ロザリアは結い上げていた髪を鏡の前で梳き、大きく溜め息を吐いた。
今夜は聖地の人々へ宮殿を開放して、パーティーを催した。夜会の総合責任者は、もちろん女王補佐官であるロザリア。
聖なる日の前夜は誰にとっても特別な一夜であるから、そんな夜を満足してもらえるようにロザリアは心を砕いた。
楽団への曲のリクエストが滞りなく通るように。立食形式の広間にたくさんの食べ物が溢れるように。
ゲストたちが一人ぽつんと立っていることのないように。ついでに女王陛下の気紛れへもうまく対処できるように。
ここ数日というもの、特に今日は朝からロザリアの忙しさは筆舌を尽くした。女官たちも彼女のために必死で働いてくれたが、一時は時間通り開会できるか危ぶまれるほどだった。
華やかなパーティーは周囲の協力も得て滞りなく開催された。守護聖はみんな若い女性たちに囲まれて次々とダンスに繰り出され、女王陛下もご機嫌でたくさんの男性と休みなく踊っていた。
ロザリアは裏方へ気を配っていなくてはならなかったが、それでもシャンパンとオードブルを口にする時間もあったし何度かフロアで踊りもした。
女王陛下を始めとして皆が口々にロザリアを労ってくれ、夜会の成功に彼女は胸を撫で下ろした。それでも私邸でこうして一人になると、連日の疲れと安堵から溜め息が零れてしまう。
時計を確認すると、あと僅かで日付が変わろうという時間になっていた。そこへチャイムの音が響き、ロザリアは二階の自室から階段へ向かう。
「はぁい、ロザリア。今夜はお疲れ様」
取り次いだ使用人へありがとうと彼の人は言い、階上のロザリアを見上げて微笑む。
今夜彼が着ていたタキシードはすでに脱いでいて、シンプルなシルエットの上着はロングで濃いブラウン。開けられた上着の前から覗く足が長いのは、ちらりとしか見えなくても明らかだ。
「どうしましたの。何か問題がありまして?」
ロザリアは勝手に鳴り出す胸を宥めながら階段を下りる。彼女のほうはまだ髪を梳いたきり、先程までのパーティーで着ていたドレスのままだ。
ずっと彼の事をお姉さんのようだと思っていた。異性だと意識しずにいろいろな相談をした。女王候補の頃から。それが変わり始めたのはいつからなのか、今ではロザリアには思い出せない。
以前は分からなかった彼の魅力に気付いたのは、ロザリアが少女から脱した証かもしれない。
あと数段を残すところでドレスの裾を踏んでしまい、バランスを崩して空を舞ったロザリアの手が、オリヴィエの手に捕まった。
礼を言う前にロザリアは目を丸くした。
「冷たい。外は冷えますのね」
頷いてオリヴィエはロザリアが階段を下りきるまで彼女の手をしっかりと握っていた。
「陛下は冷えた恋人の体をあっためてあげる、ってシチュエーションを狙ってるのかもね」
笑みが篭ったその言葉の示唆する事柄と、取られたままの手から、思わずロザリアは頬を染めた。
居間の暖炉には火が入れてあり、聖夜を彩る。
「いいパーティーだったよ。がんばったね、あんた。あ、そーだ。ゼフェルってばこっそりワイン飲んだらしくて、赤い顔してトイレで寝てたんだよね。仕方ないから馬車に押し込んでやっといた」
まあ、と目を丸くしたロザリアを笑って見ながら、オリヴィエは持っていた袋から小さな箱をいくつも取り出す。
「わたくしに? こんなにたくさん……?」
戸惑うロザリアに頷いてオリヴィエは目を細めて彼女を見る。
「今日のご褒美と、ちょっと下心ありってゆーか。ちょっとじゃなくて、えーと、かなり?」
途端に赤く染まったロザリアの頬を、オリヴィエが人差し指で突付いてきゃははと笑うので、どこまで本気なのかと彼女は困って眉をひそめてしまう。
「ホラ、早く開けてよ。喜ぶ顔が見たいんだからさ」
促されて開ける箱それぞれに収められていたのは、ネイビーパープルの宝石のついたアクセサリ。リングにペンダント、それからブレスレット。
どれも揃いのデザインで、繊細なシルバーのチェーンを飾る色はロザリアの瞳と同じ。タンザナイトと呼ばれる石だ。
「とても綺麗」
溜め息と共にそう零れた声に、オリヴィエが嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとう、オリヴィエ。でもわたくし……何もお返しできませんわ」
するとオリヴィエの片方の眉が上がり、彼はロザリアの目前で指を振る。
「あんたは今夜、オスカーと踊ったね。それから研究院の若いヤツとも。星都から来た政治家の男とも一回」
ロザリアは目を瞬いていつもより低い声のオリヴィエを見上げる。
それは確かに彼の言う通りだが、どうしてそれをオリヴィエが知っているのだろう。
「なのに私とは踊ってくれなかった」
そう言えば、オリヴィエが一度彼女に飲み物を取ってくれ、踊ろうよ、と誘ってくれたのだった。けれどその直後、女官に呼ばれて裏方へ下がり、その誘いに応じる事ができなかった事も思い出した。
「それは……申し訳ありませんでしたわ」
恐縮して彼女が小さくなるとオリヴィエは吹き出して笑い、彼の手はロザリアの首へ回った。
「あんたが忙しいのはよく分かってるケド、結構それ、悲しかった訳」
その日ロザリアがしていたパールのネックレスを外すと、オリヴィエの手は空いたそこへプレゼントしたばかりのペンダントを飾った。後ろ手に器用にチェーンを嵌める指。
一度下がってロザリアの姿を確認すると、オリヴィエは満足そうにひとつ頷いた。
「よく似合う。ねえ? 今からでも私と踊ってくれる?」
差し伸べられた手に手を添え、ロザリアは頬を染めて頷いた。
ワルツを二曲。
ロザリアは微笑むブルーの瞳から目を離せなくなった。
好きだよ、と囁く声に包まれ、ロザリアは上から降ってきた唇へキスを許した。
瞼へ、唇へ、胸元のタンザナイトへ。
end
2009.12.24