カルアミルク

「わたし、女王よりもなりたいものができちゃったかもしれない。」

穏やかな風の吹く土の曜日の午後。
視察のあと、一緒にカフェでお茶を飲むのがいつの間にか二人の日課になっていた。
今日もいつも通り、一番外のよく見える窓際の席に座ると、二人は紅茶をオーダーする。
「あ、今日はケーキも食べちゃおうかな。ロザリアはどうする?」
「わたくしは結構ですわ。・・・・あんたって、どれだけ食べてもケーキなんかは食べられるのね。」
「うん!デザートは別腹って言うでしょ?」
すばやくウェイトレスを呼びとめて、アンジェリークはミルフィーユを注文した。
アンジェリークが無造作にテーブルに置いたメニューをロザリアが片づける。
ここまでは本当にいつも通り。
「エリューシオンもだいぶ整ってきたのではなくて?」
運ばれてきた紅茶に口をつけたロザリアが言った。
本当にこのところのエリューシオンの成長は著しい。
「先日もジュリアス様が誉めていらっしゃったわ。アンジェリークはようやく自覚が出てきたようだな、って。」
ジュリアスにしてみれば、それは最大級の賛辞に違いない。
なにせ、会うたびに小言を言われ、半ベソをかいていたアンジェリークをロザリアもよく知っていた。
「わたくしもそう思うわ。やっと、あんたがライバルらしくなってきた、って。」
「ねえ、ロザリア。」
ロザリアは自分の言葉を強引に遮ってきたアンジェリークに眉を寄せた。
無礼なことは多くあるアンジェリークだったが、人が不快になるようなことはしない。
そう思っていたから。
一瞬の沈黙の後、アンジェリークが言った言葉。
それが、あの一言だった。

「それはどういう意味ですの?」
言い出したくせに、アンジェリークはなかなか話そうとしない。
ロザリアは食べかけのまま、崩れそうになっているミルフィーユに目をやる。
崩さないように食べるのは難しい。でも、きちんとナイフを使えば、そんなに難しいことでもない。
何となくそう思ったのは、何かが崩れそうな予感がしていたからかもしれない。
「あのね、わたし、オスカー様に告白したの。そうしたら、オスカー様もわたしを受け入れてくださって…。だから。」
「だから?」
なんだろう。この突き刺すような胸の痛みは。
ロザリアは今まで感じたことのない痛みに顔をしかめた。
浮かれたアンジェリークがそのロザリアの様子に気付くはずもなく、嬉しそうな気持ちを隠さずにいる。
「わたし、女王になるの、止めようと思うの。いいかな?」

どう答えたら、一番いいのか。
ロザリアは全身で答えを探した。
頭で思う最上の答えをロザリアは口に出すと、機械のように微笑みを浮かべる。
「おめでとう。あなたたちが想いあってるだなんて、わたくし、全然気づきませんでしたわ。」
気付かなかった。本当に。
この間の日の曜日だって、4人で出かけたばかり。
ロザリアとアンジェリークとオスカーとオリヴィエ。
気がついたら、4人で過ごすことが多くなっていた日の曜日。
そういえば、いつもいつの間にか行き先が決まっていたけれど、あれもアンジェリークとオスカーが相談していたからなのだろうか。
わたくしの知らないうちに。

「ごめんね。怒ってる?せっかく育成も上向きになってきたのに、あきらめるのか、って。」
アンジェリークがミルフィーユをフォークで切ろうとしている。

バカね。フォークなんかじゃうまく切れないのに。
ぼんやりと見ていたロザリアの前でミルフィーユが横倒しになった。

「少し、考えさせてくれないかしら?こういう形で女王になることに抵抗がないと言えばウソになりますもの。」
カップを持ち上げた手は震えていない。
子供のころから培ってきた自制心が一番欲しい時に働いていることを感じて、ロザリアは微笑んだ。
「ごめんなさい。わたくし、この後用事がありますの。お先に失礼するわ。あんたはゆっくり食べてなさい。」
ロザリアはハンカチを取り出すと、アンジェリークの前に置いた。
「口の周りにクリームが付いているわよ。まったく、しょうがないんだから。」
え?!とあわてて、ロザリアのハンカチで口をぬぐったアンジェリークは、ハンカチにクリームが付いているのを見ると、恥ずかしそうに舌を出した。
アンジェリークは初めてできた大切な親友。
それなのにどうしてなのか、今の痛みをどうしても知られたくなかった。
「ちゃんと洗濯して返しなさいね。」
ロザリアは席を立つと、いつものように凛と店を出た。
テーブルには、半分ほど飲みかけた紅茶が二つと崩れたミルフィーユ。
アンジェリークは崩れてしまったミルフィーユをフォークですくい上げる。
口の中でとろけた甘いクリームにアンジェリークは幸せそうに頬を抑えた。


店を出たロザリアはただひたすら足を動かした。
どこへ行こうという気もないけれど、とにかくどこか遠くへ行きたい、誰もいないところへ。
「ロザリア!」
名前を呼ばれたことに、一瞬気がつかなかった。
立ち止ったロザリアの目に映ったのは綺麗なペディキュア。
いつの間にか外は夕暮れの色に変っていて、ペディキュアに施されたゴールドのラメもオレンジの色味が濃くなっている。
「こんなとこにいたの?。」
聞き慣れた声。
夕陽に伸びる影はふわふわと揺れる羽飾り。
「オリヴィエ様。」
「あんた、どこに行くつもりだった?飛空都市から出るのは無理だよ。」
そう言われて、やっと気付いた。
意識せずに向かっていた先は飛空都市の端。けれどそこに出口はないのだ。
たとえどう進んでも出ることのかなわない透明な檻。
「いえ。ただ、ぶらぶらしていただけですわ。」
ロザリアの言葉にオリヴィエは安堵の息を漏らした。
「まったく。心配させないで。ほら、帰ろう。」
ロザリアの腕をつかんだオリヴィエの手はとても熱くて、汗ばんでいる。
静かな空気だからわかったが、息も乱れているようだ。
ロザリアが顔を上げると、オリヴィエの額に滲んだ汗がきらりと光を反射した。

「オリヴィエ様。汗をかいていらっしゃいますのね。」
そう言いながらドレスのポケットを探ったロザリアはハンカチがないことに気付いて苦笑を浮かべた。
「もうしわけありませんわ。ハンカチをお貸ししようと思ったのですけれど、さっき、アンジェリークに貸してしまいましたの。」
アンジェリーク。
オリヴィエの瞳にさっと影がよぎった。
「もしかして、聞いたのかい?」
「ええ。アンジェリークはオスカー様と共に生きると。だから、わたくしに女王になってほしいと、そう言われましたわ。」
少しの間。
「わたくし、女王になれるのですわ。ずっと、望んでいた、女王に。」
それなのに、なぜ、こんなにも胸が苦しいんだろう。
ロザリアの手がぐっとドレスの胸元をつかむ。
オリヴィエは掴んだままのロザリアの腕を軽く引いた。
はっとオリヴィエを見る青い瞳にできるだけやさしく微笑む。
「ちょっと喉がかわいちゃったよ。あんたもじゃない?ここからなら、候補寮よりウチの方が近いから、寄って行きなよ。」
少しためらってから頷いたロザリアの手を引いて、オリヴィエはゆっくりと歩く。
並んだ影が長く伸びているのを、ロザリアはじっと見つめていた。


私邸についたオリヴィエは、ロザリアをリビングの奥の小部屋に通した。
ここに誰かを入れるのは初めて。
疲れをいやすために明るさを抑えた照明、軽く腰掛けるためのカウンターテーブルとスツール。
どちらかというとバーの雰囲気に近いその場所にロザリアを座らせると、オリヴィエは言った。
「ちょっと、シャワーを浴びてくるよ。結構汗かいちゃったからさ。ここで待ってて。」
冷蔵庫から取り出したオレンジジュースをロザリアの前に置くと、オリヴィエはシャワールームに向かう。
ほの暗い照明が缶のままのオレンジジュースを照らしていた。

シャワーブースのコックをひねると、少し熱めのお湯が出てくる。
オリヴィエは流れ出す湯を頭から浴び続けた。
もっと、傷つけずに伝えたかったのに。
そんな後悔で、拳を壁に押し当てると、じんわりと感じる痛みにオリヴィエは唇をかんだ。

今日の午後のミーティング。そろそろ議題も尽きようかという時、突然オスカーが立ち上がった。
「お伝えしなければならないことがあります。」
「なんだ?いきなり。」
ジュリアスが面食らうほどの唐突さで、オスカーは言った。
「アンジェリークは女王候補から辞退することになると思います。」
ジュリアスの柳眉があがる。
「どういう意味なのだ。もっと詳しく説明せよ。」
厳しい声音にもオスカーのゆるぎない態度はかわらない。
「私とアンジェリークは将来を誓いました。もう、女王にはさせません。」
「なんだと。正気なのか、オスカー。」
いらだちを隠せないジュリアスの声を冷静な言葉が覆いかぶさる。
「別によいのではないのか・・・?幸いなことに女王候補は二人いる。育成の成果にもそう差はない。あの者が女王になるというのならば、それもよかろう。」
「しかし!」
「ああ~。私もよいと思いますよ。ただ、その結果をロザリアが納得すれば、の話ですけれどね。」
二人から意見され、ジュリアスも考えを緩和したのだろう。
「とりあえず陛下とディアと相談してみよう。オスカー、このことをロザリアは知っているのか?」
オスカーの表情が少しだけ暗く変わる。
「いえ。私からはなにも。もしかしたら、アンジェリークが話しているかもしれません。」
「そうか。この話は私が預かろう。くれぐれも他のものたちには内密にするように。よいな?」
守護聖全員の顔を見回しながら、ジュリアスがくぎを刺した。
なにかがあれば、ことは全宇宙の存続にかかわるのだ。
慎重に進めるジュリアスの姿勢に異論をはさむ者はいなかった。

ミーティングが解散し、すぐに聖殿を出たオスカーをオリヴィエは追いかけた。
オスカーの肩をつかみ、強引に後ろを向かせる。
ヒールのせいで、二人の身長はそう変わらない。自然と視線がぶつかった。
「どういうことなの?なんで急に?」
「急じゃあないさ。ずっと、そうしようとアンジェリークと話していた。」
肩を掴んでいたオリヴィエの手がオスカーの胸元に降りる。
「そんなこと・・・!自分たちさえよければいいっていうのかい?」
アンジェリークが女王候補から下りれば、ロザリアが自動的に女王になるだろう。
きっとロザリアは断わらない。
女王になることが夢だと、断言した青い瞳。
「全部をロザリアに押し付けて、あんたたちはそれで平気でいられるの?」
すごい力で締めあげてくるオリヴィエの腕をオスカーはただ抑えるだけで振りほどこうとはしなかった。
空にゆっくりと雲が流れていく。
その間、二人の間に流れるのはお互いの呼吸の音だけ。
「たとえ何と言われても、俺はアンジェリークを愛すると決めたんだ。俺の運命は彼女とともにある。」
「・・・あの子の気持ちに気付いてないっていうのかい?」
睨みつけていたオリヴィエの視線が下に落ちた。
オスカーの決意を変えられるとはハナから思ってはいない。
ただ、ロザリアのことを考えると、我慢できなかった。
オスカーを見ているロザリアを、ずっと見てきたのだから。

「知っていたとしても、なにも変わらない。これからも知ろうとは思わない。」
残酷で、それでいて優しい答え。
オリヴィエの手が緩んで、オスカーから離れていく。
「なにもできない自分をとことんイヤになるよ。あんたたちは好きにすればいい。」
話は終わりだ、とオリヴィエは踵を返した。
いずれロザリアに伝わることなら、できるだけ、傷つけないように伝えたい。
オリヴィエは飛空都市じゅうをロザリアを探して走り回った。
汗をかくほど、何かに懸命になる自分を恥ずかしいとは思えない。
彼女の姿をようやく見つけた時、どれほど安心しただろう。
なのに、もう知っていた。
そして「女王になる。」と、彼女は言ったのだ。

オリヴィエがシャワーから出て戻った時、ロザリアはまだ、来た時と同じように座っていた。
「待たせたね。」
そう声をかけると、オリヴィエの方を向いて少しだけ微笑んだ。
目の前に置いたオレンジジュースには手もつけられていない。
オリヴィエは髪にタオルを当てながら、カウンターの中に入り、ロザリアに向かい合った。
「オレンジジュースはお気に召さなかった?なにか、飲みたいものはある?」
ロザリアが首を横に振る。
「本当になにもいりませんの。なんだか苦しくて。」
胸を抑えたロザリアは息をするのも難しいという顔でカウンターを見つめている。
オリヴィエはそれ以上なにも言えずに、カップボードからグラスを取りだした。

「はい。これ。」
オリヴィエがカウンターにグラスを置くと、グラスと氷のぶつかりあう、綺麗な音がする。
ロザリアはグラスの中の乳白色の液体を見つめた。
「飲んで。ホントはさ、未成年のあんたに飲ませちゃいけないんだろうけど、今日は特別。」
オリヴィエはもう一度、グラスをステアした。
マドラーがくるくると回るたびに、甘い香りが鼻先をくすぐる。
ロザリアはグラスに手を伸ばすと、一口、口に含んだ。
「甘い…。」
口に入れる瞬間、ふんわりと香ったコーヒー。
アルコールをほとんど感じない、まろやかな甘さ。そして、最後に口に残る、わずかなほろ苦さ。
「ね、この味ってさ、恋に似てると思わない?」
気がつけば、オリヴィエの前にも同じものが置かれている。
オリヴィエは綺麗にネイルが施された爪でグラスを軽く弾いた。
「すっごく甘いんだけど、少し苦くて。でもその苦さがイヤじゃないんだ。むしろ、もう1回味わいたいって思っちゃう。
それに、思ったより酔っちゃうんだよね。自分では、そんなつもりじゃないのに。」
オリヴィエの言葉を聞いて、ロザリアはもう一度、飲んでみた。
甘いけれど、それだけじゃない。
いつの間にか、ロザリアのグラスの中身は半分以下になっていた。
「好きだったんでしょ。オスカーのこと。」
「好き?」
ロザリアの青い目がぼんやりしているのはアルコールのせいなのか。
オリヴィエは頬杖をついてロザリアを見つめた。
綺麗な瞳には、今、自分だけが映っている。そう思うと、切ないけれど嬉しい。
「あんたはオスカーを好きだったんだよ。気付いてなかったみたいだけどね。」

ああ、そうだったのだ、とロザリアはようやく、胸の痛みの理由を知った。
4人で過ごす日の曜日も、気がつけばオスカーを目で追っていて、そのそばにアンジェリークがいることにさえ気がつかなくて。
ただ、姿を見ているだけで。
ただ、言葉を交わすだけで。
その時に感じる胸の暖かさが、何なのか自分でもわからなくて。
ずっと抱えていた想いはそんなにも簡単に名がつくものだったのだ。

「わたくし、知りませんでしたわ…。」
「なにを?」
「恋をすることって、こんなに素敵なことだったのですわね。わたくし、幸せな時間をたくさんいただいていたのですわ…。」

ロザリアのグラスに残っているのはもう、氷だけ。
向かいにいたオリヴィエはロザリアの隣に座った。
「バカだね。悲しい時は泣いていいんだ。これにも苦みがあるみたいに、恋だって甘いだけじゃないんだからさ。」
オリヴィエがグラスを指差すと、ロザリアの顔がゆがんだ。
「オリヴィエ様は、わたくしのことを愚かだと思いませんの?」
視線をそらしたロザリアの瞳にオリヴィエは映らない。
オリヴィエはそっと首を横に振った。
「だって、好きだと知った日がフラれた日だなんて、おかしいでしょう?」
おかしいわ、と言いながら、ロザリアの瞳にみるみる涙があふれてくる。
涙の雫がちょうどグラスの氷にあたり、氷を溶かしていった。
「いっぱい泣いていいから。」
そっと頭をなでたオリヴィエの隣で、しばらくの間、ロザリアの嗚咽が続いた。
氷がすっかり溶けて、その水が温むまで、オリヴィエはロザリアの頭をなで続けた。
やがて、必ず夜は明ける。
それからすぐ、ロザリアは女王になったのだった。


誰もいないはずの邸に明かりがついている。
オリヴィエは足を速めて玄関を開けると、灯りの付いていた部屋へ向かった。
リビングの奥へ抜ける扉が少し開いている。
「あら、ずいぶん遅かったのですわね。」
スツールに座ったまま、ロザリアが微笑んだ。
「今日はそんなに大変な執務はないと思っていましたわ。」
息を整えて、オリヴィエはカウンターの中に入るとテーブルの上にグラスを二つ置いた。
「陛下。」
「ここではロザリアと呼ぶ約束でしょう?」
睨まれてオリヴィエは肩をすくめた。
「ごめん。あんた、また来たの?・・・今日はそんなに大変な執務はなかったと思うけど。」
言いながらも手早く冷蔵庫から氷を取り出すと、グラスに沈めた。
その上から半分だけミルクを入れる。
「そうですわね。執務はつつがなく終わったのですけれど、アンジェが。」
ロザリアが長いため息をつく。
オリヴィエは棚から茶色の瓶を取り出すと、ミルクの入ったグラスに注いだ。
「いつものでいいよね。」
「ええ。ありがとう。」
金のマドラーがくるくるとグラスの中で回る。
すっかりロザリアも慣れたもので、グラスを鳴らすこともほとんどなくなった。
「で、アンジェがどうしたの?」
カウンター越しにオリヴィエが続きを促すと、ロザリアは堰を切ったように話し始めた。
「アンジェリークったら、新婚旅行に行きなさいっていう、わたくしの言葉にちっとも従わないんですの。このままでは、わたくしの評判がますます悪くなるわ。」
「アンジェってば、ああ見えて、意外と律義なとこあるから。あんたを置いて自分だけなんて、イヤなんじゃないの。」
グラスの中身はもう1/3くらいになっている。
ロザリアはわざと音を立てるようにグラスに氷をぶつけた。
「わたくしが行かせないと思われますでしょう。それに女王になってからもうどれくらいたつと思いますの?一人になったところで、今さら困ることもありませんわ。」
最後の一滴まで飲みほしたロザリアはオリヴィエに空になったグラスを見せた。
そしてそのままうつぶせになると、顔だけ横に向けてオリヴィエを見つめている。
「まだ、気にしているのかしら?わたくしは女王になったことを少しも後悔していないのに。」
そのまま黙ってしまったロザリアの頭にオリヴィエは手を置いた。
いつの間にか聞こえてくる規則的な寝息。

オリヴィエは立ち上がると、新しいグラスにバーボンを注いだ。
苦みを抑えるためにソーダを足すと、コハク色が薄くなる。
カルアミルクぐらいじゃ酔えないし、素面でロザリアの寝顔を眺めていられるほど、紳士でもない。
なんだかんだ言って、ロザリアはいつも最初の1杯で眠ってしまう。
しばらくすると目が覚めて出て行くのだが、引き留めたいと思う気持ちをバーボンソーダは抑えてくれる。
「よく寝てるね。」
オリヴィエはロザリアの顔の横にある巻き毛に指をからめた。
ふんわりした柔らかい髪が指先をくすぐるのが気持ちいい。
女王の執務服では髪はアップにしてしまうから、こういう姿を見れるのはこの部屋にいるときだけ。
バーボンソーダを一口あおって、オリヴィエはロザリアの耳元に唇を寄せた。
「ね、今日が何の日か、あんたは忘れちゃってるみたいだね。去年もおととしも祝ってくれたから、ここにあんたがいた時、ちょっと期待しちゃったよ。」
相変わらず、ロザリアの瞳は閉じられたまま。
青紫の髪がオリヴィエの指先でくるくると遊んでいる。
「好きだよ。……来年もこうして、そばにいてよ。」
それが、最高のプレゼント。
オリヴィエはロザリアの頬に唇をそっと寄せた。

しばらくして、ロザリアが頭を上げた。
「あ、忘れていましたわ。あなたにこれを持ってきたんですの。受け取っていただけるかしら?」
唐突に差し出したのは、ずっと足元に置かれていた紙袋。
大きな紫のリボンが掛かっているが、中身はガチャガチャと不穏な音がして、しかもなにが入っているのかと思うくらい重い。
「割れものですから、お気を付けになって。」
そう言われて、静かに紙袋を開けると、中には2本の茶色の瓶。
「え?これ?」
取り出してテーブルに並べると、ロザリアは楽しそうににっこりと笑った。
「あなたのを飲んでしまって、申し訳ないと思っていましたのよ。これでは今までの分には足りないとは思いますけれど。」
「そうだね。全然足りないよ。」
今までの分を返すというのなら、もう来ないと言うのだろうか。
もしかして、せっかく一年に一度の日なのに、今日が人生最悪の日になってしまうのかもしれない。
「では、また持ってまいりますわ。わたくし、ここであなたと飲むカルアミルクが一番好きなんですの。これからも作っていただくわ。」
ロザリアの青い瞳に黄色いランプが揺れる。
じっと見つめるその瞳にオリヴィエの胸がうるさいほど、動き出した。
彼女の口から「好き」という言葉を聞いたのは、いつ以来だろう。
たとえカルアミルクのことだとしても、踊りだす心を止められない。

「それから。」
ロザリアにいたずらっぽい笑みが浮かんだ。
「これからは2杯飲ませていただけませんこと?もう1杯では眠れませんの。」
「2杯ねえ。まずは半分からに………えっ?!」
絶句したオリヴィエにロザリアがくすくすと笑いながらグラスを差し出した。
「聞いてたんだ…。悪趣味だね。」
「ええ。来年も、再来年もそばにいますわ。そんなプレゼントでよろしければ、いくらでも。100年先までだって。」
「まったく、あんたって、ホントに…。」
すっかり氷の溶けたロザリアのグラスにオリヴィエはもう一度、氷をいれる。
自分のグラスにも、もう一度。
そして作るのは、カルアミルク。

「乾杯はなににする?私の間抜けな告白にでも?」
「いいえ。今日はもっと大切なことがありますわ。」
乳白色のグラスをロザリアが目の前に掲げると、オリヴィエはそれに自分のグラスを合わせた。
カチン。
ガラスの触れる音がして、ロザリアが言った。
「ハッピーバースデイ。オリヴィエ。」
二人がそっと寄せあった唇は甘いカルアミルクの味がしたのだった。


FIN
Page Top