ノンファンタジー

深夜近くになって、ようやくPCの電源を落としたエルンストは、鞄を手に研究室のドアを閉めた。
この時間、研究院に残っている人間はおそらくいないだろうから、この大きな建物にエルンスト一人。
時折、低い機械音がうなりを上げる以外は、恐ろしいほどの静寂だ。
聖地に招聘されてから、連日の残業。
それは主星でも変わらないから、毎日の生活に不満はない。
むしろ、その変化のなさが心地よいのだから困った物だ。
長い廊下に靴音が反響すると、闇の中へ落ちていくような感覚に落ちる。
階段の踊り場にさしかかったエルンストは、一つ下の階の隅の部屋に明かりが点っていることに気がついた。

明かりの部屋はたしか、最新型のパソコンがおいてあるところだ。
少々場所を取るので、研究院にしか置かれていない機種だが、演算力は高く、エルンストも手持ちのパソコンでは物足りないときに利用している。
扱いにくさもあるから、あの部屋に出入りする人間は限られているのだが。
エルンストは無意識に部屋の方へと足を向けていた。
使用している人物に興味があったのと、万が一のセキュリティを考えてだ。
足音を忍ばせて、そっとドアを開けると、煌々と蛍光灯の白い明かりに眩しく照らされた室内は、しんと静まりかえっていた。
ぶうん、とハードディスクの回る低い音がする。
やはりあのパソコンが起動しているのは間違いない。
パソコンの設置されている部屋の奥まで歩みを進めたエルンストは、そのあたりの光景に、目を丸くした。

カーソルが点滅したままのディスプレイの前。
腕を枕にして、すやすやと寝息を立てているのは、女王補佐官のロザリアだ。
執務はとっくに終わったはずなのに、なぜ、こんなところに。
ロザリアは、いつもきっちりとまとめている長い青紫の髪もそのままに、化粧っ気のないあどけない寝顔を見せている。
普段の凜とした彼女なら、こんな姿を人目にさらすことなど無いだろう。
けれど、女王試験によほど疲れているのか。
エルンストが近づいてきたことにもまったく気がつかず、目を覚ます気配がない。

エルンストは机の上に広がっている紙を、一枚、手に取った。
びっしりと書き込まれているのは、惑星の誕生と成長とサクリアの供給量に関する考察だ。
惑星に与えるサクリアの種類と量によって、成長の過程がどう変化するのかを、細かくデータ化してある。
「・・・なるほど。これがわかれば、女王候補達の育成に無駄がなくなりますね」
エルンストは眼鏡のブリッジに軽く手をやり、ふむと頷いた。
ディスプレイに書きかけの表と見比べてみると、ロザリアは立てた仮説を立証するため、データ入力の作業をしているらしい。
仮説の数式が正しいことを証明するために必要な作業だが、入力は単調だから、つい眠気を誘う気持ちも良くわかる。

エルンストが仮説を目で追っている間も、ロザリアはすやすやと眠っている。
明日の育成会議に提出するつもりなのかもしれないが、作業はまだ半ば。
おそらく、コレを仕上げるまで、責任感の強い彼女は作業を止めないだろう。
・・・どれほど疲れていたとしても。

ふう、と軽くため息をついたエルンストは、別のパソコンからキーボードを調達し、入力の続きを始めた。
エルンストにとっては慣れた作業で、あっという間に必要なセルは埋められていく。
最後に、数式を当てはめ、演算を行えば、果たして、仮設通りの結果が表示され、エルンストは頷いた。
彼女はとても優秀だ。
そして、間違いの無い考察に基づく正解は、とても気持ちがいい。
まだ寝息を立てているロザリアを残し、エルンストはそっとその場を立ち去ったのだった。


しばらく経って、ようやく目を覚ましたロザリアは、ディスプレイの表示を見て、目を丸くした。
執務が終わった後、明日の会議で提起しようとしていた資料を作るために、この部屋に来て、作業を始めたことは覚えている。
けれど、途中で、どうしても睡魔に負けて、目を閉じてしまったはずなのに。
今、目の前には、すべての入力が完了したデータと、数式の演算結果までが表示されているのだ。
オカシイ。けれど、やろうとしていたことがすべて終わっているのは明らかで。
眉を寄せて、自問自答してみたけれど、結局思いついたのは「いつの間にか終わっていた」という、推測だ。
寝てしまったと思い込んでいたけれど、実はうつらうつらしながら、作業をしていたのだろう。
そうとしか説明できない。
頭を切り換えて、データと数式の整合性を確認したロザリアは、満足して、プリントアウトを始めた。
これなら明日の会議に、この議題を提出して、女王候補達の手助けができる。
できあがった資料を両手に抱え、ロザリアは帰途についたのだった。


数日後。
まったく同じ状況に再び出くわしたエルンストは、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げると、机に重なったロザリアのレポートを手に取った。
何度も赤で修正を入れられたレポート用紙。
前回の会議で、ロザリアの提出した議題は、もう少し詰めた方がいい個所があることを指摘されていた。
エルンストもデータを入力しながら、そのことに気がついていたが、勝手に訂正するのはルール違反だと思い、そのままにしたのだ。
赤の入った個所を確認して、エルンストは眠っているロザリアの顔を見た。
あどけない少女の顔。
補佐官をしている時のロザリアは大人の女性にしか見えないのに、そういえば、彼女はまだレイチェルとそう年の変わらない少女なのだと思い知る。

あの日以来、エルンストは数回、ロザリアの姿を見かけたが、いつも忙しそうに動き回っていた。
補佐官の仕事。女王試験の仕事。
それ以外にも細々とした女王の日常のお世話や守護聖たちとのやりとり。
彼女がやっていることは、他の誰にもできない事ばかりだから、仕事が集中するのは仕方がないのだろう。
だからこそ、こんな時間にこんな形でしか、自分の作業はできないのだ。
眠っているロザリアの横で、エルンストはキーボードを引き寄せた。
前回からこの議題について考えていたから、修正個所は把握しているし、彼女もどうやら同様の結論を導いているようだ。
気になってわずかに与えたアドバイスで、ここまでしっかりと修正してくるのは、彼女の才能と努力のたまものに違いない。
優秀なうえに勤勉。
助けてあげたいと思うこの気持ちは、彼女だから、ではなく、きっと研究者なら当たり前なことだ。
そう言い聞かせ、さっと、残りの入力を済ませる。
やはり眠ったままのロザリアを残し、エルンストは部屋を後にしたのだった。



「ロザリア、悩み事でもあるの?」
お茶の時間、ついぼんやりしていたロザリアは、アンジェリークに顔をのぞき込まれて、ハッと意識を取り戻した。
目の前には湯気の消えかけたお茶と、手をつけられないまま、バターが溶けてぐずぐずになってしまったパンケーキ。
アンジェリークの皿はすっかり空になっているというのに。
「そうですわね・・・悩み、というよりも不思議というか腑に落ちないというか・・・」
「へえ?どんなことなの?」
「それが・・・」
ロザリアは紅茶をひとくち含むと、堰を切ったように話し始めた。

「ふーん。ようするに、ロザリアがうっかり居眠りしてると、なぜだか仕事が全部終わってるって事?」
「そうなんですの。最初は、うとうとしながらも終わらせたと思っていたんですわ。
 でも、こう何度も同じ事があると、さすがにおかしいような気がして・・・」
かれこれ5度くらいになるだろうか。
あの議題を始めて、修正を繰り返すたびに起きている、不思議な現象。
「心当たりとかないの?」
「・・・ええ。まったく」

とはいえ、本当のところ、まったく心当たりがないわけではないのだ。
作業はいつも研究院でしている。
職員のほとんどは帰宅している時間だけれど、いつも必ず明かりがついている部屋が一つだけあった。
主任であるエルンストの部屋。
ロザリアが居眠りから覚める真夜中すぎにはもちろん、彼の部屋も明かりは消えているから、その間に帰っているのだろう。
けれど、廊下の明かりや人の気配で、ロザリアが残っていることを、エルンストは知っているのかもしれない。
帰り際、ロザリアの様子を覗くこともできるし、彼の能力ならば、ロザリアの作業を完璧に理解して進めることも造作ないはずだ。
ただ、それはあくまで可能性。
エルンストとロザリアは、執務以外でまるで接点もなく、プライベートな会話をしたこともない。
エルンストがロザリアの手伝いをしてくれる理由がまるで思い当たらないのだ。

でも、少しだけ、そうだったらいいのに、と期待する気持ちもある。
ロザリアの出した議題に、最初に同意してくれたのは、エルンストだった。
ジュリアスにまだ理論が浅いと突き返されたときも、さりげなくアドバイスをくれて。
その後も、何度か参考になるような文献を探してくれていたりした。
もっとも、彼にとっては、それも仕事の一つで、誰に対しても同じような態度を取るのだろうけれど。

「もしかしたら、妖精じゃない?!」
黙り込んだロザリアに、アンジェリークはいいことを思いついた、とでも言うように両手をパンと大きく叩いた。
「ホラ、昔話にもあるじゃない?なんかお店のおじいさんとおばあさんが困っていたら、こびとの妖精が現われて手伝ってくれる話」
「それなら知っているわ。靴屋のこびとでしょう?」
「そう、それよ!聖地なんてなんでもありなところだもん。きっとこびとが出てやってくれてるのよ!」
「そんなわけないでしょう」
「そんなわけあるわ。だって、聖地って不思議なことばかりよ?わたしが女王になっちゃうんだもん」
「・・・あんたが言うと、説得力がありますわね」
「でしょ?」

アンジェリークは無邪気な笑顔で、ロザリアのパンケーキのイチゴを摘まみ上げた。
もともとイチゴが大好きなアンジェリークのパンケーキにはイチゴが多めに盛り付けてあったのだが、まあ、それくらいはどうでもいい。
むしろ、最近ずっと気になっていたことをアンジェリークに軽く一蹴されて、なんだかすっきりしたのだ。
この世界に不思議なことが一つも無いとは思わないけれど、妖精がいるなんてファンタジーは、さすがに信じられない。
やっぱりうとうとしながら、無意識に自分で作業をしていたのだろう。
「これもあげますわ」
ロザリアは残りのイチゴも全部アンジェリークの皿へと移した。
「わ!嬉しい」
幸せそうにイチゴをほおばるアンジェリークを、ロザリアはにこやかに見つめたのだった。



修正を繰り返した議題が、ようやく認められた次の日、ロザリアは熱を出してしまった。
「過労ですね。ゆっくり休んで下さい」
往診してくれた医師にそう言われて、ロザリアは頭を枕に沈めた。
たしかにここのところ、あの議題に振り回されて、根を詰めすぎていた。
研究所でのうたた寝も、身体を冷やしていたのだろう。
気づかないフリをしていたけれど、身体は休息を欲していたに違いない。
自然とまぶたが下がってきて、ロザリアはあっというまに眠りに落ちていった。

うっすらとした意識の中で、カツカツとどこかで聴いたようなリズムが響いてくる。
そう、これは、何度も夢の中で聴いた音。
ロザリアはハッと目を覚ました。
外はすでに薄暗く、オレンジ色の西日がカーテンを淡く染め上げている。
ロザリアは寝過ぎて少しぼんやりする頭を軽く振り、ベッドから起き上がった。
一度大きくのびをすると、昨日までのしかかっていたおもりがすっかり消えたように身体が軽い。
「丸一日寝てしまうなんて」
改めて時計を見て、ロザリアは手早く着替えを始めた。
熱も下がり、むしろ身体は軽い。
そうなれば、少し外の空気を吸ってみたくなったのだ。
玄関のドアを開けたとたん、夕方特有のどこか物寂しい様な風がロザリアの髪を撫でた。
澄んだ空気を肺いっぱいに吸い込むと、まだ薄曇りだった頭の中が急にはっきりと回転してくる。

数回、深呼吸すると、ことり、と足下でなにかが転がる音がした。
慌てて、音の元を目で辿ると、缶が数個、転がっている。
その横には、プラスチックのボトルが数個。
夕べ帰宅したときにはなかったのに、なぜ、こんなものがあるのだろう。
また起きた不思議な出来事に、缶とボトルを拾い上げたロザリアは、そのラベルを見て、思わず、クスクスと笑ってしまっていた。
ボトルは全部、ビタミンのサプリメント。
CやAやB,E。
缶は栄養剤と漢方薬で、どれも疲労回復や風邪に効く物ばかり。
お見舞い、なのだろうけれど、花でも果物でもない。
なんて実用的で、なんて彼らしい。

ロザリアは缶とボトルを家の中に押し込むと、そのまま走り出した。
聴こえた規則正しいリズムは、きっと彼の足音。
眠っていても、ロザリアの頭の奥には、しっかりと残っていて、すぐにわかってしまった。
今までと今日。
不思議な出来事は全部、ファンタジーなんかじゃない。
羽が生えたように軽い身体で、角を曲がると、予想通り、まっすぐに背筋の伸びた彼の姿を見つける。
まずは今日のお見舞いのお礼。
それから、もう一つ。
『今まで手伝ってくれてありがとう』
そう伝えたら、彼はどんな顔をするだろう。
・・・そこから何が始まるのだろう。

ドキドキと高鳴る心臓を抱えて、ロザリアはエルンストに駆け寄っていったのだった。


FIN


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