「勿忘草」



それは突然のようでもあり、無意識下にずっと続いていたような気もする。
ディア様とのお茶の時間だったり、アンジェリークと公園を二人で散歩していた時だったり、ふと気づくと感じていた眼差し。

あの方から注がれる視線に戸惑うようになったのはいつのことだろう。

「どうか力を抜いて、貴方は貴方のままでいいのですよ。」

あの方はそう言ってくださった。
すぐに拗ねてしまう小さな子どものような私を、丸ごと受け入れてくださった。

☆☆☆

女王試験の中盤、どうにも育成が捗々しくなかった折にあの方の執務室で自嘲ぎみにこぼしてしまった愚痴。

「…わたくしは、わたくしのフェリシアの民たちにも嫌われているのかもしれませんわ。」

考えれば考えるほど、悩めば悩むほど八方ふさがりになっていった。

昔からどちらかというと両親や学院の先生方など、年配の方から評価されることが多かったような気がする。
多分、それを望んでもいたとも思う。
一生懸命な姿を注目され、褒められるのが嬉しかった。だから誰よりも努力はしたつもりだった。

けれども女王試験が始まってみて、それらは飽く迄、自分の中で完結できる範囲の出来事でしかなかったことに気付かされた。

育成はそうはいかない。
個性的で自己主張の強い守護聖様方や、会うたびに見違えるように変わってゆく大陸の人々とも深いかかわりが不可欠だ。
今になって思えば、明るくて誰にでも好かれやすいアンジェリークの方に分があったのだろう。
過去に私が必死で積み重ねて来たものなど、彼女はこの数か月で軽々とその手にしていった。

人と関わるのが苦手な私は、つい自分から壁を作ってしまう。
嫌われるのが怖くて。傷つくのを恐れて…。
いつも優しくしてくださるこの方にさえ、素直になれずに。

育成に偏りが出てくるのも道理だった。


「ロザリア、本来こうするのが正しいという育成などないのですよ。皆その時々で迷い、悩むものなのです。
貴方の育てるフェリシアの大地、そして民たちはそれぞれの意志を持って、日々成長しているのですからね。」

差し出されたのはカモミールのハーブティが入ったカップ…時折ふんわりと漂ってくるリュミエール様と同じ香り。

「予測はあくまで予測にすぎません。データに頼っていては見失ってしまうものもあるのではないでしょうか。」

まるで迷子のような私に手を差し伸べてくださろうというのに。


「明後日は日の曜日でしたね。ロザリア、…貴方さえよろしければわたくしの家にいらっしゃいませんか?」

この方の微笑みは、私には眩しすぎる。
眩しすぎて…自分が余計に惨めになる気がしてしまう。

「…わたくし、育成の予定を立てなければなりませんから…休日とはいえそんな暇は…。それに…。」
優しくされればされるほど、嬉しいはずなのになぜか泣きたくなってしまう。

「よろしいのですよ…お忙しいならば無理にはお願いできませんからね…。」
そう言うと、リュミエール様は寂しそうにため息を吐いて、アクアマリンの瞳を曇らせた。

そんな…。
「お願い…でございますか?」
私に?

するとあの方の口元にほんの少し微笑みが戻った。

「ええ、貴方さえよろしければ、わたくしの庭のハーブの手入れを手伝っていただきたかったのです…。」

「お手伝い…?」
私が…リュミエール様の?

するとまたほんの少し、微笑みが深くなった。

「そうです…ぜひ、お願いできますね?」

そうおっしゃったリュミエール様の笑顔が今度はどこか確信的に見えていた―。



「わぁ…可愛い!寄せ植えにしたの?」

久しぶりにアンジェリークを部屋に招いた。

くるくると目端の利く彼女らしく、あっという間に見つけられてしまった窓辺のハーブの鉢。
ローズマリーにローマン・カモミール。セージ、レモンバーム。

「あれ…また増えてる。」

「ええ…この前はレモンバームを頂いたの。」

毎週お邪魔するたびに増えて行くハーブの苗。
『初心者向けですよ。』って、鼻の頭に擦れた泥を乗せたまま、おどけるように微笑まれたあの方の顔が胸に温かい。

「ハーブ園のお手入れを手伝ったお礼だからとおっしゃって。…でも手伝いというよりは、かえってお邪魔しているようなのに…。」

「…ふーん。ふふっ。」

また…アンジェったらヘンな風に勘ぐるんだから…困ったわ。

つい後ろ向きな言葉が口を突いてしまう。この前も注意されたばかりだったのに。
けれどもなぜかこの頃、あの方の顔を思い浮かべるだけで顔が熱くなってしまって、的外れな言い訳をしたくなるのだ。

「あ、そうだ。昨日マルセル様がね、ブラックベリーのケーキを焼いたから食べにおいでって言ってたわよ。」

「…マルセル様が…?…そう。」



「申し訳ありませんでしたね…強引に誘ったようで。」

「…いえ、そんな。物語の中に出てくるような素敵なお庭で驚きましたわ。」

リュミエール様の私邸の庭は、裾広がりに大よそ三つのブロックから出来上がっていた。
簡易な柵で仕切られただけのその庭は、敷地の外からでも、四季折々の花や木の実が眺められるように配慮されているらしい。

入り口と思われるクライミングアーチにはダマスク系とアルバ系、二種類のオールドローズが幾重にも這い、華やかな香しいトンネルを形成していた。
緩やかな曲線を描いて縞状に区分けされたハーブ園は、作り込み過ぎないようでありながら季節感のある配色に繊細なこだわりを垣間見せた。
色彩感覚に優れたリュミエール様たる所以なのだろう。

少し先へと進むと野菜畑があり、はるか先には小さな温室が見えてきた。
名も知らぬ下草まで愛情を持って育てていらっしゃるらしく、白や淡い青色の楚々とした可憐な野の花たちが足下を飾る。
温室までの細いその道のりは、背の高い木々に囲まれ、ちょっとした冒険心も擽られた。

整然としたお庭を予想していたから、初めて目の当たりにしたときにはそれが新鮮で、心躍った。

けれどもそれにもまして驚きだったのが、その日のリュミエール様の装いだった。

見慣れない普段着は淡いグリーンのシャツにコットンのボトムス。腰にはデニムのガーデニングエプロンを巻いている。
そして長い青銀の髪は片方に寄せて結わえられ、首から肩にかけてのラインがはっきり見えた。
両袖もひじのあたりまで捲り上げられているので、筋張った男性らしい筋肉が否応なく覗く。

執務服に包まれている時はなよやかに見えるその体躯がとても鋭角的で、ひどく落ち着かない気分になった。


「植物は男女の別や美醜や貧富で人を選んだりしません。ただ必要な時に手入れをし、時にその美しさを愛で、時にその味を楽しむ。
そんな風に真摯に向き合うだけで、すくすくと育ってゆくのですよ。さ…こちらをお持ちなさい。」

挿し木したローズマリーの小ぶりな鉢を手渡されたとき覗きこまれたその瞳。
私の浅はかな心を見透かしているようで、羞恥のあまり顔が染まりそうだった。


「貴方の大陸も同じです。
わたくしたちが彼らのために与えるものが、植物に置き換えたところの水であり、肥料であり、日光なのだとすれば、貴方の与える愛情がその調節の役割をするのです。
日が厳しく照りつける日もあれば、雨の日もある。土壌もその日によってコンディションが違いますからね。」

私の手に重ねられたリュミエール様の土の色に染まった指。
それでさえ今の私のさもしい心に比べたらどれほど輝いて見える事だろう。


「ロザリア、貴方は先代の緑の守護聖をご存知でしょうか…。」
「はい…お名前は存じております。」

リュミエール様は微笑んで頷くと、温室に吊るされた中の一つのプランターに手のひらをよせた。
とても小さな赤いイチゴが二つ、三つと葉の上に顔をのぞかせている。
粒が揺れるたびに芳しい香気が辺りを包む。

「まあ…可愛らしいイチゴですこと。」

「これは今希少になってしまった野生種なのです。改良されていないので粒は小さいですしあまり甘くもありません。
けれどもとても強い芳香を放つのです。カティス様が聖地を降りられる際に、わたくしにくださった種から育ったものなのですよ。」


それからリュミエール様は守護聖になり立てだった当時の事を話してくださった。

「ある程度の覚悟はわたくしにもありました。故郷の惑星とこの地の時間の流れの違いも理解していたつもりでした。
…けれどもやはり、暮らしてみなければその隔たりの大きさを実感することはできないのです。」

故郷への尽きせぬ思慕をその目に焼き付けるようにリュミエール様は格子窓越しの青空を眺めた。

「そんな時でした。部屋に閉じこもりふさぎ込むわたくしをあの方が私邸にまねいてくださったのは…。」

カティス様の私邸の庭…つまりそれは、今のマルセル様の私邸にあたる。

「カティス様は…とても快活な方でした。そしてあの方の庭にはいつも人々が集い、子どもたちの声がこだましていたのですよ。
ジャングルのような南国の木々の間でかくれんぼしたり、バラ園に設えたブランコに乗ったりして遊ぶ彼らの様子は頑なになっていたわたくしの心を次第に癒してゆきました。」

―私と同じ年齢の時に守護聖になられたリュミエール様…けれどもこの方は私のように望んで聖地にやっていらしたわけではない。
愛する方々との突然の別れを余儀なくさせられたのだ。


「この庭も…元はカティス様がお作りになったのです。わたくしはその志を引き継いでいるだけ。
この庭がこのように気持ちがいいのは、あの方の植物への、そして人々への愛情が今もここに宿っているからなのですね。」

そしてリュミエール様は隣のプランターを釣り金具から外し、微笑んで私に手渡した。

「これは…どうか貴方からマルセルに届けてくださいますか?あちらと同じイチゴの種が植わっているのです。今の彼ならば上手に育てられるでしょう。」

「…マルセル様…に、でございますか?」

特に意味などなかった、ただ確認の為に繰り返しただけだった。
けれどもリュミエール様はそこに何かの意図をくみ取ったらしく、目じりが下がるくらいに可笑しそうにお笑いになった。

「いずれ貴方にも苗を差し上げましょう。ですが、今はジャムだけで我慢してくださいね。このイチゴは少々育て方が難しいので。」

私はやっとその笑顔の意味が読み取れて、感謝しなければならないはずなのに、少しばかり憤慨してしまった。

「…わたくし…お強請りしたつもりなどございませんでしたのに。」

リュミエール様は柔らかく相好を崩したままこうおっしゃった。

「ええ…よく分かっておりますよ。
お許しください、マルセルにはお礼とお詫びに彼の果樹園で採れた果物のジュースを貴方に差し上げるように申し伝えておきますので。」

「そんな…リュミエール様!!ですからわたくしは…。」

するとリュミエール様は、そっと私の手を握ってご自分の方に引き寄せた。

「…そうです。そんな風に、時にはお気持ちを素直に外にお出しになればいいのです。
閉じ込めたままでは心が窒息してしまいますよ。…ですから…どうかお手伝いをさせてくださいね、わたくしにも。」

涼やかな水色の瞳に仄かな熱が宿る。
長く見つめられるのが辛くて目を逸らせた。


「これは…。」

その時俯いた拍子に、リュミエール様のずれたエプロンの端からボトムスのポケットに差し込まれた、小さな青い花がはみ出しているのに気付いた。

一呼吸おいて、リュミエール様はそれを掌に掴んだ。


「ええ…こちらはワスレナグサの花です。…先ほど下の小川から摘んで参ったのですよ。どこか貴方に似ているような気がいたしましてね…。」

意味ありげに笑うリュミエール様はこう言葉を重ねた。

「アルバローズの高潔さは貴方に相応しいかもしれません。
けれどもこのワスレナグサの花の清楚な美しさをこそ…わたくしは称えたいのです。
花は地に咲いてこそとも申せますが、こうして思いがけぬ形で人の心を代弁してくれるものなのですね。」








S.Q.様(素敵ブログサイト「Green Tea & Herbal Tea」へは、リンクページからどうぞ。)より、SSを強奪してまいりました!
サイト開設1周年の記念フリーSSです。

もうね〜、なぜ、こんなに美しい文章なんでしょう!
ロザリアの視点で語られる言葉が、本当に彼女自身が語っているような、そんな気がします。
ところどころに感じられる、ロザリアの心の揺れとか、乙女な気持ちがひしひしと伝わってくるんですよね。
自信を失いかけたところでは、励ましたくなるし、リュミ様に男を感じてときめくところも、応援したくなるし…。

それにロザリアの可愛さは言うまでもないんですけど、リュミ様もまた、男らしいんですよね。
印象は優しいんですけど、ちゃんとロザリアを導いてあげようという意思を感じます。
彼女のいいところも、悪いところも全部含めて、すごく大切にしてくれているような。
意外に強引なところもありますけど、それも全部ロザリアのためですもんね〜。
こういう想いつつも、彼女の成長を見守る、というスタンスが、私的には大好物なので、リュミ様の大きな愛に萌えました///。
でもでも、隠してるばっかりでもないんですよね!
花に託して、想いをそれとなく伝えようとするところ、なんだか、おおっ!と思いました。
マルセル様にもちょっと牽制したり、ちょっぴり独占欲が垣間見えるとこも素敵!

リュミロザって、どちらもはっきりと想いを伝えないような気がするんですよね。
そこがもどかしい気もするし、美しい気もするし…。
その美しい部分が溢れた、素敵なお話をありがとうございました。
ロザリアファンとしてたまらないです〜。

一周年とは思えない文章に、私もいつも萌えさせていただいています。
2周年、3周年、と一緒に迎えられると嬉しいですv
これからも末長くお願いします!


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