Immorality


caution!: Immorality(不道徳)という単語に嫌悪感を感じられる方はご遠慮ください。
すっかり落ちた夕陽の代わりに、夜が闇を連れてきた。
少しづつ空にともり始める星明かり。
オリヴィエの前に置かれたカップにロザリアは紅茶を継ぎ足した。
「もういいよ。これ以上飲んだら、お腹壊しそう。」
右手で軽くカップに蓋をしたオリヴィエを、ロザリアは困ったような顔で見つめた。
「ごめんなさい。お待たせしてしまって。もう戻ると思うのですけれど。」
さっきから何度同じ言葉を聞いただろう。
向かいのソファに腰を下ろしたロザリアの顔をちらりと見た。
カップに伸ばした綺麗な指先。うつむいた時に揺れる長い睫毛。
このままオスカーが来なければいいと、心のどこかで願っている。
「そういえばさ、こないだのバスオイル、どうだった?」
「ええ、とてもリラックスできましたわ。オリヴィエに尋ねて、本当に良かった。」
ロザリアの表情が花が咲くように明るく変わった。
楽しい話の時、きらりと青い瞳が輝いて、ほんの少し頬が赤くなる。
そんな小さなことまで、今はもう知っているのに。


オスカーがロザリアと付き合うことにした、と告げた時、オリヴィエは正直信じられなかった。
女王試験中も補佐官になってからも、オリヴィエとロザリアはほとんど接点がなかった。
ロザリアという少女のこともよくわからない。オスカーが惹かれた理由も、全く分からない。
そんな状態。
そういえば、二人はよくデートもしていたようだし、オリヴィエの知るロザリアの情報は、ほとんどオスカーからもたらされた物のような気もする。
「おめでと。あんたもようやく運命の女性とやらを見つけられたんだね。」
からかうようにウインクしたオリヴィエにオスカーは「うるさい。」とそっぽを向いた。
そのかつてない反応にオリヴィエは目を丸くした。
「あら、お熱いねぇ。あんたのほうが惚れちゃってんじゃないの?」
「そうかもしれないな。」
悪びれずにのろける悪友に、心から拍手を送ったのだ。あの時は。

正式に付き合い始めた二人は昼食もお茶の時間も共に過ごすようになった。
たまに誘われて、オリヴィエも同席する。
ロザリアは笑顔でオリヴィエの分のお茶を用意すると、オスカーの隣に座る。
3人で過ごす楽しい時間。
親しくなるにつれて、二人でもお茶をするようになった。
オスカーの話はもちろん、いろんな話をしてみると、ロザリアはとても魅力的だった。
高飛車かと思うとビックリするほど弱気だったり、頭の回転も速く、教養もある。
なによりも愛らしい表情に目を奪われた。
今まで彼女の何を見ていたんだろう。
ロザリアと過ごすたびに、オリヴィエの心には苦い思いが降り積もって行った。
そして、いつのまにか目を離せなくなってしまったのだ。


「オリヴィエ? どうなさったの?」
自分の思考に沈んでいたオリヴィエにロザリアが声をかけた。
ふと頭をあげたオリヴィエの目の前にあるロザリアの青い瞳。
「ん?…オスカー、遅いなって思ってさ。そろそろ帰ろうかな。もう暗いし。」
「まあ、今まで待っていらしたのに?」
残念そうにつぶやくロザリアの唇に目が行ってしまう。
やわらかそうで、艶やかな唇。
口づけをしたらどんな味がするのだろう。
「ん~。もういいよ。また来るからさ。ごめんね。付き合わせちゃって。」
「いいんですのよ。わたくしもとても楽しかったですわ。」
オリヴィエにとっても、とても楽しい時間だった。永遠に続けばいいと思うほど。


オスカーの家を出たオリヴィエは家に戻らずに下界へと降りた。
馴染みの店に入ると、長い髪の女を探す。
夜なのに外さないサングラス姿にも、オリヴィエから出るオーラは隠せない。
何人もの女が声をかけてくる。
「ねえ。一人?」
腰まで届きそうな長い黒髪。
「今まではね。」
オリヴィエは女の腰に手をまわすと、黒髪に手を入れた。指を通り抜ける髪の感触に唇の端をゆがめる。
慣れ慣れしく寄り掛かってくる女と店の奥の個室に入った。
暗闇で、長い髪が絡みつく。
今頃、彼女はオスカーの下でどんな顔をしているんだろう。
あの声で、あの瞳で、彼の名を呼びながら、どんな。
目の前の女の長い髪にロザリアを重ねてみる。
目眩がしそうになって、オリヴィエは欲望を吐き出した。


オリヴィエが帰った後、ロザリアは自分の使ったカップを片づけた。
ターコイズブルーに白い薔薇の彫りの入ったお気に入りのペアカップ。
テーブルの上に残った方のカップに、残りの紅茶を注いだ。
少し冷めてしまったせいか、もう湯気は上がらない。
ロザリアはカップを持ち上げると、ふちに残るルージュの後に自分の唇を近づけた。
まだ少し、ぬくもりが残っているような気がする。
けれど、本当の唇はもっと暖かいのだろう。
ロザリアはカップのふちに唇をあてたまま、ソファに座っていた。
今日、オスカーが遅くにしか帰らないことを知っていたのに、「もう帰って来る。」とウソをついてしまった。
少しでも一緒に、いたかったから。
ドアの開く音がして、陽気な足音が近づいてくる。
ロザリアはカップのルージュを慌てて指で拭うと、ソーサーに戻した。

「ロザリア。」
大きな薔薇の花束を抱えて、オスカーが現れた。
「どうなさったの?こんなにたくさん。」
部屋中に広がる薔薇の香りに、ロザリアは思わず目を細めた。
一抱えもある花束を手渡したオスカーはロザリアの額に唇を落とす。
「遅くなったからな。閉まりかけていた花屋から、それだけの薔薇を出させるのは大変だったんだぜ。」
オスカーは嬉しそうに薔薇を花瓶に移すロザリアの背中を見つめていた。
愛おしさで、なにかせずにはいられないと思う自分に苦笑する。
こんなにも誰かを想う日が来るなんて、考えてもいなかった。
薔薇の葉を切るロザリアの背後からそっと身体を抱きしめる。
思いのままに力を込めてしまえば、壊してしまいそうで、ただぬくもりを確かめた。

「なにかお飲みになる?」
するりと腕を抜けたロザリアが微笑んだ。
「いや。シャワーを浴びてくる。君は?」
「まだですの。あなたの後でかまいませんわ。」
ロザリアの視線の先に、飲みかけの紅茶の入ったカップがある。
ずっと待っていてくれたのだと、オスカーは頬を緩めた。
「俺は一緒でもいいんだがな。」
笑いながら部屋を出ようとしたオスカーはソファの近くでふと足をとめる。
生けてある薔薇とは少し違う、花の香り。
「誰か来ていたのか?」
なんとなく、そう言った。
「いいえ。誰も。…なぜそんなことを?」
「花の香りが…。いや、紅茶の香りだな。」
ロザリアが花の香りの紅茶を好んでいることをよく知っている。
オスカーはそれ以上何も言わずに、バスルームへと消えていった。

緋色の髪が月に輝いて、オスカーが動くたびにまるで炎のように揺らめく。
ロザリアはオスカーの髪に手を触れると、そっと指を伸ばした。
短い髪は一瞬だけ指に絡まると、すぐに通り抜けてしまう。
あの方の髪なら、きっと、この指をからめとってしまうだろう。
月明かりに揺れる、金の鎖のように。


聖地には珍しく、激しい雨が降っていた。
このところ続いていた晴れの日を帳消しにするような激しさで、雨は窓ガラスに当たって砕け落ちている。
「傘、持ってこなかったね。」
窓辺に立って雨粒を眺めていたオリヴィエは、身を震わせた。
そくり、と背筋を這いあがるのは、きっと寒気だけではない。
今、聖殿にいるのが二人きりだと、知ってしまったから。
オスカーがジュリアスとともに、ある惑星へ向かったのは昨日のこと。
一番熱心なジュリアスがいなければ、ほとんどの守護聖は定時で聖殿を出る。補佐官であるロザリアを除いては。
昨日もロザリアを家まで送り届けた。
ほんの短い距離でも、肩を並べて二人きりで歩く時間は特別なものだ。
彼のいない、その間だけ。
どんなに遅くなっても、一人で帰るつもりはなかった。

雨はやむ気配がない。むしろ雨足は強くなる一方だった。
宇宙の崩壊ではないかと、いらぬ心配をしてしまうほどに。
遠くで雷鳴が響いた。
最初の一拍は弱く。次の一拍は激しく。
繰り返されるトレモロの響きが空を覆っていく。
そして、激しい雷鳴がとどろいた。

ふっと落ちた明かりにオリヴィエは外を眺めた。
聖殿の周りを覆っている街灯はすべて消えているが、少し向こうの建物の灯りは滲んでいてもはっきりと輝いている。
どうやら、今落ちた雷のせいで、聖殿だけ停電を起こしてしまったらしい。
アロマ用のキャンドルに灯をともしたオリヴィエは、揺れる炎を手に、廊下へ出た。
物音一つしない、とはこのことだろう。
人の気配の全くない聖殿は窓を叩く雨の反射のせいで、海の底に沈んでいるようだ。
ゆらゆらと壁を這う光。足元から響く雷の音。

「きゃあ!」
ロザリアの叫ぶ声に、オリヴィエはためらうことなく補佐官室のドアを開けた。
目の前の大きな窓が、目を開けていられないほど、眩しく光る。途端に響く音。
一瞬の雷光で見えたのは、部屋のソファにうずくまるように座るロザリアの姿だった。
「どうかした?」
キャンドルを掲げて部屋に入ったオリヴィエは、執務机の上にそれを置いた。
ぼんやりとした灯りでも、あるのとないのとではまるで違う。
「オリヴィエ…。」
声を詰まらせながら、ロザリアが名前を呼んだ。
安堵したような、その声にオリヴィエの胸が軋む。

「…ちょっと停電したみたい。町の方は大丈夫みたいだし、騒ぎにはならないよ。」
執務机にもたれるようにして立ったオリヴィエは、ロザリアを安心させるためにゆっくりと言った。
ロザリアは小さく頷くと、不安げな瞳で見つめている。
再び、大きな雷鳴がとどろくと、ロザリアが身体をすくませた。

「怖くないよ。」
身体が意志とは逆に動いた。
近づいてはいけないと、頭のどこかで声がする。
それなのに、オリヴィエはロザリアを腕の中に閉じ込めていた。
優しく、包み込むように。
初めて触れたロザリアの体は小刻みに震えている。鼻先をくすぐる青紫の髪から漂う薔薇の香り。
自分の胸に抱いたそのやわらかさに、息が止まりそうになった。
「雷はキライ?」
腕の中のロザリアが頷く。
きっと、彼女には聞こえているだろう。
全身が逆流しそうなほど、自分の鼓動が、熱く高鳴っていることを。

雷の音はまだ続いている。
ロザリアはじっと抱かれたまま、オリヴィエの腕の暖かさを感じていた。
心まで溶けてしまいそうなぬくもりは、ずっと、知りたかった暖かさ。
「ロザリア。」
不意に名前を呼ばれて、ロザリアは顔をあげた。
その唇に、オリヴィエは自分の唇を重ねた。
包みこんでいた腕を抱きしめる強さに変えて、彼女の唇を奪う。
雨の音の隙間に、忍び込むような息遣いが聞こえた。
再び、大きく光った雷にロザリアが身を震わせると、オリヴィエは舌を滑り込ませる。
長い長い口づけはいつ終わるのかもわからないほど続いた。


「逃げていいんだよ?」
いつのまにか、二人は床に滑り落ちていた。
長い青紫の髪を床に広げると、オリヴィエは横たわるロザリアを見下ろした。
自分の足の間にある彼女の足が、ほんの少し動く。
まだ、今なら引き返せるかもしれない。
なにも知らなかったふりが、できるかもしれない。
「なぜですの?ただのお戯れですか?」
声が震えているのは、まだ外で雷鳴が繰り返しているせいなのか。
「愛してる。本当なんだよ。いつからかなんて、わからない。」
ロザリアの瞳が大きく見開いた。
その瞳に映る自分の姿がまるで悪魔のように見えて、オリヴィエは少しだけロザリアから身体を離した。

「イヤなら逃げて。追いかけないから。」
ロザリアの腕がオリヴィエの背中にまわると、強く身体を引き寄せた。
鼓動さえも重なり合う距離へと近づく。
「逃げられませんわ。もう、囚われていますの。」
いつからかなんて、わからない。
気付いた時には、もう、愛していたのだから。

オリヴィエはロザリアの髪に指をいれた。
長い髪を梳くように、毛先まで指を滑らせる。
「綺麗だよ。」
再び長い口づけが始まった。
やがて、唇が下へと降りていく。
首筋へ、胸元へ、痕がつくほど、強く。
ロザリアの手がオリヴィエの頭に触れて、指に髪をからめる。
お互いの吐息と繰り返される愛の言葉が、雨の音にまぎれるように響いていた。

あおい楚春様より

「炎が、見ていますわ…。」
執務机に置かれたキャンドルの炎が揺れている。
時折光る雷鳴よりも、ずっと弱いはずのその炎は、確かに二人を見つめているように見えた。

もう離さない。
誰かを傷つけても、自分を傷つけても。
小さな炎が求め合う二人を照らし続けていた。


FIN
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