Sweet Infection

このところのオリヴィエの朝は、紅茶の葉を選ぶことから始まる。

「う~ん、今日はいい天気だし、スッキリ系の方がイイかな。
 キャンディでフルーツティ・・・。
 でも、あの子はストレート派だしねえ。」

いくつも並んだ缶を手にとっては、ああでもないこうでもないと悩むひと時。
結局オリヴィエは最初に選んだキャンディの葉をポットの中に入れた。
あとはケトルに水を入れてセットして、彼女がこの部屋を訪れたら、火を点けるだけ。
ちらりと時計を見れば、もうすぐ彼女が聖殿につく時間だ。
窓を開ければ、ガチャガチャと馬車の音が聞こえてきてもいいはずだが・・・。
今日はまだ何の物音もしてこない。
オリヴィエは窓を開けたまま、執務机でネイルの手入れを始めた。

甘皮を整え、同じ色のエナメルを根元部分に塗っていく。
伸びた部分までしっかりとケアすれば、ネイルというのは思いのほか長持ちするものだ。
いつの間にか作業に没頭していたオリヴィエは、最後の一本を塗り終えたところで、顔を上げた。
完璧に仕上がったネイルは、ラメがキラキラと光に輝いていて、とても綺麗だ。
満足げにほほ笑んだオリヴィエに時計が目に入る。
「ヤダ。 もうこんな時間じゃないか。」
そう言って、つい眉が寄った。
時計の針がさす数字はいつもの時刻をゆうに一時間過ぎている。

「オカシイねぇ。」
机の上を片づけて、執務に集中しようと書類を取り出したオリヴィエは、再び時計を見た。
やっぱり見間違いではない。
もう10時だ。

ここ最近、朝一番に彼女がこの部屋を訪れるのが習慣になっていた。
最初のお茶を一緒に飲んで、今日の予定を確認して。
時にはそのまま育成のお願いを聞くこともあったし、おしゃべりを続けることもあった。
用がなくても必ず顔だけは見せてくれていたのに。

ふと開け放ったままだった窓から、笑い声が聞こえてきた。
隣のルヴァの部屋。
楽しそうな声は間違いなくアンジェリークのものだ。
もしかすると、今朝は彼女もアンジェリークに引きずられて、ルヴァの部屋にいるのかもしれない。
もう少し待ってみようか。 それとも。
考えるよりも早く、オリヴィエは席を立っていた。


「はあい。 なにしてんの?」
ヒラヒラと手を振って、オリヴィエはルヴァの執務室に顔を出した。
本に囲まれたルヴァの部屋は、オリヴィエの部屋と同じ広さのはずなのに、ずいぶんと狭苦しい。
特有の古い紙の匂いにくすんと鼻を鳴らしたオリヴィエは、何気ない調子で部屋の中を見回した。
すると、
「オリヴィエ様ってば。 そんなに見たって、ロザリアならいませんよ。」
アンジェリークがにんまりと笑いながら、オリヴィエに話しかける。

「あらら。 バレちゃったか。」
大げさに肩をすくめて見せたオリヴィエに、
「わかりますよ~! こないだって、ロザリアにだけネックレスをプレゼントしてたじゃないですか~! 差別反対!」
ぷうっと頬を膨らませて、アンジェリークが抗議をしてみせる。
オリヴィエは笑って、
「はいはい。 あれはたまたまロザリアが遊びに来てた時にアクセサリーの片づけをしてたからだって。
 今度、あんたにもあげるから。」
と返した。
そのネックレスがわざわざロザリアのために作らせたものだという事はヒミツにして。

「もう! いいです! オリヴィエ様からプレゼントもらったりしたら、わたしがロザリアに恨まれちゃうもの。」
「ん~~、ね。 それって、どういうこと?」
「あ!!  ・・・秘密です。」
明らかにしまった、という顔をしたアンジェリークにオリヴィエはくすっと笑う。
彼女たち二人がどんな会話をしているかはもちろんわからないけれど、どうやらオリヴィエにとって悪い傾向ではないらしい。
とりあえず、それで良しとしておこう。


慌てた様子のアンジェリークが話し出した。
「あ、 そうそう、ロザリア、今日は熱を出しちゃってお休みなんです。
 今朝、ばあやさんが知らせに来てくれて。
 わたしもお見舞いに行ったんですけど、すごい真っ赤な顔でうなされてました。」
「なんだって?」

そういえば、昨日のお茶の時間、すこし元気がないような気はしていた。
オリヴィエはそれを最近の育成の停滞のせいだと思っていたのだが…。
まさか体調が悪かったとは。

「わたし、それでルヴァ様に薬をもらえないかと思って、ここに来てみたんです。」
けれど、どうやらその用件はすっかり忘れられていて、おしゃべりに夢中だったのは、テーブルの上のお菓子の粉のこぼれ具合でよくわかる。
決してアンジェリークが薄情なのではなく、恋する女の子なんて、みんなこんなものだ。
案の定、ルヴァは驚いたように目を丸くしている。

「ああ~~、そうだったんですね。
 すみません、私の話が長かったからじゃありませんか~?」
「いえ!わたしが言い忘れていたんです。」
どっちもどっちだ、と言いたいオリヴィエだったが、ルヴァが真剣な表情になったので、混ぜ返すのは止めておいた。

「熱の薬ですか…。 
 でも、むやみに出ている熱を下げてしまうのは、本来の身体の反応を妨げてしまうこともありますからねえ。
 ロザリアの場合、気持ちの問題もあるかもしれませんし…。
 ちょっと待ってくださいね。  いい薬がありますから。」
ごそごそと戸棚の奥から、木箱を取り出したルヴァは、いくつもの巾着の中から、ひとつを選び出した。

「ああ、ありました。
 これは熱を下げる効果の他に気持ちをリラックスさせる効果もある薬なんです。
 緊張感からくるストレスや頭痛を緩和させる効果もあるんですよ。
 ちょっと眠くもなるんですが…。
 今のロザリアにはピッタリだと思います~。」

そのままアンジェリークに渡そうとした巾着を、オリヴィエは横からさっと奪い取った。
「私が後で届けておくからさ。
 あんたはまだここでの用事が済んでないんでしょ?」
意味ありげにアンジェリークを流し見れば、アンジェリークは目をキラキラとさせて頷いている。
全くわかりやすい子だ、とオリヴィエもつられてほほ笑んでしまった。


薬の巾着を執務室に持ち帰ったオリヴィエは、とりあえず急ぎの執務を大車輪で片付け始めた。
本来なら執務なんてほっぽり出して、すぐにでもロザリアのところへ行きたいのだが…。
生真面目な彼女のこと。
熱が下がって聖殿に来た時にオリヴィエがサボったことを知れば、
『わたくしのために執務をサボるだなんて…。』
と、あの美しい顔を曇らせるに違いない。
怒られるのは仕方ないとしても、軽蔑されたりするのは…正直嫌だ。

「まったく、私もヤキが回ったもんだねぇ。」
たった一人の女の子にこんなにも振り回されて、しかもそれが楽しいだなんて。
独り言ちて、オリヴィエは苦笑した。



飛空都市の気候は常に暖かで、今日も穏やかな風がオリヴィエの髪を優しく撫でる。
豊かな葉を茂らせている木々からこぼれる光。
軽くお昼をとったオリヴィエは、ルヴァからもらった薬を片手に候補寮に向かった。

「これはオリヴィエ様。」
候補寮に入ったとたん、オリヴィエを出迎えたのはロザリア付きのばあやだ。
手にたらいとタオルを持っているところを見ると、まだロザリアの熱は続いているらしい。
「ロザリアの様子はどう?」
軽く手をあげて、ばあやが深くお辞儀をしようとするのを制する。
ばあやは小刻みに首を横に振り、ため息をついた。

「ご心配ありがとうございます。
 まだ熱が下がっておりませんでして…。」
「食事は?」
「いえ、全く…。 先ほど少しお水は飲まれたのですが…。」
「そっか…。」
ばあやは守護聖という存在に緊張しているのか、頭を下げたままでいる。
オリヴィエはばあやの手からたらいとタオルを取ると、驚いた顔で見上げてきたばあやにウインクをした。

「ばあやさんもだいぶ疲れてるんじゃない?
 しばらく私がロザリアを看てるから、少し休んでいいよ。」
「え?!」
よほど思いがけない申し出だったのか、ばあやは目を見開いて、オリヴィエをまじまじと見つめている。

「お昼もまだなんでしょ? 寝不足な顔してるしねえ。
 ちょうどこのルヴァからもらってきた薬を飲むと、ロザリアも寝ちゃうらしいんだ。 大丈夫、任せておいてよ。」
オリヴィエはルヴァからもらった薬の巾着を目の前で軽く振って見せた。
「地の守護聖直伝の秘薬なんだよ。 これを飲めば大丈夫。」
実際はそこまでの効果があるか、オリヴィエ自身もわからない。
けれど、ばあやは『地の守護聖直伝』という部分に大きく反応したようだ。

「守護聖様に看病していただくなんて恐れ多いことでございますが…。」
「ああ、気にしないで。 ばあやさんが倒れちゃったりしたら、今度はロザリアがもっと困るでしょ?」
軽い調子のオリヴィエにばあやも少しは気を許したのか、結局は折れてくれた。
ここ最近の日の曜日をロザリアと一緒に過ごしているせいもあったのだろう。
もっともオリヴィエがただの知人の男だったら、ばあやも大切なお嬢様の部屋へ通したりはしないはずだ。
守護聖という立場がこれほどありがたいと思ったことはない。
その肩書きだけで、ばあやもまるで無警戒なのだから。

「では、少しの間、お嬢様をお願いいたします。」
深々と礼をして、ばあやは奥の方へと消えて行く。
たらいに氷と水を入れてもらい、オリヴィエはそっとロザリアの部屋のドアを開けた。


音を立てないように慎重に部屋に入ると、ベッドの上でロザリアが荒い息を吐いていた。
青紫の髪の中に浮かぶ、真っ赤な顔。
喘ぐような声が時々漏れてきて、形の良い眉がぎゅっと苦しげに寄っている。
思わずオリヴィエがそっと額に掌を乗せると、ふと彼女の表情が緩んだ。
「はあ。」 と漏れた吐息で、オリヴィエの掌の冷たさが心地よいのだとわかる。
オリヴィエはタオルを絞ると、彼女の額にあてた。

いつものピッチリと首までを覆うドレスではなく、今日のロザリアは首元の開いた夜着を着ている。
汗の滲む顔から首筋をタオルで拭くと、ロザリアが小さく息を吐いた。
すっと冷えて、気持ちがいいのかもしれない。
オリヴィエは意識のないロザリアの体を慎重に抱き起すと、髪を横に流し、項と背中の見える部分を拭いた。
そのまま鎖骨へタオルを下ろしていき、浮かんでいた汗を拭き取ろうとした、その時。
つうっと胸の谷間を伝うように流れていく汗。
彼女の豊かな胸元に、夜着の柔らかな素材の布地が汗で張り付き、はっきりと強調されているのが目に入る。
ドキリとしてつい手に力が入ってしまったのか、抱いていたロザリアがわずかに顔をゆがめる。
そして、うっすらと目を開いた。


たた様より



「…お、オリヴィエさ、ま・・・?」
うつろな青い瞳がオリヴィエを映した、と思ったとたんに、またすぐに瞼が閉じていく。
どうやら目が覚めたわけではないらしい。
オリヴィエはホッと胸をなでおろしていた。
疚しいことはしていない。 …多少そんな気にはなったけれども。
とはいえ、慎み深いロザリアがもしもこんな状況を意識したとしたら、しばらくは口もきいてもらえないことは間違いないだろう。

腕の中の彼女がふとほほ笑んだ気がして、オリヴィエの頬も緩む。
完璧な女王候補として気を張っているロザリアの、まるで赤ん坊を思わせるような無垢な笑み。
オリヴィエがいると気が付いたのかついていないのか、目を閉じてしまったロザリアに尋ねる術はないけれど。
嫌がられてはいなかったし、ゆったりと腕の中に体を預けているさまは、まるで安心してくれているように見える。

彼女を起こさないように、オリヴィエはしばらくじっと動かずにいた。
初めて抱いたロザリアの身体はとても柔らかで、普段ならきっといつまでも抱いていたくなったはずだ。
けれど、今はとてもそんな気持ちにならなかった。
抱いているだけで、じわじわと伝わってくる彼女の体温がとても熱くて。
ゆっくりと彼女をベッドに下ろし、布団を肩までかけたオリヴィエは、額に張り付いた青紫の髪を指で分けた。
そしてその額に、再び絞ったタオルを乗せる。


「あ、っと。 薬飲ませればよかったな。」
オリヴィエはサイドテーブルの上の巾着を手に取った。
抱き起した時に口に含ませれば、すんなりと飲み込んでくれたかもしれない。
ベッドの上のロザリアはまだ苦しそうで、目を覚ます気配はなさそうだ。
起こすのは忍びない。

オリヴィエは巾着の口を開け、中から丸薬を取り出した。
「うわ、まずそう。」
真っ黒でなんとなく表面が湿ったような感じのするカタマリは、一見すると小さな泥団子のようにも見える。
間違っても普段のオリヴィエなら口にすることのない代物だが。
オリヴィエは覚悟を決め、その丸薬を口の中に放り込んだ。
途端に丸薬が触れた個所にジワリと苦みが広がり、舌がびりびりと痺れてくる。
こんなまずいものを作るというのはある意味才能だ。
あまりの味にオリヴィエはすぐに水差しの水を口いっぱいに含んで、なんとか気を紛らわせる。
そして。
そのまま彼女に口づけた。

ゆっくりと水と一緒に丸薬を彼女の口に移していく。
こくり、と喉が動き、彼女が飲み込んだのがわかると、オリヴィエはそっと唇を離した。
もちろん、彼女の唇に触れたのは初めてだ。
予想以上に柔らかくて暖かくて…甘い唇。
ただ唇が触れただけのことなのに、まるで少年のようにドキドキして胸が潰れそうになる。
「早く良くなってよね。 …あんたがいないと、寂しいんだからさ。」
オリヴィエはふっとほほ笑むと、目を閉じたままのロザリアの額にもう一度、口づけたのだった。



その日の夜半過ぎ、オリヴィエは突然の寒気にぶるっと体を震わせた。
特に窓も開いていないし、風が吹き込んでいることもないのに、なぜか寒さを感じる
首を傾げながら、オリヴィエは夜着の上に上着を羽織り、体を温めようとワインを飲んだ。
それでも、微かな震えは収まらないし、なんだか頭痛までしてきた気がする。

「まあ、仕方がないね。」
オリヴィエは早々にベッドにもぐりこむと、布団を頭までかぶって体を丸めた。
間違いなく、彼女の風邪が移ってしまったのだろう。
・・・あんなことをしたのだから、無理もない。
目を閉じると、頭がぐるぐると回り、急激に身体が熱くなって来た。
これではまた明日もロザリアに会えない。
考えているうちに、オリヴィエの意識は遠ざかっていった。


すっかり良くなったロザリアが、ルヴァから同じ薬をもらい、オリヴィエの屋敷を訪ねるまで、あと12時間半。
ただ唯一違ったのは。
「オリヴィエ様~~~。 お見舞いに来ましたよ~~!!!」
ロザリアは一人ではなく、アンジェリークが一緒で。
…マズい薬を味わったのは、結局、オリヴィエただ一人だけだったのだった。


FIN
Page Top