手紙

「very important」と書かれたクリアファイルの書類の束から、ひらりと青い紙が落ちた。
さっき、じかじかに執務室までこのファイルを持参したジュリアスは相変わらずのしかめつらで、すぐに提出するよう何度も念押ししていたっけ。
いかにもつまらないというため息とともに拾い上げたその紙には、オリヴィエをぎょっとさせる文字が並んでいた。

「そなたの青い瞳を見るたびにこの胸は小鳥のように高鳴り・・・」
「その手を取ることを日々夢に見る私は・・・」
「夜毎そなたのことを考えると・・・」

「な、なに、これは?」 
もしかしてラブレター?
青い紙に書かれた文字はその心の乱れを表しているように安定していない。
いつものジュリアスの規則正しい文字列が何度も書き直したかのように乱れている。
文章も支離滅裂。
なにより手紙の最後に 「結婚してほしい。」 なんて、いきなりすぎて告白の手紙に書くことじゃない。

オリヴィエは笑うより前になんだかジュリアスが気の毒になって手紙を見つめて考え込んでしまった。
誰宛の手紙なんだろう。
「青い瞳」はたくさんいる。
ジュリアスもそうだし、オリヴィエ自身も青い瞳だ。 
まさか私あてじゃないよね? と少しぞっとした。
書類にまぎれて目に入るようにした? ・・・ありえない!
そんなことを考えていると、当の本人が現れた。


「先ほどの書類だが・・・。」 
そこまで言って、オリヴィエの手の中の紙に気付いたようだ。
さーっとまさに青ざめるとすぐに真っ赤になって、見たこともないような早さで紙を取り上げた。
ジュリアスのこんな表情はここにきてから初めて見た、とオリヴィエは内心驚いて、なんだかほほえましいと思う。

「見たのか?」 
静かな声にどう返事をするべきか迷う。
しかし、凝視していたことは気付いているだろうし、こういう場合見て見ぬふりはかえって人を傷つけるものだ。
「ごめん、見ちゃったよ。」 
極力笑ってすませるようにおどけたつもりだったが、ジュリアスの返答はなかった。
重~い空気のそのあとに、ジュリアスは鋭い紺碧の瞳でひたとオリヴィエを見据えて言った。

「見られたならば仕方がなかろう。・・・・私に恋文の書き方を教えてくれぬか?」
そなたならば上手だろうとか、見たならば協力するべきだ、などといろいろ理屈は並べていても、ようするに言いたいことは一つ。
「代筆してほしい。」 ということだった。


厄介なことを、と思ったが、ジュリアスに貸しを作るのは悪くないかもしれない。
そろそろ休みを取ってリゾートでゆっくりエステも楽しみたかった。
仕方ない風を装って、ジュリアスをソファに座るように促した。
こうして向かい合うのはめったにない。ひょっとしてはじめてかも、と思った。
よく見れば神々しいとすら思える容姿は間違いなくパーフェクトだし、仕事の腕もぴか一。
いささか真面目すぎるのと、陛下一番なところがまさに玉にきずではあるけれど、女性を惹きつける要素は整っている。
これで、私の書いた甘~いラブレターが加われば、たいていの女の子なら振り向いてくれるだろう。
オリヴィエは案外気楽になりそうな仕事にほくそえんだ。
ラブレターでジュリアスがそのコからOKをもらったら速攻でシャトルの予約をして…と楽しい妄想が広がる。


「で、あんたは彼女のどこが好きなわけ?」 
む、とした顔でジュリアスは考えながら話しだした。
「全て、としか言えぬ。」 
真面目な顔で大ボケをかますジュリアスにオリヴィエはがくっとする。
「じゃなくて、まずね、こういうときはそのコをほめるわけ。
 どんなとこが可愛いとか、こんなとこが好きだ、とか。ちょっと喜ばせることを書くの。」
う~んと考え込んだジュリアスは
「まず、その瞳の輝きだろうか?」 
そう言えばさっきの手紙にも書いてあったよね、 とオリヴィエはメモに『輝くひとみ』と書いた。
「それから・・・、優雅なしぐさ。」
「『優雅なしぐさ』ね。」
「それから・・・、知性と教養。」
「『知性と教養』ね。」
「それから・・・仕事ができるが、優しいところもあり、女性らしいところもあり、・・・。」
「もういいから!」

う~ん、とオリヴィエは腕を組んだ。
ジュリアスの想い人は実際はともかく彼にとってパーフェクトと言えるらしい。
「じゃあ、好きになったきっかけは?」 
身を乗り出して尋ねるオリヴィエにジュリアスは眉間にしわを寄せた。
「そのようなことが必要なのか?」 
興味本意ではないのか、といぶかしげなジュリアスの前でオリヴィエはちっちっと人差し指を振った。
「女の子っていうのは『どうして?』とかそういうことを気にするんだよ~。
 『あ、これがきっかけだったのね。』って、思わせてあげると、わかりやすいってわけ。」
うむ、と納得したように頷いたジュリアスが話しだそうとしたときにコンコンとドアをノックする音が聞こえた。

なぜだか二人は立ち上がると、あわあわとオリヴィエは執務机の椅子に座り、ジュリアスは書類を手に取った。
「どうぞ。」というオリヴィエの声でロザリアが中に入ってきた。
「あら、ジュリアス、こちらにいらっしゃったの?陛下が探しておりましてよ。」 
言葉とともに紡がれた笑顔はまさに薔薇のようだ。
ジュリアスは「陛下」の言葉に反応したのか、オリヴィエに目で「頼むぞ」とすごみのある顔でお願いをしてすぐに退出して行った。
「オリヴィエ、ジュリアスはこちらの書類を持ってきたのでしょう?」 
デスクの上のファイルを指さした。
「ついでにこちらにもサインを。一緒に持っていきますわ。」

ロザリアの綺麗な青い瞳がオリヴィエに向けられて、細い指が書類を手渡した。
その優雅な動作にオリヴィエは見とれてしまう。
さらさらとサインをして返すと、ロザリアはまた笑顔になった。
補佐官になってからずいぶんと角が取れてピリピリした感じがなくなったように思う。
もう少し可愛らしいところがあれば、お堅い補佐官のイメージもなくなるのに。
ジュリアスといい、ロザリアといい、まじめすぎてこっちが疲れてしまうのだ。
いずれにせよ、深い話をしたこともない彼女をオリヴィエはよくわからなかった。
美人であることは間違いないのだが。

ロザリアが出ていくと、オリヴィエは早速ラブレターを書き始める。
ジュリアスらしい文面と、そして女の子をとろけさせる甘い言葉をちりばめた。
「よし。」 
便せんいっぱいにつづられた文字にオリヴィエは満足した。
あとはジュリアスが清書して渡すだけ。
光の守護聖の執務室にスキップで向かうと、オリヴィエは楽しいバカンスの計画を頭で思い浮かべた。


もうラブレターは誰かに渡っただろうか?
オリヴィエはジュリアスに休暇を申請しようと、執務室を出た。
結果はどうあれやることはやったのだから、絶対受理してもらうつもりだ。
執務室に入ると、ジュリアスはどんよりした様子で机の上に淡いブルーの便せんを広げていた。
「ど、どうしたの?」 
とりあえず申請書を後ろ手に隠して尋ねてみた。
オリヴィエを見て隠そうとしないところ見ると、やっぱりこの前の手紙と関係があるのだろう。
ジュリアスはため息をつくと、「返事が来たのだが、少し困ったことになったのだ。」と言った。

オリヴィエが手紙らしきものを覗きこむと、お手本のような美しい字が並んでいて
「もう少しあなたのお心を知るために、手紙を交わしたいと思います。」
という控えめな文章で締めくくられている。
「ようするに、文通するわけね。」 
オリヴィエは手紙を読み終わると、ジュリアスに返しながら言った。
「そうなのだ。」
ジュリアスの難しい顔の中に懇願の色を読み取る。
もうこうなれば乗りかかった船だ。
「私に書いてほしいわけね。」
オリヴィエは手紙を受け取るとすぐに返事を書くために立ち上がった。
部屋を出るときに「高くつくからね。」と、くぎを刺すのはしっかりと忘れなかった。

なんだか大変なことになってしまった・・・。
そんなこんなでもう手紙のやり取りは3カ月も続いている。
休暇を取りたくても返事を書かせるためなのかジュリアスは一向に許可をくれない。
今日もまた新しい手紙を渡された。
淡いブルーの便せんの文字は変わらずに美しく綴られている。
中身を読んで、オリヴィエは少しうれしくなった。

初めの約束で仕事の話はしないということになっている。
ジュリアスの仕事の中身なんて書きたくても書けない。
なるべくジュリアスに合わせようとしていた内容もこう回数が多くては合わせようがなくなって、最近では自分のことばかり書いていた。

読んだ本、町の噂、ときには少し昔の話、誰宛ともわからない手紙にオリヴィエは心の内を明かしていた。
前回の手紙は、彼女が最近凝っているというお菓子作りのことで、季節に合わせて焼いた洋梨のタルトがとてもよくできたことが書かれていた。
ぜひ食べてみたい、という返事を書いたのだが。

「甘いお菓子よりも手料理を食べていただきたいわ。
 寒くなってきたので、暖かいシチューなどはお好きかしら。今度お持ちいたします。」

初めに比べればかなり心を開いてくれたがわかる。
手紙を交わすうちにオリヴィエはこの女性がだれなのか、と気になっている自分に気付いた。
ジュリアスは中身だけを渡してくるので、名前は分からないし、もちろん返事を書いた後は返してしまうので、読み返すこともできない。
それでも、美しい文字や、丁寧な文章、文面からにじみ出るような思いやりや教養にいつの間にか返事を心待ちにするようになっていた。
そして自然に「会いたい」「愛しい」という言葉が出てきてしまって、ジュリアスもその心のこもった手紙に満足してくれているようだ。

彼女の料理を食べてみたい、と思う。
きっととてもおいしいだろう。
でもこの彼女が持ってくるのは自分のところではなく、ジュリアスのところなのだ。
「そろそろ手紙ではなく、二人きりで会えないだろうか?そなたの手料理を食べに行きたい」
と書いて、オリヴィエはペンを置いた。
これで二人はめでたく文通を卒業し、恋人同士になれるはずだ。
あれほど待ち望んだ休暇が今やどうでもよくなっている。
オリヴィエは彼女からの手紙をもう一度読み返すと、重い腰を上げてジュリアスの部屋へ向かった。


華やかな笑い声がジュリアスの執務室から聞こえてきた。
オリヴィエがノックしてドアを開けると、ロザリアが中にいて、大きなバスケットを抱えていた。
少し照れたような青い瞳が輝いてジュリアスに向けられ、オリヴィエを認めると一層照れたように頬が赤く染まった。
「あら、オリヴィエ。ごめんなさいね。いつもあなたたちにうるさく言っているわたくしがこんなことをしていてはいけませんわね。皆さんには内緒にしていただけるかしら?」
ロザリアの青い瞳に甘い色が満ちて、ジュリアスと見つめあう。
その雰囲気でようやく手紙の女性が誰だったのか気づいた。

青い瞳、生真面目な文字、女性らしい心遣いに満ちた文章。
パズルのピースがはまるように全てがロザリアに通じていた。
今まで文字としてとらえていた手紙の中身が急にロザリアの色になって思い出されてくる。
気付かなかった彼女の内面があの手紙にあるとしたら。
オリヴィエはバスケットの中の甘いにおいに包まれて、なんだか息が苦しくなるような気がした。

きっとこのバスケットの中身はあれに違いない。
甘いにおいと、キラキラと美しいロザリアの瞳にオリヴィエは一瞬見失ってしまった。
「これ、洋梨のタルトでしょ。シチューを持ってくるんじゃなかったの?」
驚いたロザリアの視線がゆっくりオリヴィエと重なった。
「今、なんておっしゃいましたの?」 
そういえば手紙でも丁寧な言葉を使っていたっけ。
「手紙ではシチューを持ってくるって言ってたじゃない? 何でタルトなの?」
オリヴィエの言葉にジュリアスがバタバタと手を振っている。
後ろ向きになっているロザリアからは見えないだろうが、何やってんのかな?とオリヴィエはおかしくなった。
しかしそのジュリアスのあまりに必死な形相に、はた、と今の自分の言葉を思い出した。

あれ、手紙って言っちゃった?

オリヴィエは自分の顔がさーっと青ざめる音を生れてはじめて聞いた。
見れば、ジュリアスもさーっと蒼白になっている。
逆に向かい合ったロザリアの顔はどちらかというと赤い気がした。
「あ、あのね、ほら、私、最近お菓子にはまってて、匂いだけで洋梨のタルトってわかっちゃうくらいなんだよね~。」 
ああ、自分で聞いてもわざとらしい・・・。

ロザリアは無言でオリヴィエの手からファイルを取り上げた。
あまりに素早いその動きにオリヴィエは反応できずにファイルを奪われてしまった。
中から取り出された淡いブルーの便せんと白いレポート用紙が死神からの便りに見える。
うつむいたままで手紙を凝視していたロザリアの顔がオリヴィエに向けられた。
綺麗な青い瞳には何とも言えない表情がにじんでいる。
怒られることを覚悟してオリヴィエは目を閉じた。
普段のロザリアがこうした不正を最も嫌うことはよくわかっている。
ジュリアスもうつむいて、言葉も出ないようだ。
バカンスどころか不眠不休で働かされるかもしれない。
シーンとした執務室で時間がいつもの100分の1くらいの速度で進んでいるように思えた。

「わたくし・・・。失礼しますわ。」 
目を閉じていたせいで、反応が遅れてしまった。
甘い香りとともにロザリアは執務室から走り去っていく。
あとに残ったのは、どうしようもないくらい落ち込んだジュリアスと茫然としたオリヴィエの二人だった。


ロザリアが落とした2枚の紙をオリヴィエは拾い上げた。
落ち込んだまま椅子に座りこんでいるジュリアスに声をかけられずに、オリヴィエは紙を持ったまま自分の部屋へと戻る。
机の椅子に座ると、もう一度手紙を読み返した。
何度も何度も読んでから、机の上に広げる。
オリヴィエはその上に腕を乗せて顔を突っ伏したまま、しばらくじっと動かなかった。
もう手紙は来ないのか。やっと、会えたのに。

ドアが開いてもオリヴィエは顔を上げなかった。
さっきまで親しんでいた甘い香りで誰が来たのかわかっている。
「ごめん。でも、ホントのことしか書いてないよ。」 
いつも本当の気持ちだけ書いてきた。
会いたいというのも、愛しいというのも、全て本当だ。
手紙を繰り返すうちに、会ったこともないその相手を好きになってしまっていたから。
カツカツというヒールがオリヴィエに近づいてきて、突っ伏したままのオリヴィエの腕の下に封筒を差し込む。
え? と思うよりも早く、ロザリアは逃げるように走り去って行った。
差し込まれた封筒は見馴れた便せんと同じ淡いブルーで、薔薇のシールが目に鮮やかな赤で飛び込んでくる。
表に返すと「オリヴィエ様」と書いてあった。
初めて見る宛名の文字はいつもより少し緊張しているように見える。

オリヴィエはペン立からペーパーナイフを取り出すと、慎重に中身を取り出した。
初めの文章は騙されていたことの怒りと困惑でつづられていた。
オリヴィエの目に落胆の色が走る。
それから一字一句を目に焼き付けるように読んだオリヴィエは最後の言葉で笑顔になった。

引き出しから綺麗なラベンダー色の便せんを取り出すと、青いインクをつけて、文字を書き始める。
彼女に似合う色を選ぶとしたら、青でなくて綺麗なラベンダーだ、とオリヴィエは思う。
厳しく見える見た目よりもずっとやさしいその色を心の中に隠している。
出来上がった手紙をそろいの封筒に入れると、立ち上がった。
なんて言って、ロザリアに届けよう?

「あなたのお心をもっと知りたいと思います。これからもお手紙を頂けますか?」

そう言ってくれた彼女をもっともっと知りたい。
オリヴィエは手紙にそっと口づけると、キスマークでシールをしたのだった。


FIN
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