その花の名は

ひとつの時代が終わろうとしている。
256代女王アンジェリークが次代の女王の選出を宣言してからあわただしく過ぎた日々も明日で終わる。
即位式の翌日、彼女はこの地を去るだろう。

四季ができた聖地の今日は、暖かい日差しの中にも冷たい風の舞う冬だった。
低い雲の隙間からこぼれる日差しのせいで、寒さはそれほど感じない。
目の前に広がる草原の流れる景色をオスカーはただ眺めていた。


「桜?」
「ええ、ルヴァが教えてくれたんですの。この向こうに桜という珍しい木が植えてあるところがあるから、ぜひにと。
この季節にしか見られないそうなんですのよ。」
女王候補のころは試験のため、ということができた。
でも補佐官になってから、プライベートで声をかけることは相当の勇気が必要で。
何かがなければ誘うことができない。
きっと、ルヴァが桜を教えてくれたのもロザリアのそんな気持ちに気付いたからだろう。
「今度の日の曜日くらいが一番の見ごろなんですって。・・・・ご一緒にいかがかしら?」
オスカーは目の前で少しはにかんだロザリアを内心驚いて見つめた。
きっと彼女には好意を持たれてはいないと思っていた。
自分が彼女を想えば想うほど、彼女は自分を想ってはいない。そんな気がしていた。
「・・・俺でいいのか?もちろん、花を見るだけ、なんてことにはならないぜ。」
余計なことを言った、と思ったが、彼女は驚くほど素直に微笑んだ。

「桜の下には魔物がいるという言い伝えがあるんですって。この花びらを見ているとその気持ちわかりますわ。」
花びらが雪のように下へ流れていく。
おだやかな風が流れるたびに、さあっと花びらが舞いあがった。
一瞬、目の前が薄紅に覆われてロザリアの姿を見失う。
「ロザリア!」
吹雪のような花びらが辺りを包んだ。
「なんですの?」
おさまった風とともに花びらのベールが消えて、ロザリアの姿が現れた。
そのロザリアの腕をオスカーはつかんだ。
その手の熱さにロザリアはうろたえる。
「こうして君が少しでも見えなくなることさえ、俺は耐えられない。この花びらにすら嫉妬してしまうほど、・・・君を愛してる。」
ロザリアの瞳が大きく開いてこぼれそうに潤んだ。
「わたくしも・・・。ずっとあなたを。」
桜の下で、初めて想いが通じあった。
つかんだままの腕を引き寄せて、オスカーはロザリアを腕の中に閉じ込めた。
うっすらと頬を染めたロザリアに静かに顔を寄せる。
その時、急にふわり、と舞った花びらがロザリアの唇を隠した。
「どうやら本当にこの花は恋敵らしい。」
オスカーはロザリアの唇についた花びらを指でとると、そのまま口づけた。

2度目の夏、初めて二人は夜を過ごした。
自分が今まで過ごしてきた夜はすべてこの日のためだったと思った。
経験豊富な分だけ、優しく愛することができたから。
「宇宙と引き換えにしても、君を愛し続けると誓う。」
そう言ったオスカーをロザリアは目を伏せて受け入れた。

その冬、初めて喧嘩をして3日間話をしなかった。
聖地の花屋の全ての薔薇と引き換えに得たロザリアの笑顔を忘れることはできない。
なによりもその笑顔を求めていることに気付いて、狼狽した。
誰かを愛することがこんなにも人を弱くすることに気付いたから。

3度目の春、母の形見の指輪を渡した。
涙ぐんで「大切にしますわ。」と言った彼女をみんなの前で抱きしめる。
恥ずかしがり屋のロザリアは真っ赤になって怒っていた。
それからずっとその赤い石は彼女の指を飾っている。

そして、今、3度目の冬、彼女がいなくなる。


重い雲は冬の景色で、中庭の薔薇は鋭い棘だけを残していた。
「俺とここに残ってくれないか?」
長い沈黙の後にロザリアは首を横に振った。
思わず腕をつかんだオスカーは目をそらしたロザリアに詰め寄る。
「なぜだ?俺を愛していると、離れないと言っただろう?」
あの夜もあの朝も。髪をなでたオスカーの隣で何度もロザリアはそう言った。
「・・・アンジェを一人にはできませんわ。」
うなだれたままポツリとこぼれた言葉。
「一緒に下界に降りると約束しましたの。あの子を一人にしてわたくしだけ幸せになるなんてできませんわ。」
何となくわかっていた。
ロザリアの純粋さを愛おしいと思っていた。その純粋さゆえにアンジェリークを置いておけないということも十分に理解できる。
「・・・ごめんなさい。もう、これ以上何もおっしゃらないで。」
涙声になったロザリアから手を離すと、彼女は建物へと消えて行く。
オスカーの手にわずかなぬくもりを残して、ロザリアはアンジェリークと下界に戻って行った。


ロザリアとアンジェリークは下界で小さな家を二人で借りて暮らした。
それぞれの生活が始まっても二人でいれば何でもできるような気がする。
ロザリアは大学に通い、アンジェリークはアルバイトを始めた。
「ねぇ、ロザリア。わたし、結婚したい人がいるの。」
アンジェリークが言ったのは二人の暮らしが始まってちょうど3年たった日だった。
あたたかいストーブの前で窓ガラスが曇る。
ミルクティーの湯気の向こうでアンジェリークが笑っていた。
「やっぱりね。あの人でしょう?気づいてたわ。」
あんたは隠し事ができないから、とロザリアも微笑んだ。
綺麗に巻いていた後ろ髪をルーズに下ろすようになって、ロザリアは急に大人になった。
変わらないアンジェリークがぷうっと頬を膨らませてロザリアをつつく。
「ロザリアはまだ、オスカーのこと忘れられないの?」
アンジェリークの言葉に返事はない。
変わらずに指を飾るその赤い石が何よりも雄弁な答えだった。
「それじゃ、二人暮らしもおしまいね。あんたは彼と暮らすんでしょう?」
ロザリアは立ち上がると、自分の部屋に向かった。
「わたくしは寮にでも行くから心配しないで。ここはもともとあんたの家なんだから。」
部屋に戻ったロザリアは大きく息を吐いた。
アンジェリークもやっと幸せになれる。自分も新しい何かを探さなければ。
ロザリアはそっと指輪をなでた。
オスカーは今誰を想っているかしら?
思い出は甘く、ロザリアの心に残っている。
大丈夫。この想いだけでこれからもずっと。


花びらが舞い落ちる。
再び桜の舞う季節が訪れた。
下界に降りるときにアンジェリークに頼んだたったひとつのこと。
「桜のある惑星がいいわ。」
「桜? ロザリアは薔薇が好きだと思ってたわ。」
「薔薇は好きよ。でも、桜は特別な花なのよ。」
花びらの向こうにいつでもあの方が見えるから。

ドレスを見に行こうと誘われたロザリアはアンジェリークとウェディングドレスの店に入った。
純白のドレスがたくさん並んでいる。
「これ、ロザリアに似合いそう~~。」
アンジェリークが引っ張り出してきたドレスは袖がふんわりしたすっきりしたラインのドレスだった。
「ね、ロザリアも着てみようよ~~。」
なんでわたくしが、と渋るロザリアをアンジェリークは強引に試着室に連れ込んだ。
ロザリアにとってもやっぱりウェディングドレスは憧れで、強く断ることができない。
もう一生着ることがない、と思えて、一度だけと袖を通した。
ロザリアはドレスのぴったりなサイズに驚いてカーテンを開けた。
「わ~、綺麗!!やっぱりぴったりだわ!すごいのね。」
すごい? ロザリアは首をかしげた。
「当り前だ。俺がわからないはずないだろう?」

声が、聞こえた。
アンジェリークの隣でソファに座る緋色の髪。白いタキシードを着た姿にロザリアは両手を口にあてた。
「綺麗になったな・・・。この俺が目が離せなくなるほどに。」
立ち上がったオスカーがゆっくり近づいてくる。
縛られたように動けないロザリアにオスカーはそっとベールをかけた。
花のついたカチューシャでベールを止めると、オスカーはロザリアの手を取る。
そのオスカーの肩にのったひとひらの花は、あの日と同じ桜の花。
「迎えに来たぜ。俺の花嫁は君だけだ。」
「どうして・・・?」
オスカーはにやりと笑うとアンジェリークを見た。
「アンジェリークが結婚するときは式に招待してほしいと頼んだだけさ。」
ふふ、とアンジェリークが笑う。
「あのときのロザリアに聖地に残ってって言ってもきっとダメだろうと思って。わたしも一人はさびしいし。・・・オスカーったらいつまででも待つって言ったのよ。」
おばあさんになっちゃうかもって脅したんだけど、とアンジェリークが舌を出した。
「早くて助かった。」
ロザリアの顔にかかったベールをオスカーは静かに上げた。
「俺と、結婚してほしい。」
答えの代わりに、胸に飛び込んだロザリアをオスカーは優しく抱きしめた。
こぼれおちそうになった青い瞳が静かに閉じられる。
口づけた二人の上に桜の花が舞い落ちた。



FIN
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