あの頃のように

初めて見たときから、好きだった。
そう思ったのに、いつも素直になれなくて。あなたに近づくことさえできなかったの。

「オリヴィエは、部屋にいらっしゃるんじゃないかしら?」 
今朝会ったときに、今日は一日ゆっくりすると言っていたから。
日の曜日の守護聖の予定をチェックするのも補佐官としての大切な役目。
そう言いながら、本当は誰かとデートするんじゃないかと気になって仕方がない。
だからいつも彼の予定を一番に聞きに行ってしまうのだ。
いっそのこと、どこかに出かけていてくれればいいのに。
もしかして、誰かの誘いを待っているのだろうか?
ロザリアの言葉を聞いたアンジェリークはとてもうれしそうに
「では、オリヴィエ様を誘ってみます!」と言って出て行った。

今日の仕事は終わりだ。
きっとオリヴィエはアンジェリークと出かけるだろう。
わざわざ来た女王候補を断るほど、あの人は冷たくないから。
ロザリアの時もいつもOKしてくれた。
ドキドキしすぎて、誘えたのは試験の間でたった3回。
そのどんな時でもオリヴィエは断らなかった。
一度など遠くの惑星への出張からわざわざ日帰りで戻って来てくれて、ロザリアを驚かせた。

「あんたに会いたかったから、頑張って帰ってきちゃった。」
そう言われて言葉も出なかったときのことを思いだす。
オリヴィエにしてみれば、単なる言葉の綾だろうけど、ロザリアにとってその言葉は宝物のように胸に残っている。
ロザリアはそっと胸に手を当てた。
大丈夫。アンジェリークと結ばれても、この思い出だけで。


私服に着替えたロザリアは私邸に戻ろうと一人で小道を歩いた。
明るい日差しにこのまま帰るのももったいないような気がする。
リモージュとどこかへ行こうか、と考えた。
この前買い物に行ったときは結局リモージュの食べたいケーキ屋さんに行って、1時間並んで食べてきただけだった。
この行列に並ぶというのがことのほか大好きな今上陛下はいつも流行のお店に行きたがり、目的を果たせずに終わってしまうのだ。
今日こそ、綺麗な色のペンが欲しいというつもりだった。
リモージュとは趣味が違うけれど、彼女との買い物はとても楽しい。
頭の中でいつも行くお店のことを考えながら再び聖殿の門をくぐった。

アンジェリークの姿が目に入る。
その隣にオリヴィエがいることを予想して、ロザリアは木の陰に隠れた。
こそこそする自分がみっともないと思っても、誰かと仲良くするオリヴィエを見るのはつらかった。
体に当たる木の葉がかさかさと音を立ててちぎれていく。

「オリヴィエ様ったら信じられない。わたしとは出かけたくないなんて!」 
はっきりした性格のアンジェリークは悪口でも平気で大声だった。
ロザリアは体を固くして、アンジェリークが通り過ぎるのを待つ。
落ちた葉が足元でクルクルと回っていた。
ロザリアは陰から飛び出すと、一目散にオリヴィエの部屋へ向かった。
アンジェリークに嘘を教えてしまったと思うと、補佐官として恥ずかしい。
彼女の一日を無駄にしてしまったことを申し訳なく思った。


窓をあけて、風が流れるままにしているとカーテンがふわりと舞いあがって机の上のペン立てが倒れた。
オリヴィエは机の下に落ちたペンを拾うために仕方なく机の下にもぐる。
割と整頓されているほうではあっても思ったよりたくさんのものが入っていたらしく、机の下はひどい有様になっていた。
ひらひらした執務服はとっくに脱ぎ捨てて身軽な服装になってはいたけれど、面倒な作業に思わず舌打ちした。
ノックの音が聞こえて、オリヴィエは動きを止めたが、立ち上がるつもりはなかった。
どうせ碌な用事じゃないに決まっている。
さっき断ったばかりのアンジェリークかもしれない。
あの子なら一度断ったくらいじゃひるまずにまた来る可能性はある。

「親密度が上がらないから、今日はデートをしてほしい」
ストレートに誘われて、正直うんざりした。
まっすぐな女の子は嫌いじゃない。
でも、誘われたい女の子はあんたじゃない、と、柔らかなオブラートに包んで言ったつもりだった。
どっちにしても、かなり怒った様子には変わりなかったし、このまま居留守を使ってしまおうと思ったのだ。
ノックの音は一度きりで、あとは沈黙が続いた。 
ほっとして作業を続けようとしたとき、そーっとドアのあく音がした。
「いらっしゃらないのかしら?」 
ドアから聞こえてきた声は間違いなくロザリアの声だった。


ノックしても返事がないのに戸惑ったロザリアは、いけないと思いながらもドアを開けてしまった。
目の前に広がる大きな窓があいていて、カーテンが緩やかな風になびいている。
やはり人の気配はない。
主のいない部屋はほのかに漂うオリヴィエの香りに満ちていた。
窓があいているということは、今の今まで部屋にいたのだろう。
ロザリアは後ろ手でドアを閉めると、部屋の中に忍び足で入って行った。
誰もいないのに、つい足音を忍ばせてしまうのは、イケナイことをしているというロザリアの気持ちからかもしれない。
部屋に置かれたソファにドスンと音を立てて座ってみた。
候補のころならともかく、執務でかかわるようになってから、ゆっくりとソファで向かい合うこともなくなっていた。
用事があって尋ねてみてもドキドキしてしまって、とても雑談できるような雰囲気にはならない。

オリヴィエにはつまらない女だと思われているだろう。
仕事第一の堅物だとみんなが思っていることも重々承知していた。
「今日は育成をお願いいたしますわ。」 
小さな声で言ってみる。 
なんだか楽しくて、一人でくすくす笑ってしまった。
もし今、自分が女王試験を受けていれば、こうしてこのソファに座り、当たり前のようにオリヴィエと話ができるのに。

ロザリアはソファから立ち上がると、部屋の中をきょろきょろと見まわした。
じっくり見る機会がなかったが、オリヴィエの部屋はセンスのいいインテリアでまとめられていた。
白い家具はとてもロマンチックで、ロザリアは少女に戻ったようにウキウキして部屋中を歩き回った。
ついスキップして、鏡の前に立ってみる。
今は補佐官服でもないし、髪も下ろしているから、まるであのときに戻ったみたいだ。
「ごきげんようオリヴィエ様。 どこか外へ行きませんか?」 
にっこりと笑ってスカートをつまんで淑女の礼をしてみた。

「どこに行きたいの?」 
突然後ろから声がかかってロザリアは飛び上った。
鏡に映った自分の向こうにオリヴィエが立っていた。
「庭園?森の湖? 私はどこでも構わないよ。」 
オリヴィエは机にもたれてじっとロザリアを見つめている。
ロザリアの全身がカーッと熱くなって、耳まで真っ赤になるのが自分でもわかった。
とんでもないところを見られてしまった。恥ずかしさで涙が出そうになる。
「どっちがいいのかな?」 
近づいてくるオリヴィエの姿にロザリアは部屋を飛び出してしまった。


ドアが開いてロザリアが入ってきたとき、オリヴィエは驚いて、出ていくタイミングを逃してしまった。
女王候補だったころから、オリヴィエはずっとロザリアを想ってきた。
高飛車かと思えば恥ずかしがり屋で、傲慢かと思えば繊細だった。
そんなロザリアを気にしていても、オリヴィエを見るとなぜか逃げていくロザリアと親しくなるチャンスがなかった。
もしかしたら、好きでいてくれているのかも、と思ったこともあった。

真っ赤な顔をしてデートを申し込んできたロザリア。たった3回だったけれど、その3回とも泣き出しそうな顔をしていた。
オリヴィエが誘った時も真っ赤な顔をしてうつむいてばかりいて、緊張してガチガチなロザリアを笑わせるのに苦労したっけ。
それに、私がデートの約束を守るために必死で帰ってきた時も、鈍い彼女は私の言葉を理解してくれなかった。
「会いたかった。」と言ったのに、「ありがとうございます。」 と言われてしまったことを思い出して苦笑する。

ロザリアが自分を好きだと思ったのは錯覚だったのか、思いこみだったのか、と近頃は思っていた。
仕事の話しかしない、目も合わさない、補佐官になってからの彼女はずっとそんな感じで。
今日、昔と変わらない彼女の様子を見て、改めて思った。
ロザリアも自分を想っていてくれるんじゃないか、と。

飛び出したロザリアをオリヴィエは肩を落として見送った。
あまりにも嬉しくて、つい声をかけてしまったけれど、ロザリアの性格を考えれば逃げ出すにきまっている。
よくわかっていたはずなのに、声をかけてしまった自分の愚かさに毒ついた。
(私もまだまだだね。) 
オリヴィエはロザリアを追って、執務室を飛び出した。
あれほど騒いでいた風がやみ、カーテンがゆっくりと元の位置に戻った。
いたずらな風は神様がくれた贈り物だったのかもしれない。


逃げ出したロザリアは静かな森の湖に来ていた。
いつもは恋人たちでにぎわうこの湖だが、今日は珍しく誰もいない。
ここまで一息で走ってきたロザリアは滝の近くに座り込んでしまった。
わずかに跳ね上がる水しぶきが火照った頬に心地よい。
水面に移る自分の顔がまるで子供のように真っ赤になっているのを見て落ち込んだ。

(また、逃げてしまった・・・。)
もっと話をしたいのに、もっと近くにいたいのに、弱虫な自分に呆れてしまう。
昔も滝に祈ってオリヴィエを呼び出した。本当は来てくれて嬉しかったのに、素直になれなかった自分。
またお祈りをしたら。あの方は来てくださるかしら。

かさかさと木々のこすれる音が響く。
目を閉じて祈りを捧げているロザリアの姿は、まるで聖母のように柔らかい光にあふれていた。
オリヴィエは言葉を失ったように、滝の音を聞きながら、その姿を見つめていた。
ロザリアが小枝のしなるかすかな音で目を開けると、オリヴィエが立っていた。

「ロザリア、あんたもきてたんだ。」 
オリヴィエがまっすぐ近づいてくる。
ロザリアは金縛りのように体が動かなくなる気がした。
「誰に会いたくて祈っていたの?私?」 
オリヴィエの声が水の流れる音にまぎれてかすかに耳に伝わる。

「私はね、誰かに呼ばれたわけじゃないよ。あんたがいると思ってきたんだ。」
ロザリアの隣にゆっくりと片膝をついて座る。
こぼれおちそうに開いた青い瞳がオリヴィエをじっと見つめてた。
「あんたに会いたかったから。」 

何も聞こえない。オリヴィエの声以外は。
いつかもそう言ってくれた。「会いたかった。」と。その言葉をまた聞くことができるなんて。
ただ見つめている青い瞳をオリヴィエはそっと自分の胸に抱き寄せた。
伝わる熱が何よりも彼女の心を伝えてくれた。
「ねぇ、もう逃がさないけど、いいかな?」 
腕の中の彼女が小さく頷いたような気がした。

下ろした青紫の髪に指を入れると、柔らかくカールした髪が綺麗に指に絡みついた。
「こうしていると、あの頃みたいだね。この髪のあんたも好きだから、また見せて。」
補佐官としてではなく、ただのロザリアとして会いたいと、オリヴィエは言ってくれた。
「では、オリヴィエと会うときは髪を下ろしますわ。」 
あなたにだけ見せたい、そう言ったつもりだった。

オリヴィエは髪に滑らせていた指をふととめて、ロザリアの頬にそっと手のひらを寄せると、そのまま口付けた。
「ずっと待っていたからね。これからは日の曜日は予定が入っているって、言ってくれる?」
また真っ赤になってうつむいたロザリアに、オリヴィエは優しく声をかけた。


「オリヴィエはお部屋にいらっしゃるみたいよ。でも、誰かを待っているみたいだったわ。」
ロザリアはアンジェリークににっこり微笑みかけた。
それを聞いたアンジェリークは少し不満そうではあったが、別の方を薦めると元気に飛び出して行った。
ロザリアは補佐官服から私服に着替え髪を下ろすと、軽やかな足取りでオリヴィエの部屋に向かった。
コンコン、とノックをすると、オリヴィエの声が聞こえる。
ロザリアがそっとドアを開けると、窓の前にオリヴィエが立っていた。
柔らかな風が窓辺のカーテンを優しく揺らす。

「ごきげんよう。どこか外へ行きませんか?」 
淑女の礼をしたロザリアを、オリヴィエは微笑んで抱きしめた。


FIN
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