女王陛下はすでに退出し、三々五々に帰っていく守護聖をロザリアが見送っている。
半分眠っていたゼフェルをたたき起して、もたもたしているルヴァの資料をまとめて持たせると、会議室はジュリアスとロザリアの二人きりになった。
会議中もとなり合わせるようにして座っていたロザリアの横顔がジュリアスの目に入った。
机に手をついたその横顔は少し疲れているのか、顔色が悪いような気がする。
「どうしたのだ?気分がすぐれぬようだが。」
静かな部屋に急に響いたジュリアスの声に驚いたようにロザリアの視線が向けられた。
思わぬところを見られたというように顔を少し赤くしたロザリアはあわてたように自分の書類を手に取ると、
「いいえ、なんでもありませんわ。ご心配をおかけしてすみません。」と軽く頭を下げた。
その拍子にロザリアの手から書類の束がこぼれ、床に散らばる。
二人はしゃがむと書類の束を集め出した。
何枚か拾った後に、一枚の書類を見たジュリアスの手が止まる。
よく見れば、裏に何かの模様が描いてある書類が何枚かあるようだ。ジュリアスはその模様のついた書類を集めて、まじまじと眺めた。
とげとげのついた丸に黒い点があり、点から2本の線が出ている。
どれも少しづつ丸のかたちは違うが、丸からふわふわとした雲のようなものが出ていたり、四角がついていたり、そのせいか模様は様々な形に見える。
残りを拾い終えたロザリアは立ち上がってジュリアスにお礼を言おうと振り返った。
立ったまま書類を凝視しているジュリアスを見ると、いつもの彼女らしからぬ乱暴な様子でジュリアスから書類をひったくった。
「あの、ありがとうございます。お手伝いいただいて、申し訳ありませんでしたわ。」
書類を持ったまま、早足で出て行くロザリアをジュリアスはぼうぜんと見送った。
補佐官室に戻ったロザリアはジュリアスから奪い取った書類をつかむとびりびりと破り捨てた。
会議の時間に遅れそうで、この前アンジェリークと一緒におしゃべりした時のままケースごと持っていってしまったのがいけなかった。
破り捨てた模様が目に入ると、ロザリアは屑かごをぎゅうぎゅうと手でおして、完全に書類が見えなくなるまで押しつけた。
ジュリアスに見られてしまったが、きっとわからないに違いない。
完璧な補佐官としてせっかくジュリアスからの信頼を得たというのに、あのことを彼には知られたくなかった。
ロザリアは大きく深呼吸すると、机に戻り執務に取り掛かった。
ジュリアスは部屋に戻ってからもロザリアの書類の模様が気になって仕方がない。
もともと彼女のことは気になって仕方がないのだ。
ひとつ知りたいことが増えただけで、その気持ちは何も変わらない。
実はこっそり一枚持ってきてしまっていた。
ひったくるように持っていったあの様子からして、自分には知られたくないことなのだ、と思う。
それが悲しいのはなぜだろう?
答えは分かっているような気がしたが、ジュリアスは気付かないふりを続けていた。
女王の間で陛下のそばに付き添う彼女はとても凛としていて美しい。
「あの、ジュリアス。続きをお願い。」
錫杖を持つ細い指に見とれてぼんやりしていたことを陛下に見られてしまった。
コホンと咳払いをして話を始める。
同席していたオスカーが陛下の視線に苦笑した。
ジュリアスが退席すると、「まったく、ジュリアスさまは恋愛事には全く向いてらっしゃらないようだ。」
オスカーはロザリアをちらりと見て言った。
首を傾げたロザリアにアンジェリークがオスカーの肩をたたく。
「だめよ!オスカー、そんなこと言って! ロザリアは渡さないんだから!」
その言葉にオスカーは笑って 「それくらいの勢いがあの方にも必要だな。」と言う。
ロザリアを見て二人が大笑いしているのが気にさわって、ロザリアは部屋を出た。
なぜか廊下にまだジュリアスがいて、ロザリアを認めると近づいてくる。
「そなたに聞きたいことがあるのだが。」
ジュリアスの声に胸が高鳴った。高潔な彼はどれほど親しくなってもそれほど無駄な話を多くしてくるわけではない。
そのジュリアスの心持ち緊張したような口調はロザリアを十分ドキドキさせた。
紺碧の瞳がロザリアを見据えると、袖から1枚の紙を取りだした。
「これは何の意味があるのだ?」
書類の裏の模様を指差したジュリアスはロザリアの顔がかーっと赤くなっていき、耳までに広がって行くのに気付いた。
しばらくしんと静かな時間が流れ、困惑したジュリアスがロザリアの肩に触れようとしたときに、そのうつむいていた顔がきっとジュリアスを見つめた。
青い瞳は少しうるんで、赤くなった頬がいつになく美しい。
ジュリアスは吸い込まれたように動けなくなってしまう。
「猫ですわ。」
「猫?」
「生家で飼っていた猫の絵ですの!おわかりいただけまして!」
聞いたこともないような大声でそれだけ言うと、ロザリアはジュリアスの横を走り抜けて行ってしまった。
声に驚いたように女王の間からアンジェリークとオスカーが顔を出した。
「どうしたの?ロザリア?」
ジュリアスのいつも冷静な表情が少し歪んでいる気がして、アンジェリークはジュリアスに近づくと、手の中の書類を見た。
「あ、これ!」
覗き込もうとするオスカーから隠すようにアンジェリークは紙をジュリアスの袖に押し付ける。
ジュリアスをちょいちょいと手招きして柱の影に連れ出すと、アンジェリークはこそこそ耳打ちした。
「あのね、ロザリアったら絵が苦手なの。・・・たぶんジュリアスには知られたくないと思うんだけど、どうしてか、わかる?」
紺碧の瞳に困惑の色が滲んでやがてそれが落胆に変わる。 知られたくないとは、つまり、拒否しているということなのだろう。
「もう!本当に分からないの! 『才色兼備の完璧な女性』って言ったのは誰?」
アンジェリークの言葉を頭の中で反芻する。『才色兼備の完璧な女性』 それは自分が理想の女性を問われたときに答えた言葉だ。
考えたこともない質問に我ながらおかしな返答だったと後になって自嘲したものだが。
ジュリアスの顔色が次第に赤くなる。右手を口にあてると、恥ずかしげに眼をそらした。
そのあまりにも照れたような顔になぜかアンジェリークまで赤くなってしまう。
影から見ていたオスカーが二人の仲を誤解してしまいそうな雰囲気が辺りに漂った。
「それは・・・、ロザリアが私の理想の女性でありたいと思っているという意味でよいのだろうか・・・?」
腕を組んでうんうんと大きくうなづいたアンジェリークはジュリアスのトーガをひっぱって言った。
「あとはあなたが考えてね!それと、ロザリアを大切にするように!」
考え込んで執務室に戻っていくジュリアスの後ろ姿をアンジェリークとオスカーはじっと見つめた。
「これでダメなら、あなたの出番よ! あて馬でよろしくね!」
ぎょっとして肩をすくめたオスカーにアンジェリークは女王の慈愛に満ちた微笑みで返すのだった。
補佐官室でロザリアはため息をついて書類の裏に絵を描いていた。
どう見ても模様にしか見えない自分の絵をぐるぐるとペンで塗りつぶすと、机の端に寄せる。
ジュリアスに知られてしまった・・・。
机に伏せてじっとしていたロザリアの耳にノックの音が聞こえてくる。その規則正しいいつも寸分変わらぬ音でロザリアにはすぐジュリアスだとわかった。
いつもなら踊る胸が急速にしぼんでいくのがわかる。
それでも無視できずに立ち上がってドアを開けると、やはりジュリアスがいた。
「先ほどはすまなかった。」
そのあとの言葉がお互いに続かずにしんとしてしまう。
ジュリアスは袖から一枚の紙を出すと、ロザリアに渡した。
「・・・これは何ですの?」
何かの動物が書いてあるのは分かる。しかし尖った顔、四角い体についた線、何より釣り上がった目とその下の歯がに~と並んだ口が怖い。
「猫のつもりなのだが。」
「猫?」
確かに目はそんな感じだが、四角すぎる体に付いたこの線は尻尾なのだと気づくにはかなりの時間がかかった。
ジュリアスは笑いだしたロザリアをその紺碧の瞳で見つめると言った。
「完璧な人間などつまらぬものだ。なにかが欠けているからこそ、それを愛おしいと思うのではないだろうか?・・・私がそなたをそう思うように。」
笑うのをやめたロザリアの瞳がゆっくりとジュリアスと重なった。
「そなたさえよければ、私と一緒に絵を練習してもらえないだろうか?」
ロザリアの頬がゆっくりと薔薇色に染まり、青い瞳が潤んでジュリアスをじっと見つめた後、頷いた。
「では、早速リュミエールの都合を聞いておこう。土の曜日ならばきっと時間がとれるに違いない。」
ジュリアスの言葉にうつむいていたロザリアははっと顔を上げると、背伸びをして耳元に囁いた。
「二人きりで練習したいんですの。いけません?」
そう言ってロザリアの高さに合わせるようにかがんだジュリアスの頬にそっと唇を寄せた。
赤くなっておろおろしているジュリアスを見てにっこりと薔薇のように微笑んだロザリアを見て思う。
どうやら私の知らない彼女がまだまだいるらしい。
完璧でないからこそ、知りたいと思い、その不思議さに惹かれるのだ。
ジュリアスは机の上の2枚の不器用な猫の絵をそっと寄り添うように重ねると、ロザリアに向かって微笑んだのだった。
FIN