(ああ、そういう事なんだね……)
その場面を見た瞬間、男は思わず心の中で呟いていた。
滅亡の危機に瀕し、惑星の遷移と女王交代の時期が重なった神鳥の宇宙は、新たに二人の女王候補を選んだ。
アンジェリーク・リモージュとロザリア・デ・カタルヘナ――
候補選抜前までは普通の女子高生だった少女と、過去何人もの女王を輩出し、幼い頃から
女王になるべく生きてきたと言っても過言ではない名家の令嬢――初めから差が付き過ぎていた、
出来レースとも言っていい女王選抜試験は、終始名家の令嬢――ロザリアのリードで進み、
そして何時しか、その時は訪れる。
試験の課題として出された、『新たな大陸の創造』――新たな宇宙は、彼女がフェリシアと名付けた
それを認め、此処に、新女王は選ばれた。
さもありなん、と男は思う。
少女――アンジェリークも、候補に選ばれただけあり、それだけの素質は持っていた筈だ。
話をすれば少々天然な所もあるものの、彼女自体は悪い人間でもなく、寧ろ妹の様に可愛いとさえ思う。
試験にも大きなアドバンテージがあるにも関わらず、きっと真摯に取り組んでいた。
ただ、彼女にとって、あまりにも比較対象が悪かっただけなのだ。
人間として好感は持てても、女王としてのそれとはまた別ものだ。
何しろこれから相手か自分のサクリアが尽きるまで、絶対の忠誠を誓う対象なのだ。
可能な限り慎重に、間違わずに選びたい。
それは他の守護聖も同じだったようで、事実、試験の最中に数度行われた定期審査では、
彼女に『特別な感情』を持っているらしい一人を除き、自分を含む守護聖のほぼ全員がロザリアの支持に回っていた。
その事に男の胸はチクリと痛んだけれど、それが彼女の幼い頃からの夢だと知ってからは、
『それ』が何かと言う答えは見ない振りをして、男は今日、この日を迎えていたのだ。
それが彼女の一番の幸せだと信じて――
全宇宙の祝福が、彼女へと振り注ぐ。
新たに玉座に就いた彼女は、女王の正装ではなかったものの、その立ち姿は既にそれに相応しい威厳
を湛え、男は改めて彼女を選んで良かったと言う思いを新たにする。
感慨にでも浸っているのか、彼女は自分たちに背を向けるように玉座の前に佇み、
その背後、聖殿の壁高くに施された神鳥の意匠に視線を上げていた。
その姿さえも麗しく、美しく――守護聖と先代となった女王・補佐官などが居並ぶ広間は自然、
静寂に包まれ、彼女の次の言葉を待つ。
やがて彼女はゆっくりと振り返り、その華憐な唇が開かれようとして――しかし、言葉を発したのは彼女ではなかった。
「あ、あのっ!」
『声』は男の背後から聞こえてきた。
男が弾かれるように視線を向ければ、玉座から広間へ敷かれた毛氈に飛び出すように、一人の少女の姿があった。
ハーフアップに結われた金色の髪とリボンが揺れる、高校の制服姿の少女――アンジェリーク。
試験に敗れはしたものの、その関係者として、特別に列席を許されていたのだ。
「お願いがあるのロザリア!!」
胸元のリボンを掴み、横から見上げるだけの男にも分かる、必死の表情。
極度の緊張からか、声を震わせ、それでも視線はキッと玉座へと向いている。
「ロザリア、私を――」
「――アンジェリーク」
ロザリアの第一声は、アンジェリークの言葉を遮る冷たい言葉だった。
その声音に、男は微かに身を震わせ、弾かれるように玉座へと視線を向ける。
「……っ」
男は、思わず出掛かった声を抑えるので精いっぱいだった。
何故なら、男の視線の先では、ロザリアがその声音と同じく、絶対零度の眼差しでアンジェリークを見ていたからだった。
男は、思わず小さくブルリと身を震わせていた。
多分”守護聖だからこそ”感じたのだろう、いきなり猛吹雪を叩き付けられた様なロザリアの女王のサクリア。
そしてそれを感じたのは男だけではなかったのか、幾人かの守護聖たちも、愕然とした表情で彼女を見つめている。
「私を誰だとお思いですの?」
低く、だが良く通る声で、ロザリアは切り出す。
「私は神鳥の宇宙第256代女王、ロザリア・デ・カタルヘナ。この宇宙の万物を統べる者。貴女ごときが気安い口を
聞いていい相手ではありませんのよ?」
「な、ロザ、」
絶句し、よろよろと玉座に歩み寄ろうとした彼女を、ロザリアは黙って手で制して、
「貴女が今そうしてこの場に在れるのは、あくまでも共に女王試験を競ったと言う私の誼から。その事をお分かりになって? 貴女には
ご自分の立場というものを、しっかり弁えて頂かなくては」
「それに」と彼女は言葉を継いで、
「もし、貴女の『お願い』とやらが、「自分を補佐官にして欲しい」というものでしたら、答えは『NO』ですわ。
私、補佐官は置かないと決めておりますの」
「……!!」
図星だったのか、彼女の表情が絶望の色に染まる。
ぎゅっと自分のスカートを掴み、縋るような視線を”そちら”に向けて――
(ああ、そういう事なんだね……)
その場面を見た瞬間、男――夢の守護聖は思わず心の中で呟いていた。
彼女の縋るような視線の先にあったモノ、そしてそれを見つめる彼女が一瞬だけ見せた、悲しげな眼差し――その事実が示すもの。
「陛下。光の守護聖・ジュリアス、謹んで言上致します」
アンジェリークを半ば庇う様に切り出したのは、光の守護聖・ジュリアスだった。
「どうかアンジェリークを補佐官に。陛下お一人ではお辛い事も御座いましょう。先代とディアの様に、共に宇宙を支えていく
のがよろしいかと存じます」
「私は一人でこの宇宙を支える覚悟が出来ておりますの。彼女の助けは必要ありませんわ」
にべもないロザリアにジュリアスは一瞬「……ぐっ」と言葉を詰まらせながらも、
「しかし陛下――」
「――それに」
ロザリアはジュリアスの言葉を遮って、
「補佐官は女王に有事の際、その代役を務める可能性もあります。貴方は本当に、彼女にその務めが果たせるとお思いですの?
”定期審査で一度も支持しなかった”彼女に」
「……!!」
ピシャリと言い切られ、いよいよジュリアスは絶句する。
確かに、と男は心の中で思っていた。
記憶を辿っても、彼は試験で最初から最後まで一貫してロザリアの支持に回っていた筈だ。
それをどうして――考えて、辿り着いた結論に、男は小さく舌打ちする。
そして硬直するジュリアスに止めを刺すように、ロザリアは最終宣告を告げた。
「この話はお終いです。――アンジェリークは準備が出来次第、主星に戻るように」
アンジェリークがその場にへなへなとへたり込み、ロザリアはゆっくりと玉座を下り始めた。
ロザリアは茫然とする彼女を一瞥することもなく、男を含むジュリアス以外の守護聖は跪き、女王の通り道を開ける。
規則正しいリズムで、その足音は広間の扉へと続いていく。
彼女が扉の前に辿り着き、ついていた衛兵がその取っ手に手を掛けた時、彼女の背に、ジュリアスの切羽詰まった声が降り注いだ。
「陛下、今一度お考えを! どうかアンジェリークを補佐官に――」
「――"ジュリアス"」
再度言葉を遮り、ロザリアはゆっくりと振り返る。
「"私が"女王です」
『氷の微笑』を浮かべ、彼女が告げたその二言は、彼が求めたであろう僅かな縁の糸を断ち切る地獄の鎌だった。
――そう、今の彼女は宇宙を統べる女王。
守護聖にとって、女王の言葉は絶対なのだ――たとえそれが、どんなに自分の意に添わぬものでも。
彼女はどこかうっそりとした笑みを浮かべると、ジュリアスの返事を待たず、広間を後にする。
広間に響いた扉の開閉音が、断罪のギロチンの様だと、男は心の何処かで思った。
ロザリアが去った大広間は、数瞬の間、誰も扉を見つめたまま微動だに出来なかった。
やがて緊張の糸が切れたように一人二人と我に返って行き、彼らを慰める者、
心配そうな眼差しを向ける者――それぞれに別れていく。
男は、そんな光景を、一人、何処か白けた気持ちで見つめていた。
男からすれば、今の状況は、自業自得と言っても過言ではなかった。
多分、いま慰められている二人は相愛だったのだろう。そしてロザリアはジュリアスに思いを寄せていた。
だが、女王になる為に思いを諦めようとしていた彼女は、補佐官という形で思いを叶えようとした彼女に耐えられなかったのだろう。
女王と言えど、10代の女の子。好きな男と友人の仲睦まじい姿など見たくはないはずだ。
私情が入っている事は否めないが、その思いは十分に理解できた。
(アタシだったら、そんな思い絶対させないのに……)
ジクリ、と胸が痛む。
そんな男の耳に、その言葉は滑り込む。
「何故……どうしてこうなったのだ……」
ふ、と、その言葉に視線を向ける。
そこには青を通り越した白い顔で、茫然と呟くジュリアスの姿。
「これが一番いいと……考えて……」
――その言葉に、男の血がかあっと上った。
「分からないかい? ジュリアス」
気づけば男は、叫ぶように声を出していた。
かつかつと苛ただしげにヒールを響かせ、彼の元へと歩み寄る。
「な、オリヴィエ、何を」
「『本当に』、分からないのかい? あの子が何故、あんな事を言ったのか」
「え、何故、とは――」
「ロザリアは――あの子はアンタに惚れてたのさ。それも、真剣にね」
「な――!」
らしくなく狼狽えるその姿を、男は心から嘲笑いたくなった。
そう言えば、と男は思う。
確か目の前のこの男は、物心つく前に守護聖になったと聞いていた。
人生の殆どを聖地で過ごし、他人に傅かれて生きてきたのだろう男には、きっとこんな男女の機微を教える人間などいなかったのだろう。
もしかしたら男にとって、これが初恋だったのかも知れない――だとしてもだ。
(……ロザリア、アンタ、惚れる男を間違えたようだね)
きっと『それ』を口に出すのは、彼女のプライドが許さない。
けれどこんな朴念仁以下の人間は、言葉にしなければ分からないだろう。
だから、自分が言ってやるのだ――彼女を守るために。
「惚れた男が他の女といちゃついてるトコなんか、誰も見たくないだろう? それが自分の友達だったら猶更さ。
アタシがあの子の立場でも、その子を遠ざけるだろうね。目に入る所に居られたって辛いだけだもの」
「「……っ」」
彼らの瞳が、苦し気に歪められる。
男の良心が痛まない訳ではなかったが、もう止まれない。
「『恋は盲目』とは言うけどさ、アンタたちちょっと、自分勝手じゃな~い? 女王になる為にアンタを諦めようとした
彼女と比べたら、さ」
「オリヴィエ様、私は――」
「――とにかく」
男はアンジェリークの言葉を遮って、
「女王の決定は絶対だ。アンジェリーク、アンタは主星に帰るほかない。残念だけどね――色んな意味で」
そう言ってくるりと踵を返す男に、「どこに行くんだ」と誰かが呼び止めた。
「決まってるだろう?」男が返す。
「陛下の所に行くのさ――彼女が心配だからね」
『夢の守護聖』としてではなく、『一人の男』として。
凍てついた彼女の心は、きっと自分が溶かして見せる。
――例えその心が、自分に向いていなくても。
男はそう、心を決めていた。