幸運の連鎖

ポタリ。
ひやりとした冷気が鼻先に触れ、エルンストは顔をしかめた。
空はどんよりと曇り空で、たしかにいつ雨が降ってきてもおかしくはない状況。
天気予報でも午後からの降水確率は90%と出ていたはずだ。
当然のように持っている折り畳み傘を取り出そうと、バッグを胸に抱えなおして、エルンストはふと周囲に目を向けた。

鋼の守護聖として出張に来ている小さな惑星。
文明の発達が思うように進まない異変を調べるために、自らこの地を訪れた。
メインストリートこそ石が引かれているものの、一つ路地を入れば未舗装のまま、すぐに土ぼこりが立ってくるような首都。
建物もコンクリートではなく、ほとんどが木造で、せいぜい2階建てだ。
街行く人たちもどこか古めかしく、主星での時を百年は遡ったように見えるのもエルンストの気のせいではないだろう。

確かに当たったと思ったのに。
周囲には誰一人、傘を取り出す者はいない。
女性たちは相変わらず笑いながらエルンストの前を通り過ぎていくし、重い荷馬車を引いたロバが小さく鳴いている。
立ち止まり空を見上げて、エルンストは掌を空に向けた。


「おや、雨かい?」
背後から聞こえた声にエルンストが振り向くと、そこには恰幅のいい中年の女性が立っていた。
彼女も同じように掌を空に向け、きょろきょろと辺りを見ている。
背中に野菜の入った大きなかごを背負っているところを見ると、これから行商にでも出かけるところなのだろう。
「これ以上置いておくと傷んじまうと思って出てきたんだけどねえ。」
女性は、思いっきりがっかりした様子でため息交じりに籠を背負いなおしている。

エルンストは女性へとまっすぐに向き直ると、大きくかぶりを振って、
「いえ、私の思い違いだったようです。 たしかに雨に当たった気がしたのですが。」
抱えていたバッグを手に提げた。
誰一人、雨の気配を感じていないのに、自分を見て彼女の予定を狂わせてしまったのだとしたら申し訳ない。
女性は思いがけずに丁寧に返された言葉と、エルンストの整った外見に面喰ったように、一瞬目を見開いた。
そして、この星の人間ではない、とすぐに理解したのだろう。
にっこりと暖かな笑みを浮かべた。

「じゃあ、あんたは今日一日ラッキーだね。」
怪訝そうに眉を顰めたエルンストに女性はさらに笑みを深める。
「この星では、雨の最初の一粒に当たると幸運になると言われてるのさ。
 あんただけが雨に気づいたっていうんなら、それが最初の一粒だったに間違いない。
 さて、運のない私は本当に降り出す前に帰るとしようかね。」
よいしょ、と籠を持ち直し、女性はもと来た道を戻って行った。


いつの間にか空はさらにどんよりと重さを増している。
ポツリ。
再び鼻先に冷たさを感じたと思ったら、今度は勢いよく滴が落ちてきた。
叩きつけるような雨の勢いは、小さな折り畳み傘ではとても避け切れそうもない。
自身が濡れるのは構わないが、カバンの中身が濡れるのは避けたい。
慌てて辺りを見回したエルンストは、小さな庇を路地の片隅に見つけ、その下へと駆け込んだ。


すっかり人通りの消えた大通りは、しんと静まり返り、音と言えば、石造りの道路が雨を跳ね返す音だけ。
小ぶりになるまで、と決めて始めた雨宿りだったが、黒い雲が空を覆い尽くし、雨の勢いはなかなか衰えそうもない。
けれど、雨に煙る街並みは思いのほか綺麗で、エルンストは、ふと、この景色を彼女に見せたいと思った。
きっと彼女なら、『キレイですわね。』と、柔らかく微笑んでくれるはずだ。

神鳥の宇宙の女王補佐官であるロザリアとエルンストの関係は、今のところ、ただの知人にすぎない。
しかも別の宇宙だから、似たような境遇とはいえ、それほど接点があるわけでもない。
ただ、エルンストにとって、彼女は特別な存在。
あの女王試験で初めて出会った時から。

時計をちらりと見て、聖地との時差を確認する。
向かいの建物と雨に打たれている自転車を端末のカメラに収めて、エルンストはメールを送った。
画像ではこの美しさを伝えることは難しくても、見せたいと思ったことを伝えられたら。
実際、エルンストにしては珍しい行動だったかもしれない。
ただなんとなく。 本当にそれだけ。
雨はまだ降り続いている。
しばらく経って、端末がブルブルと震えだし、画面の上の名前を見たエルンストは慌ててボタンを押した。


「もしもし。」
心地よいメゾソプラノ。
エルンストは小さく喉を鳴らすと、「はい。」と短く言葉を返した。
気配りのできるロザリアだから、送ったメールに返信くらいはあるだろうと思っていたが、まさか電話をくれるとは。
ふと、頭の中にさっきの女性の言葉が浮かぶ。
『雨の最初の一粒に当たると幸運になる』
その幸運がこの電話ならば、これほどうれしいことはない。

「写真、拝見しましたわ。 とてもすてきな景色ですのね。」
「ええ。 なんといいますか、ノスタルジーを感じさせる町並みなのです。
 特に今は雨が降っていて、とても情緒があります。」
「まあ。 雨? 今、エルンストはどちらにいらっしゃるの?」
ロザリアの心配するような声に、エルンストは眼鏡の縁をくいっと持ち上げた。
「傘は持っているのですが、勢いが激しく、今は雨宿りしているところです。
 そのうち小ぶりになると思いますので、その時に宿泊先に戻る予定でいます。」
「寒くはありませんの?」
「はい。 寒くはありませんね。 湿度の高さの方が気になります。」
「そうですの。 でも、雨に当たるのは体によくありませんわ。 お気をつけになって。
 こちらは今日はとてもいいお天気ですのよ。
 陛下が作ったケーキをおやつにしているところでしたの。」

軽く相槌を打ちながら、ロザリアの話を聞く。
こんな時、例えば、同じ守護聖仲間のチャーリーやレオナードあたりなら、こちらのほうから楽しい話題の一つでも提供できるのだろう。
そんな芸当のできないつまらない自分を少し恨めしく思ってしまう。

「惑星の様子はいかがでして? 疑問は解消されましたの?」
ロザリアからの問いかけに、エルンストはようやく出張中の出来事を話しはじめた。
辺境の村から回り、最後にこの首都にやって来た。
主星とも、今まで見てきたどの星とも違う、この星の文化。
ささいな伝承や、迷信に近い言い伝えを信じて、ゆったりと時を過ごす人々。
エルンストは、この惑星が鋼の力を必要としない理由をほんの少し理解できた気がしていた。


「文明に遅れがあると思っていた私の見解に不備があったようです。」
エルンストが言うと、ロザリアは端末の向こうで黙り込んだ。
話を待っているかのような様子に、エルンストは続ける。
「全ての星が同じように発展すればいい、というわけではありません。
 文明というものもいろんな形があって、その星の人々が存在を選ぶべきだと私は考えました。
 この星は遅れているのではなく、違う文明の形を選んだのです。
 そのことに対して、私が意見するつもりはありません。」

エルンストの言いたいことを、ロザリアならわかってくれるはず。
100人の人間がいたとして、同じ人間は一人としていない。
そんな単純なことをエルンストに気づかせてくれた、彼女。
世界中の誰よりも特別な人。


突然、ピカッと空が光ったと思うと、端末の音声が割れ始めた。
ロザリアの声がザラザラと砂にまみれた音のようにしか聞こえなくなってしまう。
この惑星は総じてどこも電波が悪い。
こんなふうに雷が鳴れば、狂ってしまうのも仕方がないだろう。

ゴロゴロとなる音が消えると、端末の雑音も消えていく。
エルンストが、手短に状況を説明すると、ロザリアは
「では、突然切れてしまうかもしれませんのね。 その時は、諦めますわ。」
と、少し楽しそうに言った。
とても不思議だ。
距離のせいなのか、電話という機器のせいなのか。
向かい合っているときよりもずっと穏やかな気持ちでロザリアと話をすることができる。
途切れない会話の間も、相変わらず鼓動は素直すぎると思うほど高鳴って、胸の奥からは暖かいものが流れ込んでくるのだけれど。


「そういえば、もうすぐエルンストのお誕生日ではありませんこと?」
不意に言われて、エルンストは思わず頷いていた。
そしてすぐに彼女が自分の誕生日を知っていてくれたことに、妙なくすぐったさを感じてしまう。
これもまた、彼女と出会うまで知らなかった感情。
「はい。そうです。」
「何かご予定はありまして?」
「特別には何も。 ただ一つ年を取るだけのことですし、祝うような年でもありませんので。」
「まあ。」

また遠くで雷が光り、声が途切れた。
わずかに「レイチェルたちが…」と言うような声が聞こえたが、あえて聞き返そうとは思わない。
おそらく誕生日パーティとかこつけて、みんなで騒ぐ一日になるであろうことは予想済みだ。
ロザリアたち神鳥宇宙の皆も祝いに来てくれるのだろう。
去年の誕生日もそうだったから。


エルンストは目の前で降り続ける雨を眺めながら、眼鏡の縁を持ち上げた。
湿度が高いせいで、大きく息を吐くと、レンズの下面が白く曇ってくる。
雨は好きではない。
機械類はたいてい水気に弱いし、なぜか不機嫌になる人間も多い。
そもそも迷信めいた言い伝えなど信じる自分ではない。
けれど、この優しい時間をくれた幸運を、もう少し、信じてみたいと思ってしまった。

「ロザリア様。」
「なんですの?」
少し改まったエルンストの声に、ロザリアも声のトーンを正している。
電話の向こうから、綺麗な青い瞳でまっすぐに見つめられているようだ。

「よろしければ、その日、私と…。」

言いかけて、ピカッと光る空。
今までで一番強い光がエルンストと街を眩しく照らし出した。
これが最後とでも言いたげな、盛大な花火のような雷鳴。
そしてお約束のように、途切れた端末からザラザラとした音が流れ出した。
完全に通話は途切れてしまったらしく、画面がぴかぴかと点滅を繰り返したかと思うと、やがて真っ暗になっていく。
エルンストは端末を握り、今度こそ、大きくため息をついた。
メガネのレンズがふわっと白く濁り、吐き出したため息の大きさに苦笑が漏れる。


ゴロゴロとなり続ける空は、よく見れば、さっきまでよりも少し明るい。
遠くの方は、わずかに光が差し、天使の梯子が見え隠れしている。
突然降り出した雨は、終わりもやはり突然で。
雨がもたらした幸運も雨と共に去ってしまったのだろうか。
それとも、残りの言葉は幸運などに頼らずに、自身の想いで伝えろと、教えられているのだろうか。
いずれの考えも非科学的すぎて、らしくないと呆れてしまった。

完全に雨が上がり、エルンストは庇から出た。
子供たちがどこからともなく飛び出してくる声が聞こえ、この星では突然の雨がそう珍しくもないのだと思い知る。
ほんの数日の滞在ではわからないことの方が多くて当たり前なのだが、なんとなく悔しい。
「あ、虹だよ!」
可愛らしい子供の指さす方を見ると、たしかに山のすそ野から雲に向けて、虹が覗いている。
七色の虹。
これほどはっきりした虹を見るのは初めてだ。
この星ではたいして興味をひくものでもないらしく、雨上がりの街路にはあっという間に忙しく立ち回る人々が溢れ出してくる。
エルンストは端末のカメラで虹の写真を撮った。
この写真を見せたらきっと、彼女はまた、『キレイですわね。』と、喜んでくれるだろう。

「虹を見ると幸運が訪れる、といいますから。」
エルンストでも知っている、数少ない言い伝え。
この端末に幸運を閉じ込められたらいい。
けれど、幸運はあくまで幸運にすぎない。
踏み出すのは自分自身。

画像をメールしようとして、エルンストは手を止めた。
メールは便利な文明の機器ではあるけれど、なにかを伝えるには足りないような気もする。
直接彼女に会いに行こう。
そしてさっき言い残した言葉を伝えてみよう。

端末を鞄に戻し、エルンストは雨上がりの街に足を踏み出したのだった。


FIN
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