No pains, no gains

荘厳な細工の扉が両側に開き、まっすぐに伸びた赤い絨毯が目に入る。
金の縁取りのある毛足の長い絨毯の行く先は、大きな祭壇。
女王をイメージしたステンドグラスからの虹色の光が、祭壇をまばゆく照らしている。
その前には一人の男が、いつになく緊張した面持ちで立っていた。

「行きますよ。」
エルンストが囁きかけると、傍らのレイチェルは小さく頷き、エルンストの曲げた腕に手を添える。
何度も練習したのに、やはりいざ本番となると違うのか。
練習の時には見られなかったレイチェルの手の震えを感じて、エルンストは小さく息を吐いた。
「貴女でも緊張することがあるんですね。」
「あ、当たり前でしょ! 初めてなんだから!」
「それはそうでしょう。 普通は二回も三回もやりません。」

人差し指の関節で、くいっと眼鏡のブリッジをあげると、レイチェルの鋭い視線を感じる。
ベール越しでもしっかりとにらみつけているのがわかって、今度は笑えてしまった。
「そのほうが貴女らしいですよ。」
ふん、と顎を反らすようにして、レイチェルが前を向く。
タイミングを見計らったように、流れ出すパイプオルガンの旋律。
エルンストはぴかぴかに磨かれたエナメルの靴のつま先を、赤い絨毯の上に乗せた。


細身のドレスには慣れているはずなのに、ウェディングドレスとなるとなにか変わるのか、レイチェルの歩みは遅い。
つまずきこそしないものの、絨毯に足を取られているのが、エルンストにはよくわかった。
左右の椅子には見慣れた顔が並んでいる。
両宇宙の女王陛下。 守護聖。
皆、レイチェルのドレス姿に、嬉しそうに微笑んでいる。
特に聖獣宇宙のコレット女王は、今にも泣き出しそうな真っ赤な顔で、レイチェルが通り過ぎるのを見つめていた。
長い絨毯をゆっくりと歩き、祭壇横で彫像のように固まっているユーイの前で足を止める。
これで、ようやくエルンストの役目は終わりだ。
幼なじみだから、という訳のわからない理由で父親役を任命された時は、本気で逃げ出したいと思ったが、今はよい経験をしたと思える。
人の幸せを祝う時、自分もまた幸せな気持ちになれるものなのだ。

滞りなく進んでいく結婚式に、教会中が暖かい空気に包まれる。
若い二人の熱い想いが実を結んだ結婚式だ。
冷静を自負しているエルンストでさえ、思わず目頭が熱くなっていた。


式が終わり、そのまま参列者は聖殿でのパーティに場所を移した。
披露宴代わりのこじんまりとしたパーティで、内輪だけの和気藹々とした雰囲気が漂っている。
中央の大きなウェディングケーキ以外はごく普通の立食パーティ。
レイチェルも長いトレーンのクラッシックなドレスから、ミニ丈のかわいらしいドレスへと着替え、いつものようにキビキビした様子でみんなからの祝福を受けている。

「絶対に幸せにしてあげてね。」
瞳を潤ませながら、ユーイのジャケットの裾をつかんでいるコレット女王に、
「やだなあ、ワタシが幸せにしてあげるって、約束したんだヨ。」
しれっと答えるレイチェル。
「おう、オレはレイチェルに幸せにしてもらってるぞ。
 結婚してくれって頼んだら、ちゃんと結婚してくれたしな!」
「当たり前だヨ。 ユーイはワタシがいないとダメだからネ。」
うっとりと見つめ合い、もうそこは二人の世界だ。
自分から言い出したこととはいえ、あまりのラブラブっぷりにコレット女王もぽかんとしたまま立ち尽くしている。

あのレイチェルが。
エルンストは一人、乾杯のシャンパンを口にしながら、こっそりと微笑んでいた。
自分も含めて、およそ理系人間というのは、人の心の機微に疎いところがある。
友人もできにくいし、恋もしにくい。
天才少女と言われてきたレイチェルも、おそらく、ユーイに出会うまで、恋をしたこともなかっただろう。
だから彼女にはシンパシーを感じていたし、補佐官と守護聖という関係になってからも、同志のような気持ちで接してきた。
レイチェルを身近で見てきたからこそ、この結婚に驚かされたのだ。
きちんと恋をして、それを実らせて。
いつの間にか、すっかり先を越されていた。

二杯目のグラスに赤ワインを選び、エルンストはバルコニーに出た。
沈みかけた太陽の代わりに、蒼くなり始めた空にぽつりぽつりと白い星が光り始めている。
優しい風がほてった頬に心地よい。
エルンストが頬を冷ましていると、背後から懐かしい声が聞こえてきた。

「よう、エルンスト。 お前はまたこんなところにいるのか?
 レイチェルにお祝いは言ったのか?」
相変わらずの陽気さに、どこかエルンストはホッとしていた。
バージンロードを歩いている最中、椅子に座っている彼の姿を目にして、正直、衝撃を受けたのだ。
今、目の前のロキシーは、あのころと少しも変わらない空気感を身にまとっている。
たとえ、髪が半分くらい白くなっていても。
顔に刻まれた笑い皺がひときわ濃くなっていたとしても。
「なんだ、人の顔をじろじろ見て。 男ぶりが上がったという褒め言葉なら、いくらでも受け付けるぞ。」
にっこりと笑うロキシーは、エルンストの唯一無二の親友のままだった。

「あなたこそ、レイチェルにお祝いは言ったのですか?」
エルンストがくいっと眼鏡の縁を指で持ち上げると、ロキシーは豪快に
「はは。 言ってきたさ。
 ついでに新郎にもレイチェルを手なずける極意を授けたところだ。」
「ロキシー・・・。 あなたはまた余計なことを言ったんじゃないでしょうね?」
エルンストがつい追求する口調になると、
「なにを言ってるんだ。 俺はお前達の大先輩だぞ。」
胸を張ってそう言われてしまった。

「そういえば、皆さんはお元気ですか?」
軽い世間話を振ったつもりだったエルンストは、すぐに後悔した。
ロキシーが胸ポケットを触ったかと思うと、勢いよく携帯を取り出したからだ。

「ああ。 そういえば、お前、覚えてるか?
 最後にお前の部下だったこいつ。 こいつが今は部長だ。
 で、こいつ。 こいつが今は課長代理。
 使えないヤツだって、お前がしょっちゅう愚痴ってた、こいつ。
 こいつはな・・・ まだヒラだ。」

ささっと画面を操作して、エルンストの目の前に携帯を見せつけてくる。
画面に広がる写真は、皆、懐かしい顔ばかりだ。
唯一、違うのは、それぞれの面差しに、時の流れを感じること。
部下だった彼が、立派な貫禄で画面に収まっている。

「あ~、最近、入った女子がめちゃくちゃ可愛くてな。 ・・・この子だ。」
画面には、見事な黒髪の女性の横顔が映っている。
明らかに隠し撮り風の一枚に、エルンストはこっそりため息をついた。
相変わらず、ロキシーは美人に弱いらしい。
ロキシーは顔もいいし、頭もいい男だ。
おまけに収入もあり、社交性もあるのに、いまだに独り身なのは、きっとこのせいなのだろう。

「でも、この子がなかなかクールでな。 この間も、声をかけたんだが、全くのスルーなんだ。
 最近はセクハラだの何だのうるさくて、飲みに誘うこともできないんだぞ。」
「それはそうでしょう。」
「いや、ものすごく可愛い子でな。」
「いい年をして・・・普通なら声をかけるのも恥ずかしいですよ。」
「何を言ってるんだ。 俺はまだアラフィフなんだぞ。 アラ還じゃない。」
「大差ないでしょう。」
「いーや、大きく違うぞ、エルンスト。 アラフィフとアラ還は全然違う。」

ちっちっと人差し指を顔の前で振り、わざとらしく頷く。
こういう大げさで茶目っ気たっぷりなところは、多少めんどくさい。
けれど、最後に彼と会ってから、エルンストの感覚では、ほんの数年にすぎないが、ロキシーにしてみれば、20年ほど経っているのだ。
それでも、全く変わらない彼がとても懐かしく、同じくらい寂しかった。


「なあ、エルンスト、お前はどうなんだ?」
「どう、とはなんですか?」
わかっていてはぐらかしたエルンストにロキシーがさらに問いかけようとした時。

「ごめんなさい。 せっかくのお話中に、少しよろしいかしら?」
広間からバルコニーへとロザリアが姿を現した。
少し緩やかなラインの淡いラベンダー色のシフォンドレスが、濃くなり始めた夜の色にほんのり浮かんでいる。
彼女のシャープ過ぎる印象を、ドレスが柔らかくしているのだろう。
微笑む姿は、羽衣を纏う天女のように美しい。

エルンストはロキシーから離れ、ロザリアのそばへと歩み寄った。
きっとこの後のパーティの演出のことで、確認したいことがあるに違いない。
ウェディングケーキのカットや、余興、新郎新婦の挨拶、女王陛下からの挨拶。
本来ならこの手の雑事は補佐官が行うのだが、さすがにレイチェル自身にやらせるわけにはいかず、自然とエルンストが聖獣宇宙の担当になっていたのだ。

「ケーキカットの前に、セイランが詩を披露したいそうなんですの。」
あのセイランの詩となれば、断るわけにはいかない。
「なるほど。 それでは集合の合図を10分ほど前倒ししましょう。」
「そうですわね。 音響は用意しておきますわ。 あなたは積もる話もありますでしょう?」
ちらりとロキシーに視線を向けたロザリアが微笑む。
ロキシーは嬉しそうにロザリアにウインクを返した。

「全く、彼はいつまで経ってもあんな調子のようです。」
エルンストが苦々しげにため息をつくと、ロザリアはくすくすと笑う。
そして、
「本当に良いお友達なんですのね。 いつまでも・・・素敵ですわ。」
少し寂しそうな声。
やはり彼女も同じことを思うのだ。
普段聖地では意識しない、時の流れの違いをロキシーからはっきりと感じてしまう。

「お二人で俺の噂ですか?」
朗らかに話に乱入してきたロキシーに
「ええ。 とても素敵になったとお話していましたの。」
ロザリアも冗談で返す。
「いやあ、今からでも遅くありませんよ。 ロザリア様。
 俺はまだアラフィフで現役ですから。 この後、二人きりで飲みませんか?」
「素敵なお誘いですこと。」
「ロキシー、ロザリア様にセクハラで訴えられますよ。」
「それはやめてくれ。」
ロキシーの情けない困り顔に、笑いが起こる。
そこから、ロキシーの近況報告などが始まり、和やかな時間が流れていった。


「探したよ。 ロザリア。」
カツン、と靴がバルコニーの石畳をたたく音がして、ロザリアが声の方へと振り向く。
エルンストもつられるように視線を向けると、オリヴィエが片手にシャンパングラスを持ち、もう片手でひらひらと手を振っていた。
きらびやかな姿は執務服でも、今日のような礼装でも変わらない。

「ヤダ! ロキシー?! 久しぶりだねぇ。」
ロキシーの姿を認めたオリヴィエは懐かしそうに駆け寄ってくると、ロキシーの背中を勢いよく数回たたいた。
「ちょっと、あんた、今、なにしてんの?」
「まだ研究院にいますよ。 おかげさまで所長です。」
「へえ! 出世したじゃないか。」
「ええ、一番うるさいエルンストが居なくなったおかげで、俺の天下です。」
「なるほどね。 それはエルンストを守護聖に選んだ聖獣に感謝しないと。」
まるで奥様の井戸端会議のような会話が続き、エルンストとロザリアは顔を見合わせて、苦笑した。

「あ、私ったらロザリアを呼びに来たのに、すっかり話し込んじゃったよ。
 そろそろチャーリーが余興の準備をしたいって、あんたを探してたんだ。」
「まあ、そうでしたのね。 ・・・行かなくては。
 ロキシー、どうぞ、楽しんでいらしてね。
 レイチェルもあなたのスピーチを楽しみにしていると言っていましたわ。」
ロザリアはにっこりとロキシーに向かって微笑むと、優雅な淑女の礼をして、広間へと戻っていく。
その後ろ姿をエルンストは静かに見送った。

彼女の背中に、ごく自然に添えられたオリヴィエの手。
ささやき合うようにして、何かを話しては、楽しそうに笑うロザリア。
親密そうな二人の間に、醸し出される特有の空気。
見慣れているはずなのに、この胸の痛みには慣れることがない。


彼女の姿が完全に見えなくなるまで、目で追いかけていたエルンストは、ぽんと肩に置かれた手で、やっとロキシーの存在を思い出した。
慌てて、眼鏡のブリッジを指で押し上げ、平静を装ってはみたものの、言うべき言葉が見つからない。
きっと気づかれてしまっただろう。
ロキシーは昔から、そういうことには聡い男だった。

「お前は、昔から、めんどくさい未解決問題なんかを考えるのが好きだったよな。
 P≠NP予想とか、リーマン予想とか、俺にはちんぷんかんぷんだっていうのに、お前の講釈を何回聞かされたことか。」
思い出すだけで頭が痛い、と、大げさに天を仰いでみせるロキシーに、エルンストは首をかしげた。
いったい、彼は何が言いたいのだろう。
「で、お前がよく話してた、なんとか予想。 アレ、ちょっと前に解かれたよな。
 なんだけ、ほら・・ポイントカード?」
「ポアンカレ予想ですね。 ええ、知っていますよ。」
「アレなんか、そうそう証明できないって言われてた。 でも、証明できた。 すごいよな、全く。」
「そうですね。」
ますます意味がわからず、エルンストが沈黙していると。

「俺はずっとお前が守護聖になってよかったのか、止めるべきだったんじゃないかと考えていたんだ。
 でも、守護聖になって、よかったんだな。 安心した。」

彼の顔に刻まれた深い笑い皺とごつごつと乾燥した手。
改めて、ロキシーとの時の流れを意識して、やっと彼のいいたいことがわかった。

苦しいことも、胸が痛むこともある。
それでも、彼女と同じ時を過ごし、その姿を見ていられるだけ、きっと幸せなのだ。
そして、もしかしたら・・・無理だと思うことでも、叶うことがあるのかもしれない。

「お前の結婚式にも、絶対に招待してくれよ。
 お前の恥ずかしい話をいろいろスピーチしてやるから。 スライドショー付きでな。」
「…そんなことを言われて、招待する人間がいると思いますか?」
「俺以外に誰を招待するって言うんだ? お前の友達なんて、ものすごく希少動物だぞ。」

ぽん、と軽くエルンストの肩を叩き、広間へ向かっていくロキシーの背中は、昔よりも少し曲がって見える。
追いかけて、
「スピーチ、あまりレイチェルを怒らせないでくださいね。」
「俺は今日中に帰るから、後のことはお前に任せる。」
「もうスピーチさせるのが嫌になりました。」
「まあ、そう言うなって。 あの新郎なら怒ったりしないだろ。」
「怒られるようなことを言うつもりなんですね。 まったく。」
ははは、と二人で顔を見合わせて笑い合った。

広間に入ると、レイチェルが
「ロキシー! ねえ、ユーイが頭を撫でてきたりするんだけど、それって、アナタが教えたんでしょ!」
と、飛びついてくる。
レイチェルとロキシーを中心にして、話の輪ができたところで、エルンストはそっとその場を抜け、広間の奥に向かった。
まだパーティは中盤で、この後の演出に必要な雑務がたくさんあるのだ。


広間の奥の一角がパーテンションで仕切られ、ちょっとしたスペースが作ってある。
各人の余興の道具や楽器。
それから進行の裏方が待機するための場所だ。
「あら、エルンスト、もうお話は終わりましたの?」
大きな人形を抱いたロザリアがカーテンの隙間から現れた。
おそらくチャーリーの余興の手品の道具を準備しているのだろう。
薄暗い中、様々な変わった道具が積まれているのが見える。

「お気遣いありがとうございました。 まずはセイランの詩の朗読でしたね。」
「ええ。 あと10分で会場の明かりを落とすところですわ。」
エルンストはロザリアの抱えていた人形を、さっと自分の腕に抱え直した。
腕にずしりとくる人形は、彼女が持つには重すぎるし、荷物運びなどの肉体労働は、いくら運動不足のインドア派とは言え、エルンストがやったほうが効率が良いはずだ。
二人で進行表を確認をしながら、パーティを進めていく。

「レイチェル、とても幸せそうですわね。 ウェディングドレスもよく似合っていて。」
「ええ。 あのレイチェルが普通の女性に見えますからね。」
「まあ。 エルンストったら。」
うっとりとした瞳でレイチェルを見つめるロザリアはとても綺麗で、彼女がウェディングドレスを着たら、どれほどの美しさになるのだろうと、つい想像してしまう。
・・・そのとき、彼女の隣には誰がいるのだろう。

仮説から数十年経って、ようやく存在が確認されるような研究が宇宙にはたくさんある。
それはやはり諦めずに真実を追い求めた結果だ。
何もしていないうちからできないと思い込んでいて、なにもできるはずがない。

「あなたを結婚式に招待できるように、頑張ってみますよ。」
ケーキカットで大いに盛り上がる会場にロキシーを見つけたエルンストは、新たな決意を小さく口にすると、次の余興の準備をするロザリアの元へ向かうのだった。


FIN
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