大キライからのlovesickness


公園内にあるカフェに向かうため公園広場に足を踏み入れたオリヴィエは、青いドレス姿の少女に気がついた。
ロザリアは公園に整えられた花壇、それも薔薇が咲いている一角で花を見ているようだった。
「おやまあ、絵になるコだね」
思わず呟いたオリヴィエの目が緩む。
その名の通り彼女には薔薇がよく似合う。優雅な仕草で薔薇に屈み、香りを楽しんでいる様子も目に麗しい。



女王試験が始まって早ひと月。
オリヴィエを含め守護聖たちも肝心な女王候補の二人も、飛空都市の生活にかなり慣れて来たと言っていい。
それぞれの女王候補とプライベートでも親しくしている守護聖もいるようだったが、オリヴィエは今のどころどちらの少女とも特出して親しくはなっていない。
もちろんどちらの女王候補にも大陸育成のため依頼を受けてはいるけれど、それ以外には格別付き合いはまだない。
大陸の育成はと言えば、現在のところロザリアが圧倒的なリードで試験を進めているらしい。
オリヴィエの興味はどちらかと言ったら試験の行方や大陸の発展ではなく、女王候補たちを着飾せたりメイクをしてみたいといったもので。それでも今まではプライベートでの付き合いのきっかけは今のところなかった。

地の守護聖の執務室へ寄ればお子様守護聖たちも集っていて、彼らから女王候補たちの噂話を聞くこともある。もちろん彼らがそれぞれ贔屓の少女たちについて話す声も否応無しにオリヴィエの耳へも入ってくる。
少年たちを冷やかす言葉を適所で投げ掛け、オリヴィエは彼らの盛り上がりを横から眺めて楽しんでいる。炎の守護聖の言葉ではないが、やはり五つも年齢が下の少女たちだ。
自分やオスカーなどよりも、彼女たちには年少の守護聖たちが似合いだろうと漠然と思っている。
けれど浮かれた少年たちはその話題に彼やルヴァまでも引っ張り込もうとし、オリヴィエはおかしくなって笑ってしまった。
「ええとそのう、どちらもとても可愛らしいと思いますよー。訪ねていらっしゃるだけで執務室も華やぎますし。でも、わ、私よりはずうっと年下ですし、妹というかー、そうですねえ、歳の離れた親戚の女の子という感じでしょうかねえー」
焦りながら言うルヴァも、どうやらどちらかの女王候補をかなり気に入っているらしいとオリヴィエは気がついた。続けてマルセルにオリヴィエも少女たちについて尋ねられる。
「見た目の好みから言ったらロザリアだね。気が強そうなとこもいいんだけどさ、ちょっと貴族然としたしたとこがジュリアスっぽくて鼻につくかな。アンジェリークはまだまだ発展途上っぽいけど、いろいろ磨きがいはありそうだよねえ。腕が鳴るよ」
彼らしい答えを渡すと、なるほど、と少年たちははっきりと安心した顔で頷いた。彼女たちはオリヴィエにとって恋愛対象ではないのだと受け取ったらしい。
今はまだ、だけどね。
付け加える言葉は心でだけ呟き、オリヴィエはお茶のカップを手にして微笑んだのだった。

マルセルたちに言った言葉はどちらも嘘ではない。少女二人とも素材のよさがうかがえ、何年か後の姿を早く見たいものだと思う。元気で可愛らしいアンジェリークには特にその期待は大きいし、それを自分が促してやりたいとも思う。
そしてロザリアのほうは今でもかなりオリヴィエの目を楽しませてくれそうだ。懸念があるとしたら、真面目で優等生タイプのロザリアはオリヴィエのようなタイプには眉を顰めるかもしれないこと。
プライドが高いことは悪くはない。けれどオリヴィエにとって守護聖など特に尊敬の対象ではない。その守護聖を多く輩出しているからと言って、貴族たちが素晴らしいものだとも思えない。
それでも今、公園でオリヴィエの前に立つロザリアはやはりとても美しい少女だ。すっと伸びた真っ直ぐな背に、すこしクラシカルなブルーのドレスがよく似合う。
さながら青い薔薇の蕾。まだ摘むには早いが、十分にオリヴィエの目を楽しませてくれることは間違いない。


石畳をロザリアのほうへ近付くと彼女もオリヴィエに気付いた。ロザリアが顎を上げた拍子にブルーの縦ロールがひと房、肩から後ろへ滑っていく。
年長の守護聖を前にしても怯むことのない彼女は、確かに女王としての資質を多く内包しているだろうとオリヴィエも感じる。
「はぁーい、ロザリア。お元気?」
黒いショールごと手をひらひらと振りながらオリヴィエは彼女へ声を掛けた。ロザリアは一度目を伏せ膝を軽く落とすとオリヴィエに視線を戻す。その濃い青い瞳も、たぐいまれなる輝き。
けれども。
「オリヴィエ様、ご馳走様です」
微笑みと共に渡された言葉にオリヴィエは固まった。するとロザリアも一瞬表情を失い、その後あっという間に白い頬が真っ赤に染まる。
「そっ……あの、間違えました。ご機嫌よう」
オリヴィエは驚きに目を見開き、自分の口から顎に指で触れ、あ、うん、と頷いて返した。彼にしては珍しく言葉を失ったまま立っていると、目の前の少女も所在無げな赤い顔でオリヴィエに視線を一度寄越す。
そして逡巡したのち、ロザリアは肩をいからせて苛立った声をあげた。
「……我慢なさらないで笑ったらいかが?!」
ぶっ! あっはっは、あはははー!
少女の承諾の言葉を貰い、その通り我慢していた箍が外れオリヴィエは吹き出して大笑いした。文字通り腹を抱え、目に涙が浮かぶくらい派手に笑ってしまったオリヴィエだ。
「ちょ、ごめ、止まんなくなっ……」 くっ、くくく、あっははは!
その間ずっとロザリアは真っ赤になった顔で唇を噛み締めていた。それに気付きながらも本当にオリヴィエは笑いを止めることができず。
「はーごめん。でもすっごく新鮮。あんたでもあんな言い間違いするんだね」
やっとオリヴィエが笑い治めて詫びた時、ロザリアは顎を上げきつい視線で彼を見た。頬は赤いまま。
「笑っていいとわたくし確かに申しましたけれど、でも、でも……」
そこで息を大きく吸ったロザリアは力いっぱい叫んだ。
「オリヴィエ様なんて大っ嫌い!!」
そしてロザリアは勢いよく後ろを向き、ヒールの音を高く立てるとオリヴィエの前から走り去った。長く青い髪が彼女の背で跳ねるのをオリヴィエは言葉を失ったまま見送った。


小さな間違いを恥じて真っ赤になったロザリアの顔がオリヴィエの頭から離れない。
同じ年齢であるもう一方の金色の少女よりも大人びていると思っていたロザリアが、彼にだけ見せた年相応の少女らしい顔。思い返すだけでオリヴィエは笑みを零してしまう。
そしてまた彼女のそんな顔を他の守護聖の誰も見たことはないだろうと思えば、オリヴィエの胸に得意げな気持ちが広がるのも抑え難く。
けれど反対に誇り高いロザリアからしてみたら、失敗にあれほどの爆笑を返した彼を許しはしないだろうとオリヴィエは感じる。実に全くそれに関しては、自分こそが失敗をしたのだと認めずにはいられない。
「……でも笑うの止められなかったんだよねえ」
執務机に頬杖を突き、目を閉じればすぐにロザリアの顔が浮かぶ。
その日、ティータイムを終えて執務室に戻っても、オリヴィエは執務に何も手がつかなかった。書類を手にしても目は文字も数字も捉えることができずに表面を滑っていく。
「困ったね、こりゃ」
彼に大嫌いと宣言した青い少女のことが気に掛かる。困った、と口にしながらオリヴィエの顔には笑みがあふれて止まらない。
彼女はとても可愛かった。


その日の夕刻、女王候補寮のロザリアの部屋へ、お詫びに、とオリヴィエは薔薇を届けた。多分彼女は会ってはくれないだろうと思ったので、寮の世話人へ託して戻った。
つけたカードに Sorry とだけ記したのは、詳しいことを書いてそれを見咎める者がいたら彼女が困るだろうと思ったからだった。
ロザリアの性格からして、簡単にオリヴィエを許したりはしないと想像がついている。この間までなら、仕方ないね、と苦笑して諦めたであろうが、今のオリヴィエにはもうそんなつもりがなかった。
なぜなら困ったことに、翌日もロザリアのことはずっとオリヴィエの頭から離れなかったから。

翌々日、青い少女がオリヴィエの執務室を訪ねて来た。
「御機嫌よう。フェリシアに夢のサクリアをたくさん送っていただきたいのですわ」
ああもちろんロザリアはいくら気まずいからと言って育成を後回しにするタイプではない。オリヴィエは機嫌よくそれに応答する。内心かなり感心しながら。
「了〜解! たーっぷり極上の夢を送っておくよ」
その言葉にオリヴィエは小さなウインクもつけたのだが、ロザリアは表情を崩さずそれをスルーし、それではよろしくお願いします、と頭を下げた。
そしてすぐに扉へと体を回したロザリアに、オリヴィエは慌てて手を振って声を掛ける。
「ねっ、ロザリア。この間は悪かったよ。お詫びの薔薇は届いたかい? 簡単に許してもらおうなんて思っちゃいないけどさ、本当にごめん。また薔薇を贈らせてもらうから」
ストレートに詫びると、ロザリアは振り向いて小さく息を吐く。表情は緩めないままだったが。
「アンジェリークがあの薔薇について興味津々で、参りましたの。ですから、お詫びも薔薇もお受けしますから、もうこれきりになさって」
やはりカードには詳細を書かなくて正解だったらしい。分かった、そうオリヴィエは頷いて微笑む。続けて彼はロザリアを誘ってみた。
「ねえねえ、この後あんた時間ある? よかったらお茶でも飲んでお行きよ。たまにはいろいろ話もしたいしさ」
それにすぐロザリアは首を振って返した。背を真っ直ぐ伸ばしたまま、警戒を解かずに。
「ご遠慮いたしますわ。まだこの後予定が詰まっておりますの。第一、分かっていらして? お詫びを受け取りはしますが、わたくしオリヴィエ様を許したわけではありませんのよ」
気の強いその物言いと表情に、オリヴィエの胸に小さく尖ったものが刺さる。ロザリアと親しいであろう守護聖の顔がいくつか浮かび、それはオリヴィエを落ち着かなくさせる。
オリヴィエは、あーらら、ツレナイの〜、と執務机に肘を突いた手に顎を乗せた。んふん、と皮肉げな笑みのあと、なぜかそれまで思ってもいなかった言葉がオリヴィエの口から飛び出て、彼は自分でそれに驚いた。
「なーんかつまんないの。あんたが話し相手になってくれないとタイクツだからさ、誰かの失敗談とかを他のヤツと話したくなっちゃうかも。そしたらどーする?」
それではあからさまに脅迫である。どうにか謝罪を受けてもらえたばかりなのに、そんなことを言っていいはずがない。
案の定オリヴィエの言葉にロザリアは途端に眉を吊り上げ、真っ赤になって憤った。
「どうぞご勝手になさればいいでしょう? いくらでもわたくしのことを笑えばよいのですわ!」
オリヴィエは慌てて手を目の前で振って弁明しようとした。
「ごめん、ジョーダン。今のなし! そんなこと思ってないって、ホント」
彼の軽い謝罪の言葉はもちろんロザリアまで響かない。肩をいからせてこの間と同じようにロザリアは叫んだ。
「やっぱりオリヴィエ様なんて大キライですわ!」

全くどうしたことかと思うのだが、そうして赤い顔で彼を嫌いだと言い、足音高く彼の部屋から走り去った青い少女に対し、オリヴィエの胸に上がる言葉と言ったら。

ああもう、なんでこんな可愛いんだか。

 

**********************



ロザリアは夢の守護聖のことを変わったひとだとしか思っていなかった。
あの風体にメイクが趣味だと聞けば自分ばかりではなく大抵の人間がそう判断を下すに違いないとロザリアは思う。
まあ周囲のそういった視線をものともせずに自分を貫く意志があるのだとも言えるわけで、自分の信じるところを進みたい彼女にとってオリヴィエのそんな姿勢は疎ましく感じるものではなかった。
なのにあの一幕があってからはそんなものは全部吹っ飛んでしまった。
大人だとか、服装ほどは中身は変わっていないだとか、他人に干渉しないと見せかけて実はおせっかいだとか。そんなオリヴィエへの評価はロザリアにとって全く一致しない。

「ひとの失敗をあんなふうに笑うかたの、どこが大人って言えるのかしら」
ロザリアはあんな侮辱を受けたのは初めてだ。
「こちらの和解を急に撥ね退ける気まぐれさは、見た目通り変わったかたですわ」
ロザリアには全くオリヴィエの考えていることが分からない。もちろん変わった服装の趣味も。
「とにかくわたくしには近寄らないでいただけると嬉しいとしか」
それが一番ロザリアの心の平安的にいい。自分のことも、自分がした失敗も、ぜひ忘れて欲しいと願わずにはいられないロザリアだ。

なのにどうしたことか、あれから一日と置かずにオリヴィエと顔を合わせる日々が続いている。聖殿のテラスでもカフェでも、以前はそんなに頻繁に彼に出会うことなどなかった気がする。
オリヴィエは彼女の姿を見ると上機嫌で近付いて来て、例の件での謝罪のほか、ロザリアを誘う言葉を投げてくる。一応の挨拶はするものの、ロザリアは彼の誘いの全てをすぐに断るのが常だ。
なのに彼は全く怯まずに笑顔のままでロザリアを見送る。少しは苦笑いをしていたりするかもしれないが、ロザリアはオリヴィエと視線を合わせることもしないので彼がどんな表情をしているかは分からない。


そんなロザリアとオリヴィエに周囲の者たちが気付かないわけはなく。特におしゃべりでのん気で詮索好きのライバルの少女は、夕刻彼女の部屋へ押し掛け、興味津々の顔でロザリアを質問攻めにする。
「ねえロザリア、オリヴィエ様と何があったの? この間、薔薇をくださったのもオリヴィエ様だったんでしょ? カードに Sorry って書いてあったものね。ロザリアがそんなに怒ったままでいるなんて、オリヴィエ様ってば何をしたの?」
普段はどこか抜けている印象なのに、ちらっと見ただけの筈のカードへ添えられた文字までもアンジェリークが把握していることにロザリアは感心してしまった。
「あなたってば、その注意力を大陸の育成にも少しは向けたらいかが? エリューシオンの建物の数は確かまだふたつではなかったかしら」
アンジェリークの質問へは何ひとつ答えないままだったが、ロザリアの言葉は痛いところを突いたようで、金色の天使は「うっ」と胸を押さえる。けれどふるりと頭を振ってそれを振るい落とし、アンジェリークは勢い込んで口を開く。
「その問題はちょっと置いておくとして。女王候補として守護聖様とは円滑で良好な関係を維持するべきですわ、ってロザリアがいつも言ってることじゃない。
なのにあれだけあからさまにお誘いを断り続けるなんて、相当なことがあったって思って当然じゃない」

アンジェリークの様子から、他の守護聖たちの間でも噂になっているのだとうかがえた。
頑なに今回の件の詳細を漏らすまいとしたらかえって噂が大きくなる気がしてロザリアは折れることにした。それほどたいしたことがあったわけではありませんわ、と前置きをして。
「わたくしのちょっとした失敗を、オリヴィエ様が大笑いしたんですのよ。それはもう遠慮なく。人の失敗を笑うなんて守護聖様としても褒められたことではないでしょう? その上それを他のかたに話してまた笑うなんて、本当に失礼ですわ」
へえー、とアンジェリークは緑の瞳を丸くした。
「それは確かに、ロザリアにはすごくイヤなことだよね。オリヴィエ様ってそういうの、見なかったことにしてくれるかと思ってたけど、違うんだぁ」
腕組みしてうーん、と考え込んだ後、アンジェリークは大きなグリーンの瞳をロザリアに向ける。遠慮がちにだがそれでも好奇心は隠せない視線と声で。
「それでそれで、失敗って、どんな?」
ロザリアは頭だけでなく頬にも血が上り、自分の顔が赤くなっているだろうと感じながら口を開く。
「ですから、思い返したくもありませんの。あなたもしつこく聞くつもりならオリヴィエ様と同じだと判断しますわよ」
腰に手を当て、ふん、と鼻息荒く回答を拒否したせいか、アンジェリークは引きつった顔で思い切り首を振った。
「えっと、事情はだいたい分かったけど、オリヴィエ様と和解できるといいね。女王試験はまだこれからだもの」
あら、とロザリアはアンジェリークを横目で見る。
「あっという間に大陸をわたくしのサクリアで満たしてみせますわよ。それを阻止したいのなら、あなたには今までよりずっと頑張っていただかないとね。こうしてわたくしの個人的な事柄を気にする時間も」
うひゃあ、ヤブヘビー。そうアンジェリークは笑ってロザリアの私室を逃げ出した。それをロザリアも笑みを漏らしながら見送った。


翌朝のこと。聖殿へ行こうと女王候補寮を出たところでロザリアはオリヴィエに会った。ロザリアがとりあえず目を伏せながらも一応朝の挨拶をすると、オリヴィエのにこやかな声が上から下りて来る。
「おはよーん。ねえロザリア、今日は執務の手が空いててさ。よかったらどこか出掛けないかい?」
今日は日の曜日ではなかった。平日はいつも育成や勉学で予定が詰まっていて、それを放棄して出掛けることなどロザリアには問題外だ。
「申し訳ございませんが、わたくしの手は空いておりませんの。お断りします」
考える間もなくロザリアはそう返した。もしも誘ってきたのが他の守護聖だったとしてもロザリアは同様に断った筈だ。それは確か。ただ、目も合わせないという態度は取らないだろうと思うが。
「そっか、残念。それじゃまた都合が合った時にね」
いつも通りオリヴィエはロザリアが誘いを断るとすぐに引いた。柔らかな声音は特に気分を害したふうはなく聞こえる。
懲りないかたね。
それでは、とお辞儀をしてロザリアは聖殿の方向に足を向ける。ちらりと振り向くとオリヴィエは彼女へ向かって、じゃあね〜、と手を振った。

その日の昼頃、聖殿の回廊から下を見下ろしたロザリアは、ライバルの少女と夢の守護聖が中庭に一緒にいるのを見かけた。芝生の上にシートを広げてサンドイッチや軽食を並べ、変わったランチタイムと洒落こんでいるようだった。
楽しそうなアンジェリークの笑い声までが耳に届いてロザリアは不愉快になった。
朝に自分を誘いに寮まで来たオリヴィエだったが、特にその相手が自分でなくてもよかったのだとそう思えたからだろうか。
誘いを断ったのが自分なのは承知しているが、そうしてオリヴィエが執務を休んだことによって、ロザリアは彼に大陸の育成を依頼することができなかった。試験の妨げになることなど、ひとつも歓迎しない。
その上、アンジェリークの笑い声に、自分のことを言われているのではないかとついロザリアは思ってしまった。
「どうしてこんなにあのかたに苛々してしまうのかしら」
そんな感情もロザリアには不本意なものだった。ロザリアは回廊から離れると頭をひとつ振り、王立研究院へと足を向けるのだった。


また別の日。聖殿の正面階段を下りたところで、ロザリアは声を掛けられた。夢の守護聖の声だ。
「帰るとこ? 送るよ、って言ったら断られそうだねえ。じゃあ、さ、公園の辺りまで一緒に行っていい?」
ご遠慮します、と言おうと思ったが、振り向いたロザリアは一度上目遣いにオリヴィエを見て目を逸らした。ツンと顎を上げる。
「好きになさったらいかが」
オリヴィエの笑い声がそれに応じた。
「ん。好きにさせてもらうよ」
隣を行くオリヴィエが腕に掛けた黒い羽根のショールが揺れ、それが目の端に映る。化粧品なのかコロンなのか、男性からは普通しない香りが届くこともロザリアを落ち着かなくさせる。
「わたくしが迷惑だと思っているのをご存知でしょう。ですのに、何度断っても誘っていらっしゃるのはどうしてなんですの?」
唐突にロザリアがそう振ると、オリヴィエは、んー? と首を傾げて思案のポーズ。
「あんたって可愛いなあって思って」
石畳の上、ロザリアの靴が動きを止めた。
かなり忘れ難い失敗をし、オリヴィエにはそれを大笑いされた。そして彼にどこで何度誘われようと、恥をかかせるほどに断り続けている。自分のどこがオリヴィエに可愛いなどと思われる要素があるのかロザリアには全く理解できなかった。
「バカにしていらっしゃるのね。オリヴィエ様のお考えはわたくしには全く理解できません!」
言うとロザリアは小走りに駆け出した。彼女の名を呼ぶオリヴィエに、ついてこないで、との言葉だけ残して。




随分嫌われてしまったようだ。さすがにオリヴィエも溜め息を零してしまう。
敗因はもちろん彼女の小さな失敗に居合わせてしまったことだが、それがなかったらロザリアのあんな面を知ることもなかった。だからオリヴィエにとっては大事な出来事だと言っていい。

「アンジェリークから聞きましたよ。オリヴィエ様らしくないですね、女の子を笑うなんて。俺、意外です」
「オリヴィエ様、僕すごく気になります。ロザリアの失敗って何だったんですか?」
ランディとマルセルが好奇心に溢れた瞳でオリヴィエに詰め寄る。オリヴィエはお手上げ、の仕草で両手を広げて見せた。
「そう、私こそが失敗したのさ。だからそのことについては聞かれても一切口にしない。もう失敗はゴメンだからね」
そう言っても納得せずに彼に質問してくる年少組の守護聖に、オリヴィエの瞳の温度が下がる。
「しつこい。これ以上聞いたら……怒るよ?」
あえて微笑んでオリヴィエがそう脅しをかけると、ランディもマルセルも体を後ろへ引いてやっと口を閉じた。後ろにいたゼフェルの笑う声が聞こえる。
「あんだけ嫌われてるんじゃ、巻き返すのも大変そうだよな。気の毒にな、オリヴィエ」
勝ち誇った響きを声に聞き取り、オリヴィエは苦笑して鋼の守護聖を見る。ゼフェルは試験開始当初からロザリアの支持者の一人だった。
彼のように試験のはじめからロザリアと親しくしていれば、失敗してもあれほど嫌われはしなかったかもしれない。
「そうだね。あんたたちが羨ましいよ。まあ、それでもできることはやってくさ」
疎まれていようがロザリアを諦めない姿勢をオリヴィエは隠さなかった。じゃあね、と肩を竦めてその場を去るオリヴィエを、三人は意外そうな表情になって見送った。

女王補佐官が取り成してくれた節があり、ロザリアのオリヴィエへの態度は少し軟化した。とは言え、デートの誘いは全て断られたし親しくなる機会は全く持てずに日々が過ぎていく。
振られまくるオリヴィエに同情してかアンジェリークが彼を慰めてくれる場面もいくつかあり、どちらかと言えば金色の女王候補のほうと親密度が上がる毎日であった。
オリヴィエは他の守護聖たちとロザリアとの仲を注意して見ていたけれど、彼女はどの守護聖とも特出して親しくはなっていかなった。ロザリアが脇目も振らず見つめているのは女王の座、それは周囲みなの目にもはっきりしていた。


オリヴィエがある日ルヴァの執務室で午後のお茶をご馳走になっていると、控えめなノックの音がする。
「ご機嫌よう。ルヴァ様、お借りしていたご本を……」
にこやかなロザリアの声が途切れたのは、奥のテーブルにオリヴィエがいることに気付いたかららしかった。
オリヴィエが、はぁい、と手を振ったが、ロザリアは何も言わずに彼へ目礼だけをした。そして青い瞳をひたと地の守護聖へ向けて続きを継ぐ。
「ご本をありがとうございました。文化が辺境の惑星へ伝わっていく流れが大変分かりやすかったですわ。知識はこうして広がりを見せるのですわね」
ルヴァは返された本を受け取ると穏やかに微笑んで頷いた。
「ええ、とてもよい本でしょう。お役に立てたのなら何よりですよー。ああそうだ、他にもお勧めしたい本があるんですよ」
ええと、どこだったでしょうかねえ、と机の上を探した後、ルヴァは私室へ続く扉へ目を向ける。
「奥の書棚だったですかねえ。ロザリア、ちょっと待ってくださいねー。そちらでオリヴィエとお茶でも飲んでいらしてください」
ロザリアが止める間もなく地の守護聖は私室へ消えた。本のこととなるとルヴァはとても機敏になるのはなぜだろうとオリヴィエは笑みを漏らした。
「ほら、ここ。お座りよ。ここで待ってなってルヴァが言っただろう?」
楽しそうにオリヴィエが横の椅子を叩いて示すと、ロザリアはむっとした顔のままだったが大人しく席についた。オリヴィエは急須を使って女王候補の少女へ緑茶を淹れる。
恐れ入ります、とロザリアは大人しく彼の勧めた湯飲みを手にし、オリヴィエはそれを微笑んで見つめた。

そこへ廊下から弾んだ足音が響き、せわしないノックのあとアンジェリークが顔を出した。
「あっ、オリヴィエ様発見ー! これ、ありがとうございました。見てください、こんな感じで着てみました〜」
アンジェリークの着る服は膝上の白いワンピース。裾には二段のフリルがついていて、シンプルなラインながら柔らかな素材と相まって華やかな印象がある。
首に巻いたストールとロングブーツはどちらも焦げ茶で、グレーの小さめの帽子が頭にのっている。アンジェリークは楽しそうに笑い声を上げると両手を広げ、くるりと体を回す。
「ん〜、可愛いじゃないか。茶系で纏めたんだね、いいカンジ。すっごくキュートだよ」
オリヴィエに褒められてアンジェリークはますます嬉しそうに声を上げて笑った。
「何をしてらっしゃるの、あなたがた」
呆れを含んだ咎める声にオリヴィエとアンジェリークは揃ってロザリアを振り向く。
「おしゃれレッスン。いただいたこのワンピースをコーディネートしてくるのが宿題だったの」
「そうそう。熱心な生徒を持って私は大喜びさ。成果はデートで発揮してもらえば、他の奴らも大喜び間違いなし」
ねっ、とオリヴィエがアンジェリークと顔を見合わせると、棘のある声がロザリアから上がる。
「随分と熱心ですこと。やっと育成がうまく成果を上げ出したからって、余裕がありますのね、羨ましい」
楽しい気持ちに水をかけられた気分で、オリヴィエは溜め息をひとつ。

フェリシアの発展がどうやら停滞しているらしいというのはオリヴィエも耳に挟んでいた。反対にエリューシオンは最近急に建物の数を増やしている。ロザリアの焦りも分からないでもないが、攻撃的な姿勢にオリヴィエは眉を顰めざるをえない。
「そう言うあんたは余裕なさすぎ。もっと肩の力を抜いて、ここの生活を楽しんだらどうなんだい? 少しはアンジェリークを見習ってさ。だから色々見えなくなってるんじゃないの?」
後ろからアンジェリークがオリヴィエの服を引っ張るが、すでに遅く、ロザリアが憤慨した顔で椅子を立った。
「わたくしに何が見えてないとオリヴィエ様はおっしゃりたいの? 服のお洒落レッスンなんて、それこそくだらないですわ」
オリヴィエはロザリアに対決するように前に立ち、はぁん、と口の端を上げる。
「ああ。あんた自信ないんだ。私が褒めるくらいのコーディネート。だから逃げようとしてるワケだ」
オリヴィエの挑発に簡単にロザリアが引っ掛かった。
「なんですって。わたくしにはそんなこと、意味がないと思っているだけで、逃げてなんて……」
「あーはいはい、分かった分かった。保守的なお嬢さんにはちょっと難しいものねぇ、無理言ってゴメンよ」
「オリヴィエ様、保守的って何ですの。わたくしが新しい考えを拒否しているって、そう仰りたいんですのね!」
そんなこんなで。
ロザリアは腰に手を当てて高らかに宣言した。
「いいですわよ! アンジェリークの着ているものと同じ白いワンピース、わたくしのアレンジでオリヴィエ様をあっと言わせてみせますわ!」
オリヴィエはアンジェリークへ贈ったものと同じワンピースをロザリアに渡す約束をし、楽しみにしてるよ、とにっこり笑った。ムキになる彼女はとても可愛いと、そう思いながら。
本を持って私室から戻って来たルヴァは目を丸くしてそんなオリヴィエとロザリアを見る。アンジェリークは笑いを堪えながら事の次第をルヴァに耳打ちしたのだった。


ワンピースをロザリアへ渡した翌日のこと。執務室の扉をノックする音に、開いてるよ、とオリヴィエは返した。すぐに誰かの手でドアが薄く開かれたけれど、そこから反応がない。
オリヴィエは席を立ち扉へ向かうと、少しだけ開いていた扉を大きく開く。そこには案の定ロザリアの姿があった。頬を染めて自分を見上げる彼女に、オリヴィエは笑みが浮かぶのを隠す。
「き、着てみました、わ! いかが?!」
喧嘩腰ながら震える声で執務室に足を踏み入れた様子から、きっと着こなしには言うほど自信がないのだろうとオリヴィエは思い当たる。
ロザリアは、渡した白いワンピースの上に、水色のジャンパースカートの前を開け重ね着していた。丈はワンピースより少し短いくらいで、フリルの覗く分量は申し分ない。
交差したストラップがアクセントの靴は髪と同じ色。胸元のコサージュと揃いでサイズの小さいものが細い足首を飾っている。いつもはもう少し隠されている足と膝が白く眩しく、オリヴィエの視線を誘う。
ふぅん、と固い表情を装い、腕組みしてオリヴィエが見下ろすと、ロザリアは眉を寄せて表情は不安なものになる。オリヴィエはその反応をこっそり楽しみながら、ロザリアの周囲を一周巡る。
「まあ、いいんじゃない? あんたに似合うブルーだものね。無難って言えば無難だけど、そこもあんたらしいし」
鏡の前に引っ張り、オリヴィエはロザリアの両肩に手を置くと、鏡の中の彼女へ笑い掛けた。
「可愛いよ」
耳のそばでオリヴィエの囁いた声に、ロザリアの頬がピンクから赤へ変わる。
「そ、それでは、わたくしの勝ちですわね!」
いつの間にそんな勝負になったのか不明だが、オリヴィエは彼女の反応に気を良くして鏡の前の椅子へロザリアを座らせた。
「はいはい、全部あんたの言う通り。私の負け。でもね」
言いながら素早くロザリアの青いリボンを解き、オリヴィエはロザリアの髪にブラシを入れる。何をなさるの! と赤い頬のまま抗議しようとするロザリアを制し、オリヴィエは鏡の中へ小さくウインク。
「残念ながら髪がいつも通りじゃ、満点は上げられない。しばらく目を閉じておいで」
満点という言葉が効いたか、むっとしながらもロザリアは目を閉じた。オリヴィエは極上の気持ちでブラシを手にして笑った。

公園まで歩く道までの間も、擦れ違う人たちが目を丸くしてオリヴィエの隣にいるロザリアを見る。
「なんだ? どうしたんだよおめー。……いつもと違うじゃん。オリヴィエの仕業かぁ?」
偶然行き会った鋼の守護聖はいつも通り乱暴な言葉遣いながら、明らかに彼女に見惚れていた。ただゼフェルは、隣にオリヴィエがいることに関しては面白くないといった表情を隠さなかったけれど。
ロザリアの髪を一度トップで纏めた後少しルーズにアレンジしたのは、ゼフェルの指摘通りもちろんオリヴィエだ。
今日ロザリアが着ている服のイメージに合わせて軽やかな印象が出るように。オリヴィエが仕上げに彼女の髪の色が使われたネックレスをロザリアの首にかけたけれど、それを彼女は嫌がりはしなかった。
「ほ〜ら。ちょっと服や髪を変えただけでこーんなに気分が変わるだろう? 満点どころか、今日のあんたは二百点でも足りない。あんたの変身にみんなもびっくりさ」
そう言うオリヴィエも、いつもの執務服を脱ぎ男性らしい服に着替えていた。スラックスは白、ブラウスの色は横のロザリアに合わせたブルー。
ちゃっかりと、彼女が足首につけていた花をひとつ掠め取り、自分のペンダントに飾った。まるで二人の服を最初から意識して揃えたかのように。
「オリヴィエ様の思惑通りになってしまったのは悔しいのですが、今日は大目に見て差し上げますわ。……わたくしもちょっと気分が晴れましたもの」
つんと顎を上げてはいたけれど、ロザリアの浮き立つ感情はオリヴィエにも伝わっていた。いつもより彼女の肩から力が抜けているのも感じられ、それはオリヴィエを喜ばせる。
「私の負けは決定だからさ、カフェで何でも好きなもの奢ったげる。あーこっちこそ悔しい」
そう肩を竦めたオリヴィエに、ロザリアは横目を寄越した。
「言っておきますが、これはデートなんかじゃありませんわよ」
うっと胸を押さえ、釘刺されちゃった、と情けない顔をしたオリヴィエを見て、ロザリアはほんの少し笑みを見せた。彼の胸が大きく鳴ったことを彼女に隠せたかどうか、オリヴィエに自信はなかった。

公園内にあるカフェで、オリヴィエは席までロザリアをエスコートした。カフェにいた客たちが驚きと憧れの視線を寄越すのを感じる。カフェにいたらしいランディが駆け寄ってきた。
「ロザリア、今日は感じが違うね。いつもの服もいいけど、今日のも新鮮で可愛いな。女の子ってなんだかすごいなあ」
照れながら意外とストレートに褒める言葉を繰り出すランディに、オリヴィエは横で微笑みながら内心苛々を募らせた。
ランディは普段アンジェリーク贔屓なのだからなおさらだ。ロザリアもそれに嬉しそうに返事を返し、二人はオリヴィエの目の前で週末の約束を交わした。更にオリヴィエの苛立ちが増してしまう。
「肩の力、抜きすぎなんじゃないの」
ついオリヴィエから零れた嫌みには、ロザリアの横目の視線だけが返された。
オリヴィエが引いたカフェの椅子に、ロザリアが礼を言って腰掛ける。オリヴィエが下に目を落とすとそこには、いつもは髪で隠されているロザリアの白いうなじ。
引き寄せられるようにオリヴィエは屈み、そこへ唇を寄せて触れた。しっとりと細やかで甘い香りのする肌。触れただけでは済まずに、離れる時に唇がリップ音を立てた。
しまった、いま、自分は何を……。
我に返ったオリヴィエの前には、大きく音を立てて席を立ったロザリア。オリヴィエがキスを落とした首の後ろに手を当て、困惑したその顔は見る見るうちに真っ赤になった。
「ごめん。ちょっと間違っ……」
混乱した謝罪の言葉が終わらぬうちに、ロザリアの手がオリヴィエの頬を打つ。周囲の席の誰もが二人を驚いて見つめていた。
「信じられませんわ! オリヴィエ様の、変態!」
そう叫んでカフェを走り去ったロザリアと手の痕を頬に浮かばせたオリヴィエは、当分の間カフェにいた客たちの噂の種になるのだったが。

マジでヤバイ。……ネジ飛んじゃったくらい、参ってる。

そんなことを考えているオリヴィエだった。



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女王試験は順調に進み、どちらの大陸も半分以上を民たちが拓いていた。飛空都市の生活に馴染んでからはアンジェリークの奮う力は余裕のあるものになっている。
反対にロザリアは持てる力ほとんどを育成へと注いでいた。それでやっと互角の発展へ持っていっている。
同じ量の依頼をしてもアンジェリークの大陸への反応のほうが大きいこと、そこへロザリアは明確な答えを出せていない。ここから先は、どんな師もいないしどんな本にも答えは書かれていない。
ロザリアの背を焦りが駆け上がる。
しかも明日には定期審査が控えている。今日のままではエリューシオンのほうが人口が多く、審査ではアンジェリークに軍配が上がることになる。
フェリシアに今日どのサクリアを送ろうとも、ひとつ大きな単位へ繰り上がりそうもない。何度計算しても。
ロザリアは唇を噛むと顔を上げる。そして守護聖の執務室へ向かった。

「妨害を、少し。お願いいたします」
ロザリアの言葉に、リュミエールはしばし微笑んだまま口を閉じていた。
「分かりました。エリューシオンから水のサクリアを引き上げること、お引き受けいたしましょう」
それほど大掛かりなものを仕掛けるつもりではない。被害とて、そんなには大きくならないように注意深く。ここでの時間稼ぎの間に、自身の育成が停滞している原因を見つけようと決意を新たにするロザリアだ。

そしてロザリアは同じように、もうふたつ執務室を回った。
ロザリアの思惑通り、翌日エリューシオンの人口はフェリシアを下回った。王立研究院のデータを見られたわけではないので正確なところまでは分からないけれど。
ところが、定期審査は人口の比較ではなかった。
女王と女王補佐官の前。守護聖たちがそれぞれ支持する女王候補の名を上げる。その場合、今まではずっと支持の数はどちらの女王候補も同数だった。
三人ずつがアンジェリークとロザリアを選び、三人が保留。もしくは、四人同数の上で一人が保留、など。
けれどその日支持を多く集めたのはアンジェリークのほうだった。その理由は明らかだ。ロザリアは昨日、三人の守護聖に、同じ依頼をしたのだから。
ロザリアは下を向いて唇を噛んだ。アンジェリークが気づかう表情でロザリアを見るのに気付けば、目を閉じてしまいたかった。


翌日は日の曜日。ロザリアは自室に篭ってぼんやりとしていた。机に向かっていたものの開いたノートには何も書かれてはいない。
朝もアンジェリークと顔を合わせるのが嫌できちんと食事を取っていなかった。ばあやが心配し、サンドイッチとパウンドケーキを食堂に頼んで運ばせたようだったけれど、ロザリアはそれにも後でと返事をした。
アンジェリークに、気にしないでと慰められるのだけは絶対に嫌だった。愚かな行いを守護聖たちにも笑われているかもしれないと思うと、体から何をする気力も抜けてしまう。
階下から戻って来たばあやから、お嬢様、と後ろから声をかけられて振り向くと、その手には花束が抱えられていた。ピンクの薔薇だ。それを見た途端、ロザリアは送り主を直感した。
「オリヴィエ様は?」
尋ねると、ばあやは少し驚いた顔をしたものの窓のほうへ目をやって答えをくれた。
「お帰りになられましたよ。下でこれを託されて、何もおっしゃらずに」
ロザリアは椅子を立って自室を飛び出した。階段を駆け下りて門を出ると、夢の守護聖の後姿が見えた。オリヴィエ様、と呼ぶと彼は振り向いて目を丸くした。
「もうすぐお昼ですわ。よかったら、わたくしの部屋でサンドイッチをいかが?」
その言葉に驚いたのはロザリア自身だった。オリヴィエはにっこり笑って頷いた。

ばあやが用意してくれていたサンドイッチと焼き菓子が、ロザリアの部屋のテーブルへ並べられる。ばあやはロザリアが食事を取る気になったことが嬉しいらしく、オリヴィエへの対応が明らかに丁寧で優しい。
今はもう、ロザリアは知っていた。彼女がかつてした失態を、オリヴィエが誰にもひと言も話してはいないことを。彼女のことを誰かと笑ったりなど、一度もしていなかったことを。
日の曜日を夢の守護聖と過ごすのは初めてだった。オリヴィエは彼らしく肌に添うインナーの上、たっぷりした布とたくさんのアクセサリを纏っていた。
食事をしながらオリヴィエは次々とたくさんの話題を持ち出す。彼が今気に入っているネイルアートについて。カロリーが低く栄養価の高い食事について。夜寝る前に焚くアロマについて。
ロザリアは相槌を打ったり頷いたりするだけだが、オリヴィエは気にすることなく楽しそうに笑って話を続ける。ロザリアはだんだん肩から力が抜けて行くのを感じた。気が付くとサンドイッチも思ったよりたくさん平らげていた。
昨日のこと、そして一昨日ロザリアがしたことに関して、オリヴィエはひと言も触れなかった。だからだろうか、逆にロザリアの口からはそれについて零れた。
「わたくしがしたこと、何もおっしゃりませんの」
オリヴィエは紅茶を飲んで微笑む。
「そんな言い方するってことはさ、触れて欲しいワケだ。誰かに叱られたい、ってワケ? あんたには耳に痛いことになるけど、いいの?」
むっとしてロザリアは黙り込んだが、彼女の返事を待たずにオリヴィエが口を開く。
「目先のことしか見えてないの? あんたのしたことは別に禁じられてもいないし、それについては私も何も言うことはないけど。今回のことはマルセルの目にだって滑稽に映っただろうね。
あんたにとって大事なのは大陸の発展じゃなくて、試験の優劣なんだってみんな気付いちゃったし」
容赦ない言葉を貰ってロザリアの頬は恥ずかしさと怒りで赤く染まった。確かにオリヴィエの言う通りではある。だがそれを実際に言われて自分がオリヴィエをどう思うかは正論とは別だ。
「オリヴィエ様なんて、大嫌い」
力なくそれだけ言い、ロザリアが椅子を立って背を向けると、後ろにオリヴィエが立った。腕が回され、屈んだオリヴィエがロザリアの肩を後ろからそっと抱く。
「焦らなくていいよ。無理しないで、自分が信じてること、できることをおしよ。応援、してるから」
本当はロザリアとて妨害など依頼したくはなかった。フェリシアがフェリシアらしく発展するのを見守りたかった。けれどそうしたら、自分は試験に負けてしまうのだ。女王になれなくなってしまうのだ。

「オリヴィエ様のバカ」
「うん」
「それに意地悪」
「うん」
「お説教も慰めも、どちらもご遠慮したいの、ご存知でしょう」
「うん」
背中に暖かな熱を感じながら、ロザリアは恨み言を連ねた。それにひとつひとつ頷くオリヴィエの声が耳の近くから聞こえて。
もしかしたら夢の守護聖は自分のことを少し好きなのかもしれない、そうロザリアははじめて感じた。


女王試験は進み、アンジェリークの大陸は今までよりもっと発展を加速させた。そして周囲が目を瞠るほどの力強さで大陸を金の天使のサクリアが覆い、とうとう中の島へエリューシオンが到達した。
それ以前からもう、ロザリアはアンジェリークの持つ力を認めていた。オリヴィエにもらったお説教のように、フェリシアが相応しい発展をすることをこそロザリアも望んだ結果でもある。
女王陛下から引き継いだ女王の力。それはアンジェリークのものとなって大きく花開く。アンジェリークは、すぐに彼らの宇宙を大陸の惑星のある新宇宙へ移動させた。
大きな可能性を秘めた、新しい宇宙だ。それは女王としてのアンジェリークそのままに。
「おめでとう、アンジェリーク。あなたが女王になるなんて、試験のはじめには絶対認められなかったけど」
今なら、認められると。そこは意地で言えなかったロザリアだが、気にするでなくアンジェリークは笑った。そしておねだりの表情でアンジェリークが口を開く。
「ロザリア。これからも一緒にいてくれる? 女王陛下とディア様みたいに。ロザリアがそばにいてくれたら、もっとがんばれるって思うから、お願い!」
ロザリアの胸につきんとした痛みと、柔らかくて甘いものが広がる。素直なアンジェリークの言葉に、自分との違いをやはり感じる。今ではそこにロザリアは笑みを隠せない。
そして自分がそんな心持ちになれた理由を考えると、ある人の顔が頭に浮かぶ。
「仕方ないですわね。あなたみたいな頼りない女王陛下には、わたくしぐらいの者がついている必要がありますもの」
ツンと顎を上げてロザリアが答えても、思った通りアンジェリークは全く動じずに、ありがとう! と笑った。つられてロザリアも笑った。
これからもずっと、一緒だ。

 

**********************



アンジェリークが女王に決まり、ロザリアは彼女の女王補佐官として就任するのだと聞いた。
試験の中盤、ロザリアはとても苦しそうだった。アンジェリークの力を認めてからはかなり楽になったようなのが窺え、そこはよかったと思いながら女王候補二人を見ていたオリヴィエだ。
それでも自分を負かした相手に仕える気になるかどうか、心配もしていた。主星へ戻る選択をする可能性もあると思っていたが、快く新女王陛下の要請にロザリアが応じたと聞き、オリヴィエは胸を撫で下ろした。
一度だけ、ロザリアの自室に招かれて昼をご馳走になったことがある。けれどそれ以外はやはりオリヴィエの誘いを彼女はことごとく退けていた。
オリヴィエの好意はもしかして全くロザリアへ届いていないのかもしれない。それでもよかった。ここ聖地へ舞台は移ったが、これからも彼女の姿を見ていられる。
ただ、女王試験が終わった今、ロザリアは彼女の信奉者たちに目を向ける可能性もある。
ロザリアに恋人ができたら、もう誘うことも断られることもなくなるかもしれない、それはオリヴィエにとってさみしいことだろうが。そんな胸の痛みも新鮮かもしれない、とそれを楽しみにすることにする。
オリヴィエは薔薇を抱えて女王補佐官邸へ向かった。

使用人に託そうと思ったのだがロザリア本人が応対し、オリヴィエは息をのんだ。ロザリアは彼女のいつものブルーのワンピースではなく、細いシルエットのマーメイドタイプの補佐官ドレスに身を包んでいた。
オリヴィエは急に大人びたその姿に目を瞠る。
「女王補佐官に就任するんだってね。おめでと」
そんな言葉に彼女だったら反発するかもしれないとオリヴィエは思っていた。女王になった訳でもないのにちっともおめでたくなどないとか、盛大な嫌みですわねとか。
けれどロザリアは何も言わずに薔薇を受け取ると、真っ直ぐにオリヴィエを見上げた。
「お茶をいかが?」
もちろんオリヴィエはにっこり笑って頷いた。

「まだこちらのお屋敷の勝手がつかめなくて」
ディアが使っていた際にも足を運んだことがあったけれど、補佐官邸は内装も応接間の家具も全部が新しくなっているようだ。
「そのドレス、よく似合うね」
ソファーに腰を下ろしたオリヴィエが言うと、ロザリアの頬は少し赤くなったようだった。彼女は薔薇を手にし、花瓶はどちらかしら、とオリヴィエの前から身を翻そうとした。
けれどタイトで長いドレスの裾が足に纏わり、それを捌ききれなかったロザリアの体が傾ぐ。危ない! とオリヴィエが腕を引くと、彼の膝の上にロザリアが座る形になってしまった。
ロザリアが取り落とした花束のリボンが外れ、足元に薔薇が散らばる。オリヴィエは膝に彼女の柔らかいヒップを感じて慌てて詫びた。
「あ、えっと、ごめん」
けれど、いつかのように頬を張られるかと覚悟したオリヴィエの体が傾いだのは、ロザリアがソファーの上に彼を押し倒したからだった。
そのまま、上に重ねられた柔らかな体に驚く暇もなく、ロザリアが唇でオリヴィエの唇に触れる。ふわふわと空へ漂ってしまいそうな感覚にオリヴィエは目を閉じた。思わず呟く。
「夢なら、ここで終わらせて」
自分でも夢の守護聖らしからぬセリフだと感じた。するととても近い場所からロザリアの笑う声が届く。
「終わっていいんですの? 甘い続きがもしありましても?」
オリヴィエは慌てて目を開けた。近い場所で見るブルーは、彼女の言う通り初めて見る甘い煌き。夢の中のように現実感がないが、どうやら本当のことらしい。
だとしたら。自分の瞳も甘く揺らめいているに違いないとオリヴィエは感じた。

「オリヴィエ様の前ではいつも調子が狂ってしまうんですの。どうしてかしら」
「うん。私も」
「こんな筈じゃなかったんですのよ。全部あなたのせい」
「うん。私も」
「オリヴィエ様なんて……」
「うん」
オリヴィエは頭を浮かせ、甘い続きをねだった。
大嫌いだと言われたあの日からはじまった特別な日々たち。
どんな恨み言も非難の言葉も、いくらだって聞く覚悟はある。彼女がこうしてそばにいてくれるのなら。


end


しろがね様(素敵サイト「Silver hourglass」へはリンクページからどうぞ。)より、フリーSSをいただいてきました!
サイト開設4周年記念のオリヴィエ×ロザリアです///。
もう、なんてかわいいお話なんでしょうか〜。
しろがね様らしい、ちょっと意地悪っぽいオリヴィエ様と意地っ張りなロザリアのラブへの階段…。
お互いのことを意識し始めて、だんだんと恋へと変わっていく、その心情が丁寧に紡がれていて、映画を見ているような気持ちになります。
ロザリアのかわいらしいこと!!
妨害を頼んだ時の心の葛藤が愛しくたまりません。
それを責めるのではなくて、諫めてくれるオリヴィエ様…。
すごくきゅーんとしてしまいました///。
しろがね様のオリヴィエ×ロザリアは、私の憧れです〜。
これからも素敵なお話を紡いでください!
4周年、おめでとうございました!!!


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