリヴィエは背筋に冷たい汗が流れるのがわかった。
その何たるか、からすべて教えなければならないのか、と思うと道はまだまだ長く険しい。

「ロザリア、赤ちゃんはね、キスだけじゃだめなのよ!」
アンジェリークが二人の間に体をねじ込んできた。
「え?」 と聞くロザリアに
「赤ちゃんはね、キャベツ畑から生まれるの。だから二人でたくさんキャベツを食べないといけないの。」 と大声で言う。
「まあ。たくさんってどれくらいなのかしら?」
「わたしの家では100個と言われていたわ。」 
アンジェリークは腕組みして、うんうんと首を振っている。
オリヴィエはアンジェリークの背中をぎゅうっとつねってやった。
「いたい!」
飛び上がるアンジェリークに、(余計なことを言うな)と、視線で威嚇する。
そんなやり取りをよそに、ロザリアの頭はすでにキャベツでいっぱいになっているのだった。


「ねえ、またキャベツ料理なの?」 
オリヴィエがげんなりしたように言った。
あれから1週間、オリヴィエは毎日キャベツを食べさせられていたのだ。
アンジェリークに殺意すら覚える。
「まだ、2個しか食べてないんですのよ。100個までがんばりましょうね。」 
ああ、その笑顔は可愛すぎる・・・。
オリヴィエはキャベツのスープを飲みながら考えた。
(キャベツを100個食べる頃には、ワタシもロザリアにいろいろ教えてあげられているよね。)
楽しい楽しいレッスンがこれから待っているのだ。
覚悟してよね、と、オリヴィエはスープを飲みほした。


FIN
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