君の世界、俺の世界

一生懸命に手を振る子供達につられて、ランディも振り返っては手を振った。
オレンジ色の夕陽が長い影を作り出す時間。
さっきまでの遊びが楽しかった分だけ名残惜しさも増してくる。
5回目でようやく駆け出した子供達の背中をしばらく見つめた後、ランディも一気に駈け出した。
庭園から私邸に向かう道の途中、見えてくる大きな建物は図書館だ。
その生垣の下をくぐるのが一番の近道になる。
そして。

図書館の横をすり抜けようとしたランディは窓の中へと視線を向けた。
対角線の向こう側。
一番奥の席に彼女が座っている。
青紫の綺麗に巻かれた長い髪と本に向けられた青い瞳。それを縁取る長い睫毛。
彼女の前後に射し込む西陽に舞う埃が、天使の羽が舞うように見えて。
まるで、彼女の背に翼があるみたいだ。
ついじっと見つめてしまっても、本に夢中な彼女は全く気づかない。
細い指がページをめくるたびに、ランディの鼓動が早くなる。
見ていることを気づいて欲しいような、欲しくないような。くすぐったい気持は今まで知らなかったものだ。

少しして、彼女が咳をした。
目線が上がり、ランディは思わず窓の下に身を隠して息をひそめる。
隠れる必要なんてないはずなのに。
見つかったら、「やあ。」とでも声をかければいいのに。
ドキドキして思うように言葉が出そうもなかった。

しばらくして窓を覗きこむと、もう彼女の姿はない。
きょろきょろとあたりを見回したランディの目に、青い影が候補寮の方へと歩いていくのが見えた。
オレンジから赤へと変わる光の中で、青はとてもよく映える。
長い髪が揺れながら消えていくのを見つめた後、ランディは図書館の中へと入って行った。


「あら、ランディ様。最近、よくいらっしゃいますのね。」
少し年配の司書の女性がカウンター越しにほほ笑んだ。
ちらりとその女性の手元に目を向けると、本が積まれている。
分厚いそれはさっきまでロザリアが読んでいたものだろう。
ここは帰る時に本を司書に手渡すことになっているのだ。
とてもとても難しそうな本。
けれど彼女が読んでいた本がどうしても気になった。
「あのさ、それなんだけど、ちょっと見せてもらってもいいかな?」
声をかけられた司書は嬉しそうに、ランディに本を手渡してくれた。
「どうぞ。ランディ様も育成に興味をお持ちになられたのですね。素晴らしいですわ。」
分厚いだけあって重い。手首がぐんにゃりと曲がりそうになって、あわてて力を込めて支えた。


目が痛い。頭も痛い。
私邸の自室で本を広げていたランディは、ぱたり、と音がするほど勢いよく本を閉じると、ため息をついた。
これは何語で書かれているのか。
文字は読めるけれど、内容が全く理解できない。
宇宙の育成にかかわることだから、本来は自分の方こそ知っていなければならないのに。
図書館で楽しそうにこれを読んでいたロザリアの姿を思い浮かべると、再び長いため息がこぼれた。
彼女にとって、ここに書かれている内容は興味深いことなのだろう。
この本のどこを、彼女は楽しいと思うのだろうか。
彼女はなにを知りたくて、この本を読んでいるのだろうか。
図書館でキラキラと夕日を浴びているロザリアの姿を思い浮かべた。
ガラス窓一枚隔てた、彼女の世界。
もっともっと彼女のことを知りたい。
何を考え、何が好きで、何をしたいのかを。
考えていたら、なんだか眠気が襲ってきて、ランディは本を枕にしていつの間にか眠ってしまっていた。



すがすがしい朝。
ランニングを済ませた後、手早くシャワーを浴びたランディは、ようやく日が昇り始めた空の下を再び走っていた。
目的地まで到着すると、息を整えるための三度の深呼吸。
それでも中へ足を踏み入れるまで、なかなか勢いがつかなかった。
ついこの間、同じ建物にアンジェリークを呼びに来た時は全く感じなかった緊張感で、異様に動悸が激しくなる。
勿論あの時は、ただマルセルの付き添いとしてきただけだから、同じはずもないけれど。
緊張の理由もよくわからないまま、ランディは目の前のドアをノックした。

「…ランディ様。」
きちんと身支度を整えたロザリアが目を丸くしてランディを見ている。
彼女があまりに驚いた顔をするものだから、ランディは少し気恥ずかしい気がしたけれど、それでも、笑顔を浮かべた。
「あのさ、今日、時間あるかな? よかったら君と話がしたいんだけど。」
ロザリアは沈黙したまま、目をぱちくりとしている。
しばらくして、「今から、でしょうか?」と、薄紅の整った唇から、声がこぼれてきた。
ランディが「今日はダメかい?」と返すと、ロザリアは少し困ったように眉を寄せた。
「あの、まだ朝食が済んでおりませんの。少しお時間をいただけると嬉しいのですけれど。」

ランディははっと窓の外を見た。
確かに外は眩しいほどの好天だ。けれど、その日差しはまだまだ早朝の名残が濃く、朝を告げる鳥の声が聞こえてくる。
昨夜から、彼女に会うことばかりを考えていたせいで、気が急いてしまっていたらしい。
時計も見ずに飛び出してきてしまったことがとても恥ずかしく思えて、ランディの背中に冷たい汗が一筋流れた。
どうしよう。
出直すべきなのか、せめて約束だけでも取り付けておくべきなのか。
ランディが黙りこむと、ロザリアはドアを大きく開けた。
「よろしければ、中でお待ちいただけますか。朝食を済ませたら、すぐに戻ってきますわ。…ばあや、ランディ様にお茶を。」
ドアを開け放したロザリアは、部屋の中央の椅子をランディのために準備してくれた。
微笑んで、彼が入って来るのを待っていてくれている。
ここまでされて帰るのは、逆に失礼になるかもしれない。
恐縮しながらランディが中に入り、椅子に座ると、ロザリアは優雅に淑女の礼をし、「すぐに戻りますわ。」と、朝食をとりに出て行った。

入れ替わるようにばあやがお茶のトレイを運んでくる。
優雅な紅茶の香りに、ランディは自分が何も食べずに飛び出してきてしまったことを思い出した。
だから空腹のはずなのに、なぜか少しもお腹が空いたとは思えない。
むしろなにかがパンパンに詰まっている感じだ。
落ち着かないランディは、きょろきょろと部屋の中を見回した。
紅茶の香りに混じって漂う優雅な花の香り。彼女の雰囲気に合ったブルーで統一された空間。
ランディでも一目でわかる、豪華な調度品。
自分の部屋とは全く違う様子に、気持ちを鎮めようと紅茶を一口飲んだランディは、ふと本棚に目をとめた。


なになら難しそうな分厚い本が並んでいる。
立ち上がり、背表紙を確認すると、やはり宇宙の育成や言語、科学など、多彩な分野でありながら、試験に関係のある本ばかりだった。
「こんな難しそうな本ばかり読んでるのか…。すごいな。」
つい独り言がこぼれる。
自分には呪文のような難しい言葉も、彼女なら歌のように読んでしまうのだろうか。
『宇宙創世期』と金箔で押された題字はまるで百科事典のようだ。
そのひときわ重そうな本を手にとってみた。
「わ、重い。」
思わずふらついたランディは、抜き取った奥に、もう1冊の本が隠れているのに気がついた。
ちょうど表紙がこちらを向いていて、本のタイトルが見える。
そのタイトルがあまりに意外で、本を取り出してみようと、本棚の奥に手を伸ばしかけた時。
カツ、と、彼女のヒールの音がドアの前で止まった。

「お待たせしましたわ。」
ランディが重たい本を本棚へねじ込むのと同時に、ドアの開く音。
本棚の前に立っているランディにロザリアが近付いてきた。
「すごく難しそうな本ばかりだね。女王候補って大変なんだな。」
率直な感嘆の言葉にロザリアは少し頬を赤くして微笑んだ。
「大変ではありませんわ。女王になるのはわたくしの幼いころからの夢でしたの。その夢に近づくための努力は当然のことですもの。」
つん、と顎をそらし、手を腰に当てた彼女の仕草は、それだけを見ればとても尊大で嫌味だろう。
でも。
まっすぐに女王を追いかける彼女の姿を、ランディはとても綺麗だと思った。


その日、結局ランディは彼女の部屋で一日を過ごした。
ばあやさんが作ってくれたサンドイッチをランチにして、午後のティータイムまで。
外で過ごすことの多いランディにとって、それはとても珍しいことだったけれど、退屈だとは思わなかった。
ロザリアと話していると、本当に時間があっという間に過ぎていく。
帰り際、候補寮の前で手を振ってくれるロザリアをランディは何度も振り返った。
まるで、いつもランディに手を振る、子供たちのように。



いつもと同じ、オレンジ色の夕日。
その日もランディは庭園で子供たちと別れた後、図書館へ向かった。
生け垣をくぐり、いつもの場所から窓を覗くと、そこに彼女の姿はなく。
「あれ? どこかへ行ったのかな?」
呟きながら、よくよく見てみれば、いつもなら机の上に置かれているノートやペンのたぐいもない。
今日は本当に来ていないらしい。
彼女のいないその場所は、いつも通りの光がさしているのに、全然別の場所のようだ。
舞い上がる埃も、ただの埃のまま。
そのまま立ち去ろうかとも思ったが、なんとなく、ランディが図書館の中に足を踏み入れると、司書の女性が優しい会釈をして出迎えてくれた。

しんと静まり返った図書館の中は、ランディの全く知らなかった世界だ。
この迷路のような場所で、彼女はいつも何を考えているのだろう。
あまりにも静かで、つい足音を殺して歩いていると、いつの間にか奥の方へ迷い込んでしまったらしい。
資料ばかりかと思っていた中に、普通の小説を扱うコーナーがあったことにランディは初めて気がついた。

鮮やかな表紙が見えるように、新刊が並べられている。
少し前に映画になった小説は、ランディでさえもタイトルを知っていた。
「あ!」
思わず出た大声に、とがめられたわけでもないのに、口をつぐんだ。
並べられた小説の中に、見覚えのあるタイトルが一つ。
ロザリアの部屋の本棚の奥に隠すように置かれていた本。
「これ…。え?10巻?!」
よく見れば、第10巻とナンバリングされていて、あの部屋で見たものと微妙に絵柄も違っている。
本を戻したランディは、急ぎ足で書棚の奥へ向かうと、1巻を探し当てた。


ベッドの上でごろりと寝転んだまま、ランディはページをめくった。
海賊王を目指す少年の冒険の物語。
初めて海に出る場面から、最初の仲間に出会い、危機を救出する。
読みやすい文章と、ワクワクするような展開の連続で、ほとんどまともに本を読んだことのないランディでも一気に読み終えてしまった。
寝る前に少しだけ、と思い、今はもう空が白みかけている。
読み終えた後も、ランディは自分が冒険の途中にいるような気がして、なかなか寝付けなかった。
布団をかぶり、最後のシーンを思い返してみる。
やっと得た一人目の仲間とともに、次の冒険へと船を出していく少年。
続きが読みたくて、たまらなくなった。
こんなに本を面白いと思ったのは初めてだ。
執務開始時間ギリギリまで眠ったランディは図書館が開くと同時に、2巻を手に、木陰に移動したのだった。


「ないな…。」
一気に2巻を読み終えて、ランディはまた図書館に来ていた。
今まで気がつかなかったが、同じ場所には3巻までしか置かれていないのだ。
どうせすぐに3巻も読んでしまうのだから、一気に2冊借りようと思っていたのに。
続きが気になって、ランディは3巻を手にしたまま、うろうろと図書館中を歩き回った。
「ここにもない…。」
ぶつぶつと呟きながら探して回ってみたが、見当たらない。
そうこうしていると、カツ、と聞き覚えのあるヒールの音が聞こえてきた。

見れば、窓の外はすでにオレンジ色の夕日。
いつもなら庭園で子供たちと遊んでいる時間だ。
それは彼女が図書館へ現れる時間でもあるわけで。
「どうなさったのかしら…。」
うつむきがちに歩いてきたロザリアと書棚のはざまで、ばったりと出くわしてしまった。


「や、やあ。」
もっと他に挨拶の言葉もあるだろうに、ランディはとりあえずそれだけ言うのがやっとだった。
青い瞳を丸くしたロザリア。
こんな時、オスカーあたりならもっと気のきいた事の一つも言えるだろうに。
ふと、「君に会いたかった」的なセリフが思い浮かんだが、自分で恥ずかしくなって、顔が赤くなる。
「ごきげんよう、ランディ様。」
いつものように優雅な笑みを浮かべたロザリアが軽くドレスをつまみ会釈した。
出くわした場所に、ついドキリとしたが、別に恥ずかしいわけでもない。
ランディも笑顔を浮かべて、
「ああ。こんにちは!」と挨拶を返した。
もともと図書館は私語厳禁だ。
しんと静けさが戻り、その場を離れようとしたランディの手の本をロザリアがじっと見ている。
ランディは本をロザリアに見えるように差し出した。

「これ、すっごく面白いよな! 俺、昨日の夜から、読み始めたんだけど、ほとんど徹夜しちゃってさ。」
つい、興奮して、どこがどんなふうに面白かったのか、どこの場面に感動したのかまで、話してしまっていた。
彼女は控え目に相槌を打ちながら、ランディの話を楽しそうに聞いてくれている。
「ロザリアは、どの場面が一番好きなんだい?」
言ってしまってから、はっとした。
これでは、彼女がこの本を持っていることを知っているようではないか。
案の定、ロザリアは少し考えるように顎に手を当てている。
奥の方にしまいこむように置かれていたのは、もしかして、彼女がこの本をつまらないと思っているからかもしれない。
そう思ったら、変に動悸が激しくなった。


やがて。
「わたくしは、『仲間は必ず守る』と主人公が言うシーンが一番好きですわ。」
キラキラした青い瞳。
とても綺麗で、見惚れてしまった。
「それから…。」
言いかけて、ロザリアは再びランディの持つ本を見た。
「まだ3巻では出てきていないシーンですわ。ですから、ランディ様がそこまで読んだらお教えします。」
「えっ。」
困惑するランディに、いたずらっぽい表情をする彼女。
「他にも心を動かされるところがたくさんありますのよ。これから仲間も増えますし。」
「気になるなあ。・・・でもさ、この図書館には3巻までしか置いてないみたいなんだ。
読みたいけど、聖地に注文を出すと、何週間も先になるからなあ。すぐに読めなくて残念だよ。」
本当に残念そうにため息をついたランディに、ロザリアが笑った。
初めて見る、ランディだけに向けられた笑顔。
目に夕日が差したのではないかと思うくらい眩しくて、思わず目を細めた。

「でしたら、お貸しいたしますわ。その続き、持っていますもの。わたくしも大好きな本ですから、ここまで持ってまいりましたの。」
「えっ。本当かい。」
「ええ。…でも、わたくしの本だということは秘密にしていただけますか?」
「どうして?」
ふと、本棚の奥に隠してあった本を思い出す。
お気に入りならば、あんなふうにとりにくい場所においたりしないのではないだろうか?
不思議そうなランディに、ロザリアは困ったように眉を寄せた。
「こんな子供っぽい本を好きだなんて…。皆様に知られたら恥ずかしいですもの。」
ぷいっとそっぽを向いたロザリアの耳が赤くなっているのを見て、ランディは笑い出してしまった。
静かな図書館に響く、ランディの笑い声。
向こうの方で、司書の女性が咳払いするのが聞こえ、ランディはあわてて声を押さえた。

「そういうふうに笑われると思ったから、嫌だったのですわ。」
「ご、ごめん。別にこの本のことじゃないんだ。君が、あんまり可愛いから。」
「まあ!」
ますます赤くなったロザリアに、自分のセリフが恥ずかしくなった。
少し前にオスカーのことを考えていたからだろうか。
こんな言葉が出てくるなんて、思ってもいなかった。


「もう、心配して、損しましたわ。」
唇を尖らせたロザリアの横顔。
恥ずかしいことを一つ共有したせいか、彼女の壁が少し取れたような気がする。
「心配?俺をかい?」
「ランディ様が、いつものように庭園にいらっしゃらないから、お身体でも悪いのかと思いましたの。
楽しそうなランディ様を見ていると、わたくしも元気になれる気がしましたのに。」

ランディは手にしていた本を強く握りしめた。
彼女は何気なく言ったのかもしれないが。
ランディを気にしていてくれた、と言ってくれたような気がしたのだ。
自分がいつもロザリアを見ていたように、彼女もまた。

「よろしければ、今から、本をとってきますわ。」
背を向けようとしたロザリアの手をランディが掴んだ。
おどろいたロザリアと目が合う。
「あのさ、よかったら、今から庭園に行かないか? 子供たちも待ってるだろうし。ロザリアも一緒に遊んでくれたら、きっと喜ぶと思うんだ。」


自分の知らなかった本の世界を教えてくれたロザリアに。
今度は、自分の世界を教えたい。
思い切り走りまわったり、大きな声で呼び合ったり。
あの海賊の話を楽しいと思う彼女なら、きっと、そんな世界を楽しいと思ってくれるはずだ。


「行こう!」
走り出したランディを
「わたくし、こう見えても走るのには自信がありますのよ。」
にっこりと笑ったロザリアが追いかける。
本もノートもそこに残したまま。
司書の女性がわざと鳴らした大きな咳払いも、ドアを駆け抜けた二人にはきっと聞こえなかっただろう。
並んで飛び出した靴から舞い上がった埃が、光を浴びて、天使の羽のように散っていったのだった。


FIN
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