Present for you

午後のお茶の時間は、一日の疲れをいやすと共に大きな気分転換のひと時でもある。
その日もロザリアはお気に入りの紅茶を淹れ、大好きなお菓子を準備していた。
ダージリンの中でも飛び切りの名園の限定品。
甘くトロピカルな芳香とまろやかな口当たりは、春摘み紅茶の醍醐味を存分に味あわせてくれる。
添えるお菓子のオレンジのタルトは紅茶の風味を損なわないようなシンプルな仕上げ。
まさにパーフェクトなアフタヌーンティだ。
ロザリアはトレーを手に、女王の間に向かった。

「きゃー! イイ香り! わ、オレンジのタルト、ロザリアの得意のお菓子だよね!」
ロザリアがドアを開けた途端、アンジェリークは手にしていたペンを放りだして、執務机からソファへと移動している。
以前、書類の上にお茶をこぼしてから、おやつは別のテーブルで取ることにしているのだ。
アンジェリークがちょこんと座ったテーブルに、ロザリアは優雅な所作でティーセットをサーブする。
女王だから手伝わないのではなく、アンジェリークだから手伝わせない。
…これ以上、高価なティーセットを不揃いにされるのは、ごめんだから。

「ね、ロザリア。」
口と手を同時に動かしながら、もごもごと話しかけるアンジェリークに、ロザリアは「なにかしら?」と、カップをソーサーに戻した。
優雅な所作と微笑みは、才色兼備の誉れも高い補佐官そのものだ。
ところが。
「もうすぐバレンタインだけど、ロザリアはもう準備した? 」
アンジェリークは紅茶をごくごくと飲んで、ぷはーっと一息つくと、そのままカップをもち、ニヤリとロザリアを眺めている。
凍り付く、とはいささか大げさだが、ピンと張りつめる空気。
ロザリアは思わぬ質問に目を泳がせた。


バレンタインまであと10日余り。
ロザリアは密かにチョコを準備していた。
今まではずっと市販品を渡してきたが、今年は違う。
みんなに配る義理用のチョコチップクッキーと、もう一つ。
数週間も前から試作を重ねてきたガトーショコラは、カロリーを気にするオリヴィエのために考えぬいたレシピだ。
前日に完成品を焼いて、当日の朝一番に届ける。
補佐官になってから磨いてきたお菓子作りの腕は自分でも自信があるから、きっと彼もマズいとは言わないはずだ。
告白することはできなくても、美味しいと言って彼が食べてくれれば、それで十分嬉しいから。

「あのね、わたしは、今年、手作りチョコにしようと思ってたんだよね~。」
大げさにがっかりした様子のアンジェリークの様子に、ロザリアはキレイに整った片眉を薄くあげた。
「でもさ、さっき、ちょっと偶然たまたまオリヴィエに会ったから、バレンタインのこと聞いてみたの。
 『もらうならどんなチョコがイイ~?』 って。」

ロザリアの全身が耳になる。
オリヴィエがもらいたいチョコレート。 …気にならないはずがない。

「そしたら、『手作りなんて絶対にやめといた方がイイ』って言われちゃったのよ。」
「え?」
ドキッとロザリアの心臓が鳴る。
ところがそんなロザリアの様子に全く気付かないように、ため息交じりのアンジェリークは続けた。

「『食べる方にしてみたら、いくら気持ちがこもってるとか言われたって、美味しいほうがいいに決まってるもんねぇ。
 それに、手作りだから愛がこもってるなんて考え方自体、オカシイと思わない?』 だって。
 そう言われたらそうだよね~。
 わたしだって、どうせなら美味しいモノ、もらいたいもん。」

じょぼじょぼと音を立てて、アンジェリークはポットの紅茶をお代わり用に注いでいる。
「あ。」
注ぎ口からぽたりと真っ白なテーブルクロスに落ちる褐色の雫。
すぐに洗わなければ染みになってしまうのに、ロザリアは固まったまま動けずにいた。
慌てたアンジェリークがティッシュで染みを拭こうとして、さらに染みを広げているのにも気づかずに。


補佐官室に戻ったロザリアは、アンジェリークの話を頭の中で反芻してみた。
ようするに、オリヴィエは手づくりを好んでいないという事なのだろう。
たしかに洗練されたオシャレを好む彼に、やぼったい手作り品は似合わない気もする。
味にしても、いくらロザリアが腕に自信があるとはいえ、プロには敵うはずもない。
手づくりの品を食べてもらいたい、なんて、所詮はタダの自己満足なのだ。
『どうせなら美味しいほうがいい』
ロザリアは考えたレシピの紙を引き出しの奥にしまい込むと、美味しいショコラティエの情報を集め始めたのだった。



ところがその数日後。
ロザリアの元にコレットとレイチェルの二人が訪れた。
新宇宙の成長具合の報告と確認、という名目だが、二人も時々神鳥宇宙が恋しくなるのか、顔を出してくれることも多い。
「いらっしゃい。」
ロザリアは笑顔で二人を出迎えると、お茶とお菓子の準備を始めた。
今日はアンジェリークが突然、恋人にお茶に誘われて出て行ってしまい、一人のお茶になってしまうところだったのだ。

「どうぞ。来てくださって嬉しいわ。」
イチゴとキャラメルのムースケーキと焼きたてのアイスボックスクッキーに濃いめのアッサム。
完璧なティータイムに、コレットもレイチェルも目を輝かせた。
「きゃ~! やっぱりロザリア様、スゴイ!」
「本当ですね。 ありがとうございます。」
三人でいつも通りのお茶の時間を楽しんでいたところに、ふと、レイチェルがクッキーを摘まみながらため息をついた。

「あ~、ワタシ、こんなに上手にできるかな…。」
「わたしも実はちょっと心配。」
顔を見合わせた二人に、ロザリアが首をかしげると、レイチェルはさらに大きくため息をついた。

「さっき、たまたまオリヴィエ様に会ったので、バレンタインのこと、聞いてみたんです。
 『もらうならどんなチョコレートがイイですか?』って。」

ロザリアの耳が大きくなる。
先日のアンジェリークといい、なぜみんなオリヴィエに相談を持ち掛けるのだろう。
…もっともそれはロザリアも同じだ。
オリヴィエは見た目とは違い、とても堅実で常識的だし、誰にでも公平で、きちんと答えをくれる。
人当たりもよくて、聞きやすい。
彼女たちの恋の相談に乗るのも、女王候補時代からのこと。

「そしたら、オリヴィエ様ったら、
 『手作りが断然気持ちがこもってるでしょ? よっぽどひどくない限り、男なら誰だって嬉しいもんだよ。』 だって。
 ワタシ、あんまり自信ないんだケド。」
「わたしも…。 レイチェルと一緒に頑張ろう、ってさっきも約束したんですけど、不安で…。」

ロザリアは目をパチパチと瞬かせた。
たしか先日、アンジェリークには『手作りなんて』と話していたはず。
だからロザリアは数ある名店のチョコを取り寄せて試していたのだ。
自分が美味しいと思うモノしか、オリヴィエにも贈りたくないと思ったから。
おかげでチョコを食べすぎたロザリアの額には、ぽつり、と小さな吹き出物までできているというのに。

「それは本当なんですの?」
「え?」
「オリヴィエが手作りの方がイイ、と?」
「はい。 はっきりと、その方が嬉しい、と…。」

二人が帰った後、ロザリアはさっきの話を反芻してみた。
オリヴィエは二人には『手作り』がいいと言ったらしい。
なぜ、アンジェリークとは違う事を言うのだろう。
オリヴィエの本当の望みはどちらなのだろう。
わからない。
次の日になると、悩み始めたロザリアをさらに悩ませることが起きた。



「こんにちは! ロザリア様!」
廊下の端から思いっきり元気の良い声が聞こえてきて、ロザリアは振り返った。
はるか遠くから、大きく手を振る姿。
赤い服とおさげ髪で、かろうじてエンジュだとわかる距離だ。
挨拶の代わりにロザリアが軽く会釈をすると、エンジュはあっという間にロザリアの前まで走り寄ってきた。

「お久しぶりです!」
「ええ、相変わらず元気そうね。」
「はい! それがわたしの取り柄ですから!」
エンジュは明るく笑う。
ロザリアもつい微笑み返していると、エンジュが急にもじもじとし始めた。

「…なにかあるのかしら? お話があるなら伺いますわよ?」
一瞬、立て込んだ執務のことがちらりと頭をかすめたが、エンジュは大切な聖天使であり友達でもある。
悩みがあるなら相談にのりたい。
「わたくしの部屋でお茶でも…。」
「いえ! そこまでのことじゃないんで! でも…ちょっと聞いてもイイですか?」
「ええ、なんでもよろしくてよ。」
ちらり、と上目づかいでロザリアを見る赤い瞳。

「あの、やっぱり男の人って、チョコなんかよりも、その、キスとかしたほうが喜ぶんでしょうか?」
「え? ……ええ?!」
目を丸くして絶句したロザリアにエンジュは焦ったようだ。

「あ、あの、さっき、オリヴィエ様にお会いして、ちょっと聞いてみたんです。
 もうすぐバレンタインだし、『オリヴィエ様がもらうなら、どんなチョコがイイですか?』って。
 そしたら、
 『チョコなんてもらって、ホントに男が喜ぶと思う?
 それよりもキスの一つでもしてあげたほうが、絶対いいから。』って言われちゃったんです~。
 でもそんなのいきなり恥ずかしいし、どうしたらいいかと思って…。」

ああ、まただ。
ロザリアは頭痛を感じて、思わずこめかみを抑えた。
みんながオリヴィエに尋ねる理由はわかる。
でも、なぜこうまで・・・彼はバラバラなことをいうのだろう。

「あ、あの、ロザリア様?」
黙り込んだロザリアを心配そうにエンジュが見つめている。
ロザリアは慌てて笑みを作ると、
「ご、ごめんなさい。 そうね、わたくしはまずはチョコを差し上げるのがいいと思いますわ。
 なんとなくでしょうけれど、みなさん、チョコを期待してるようですもの。」

「あ!やっぱりそうですよね! まずはチョコで、そこから・・・。
 うふふ! さすがロザリア様です! ありがとうございました!」
エンジュは嬉しそうに頭を下げると、来た時と同じようにあっという間に去っていってしまった。
慌ただしいのも、元気なのもいつも通りなので気にはならないが…。


「わかりませんわ…。」
結局、オリヴィエの欲しいチョコはなんなのだろう。
お店のスペシャルチョコなのか、手作りチョコなのか、それとも・・・・。
もしかすると、オリヴィエにとっては、バレンタインなんて意味がないことなのじゃないか、とまで思えてくる。
本人に直接聞けば、済むことなのかもしれないが、それはやっぱりできない。

女王候補時代から、ずっとロザリアの想いは変わらずオリヴィエに向けられている。
長い長い片想いはすでにあきらめを通り越して、そばにいられる現状に満足できるほどの悟りの境地に達しているといってもいい。
今更、彼とどうこうなれるなんて全く思っていないし、きっと彼にとって、ロザリアの存在はその他の女王候補たちと変わらないだろうとも思っている。
でも、だからこそ、みんなとは少し違う、最高のチョコレートを贈りたい。
ロザリアにとっての『特別』を。
考えれば考えるほどわからなくなったロザリアは、買い込んだチョコレートやレシピ、それから恋愛小説を前にじっと座り込んでいた。



いよいよバレンタイン当日。
ロザリアは朝から忙しく働いていた。
正確に言えば、昨夜、聖殿から帰ってきてから、ずっと、かもしれない。
聖殿で働く職員たちのぶんは、昨夜のうちに出来上がって、今朝は守護聖の分だ。
それぞれ好みにうるさいから、同じものでまとめるわけにはいかない。
それにどうせプレゼントするなら、少しでも喜んでもらいたいと考えてしまうのが、ロザリアの性分だ。
この手の抜けない性格のせいで、ずいぶん苦労もしているのだが…仕方がない。
やっとすべての支度を終えた頃には、出仕の5分前。
大慌てで髪をまとめて、ロザリアは聖殿へと向かった。

人に会うごとに包みを渡し、一言二言言葉を交わす。
もちろん聖殿の職員は全員顔見知りだし、チョコレートをプレゼントしたところで、今更、誤解があるわけでもない。
「あ、ありがとうございます!! 私にまで…。」
「いつもお世話になっておりますもの。 ささやかですけれど、いただいてくださいませ。」
もらった人々がみんな嬉しそうにしてくれるのを見るのは、ロザリア自身も嬉しくて、疲れを忘れてしまう。
そんなこんなであっという間に半日が過ぎ、後は守護聖達を残すのみ。
ロザリアは午後、残りの8個のチョコレートを届けて回ることに決めた。
どうせ、今日はマトモに執務なんてできないのだ。 
…朝から女王はずっと、上の空なのだから。


「うむ。 気遣いすまぬ。」
「ああ…。」
「うわ! 手作りだね。 ありがとう、嬉しいよ。」
「ありがとうございます。 とても嬉しいですよ。」 
「このお返しは俺自身、で、どうだ?」
「ありがとう! とっても美味しそうだね。 早速食べちゃおう。」
「おう、サンキュ、な。」
「ああ~~、ありがとうございます~~。」
好みに合わせて作ったチョコレートをみんなそれぞれに喜んでくれた。

「これで全部ですわね。」
途中で何度も引き止められ、お茶を飲んだりして時間はかかったものの、聖殿に持ってきた分は全て配り終えた。
後は…。
考えながら廊下を歩いていると、不意に腕を引かれ、背後へと引きずり込まれた。
目の前でバタンと閉まる、見覚えのあるドア。
恐る恐る振り向いたロザリアの視線の先にいたのは、部屋の主であるオリヴィエだ。
そういえば、ぼんやりしていて気が付いていなかったけれど、呟いたのは、ちょうどオリヴィエの部屋の前だった、と今更思いだした。


「お、オリヴィエ。 ごきげんよう。」
笑いが引きつっているのは、ロザリアも自覚していた。
ロザリアの背中にはドアがあり、顔のすぐ横にはオリヴィエの両腕があって、目の前には…もちろんオリヴィエがいる。
四方を囲まれて動けない状態。
もしかしてこれは『壁ドン』というのではないかしら、と思い当たって、顔が赤くなった。
けれど、
「へえ、一応、私の存在を覚えてたんだ?」
うっすらとした暗青色の瞳は氷のように冷たく、ロザリアの背中がすうっと冷える。

「あ、当たり前じゃありませんの。 覚えてるだなんて、御冗談がすぎますわ。」
軽く躱して、立ち去ろうと体を動かした瞬間、
「じゃあさ、どういうつもりでこんなことしてるのか、聞かせてくれる?
 なんで、私だけ、なーんにもないの?」
オリヴィエの指先がロザリアの横髪に触れ、毛先をくるくると弄んでいる。

驚きで固まったロザリアの瞳をオリヴィエはじっと覗き込んできた。
その暗青色の瞳の奥に見たこともない色がある事に気が付いて、ロザリアはますます金縛りにあったように動けなくなってしまう。
いつもいつも大人で余裕があって、ロザリアをからかってばかりで。
そんな彼が初めて覗かせた…それは明らかな感情。

「お、オリヴィエ…。」
かろうじて、名前を呼ぶと、彼はふっと目を細めた。
そして、細くキレイにネイルされた指先でロザリアの顎をとらえる。
「事と次第によっては、こっちにも考えがあるから覚悟して。」
ごくり、とロザリアの喉が鳴った。


「あ、あの、では、アンジェ達に教えたように、わたくしにも教えてくださいませ。
 わたくしは、どんなチョコをプレゼントすれば、よろしいのかしら?」
「う~ん、そうだねぇ。 何がイイかねぇ。」
オリヴィエはまるで明日の天気でも答えるように、軽い調子でいる。
ロザリアの飛び出しそうな心臓の音や震えそうな足には、まるで気づいていないのか。
こんなに近くにいるのに、いつもオリヴィエには届かない。

「…陛下に、『手作りは止めた方がいい』と申し上げていたのではありませんの?」
「言ったかもねぇ。」
オリヴィエはとぼけているのか、肩をすくめている。
普通なら厭味ったらしいその仕草も、オリヴィエがすると不思議と艶っぽい。
しかも今にも吐息がかかりそうなほど、接近しているのだ。
ロザリアの耳が熱くなる。

「だって、陛下の手作りなんて、アイツがかわいそうじゃない?
 2,3日はトイレ通いになるよ。」
サラッとひどいことを言うが、ロザリアだって思わないわけではなかった。
アンジェリークの料理の腕は人間の理解の範疇を越えている。
オイシイとかマズいとかそういうレベルではなく…未知との遭遇だ。
いくら愛があっても食べればただでは済まないだろう。
…ロザリアにも経験があるからよくわかる。

「…コレットとレイチェルには『手作りがいい』と勧めたそうですわね。」
「ん~。 だって、あの二人のカレは愛情たっぷりって方が喜びそうじゃない?
 あんまりそういうのに縁があったとも思えないし。」
それもその通りだ。
辛い過去を持つコレットの彼と堅物なレイチェルの彼には、手作りのぬくもりが喜ばれるだろう。

「エンジュには、あの、チョコじゃなくて…。」
口ごもるロザリアに、
「ああ~。 普段、そういうことしない子からされたら、嬉しいもんじゃない?
 アイツなんて絶対チョコ興味ないし。 っていうか、エンジュにしか興味ないでしょ。」
オリヴィエは面白そうに、くっと笑った。
たしかに盲目的にエンジュを追いかけまわしている彼のこと。
エンジュからキスをされたりしたら舞い上がるに違いない。

「で、それがどうかしたの? 
 どんなチョコがいいか、って聞かれたから、私としては最大限のアドバイスをしたつもりだったんだけどね。」
みんなに違う事を言うのは、オリヴィエがみんなのことをちゃんと考えているからだ。
それぞれの相手が何を一番喜ぶのかを教えていただけ。

「では、わたくしは? わたくしはどんなチョコがいいと思われますの?」
声が震えないように。
目を逸らさないように。
ふと落ちた沈黙に、ロザリアの鼓動だけが頭の中で鳴り響く。


「なんでもいいんじゃない?」
オリヴィエの言葉に驚いて、ロザリアは目を見開いた。
冷たい言葉。
でも、ロザリアの目に映る暗青色の瞳は、思いがけないほど優しかった。

「きっとあんたからもらえるものなら何でも嬉しいよ。
 お店のでも手作りでも、キスだってなんだって。
 だから、あんたの贈りたいものをそのままプレゼントすればいい。 
 それが私の答えさ。」

「わたくしは…。」
ロザリアがオリヴィエにあげたかったもの。
一生懸命レシピを考えたガトーショコラ。
カタログや雑誌を調べまくって選んだショコラティエのスペシャリテ。
恋愛小説を読んで勉強した甘いキス。
どれも全部本当だ。
でも、一番大切で、一番贈りたかったものは。

「…あなたにずっと伝えたかったことがありますの。
 あの、わたくし…。」

たった一つの言葉。
どんなプレゼントもチョコレートも、それがなければ意味がない。



「ロザリア。」
オリヴィエの声が耳のすぐそばで聞こえたけれど、ロザリアは顔を上げられずにいた。
じっと黙ったままのロザリアの唇に、不意に硬い何かが押し当てられる。
少しひんやりとして…甘い。
「ん。」
彼の名を呼ぼうとして開いたロザリアの口に、その何かがグッと押し込まれていく。
それは甘い甘い…チョコレート。

「主星では、女の子が好きな男の子にチョコレートをあげるんだってね。
 ま、義理チョコとか友チョコとか、いろいろあるらしいけど。」
どこか楽しそうなオリヴィエの声に、ようやくチョコレートを飲み込んだロザリアが顔を上げた。
キラキラしたアイシャドウと紫のマスカラ。
でも、そんな飾りのどれよりも美しい暗青色の瞳に、惹きつけられて息が苦しい。

「私の故郷ではちょっと違っててね。
 大切な人にお菓子やお花をプレゼントし合う日なんだ。」
「大切な…人?」
「そ。 コイビトとか、好きな人。」

オリヴィエは手にしていた箱の中から、もう一つ、チョコレートを摘まみとった。
さっきのチョコレートとはまた違う、丸い形。
そのまま、オリヴィエはチョコレートをロザリアの口元へと運ぶ。
なぜか逆らえず、ロザリアは今度は口をわずかに開けて、そのチョコレートを受け入れた。

「美味しい?」
こくり、と頷くロザリアにオリヴィエはますます楽しそうに、きゃはは、と声をあげて笑っている。
ロザリアは顔を赤らめた。
立ったまま、しかも自分だけ、口をむぐむぐと動かしているのは、なんだか気まずくて恥ずかしい。
「あの、このチョコは?」
混乱のまま、オリヴィエに問いかけると、彼は不思議そうに首を傾げて、ロザリアをじっと見つめている。

「ん? だから、これは私からあんたへのプレゼント。
 今日のバレンタインの贈り物。 …大切な人への、ね。
「あ、あの、それは…。」
「ん~~。 まだわからない? つまり、私はあんたが大切ってこと。 ようするにね。」
ふわり、とオリヴィエの香りがロザリアの鼻先を掠める。
頬に触れるオリヴィエの金の髪。
耳元でささやく声。

「好きってことさ。 わかった?」

本当に息が止まった。


「まだ食べる?」
オリヴィエの手がまたチョコレートへと伸びる。
今度はピンク色のチョコレートがコーティングされた半円のもの。
チョコレートを摘まみ上げようとするオリヴィエの手を、ロザリアは慌てて押しとどめた。
タダでさえ息が詰まって苦しいのに、これ以上チョコレートを食べたりしたら、きっと倒れてしまう。

「もういらないの?」
言葉が出なくて、ロザリアはただ頷くことしかできなかった。
すでに頭も心もいっぱいいっぱいで、とても処理が追いつかない。
オリヴィエの『好き』という言葉がぐるぐると全身を巡っている。
すると、オリヴィエはチョコレートの箱のふたを閉め、そのままロザリアの両手に握らせた。

「受け取ってくれるよね? 私の気持ち。」
頷いたロザリアに、オリヴィエは満足そうに艶めいた笑みを浮かべる。
そして、すっとロザリアから離れていったかと思うと、コートハンガーにかけてあった上着を手にとった。


「じゃあ、行こうか。」
「え?」
どこへ?と、尋ねる前に、オリヴィエは手にしたコートをロザリアに羽織らせると、肩を抱いて、歩き出そうとする。
手にチョコレートの箱を持ったままのロザリアでは抵抗することもできない。

「あんただけチョコレート食べて、ズルいじゃない?
 あんたの家に行くから、私にも食べさせてよ。
 手作りもお店のも、あんたの本命チョコは私が全部もらうんだからね。」
「え、あの…。 ええっ?!」

なぜ、何もかも見透かされているのか。
持ってきてはいないけれど、ロザリアはちゃんとオリヴィエの分のガトーショコラを作っていた。
それから、取り寄せたたくさんのスペシャルチョコも家には山のように残っている。


「ホラ、急いで。
 ジュリアスにでも見つかったら面倒だからさ。」
これは完全にサボりではないだろうか。
ふと、ロザリアの頭にそんなことが浮かんだけれど、肩を抱いているオリヴィエの顔がとても楽しそうだったので、どうでもよくなってしまった。
きっとあとで、アンジェリークからいろいろ追及されるだろう。
午後からの執務を放りだして、いなくなってしまうなんて、まるっきりいつもとは逆だ。

でも、今日くらいはアンジェリークも許してくれるはず。
だって今日は…。

「バレンタインデーですものね。」
恋人同士が愛を語り合う事のできる、スペシャルな日。

呟いた声が聞こえたのか、オリヴィエがくすっと笑う。
ロザリアも微笑み返すと、先を急ぐように、足を速めたのだった。


FIN
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