二進法の世界から飛び出して

エルンスト+ロザリア

心頭滅却すれば火もまた涼し。
たしか、どこかの偉い僧侶の言葉で、自分の意思を強く持てば、周囲の状況など気にならないという意味だったはず。
実際、今のエルンストは周囲の喧噪にもかかわらず、自分の作業だけに没頭していた。
サクリアの各惑星への振り分けを解析してシュミレーションするプログラムの作成。
まだ未熟な聖獣宇宙はところによって不安定で、サクリアの吸収率に大きくぶれがあるのだ。
頭に浮かんだ事柄をそのまま指に乗せ打ち込むと、ディスプレイはすぐにそれを文字にしてくれる。
幾何学的に組まれたセルに打ち込まれた文字は、まるで一種の芸術のように、美しい文様を描いている。
コンピューターは素晴らしい。
エルンストの想像通りの反応速度と間違いの無い答え。
人間のように感情に振り回されたり、曖昧さに流されることもない、最高の相棒。

気持ちよく作業を続けていたエルンストだったが
「ねー、ねー、エルンストさんにもやってもらおうよ」
「そやな。大勢でやったほうが楽しいし」
「でも、お邪魔じゃないでしょうか?」
ひそひそと背後で様子をうかがう声がする。
邪魔かも、と気にするくらいなら、最初から別の場所でやって欲しい。
心の中でエルンストは呟いたが、実はこういう状況も悪くないとも思っているのだ。
一人籠もりきりでひたすら研究院に詰めていた頃なら、誰かが同じ部屋にいるだけでうっとうしいと感じていたのに。
今は賑やかな周囲の中での作業が、かえって効率的のような気すらする。

それでも、段々ヒートアップしていく騒がしさに、
「いったいなんですか?」
エルンストはとうとう自分から彼らに声をかけた。
ちょうど作業も一段落していたし、騒ぎに多少の興味もあったのだ。
「いや~、エルンスト。五月蠅うして悪かったな。せやけど、あんたにもこれをぜひやってほしいんや」
揉み手の勢いで、近づいてきたのはチャーリーだ。
彼はタブレット型の端末を、グイグイとエルンストに押しつけてくる。
あまりの強引さに、
「なんですか?」
僅かに眉を潜めたものの、チャーリーのこんな様子は日常茶飯事だし、周囲がやたらキラキラした目を向けてきているのだ。
文句を言うことを諦め、ふう、と小さく息を吐き出し、エルンストはタブレットの画面を眺めた。

表示されていたのは、『相性診断』と大きくタイトルのついたページ。
なんとなく素人くさいページ作りで、はっきり言えばうさんくさい。
エルンストがまじまじと見ていると、横からさっとチャーリーが画面をタップして、次のページへと飛ぶ。
『直感で入力してください』
トップに大きめの文字でそう書かれていて、あとは選択肢を選ぶタイプの質問がずらっと並んでいる。
「今、コレがめっちゃ下界で流行っとるんや。データを入力した人間しか対象にはならんのやけど、そのぶん診断の正確率がスゴいらしいわ。コレが縁で結婚したカップルも仰山いてるらしいで。ここに質問が全部で50個あるんや。俺らは見やんようにしとるから、ぱぱっとやってな」
言いながら、チャーリーはエルンストの解答をのぞき込もうとしていたメルやユーイやティムカを抱えるように引き離した。
けれど、距離は空いても、視線はずっとこちらを向いていて、ものすごく期待している感じが伝わってくる。
無言のプレッシャー。

しばらくただ画面を見つめていたエルンストだったが、お遊びと割り切ってからは質問の答えをささっとタップしていった。
内容からして、おそらく性格判断のようなものだろう。
昔からこの手のコンピューター占いは大人気で、ロキシーにもよくやらされた。
『お前はまじめすぎるんだよ』
そう言って笑われたことも、今となってはいい思い出だ。
もちろん、エルンストは占いなんて、これっぽっちも信じていない。
ただ、だからこそ、だろうか。
逆にコンピューターによるこの手の診断は、多少の信憑性があるような気がしている。
ある一定のアルゴリズムによって導かれる結論は、その計算式においては間違いの無い解答といえるからだ。
まあ、そのアルゴリズムの信頼性が、一番の問題にはなるのだが。

「・・・できましたよ」
まさしく直感的に全ての質問にチェックを入れ、エルンストは『入力完了』をタップした。
すると、あっという間もなくチャーリーの手が伸びてきて、タブレットをひったくる。
「どうなるんでしょう?ワクワクしますね」
「うわー、気になるねえ」
「おい、見えないって」
なぜか当事者であるエルンストが結果を見ることができず、周りの方が盛り上がっている状況。
そして。
「ええ?!」
「ホンマ?!」
「すごいぞ!」
ものすごい歓声となぜか口笛の音が響き、エルンストはギョッと眼鏡のブリッジを指で押し上げた。
タブレットを囲む彼らの間に割り込み、画面をのぞき込むと、チャーリーがばしばしと背中を叩いてくる。

「いやー、まさかまさかの大当たりでっせ」
「当たり?」
意味がわからず首をかしげると、メルが嬉しそうにタブレットを指さした。
「見て!エルンストさん。相性100%だよ」
「すげーぜ。初めて見た」
メルの指先に導かれて、画面の一点を見ると、そこにはたしかに『100%』の文字が大きく書かれていて、しかもピンクのハートつきだ。
ようするに、エルンストが先ほど入力した結果で、誰かと相性100%の診断が出た、ということか。

先を見ようとスクロールしかけたところで、
「俺なんかルヴァ様が最高の68%なんやで」
「オレはレイチェルと56%」
「僕はなんとゼフェル様と77%!」
皆がわいわいと話し始め、エルンストはどうやら自分の結果が皆にとっては不本意なものらしいと気がついた。
動かした指先に表示された名前は、たしかにエルンストにとって意外な名前で。

「なんであんたがロザリア様と100%やねん!」
「正直、ちょっぴり羨ましいですね」
「オレはあんまりよく知らないけど、すごく綺麗な人だよな」
なるほど。
彼らの不満はエルンストの相手にあるらしい。

「・・・まさか、あなたがたはわざわざこんなもののために神鳥宇宙まで行ったのですか?」
データを入力した人間のみが対象で、ロザリアの名前が出てくると言うことは、彼女もこの50の質問に答えたということだ。
忙しい補佐官に無理やりタブレットを押しつける姿が、ありありと目に浮かび、ついため息がこぼれる。
エルンストから出た冷たいオーラに気がついたチャーリーが慌てて
「あ、え~、その、ちょっと神鳥宇宙に用事があって、そのついでにやなあ」
言い訳を始めたが、そんな空気を読む人間ばかりではない。
「ああ、チャーリーがどうしても神鳥宇宙の奴らもデータに入れたいって煩くいうからな」
「僕とティムカも一緒に行ったよね」
「はい。あちらの陛下もノリノリで入力してくださって」
「クラヴィス様にも入力させてくれたんだよねー!」
「さすが女王の一声でしたね」

ああ、頭が痛い。
エルンストは自然にこめかみに手を当てていた。
聖獣宇宙が皆、こんな感じだと思われては非常に心外だ。
ただでさえ、神鳥宇宙に比べて、聖獣宇宙は歴史が浅く、守護聖も神鳥宇宙出身者で占められているせいか、立場的に弟分なのだ。
もちろんまだまだ遠く及ばないことはわかっているけれど、少しでも神鳥宇宙と肩を並べられるように努力していると認めてもらいたい。
それなのに、彼らときたら。


そこまで考えて、エルンストは怪訝そうに自分の顔をのぞき込む視線に気がついた。
すっかり自分の世界に入っていたが、ここは神鳥聖地の研究院。
新規物質を含んだ鉱石が発掘されたという連絡を受けて、おっとり刀で駆けつけたところだったのだ。
エルンストは深く刻み込まれた眉間のしわをハッと伸ばし、
「申し訳ありません。少し考え事を」
対面していた彼女に深く頭を下げる。
誠実さのにじむエルンストの姿に、ロザリアは柔らかく目を細め、口角をうっすらと持ち上げて、美しい笑みを作った。
「いいえ、毎日の執務でお疲れなところをお呼び立てしてしまって、こちらこそ申し訳ありませんわ。きっとエルンストはこういうモノがお好きだと思ったのですけれど、かえってご迷惑だったかもしれませんわね」
「とんでもありません!」
つい声が大きくなり、ロザリアの目が丸くなる。
こほんと、一つ咳払いをして、エルンストは続けた。

「わざわざご連絡いただいて嬉しいです。珍しい物質には個人的に興味がありますので」
「それでしたらよろしいのですけれど」
ロザリアはまだ少し眉間にしわを寄せていたけれど、それ以上は追求してこなかった。
こういう冷静なところも、エルンストには好ましく映る。
とかく女性というのは根掘り葉掘りを知りたがり、うんざりすることが多いからだ。

ロザリアは手袋をつけると、エルンストに鉱石を手渡した。
手のひらに載るほどの大きさなのに、ずっしりとした重みは、金を遙かに超える密度があるのだろう。
ひんやりと冷たい感触は金属に近いが、すこしざらついた表面は石に酷似している。
隕石が最も近いかもしれない。
「興味深いですね」
「ええ。エルンストならそう仰ると思いましたわ」
ロザリアは心なしか嬉しそうに微笑んでいる。

「まだまだ世界には不思議なものや珍しいものがありますわね。自分で探しに行くことはとうてい無理ですけれど、こうして目の当たりにすると少しワクワクしてしまいますわ」
意外な彼女の言葉に、エルンストは眼鏡の奥の瞳を瞬かせた。
ロザリアのような完璧な淑女でも、エルンストと同じように、未知の物に対する子供じみた憧れがあるのだろうか。
綺麗な宝石でも何でも無い、こんな石ころに興味を持つのだろうか。
ロザリアはエルンストの手の中の鉱石をじっと見つめている。
その瞳は確かにキラキラと輝き、楽しげだ。
けれど、サファイヤのような瞳も、瞳を縁取る長い青紫の睫が落とす影も、なにもかもが美しすぎて、彼女の心の中に自分と同じような少年の心が在るとは思えない。

鉱石の重みを感じながら、ふと、エルンストはあの占いのことを思い出した。
『相性100%』
『二人の心は常に同じ方向を向いていて、なにをしてもぴったりくる完璧な相手』
あの結果を読んだときは、そんなはずはないと一笑に付したが。
「もし、鉱石に興味がおありでしたら、私の本をお貸ししましょうか?」
つい、口からこぼれた言葉に、エルンスト自身も驚いた。
おそらくあの占いを見る前なら、絶対に言わないであろう言葉。
案の定、ロザリアは驚いたのか、目を丸くしている。
けれど、すぐににっこりと綺麗な笑みを浮かべると、
「嬉しいですわ。なかなか自分では良い本を見つけられなくて。エルンストのオススメでしたら間違いないですもの」
本当に嬉しそうなロザリアの様子にエルンストも自然と笑みを浮かべていた。


その本の貸し借りから、エルンストはたびたびロザリアに会うことになった。
彼女は聡明で、知識欲も深く、話していても楽しい。
もちろん、エルンストも過去に女性と親しくなったことがない訳では無い。
けれど、大抵の場合、会話が長くなるに連れて、つまらなそうにされたり、興味を失ったのが分かって、気まずくなっていくのだ。
ところがロザリアにはそういう様子はなく、エルンストの話をいつも興味深そうに聴いてくれる。
独りよがりでないと思うのは、彼女の話題もまた、エルンストにとって興味深いと思うからだ。
たわいもない噂話であっても、なぜかつまらないとは思わない。
むしろ、彼女の話しぶりは心地よく、いつまでも聴いていたいと思ってしまうのだ。

「あのよろしければ、今度セレスティアの書店に付き合っていただけないかしら?」
先日貸した本の内容で気になるところがあり、調べてみた所、最新版がセレスティアの書店に入荷しているとわかったらしい。
「エルンストに内容を確かめていただいて、それから購入できたら間違いが無いですもの」
にっこりと細められた青い瞳に、エルンストの胸がきゅっと痛む。
まるで心臓を握られたような初めての感覚に、エルンストは首をかしげつつ頷いた。
「では次の日の曜日などいかがでしょうか?」
「ええ。大丈夫ですわ」

初めての日の曜日の約束。
初めての二人きりでの外出。
一日を終えたエルンストは、ベッドに潜り込むと、天井をにらみ、『相性100%』の意味を考えていた。
ロザリアとは、あの診断の言葉通り、興味の方向や物事のとらえ方がとても似ている。
さすがコンピューターの診断は間違いが無いと思えるほどだ。
もしもあの占いの結果を知らなければ、彼女に執務以外で話しかけることもなく、お互いの趣味を知ることもなく過ぎていったことだろう。
なにもかもコンピューターのおかげ、だ。
100%と保証されると、無条件に特別な気がしてしまう。

エルンストが目を閉じると、今日のロザリアの姿が浮かんできた。
補佐官服よりも可愛らしいゆったりとした膝丈のワンピースに、ゆるくサイドを編み込んで背に流れる長い髪。
本を選ぶ真剣な横顔も、紅茶を前にした笑顔も。
思い出すだけで、なぜか苦しくなる胸の痛みで、なかなか寝付けない。
たぶんきっとこれは『1』だ。
『0』から『1』に変化してしまった気持ち。
何度か寝返りを打って、ようやく寝付いたエルンストは、コンピューターがたくさんのハートをはじき出す夢にうなされたのだった。


数日後、エルンストが執務室でコンピューターを叩いていると、なにやらざわざわと扉の向こうに人の気配を感じた。
一人ではない、数人の気配。
入ろうか入るまいか、迷っているような、そんな気配だ。
エルンストはあえて扉を開くことはせず、そのまま執務に没頭していた。
必要があればそのうち入ってくるだろうし、消えてしまうなら、ソレまでの用件。
ようやく扉がノックされたのは、それからゆうに15分は後で、エルンストは眼鏡のブリッジを人差し指の関節で持ち上げながら、「どうぞ。お入り下さい」と声をかけた。
すると、まるで借りてきた猫のように、しゅんとうなだれた守護聖たちが入ってくる。
もしかしてなにかとんでもないミスでも?!と、若干身構えたエルンストの耳に届いたのは、チャーリーの意外な一言だった。

「すまん!!」
土下座でもするのか、という勢いで、パンと音を立てて、両手を顔の前で合わせる。
その動作を、メル、ティムカ、ユーイが真似ている。
4人並んで頭を垂れる姿に、エルンストは声を失った。
「ホンマにすまん!!」
いいながら、チャーリーは薄目を開けて、エルンストをちらりと見てくる。
言いにくそうなその様子に、嫌な予感しかしない。
「何のことですか?執務のミスであれば、早急な対策が必要ですから、早く言ってください」
もはや手がつけられない状況でなければよいが。
このメンバーでは惑星崩壊もあり得ると思いつつ、エルンストはコンピューターを打つ手を止め、チャーリーの言葉を待った。

ところが、
「あれな、間違いやったんや」
「あれ?」
エルンストが眉を寄せると、チャーリーはそこから一気にまくし立てる。
「あれや、あれ。こないだの相性占い!あんたとロザリア様が100%やったやつや。あれ、実はバグが見つかってん。コンピューター上のプログラムのなんちゃららしいんやけど、俺にはくわしくわからん。せやけど、そのバグのパッチをダウンロードして、こないだのデータそのまんまでやったらな」
ここでチャーリーは背中に隠していたタブレットを取り出し、エルンストの前に掲げた。
そのディスプレイには大きな文字で『相性0%』。
続けて、『ただすれ違うだけのごく一般的な知人レベル』とある。
少し上の方にある二つの名前をエルンストはじっと見つめたあと、小さく息を吐いた。
予想通り、そこにあったのは、自分ともう一人、『ロザリア』。
100%だと思っていたのが、実は0%で。
可も無く不可も無い、ごく一般的な人間関係だと、コンピューターに言われてしまったのだ。
何故か、ガンと頭を鈍器で殴られたような衝撃を感じる。

それぞれが口々に謝ってきたけれど、エルンストは
「貴方達が謝る理由はありません」
と、すぐに4人を追い出した。
事実、チャーリー達は何一つ悪くない。
エルンストにしてみれば、あのプログラムを作った人間ですら、特に責任があるとは思えないのだ。
プログラムミスは誰にでも起りうるし、むしろパッチを公開しただけ良心的と言っていい。
頭ではそう理解しているのに、エルンストは椅子に座り込んだまま、しばらく動けなかった。
相性が100%ではなく、あの占いの言葉も全てがでたらめだとしたら、この先、彼女との未来はどうなるのだろう。
ごく一般的な、それこそ、話をする前の関係こそが、0%にはふさわしいのかもしれない。
日の曜日のデートも、二人で語り合った鉱石の話も、なんだか急に色あせて、嘘くさいもののように思えてしまう。
そもそもあの美貌の補佐官と自分が釣り合うと少しでも思っていたことがオカシイのだ。
コンピューターが100%などと言うから。
……どうやら自分を見失っていたらしい。


「あの、エルンスト?」
名前を呼ぶ声にハッと意識を取り戻すと、目の前に顔をのぞき込む青い瞳がある。
心配そうな色の浮かぶ青い瞳は吸い込まれそうなほど美しい。
「いえ。申し訳ありません。少し考え事を」
「まあ、以前にもそんなことを仰っていましたわね。聖獣宇宙はなかなか大変そうですけれど、きちんと睡眠はとれていまして?」
くすりとイタズラな笑みを浮かべたロザリアの口調は、以前よりもかなり砕けたものになっている。
ここ最近でぐっと近づいた距離を示すような彼女の表情に、エルンストの胸に苦いものがこみ上げてくる。
バグを知る前なら、素直に喜べたこと。
でも、今は。

「はい。大丈夫です」
努めて冷静な声を出し、ロザリアから目をそらした。
眼鏡のブリッジを押し上げる動作で、少しでも不自然さを隠そうとしたが、隠し切れているかは自分では分からない。
今までは何が起きても自信満々で受け止められていたことも、0%では不安しかないのだ。
「本当に?顔色が良くないように思いますけれど」
ロザリアはそらした視線の先に顔を動かし、エルンストの瞳をのぞき込もうとしてくる。
「いえ、大丈夫ですので」
「でも・・・」
「大丈夫だと言っています。早く次の用件を」
焦りからか、厳しい言葉を大声で発してしまった。

静かな補佐官室に、痛いほどの静寂。
エルンストは、しまった、とすぐに口をつぐんだが、ロザリアの瞳にはさっきまでの朗らかさはなく、戸惑うような影が読み取れた。
「ごめんなさい。余計なお世話でしたわね。では・・・」
彼女の顔を見る勇気が無くて、レジュメのページをめくる、ロザリアの白い手をただじっと見つめる。
その日のロザリアとの会話は、執務以外の事は一言も話さず終わったのだった。


聖獣の宇宙でいつものように過ごしていると、ここ最近のロザリアとの出来事は夢だったのではないかとさえ思える。
数字が次々と流れるディスプレイを眺め、キーボードで打ち込んでいく。
今日に限っては、執務室に居着いているメルもおらず、たった一人。
静かすぎる部屋はキーボードの音以外は、時折、エアコンのモーターがうなり声を上げるだけだ。
エルンストが入力した内容を、コンピューターは常に正確に無駄なく表示してくれる。
コンピューターに間違いは無い。
ソレがわかっているからこそ、たかが相性診断でさえ、笑い飛ばすことができないのだ。

「あ」
集中力を欠いたせいか、珍しく入力ミスをしたエルンストは、小さく舌打ちをした。
頭の奥に鈍い痺れを感じて、眼鏡の鼻あてでできたくぼみをぎゅっと押さえてみる。
閉じたまぶたに浮かぶのは、さっきまで見ていたディスプレイの数字だ。
0と1でできた世界は、ただひたすらまっすぐに正解だけに向かって無限に伸びていく。
「1の次はまた0に戻るだけです」
ひとつの間違いもない、その世界はエルンストにとって、とても居心地が良かったけれど、一度、1になってしまった心が本当に0に戻るのか。
コンピューターと違う、この人間の世界で。


その時、ころん、と机に転がってきたのは、小さな石。
以前、ロザリアが見せてくれた貴重な鉱石の欠片で、興味を持ったエルンストのために、彼女がこっそりと分けてくれたものだ。
小石は、エルンストの指先で鈍い灰色をしている。
しばらくぼんやりと指で弄んでいると、うっかり石を取り落としてしまった。
石の落ちた先はコンピューターを避けるように置いてあったコーヒーカップの中。
幸いなことに、コーヒーは時間が経っていたおかげで熱くはなく、黒い液体の中に沈んでいった石を、エルンストは慌てて拾い上げた。

「おや?」
思わず声が出たのは、拾い上げた石の所々が青く輝いていたからだ。
エルンストはコーヒーにまみれた石をハンカチでしっかりと拭き、まじまじと眺めた。
ハンカチはコーヒーで真っ黒に汚れたが、かわりに石はキラキラと宝石のように輝いている。
光を反射していると言うよりも、石自体が発光しているような、そんな輝きだ。

「まさか・・・そんなことがあるんでしょうか」
発見した当初は新規物質があるかもと思われたが、結局、様々なコンピューター解析で、ごく普通の成分しか見つからなかった。
それなのに、今、エルンストの目の前で石は変化を起こしたのだ。
思いも寄らない、コーヒーという物質で。

「なるほど。あなたが言いたいことはそういうことなのですね」
エルンストは手のひらの青い石に、クスリと笑いかけた。
エルンストが絶大な信頼を寄せていた、二進法の世界。
けれど、世の中にはそんなもので説明できないことがたくさんあって、なんの変哲も無い石が青く輝き出したりもするのだ。
だからたとえ相性0%でも、恋に落ちたりすることもあるのかもしれない。

「彼女に教えなくては」
コーヒーに浸して輝く青い石よりも、もっと綺麗な青い瞳を輝かせて、エルンストの話を興味深く聞いてくれるに違いない。
エルンストと同じものに興味を持ってくれる、彼女なら。
エルンストはコンピューターの電源を切ると、神鳥の宇宙へと足を急がせるのだった。

Fin


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